
沖縄の麺といえば、沖縄そばが知られている。
ところがそば粉が全く入っていない。
そば粉が30%以上入っていないと「そば」と表示してはいけないと、本土復帰時、公正取引委員会は「沖縄そば」の名称を使わぬよう業界に求めた。
だが、沖縄では長年に渡って「そば」「すば」として地元の人に親しまれていた。地元麺類組合長が全国の会長を動かし本庁と直談判した。
2年後、ついに地元の言い分が通った。晴れて「沖縄そば」と名乗ることが認められた。いま、その「沖縄そば」がブームになっているという。
一方、北にはこんな話がある。
アイヌのサケ取り名人が、ある日巡査に逮捕された。
サケをアイヌは自分一人のものにすることはなかった。必要な分だけを取り、自分でサケ取りに行けないお爺さんお婆さんに分けてやっていた。こうしてサケを取るのが、アイヌにはたのしみでもあった。
自然と共に暮らしていたアイヌの狩猟、漁労などを明治政府は制限、禁止した。いままで主食として自由に取っていたサケが、急に密漁ということになった。
その結果、アイヌの生活は貧窮を余儀なくされていった。
2005年になって北海道は、伝統的な儀式や漁法の伝承に限り捕獲を許可した。
しかし、北海道に許可申請をせずに伝統儀式用のサケを捕獲し、北海道警の取り調べを受けた。先住民族が伝統的に行ってきた漁などは国際的に権利として認める流れにある。しかし日本ではアイヌを法律で「先住民族」と明記しながら先住権を認めず、畠山さんの行為は「違法」に。
捨て身ともいえるこの行動が先住民族とは何かを問いかける。
自然はいったい誰のものだというのか。
いま、グローバリゼーションの波が日本ばかりか世界に被せられようとしている。
共通した価値観をもつことによって世界の紛争は解決に向かうのだろうか。あるいは、ますます少数派は孤立化して紛争が深刻化するのだろうか。
2006-08-06 の記事をコチラ
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ところがそば粉が全く入っていない。
そば粉が30%以上入っていないと「そば」と表示してはいけないと、本土復帰時、公正取引委員会は「沖縄そば」の名称を使わぬよう業界に求めた。
だが、沖縄では長年に渡って「そば」「すば」として地元の人に親しまれていた。地元麺類組合長が全国の会長を動かし本庁と直談判した。
2年後、ついに地元の言い分が通った。晴れて「沖縄そば」と名乗ることが認められた。いま、その「沖縄そば」がブームになっているという。

アイヌのサケ取り名人が、ある日巡査に逮捕された。
サケをアイヌは自分一人のものにすることはなかった。必要な分だけを取り、自分でサケ取りに行けないお爺さんお婆さんに分けてやっていた。こうしてサケを取るのが、アイヌにはたのしみでもあった。
自然と共に暮らしていたアイヌの狩猟、漁労などを明治政府は制限、禁止した。いままで主食として自由に取っていたサケが、急に密漁ということになった。
その結果、アイヌの生活は貧窮を余儀なくされていった。
2005年になって北海道は、伝統的な儀式や漁法の伝承に限り捕獲を許可した。
しかし、北海道に許可申請をせずに伝統儀式用のサケを捕獲し、北海道警の取り調べを受けた。先住民族が伝統的に行ってきた漁などは国際的に権利として認める流れにある。しかし日本ではアイヌを法律で「先住民族」と明記しながら先住権を認めず、畠山さんの行為は「違法」に。
捨て身ともいえるこの行動が先住民族とは何かを問いかける。
自然はいったい誰のものだというのか。
いま、グローバリゼーションの波が日本ばかりか世界に被せられようとしている。
共通した価値観をもつことによって世界の紛争は解決に向かうのだろうか。あるいは、ますます少数派は孤立化して紛争が深刻化するのだろうか。
2006-08-06 の記事をコチラ



日本の状況がよく分かるブログですね。また時々お邪魔させてもらいます。
私のブログは、パリから毎日更新しています。また覗いてみてください。
誰にも迷惑をかけている訳ではありません。
戦時中に、ナチス・ドイツの迫害から逃れるためにユダヤ人避難民にビザ を発給し、6千人以上の尊い命を救った元外交官・杉原千畝の人道的行為の良き見本があります。
>千利休がもつ茶碗を秀吉が欲しがりますが渡しません
権力者が力で取ろうとすると、必然的に拒否反応が出てくるのでしょうね。
そこに、松永久秀の平蜘蛛茶釜も出てきます。
千利休が豊臣秀吉の勘気に触れて切腹する日から始まり、少しづつ過去にフラッシュバックして織田信長との出会い、
豊臣秀吉との葛藤、妻や師弟との関係などを綴ってます。
やはり、千利休がもつ茶碗を秀吉が欲しがりますが渡しません。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/6bef737199870eadc92ed4b7afb9702c
伝統的な儀式や漁法の伝承に伴う捕獲は認められたものの許可申請は無用だとして撮り続けているケースでした。