”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2011年04月04日 21時09分23秒 | Weblog

4月4日(月)晴

花冷えでしょうか?また少し寒くなりました。
今日は一般人から批判されていたことが、実は正しい選択だったと言う話をしてみたいと思います。

実は今日の新聞で東日本大震災での津波から15mの防潮堤が街を守った記事がでていました。その村の村長さんはみんながそんなに高くしなくてもと言う中で15mを絶対譲らなかったのだそうです。そのおかげで町の住民は一人の犠牲者も出さなかったのだそうです。もうその村長さんは亡くなっているそうですが、町の人達は感謝しているそうです。近隣の宮古市が10mだから15mに
する必要はないじゃないかと住民はきっと批判したのでしょう。ところが今回の震災で片や10mの防潮堤が津波に飲み込まれ大きな被害を出したのに、その村は無事に津波を食い止めることができたのです。

このような話は至る所に存在します。一般の人達からバカだチョンだと言われていたことがいざとと言う時に役に立つ話のことです。要するに一般人は物事を近視眼的にしかみません。そう言う中で物事を長期的に見て発言する人は周囲の凡人には理解できない人なので変わり者と言われ批判の対象になってしまいます。でも現状に近視眼的迎合して支持を得た人に偉人はいるのでしょうか?甘い言葉に踊らされて支持したあげくに一番先にそのしっぺ返しをくらうのが支持していた人達だと言う話は世の中にはいっぱいあるはずなのに、どうして人間はいつも同じことを繰り返すのでしょうか?

名古屋でも戦争で焼け野原になった街を復興させる時、当時の市長がものすごく幅の広い道路を作ったと言って批判されたそうです。それから50年、世の中は車社会になり幅の広い道路は全国でも走りやすい道路になっています。もっともこちらは走りやす過ぎてスピードを出せるので交通事故死も全国でワーストになっているようです。ただ戦後の復興時期に長い目で視て都市計画ができた点ではすばらしいと思います。

これから被災地ではどう言う復興をしていくのか行政の手腕が問われることになります。目先だけで小手先の復興にならないよう住民もしっかり勉強してほしいと思います。確かに被災民のことを考えるとそんな悠長なことを言ってられる場合かと怒る人もいっぱい出てくると思います。今を考えればその通りですが、多分被災もしていない僕らよりは今回の経験をされた方達はしっかり考えてくれるのではないでしょうか。僕らよりよっぽど故郷を大切に思う気持ちが強いと思うからです。横並びの迎合ではなく、自分達独自のビジョンを作っていってほしいものです。

現在統一地方選挙が至る所で行われていますが、言っていることを聞いていると甘いバラマキ的言葉や現在起きている災害や原子力を排除するような言葉が多いように思います。それも未来永劫そうできるのなら良いのですがどちらかと言うと場当たり的で具体的ビジョンもないような人が多すぎます。原子力発電を廃止すると言ったことは現実的ではありません。だったらどのようにして安全を担保するかの議論が重要でしょうし、将来に向けてどう方向転換してエネルギーを確保するのかと言ったことが重要だと思います。今回の災害は不幸な出来事ではあるけれど、我々がこれからこの国をどうしていくべきか一般人も考える良い機会かもしれません。耳にやさしい言葉は安易に信用すべきではありません。特に福祉とか子供を出汁にする人達は一番信用のおけない人たちだと僕は思っています。この種の話はかなり具体的につっこまないと何もわかりません。ただ耳に聞こえが良いだけですから。

ちょっと言いすぎたかもしれません。それではまた。