”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2011年04月06日 21時33分02秒 | Weblog

4月6日(水)晴

ようやく暖かくなってきたようです。桜も週末には満開となりそうです。週末の天気はあまりよくないようですが、土曜日は昨年台風で延期になっていた静岡でのゴルフに行く予定です。そこで先ほどゴルフバックを宅急便で送ってきました。昨年は台風で前日に延期となったためゴルフバックだけがゴルフ場に行って帰って来ただけでしたが、今回は雨だけで済みそうなのでやっと実現できそうです。静岡の葛城ゴルフ倶楽部といったら例年ですと女子プロゴルフが行われた直後になる訳ですけど今回は震災の影響で中止となったのでどの程度コース整備ができているかわかりません。プロの試合と同じような条件でやりたいと言うことで1月には4月9日を予約してもらってあったのですがどうなのでしょうか?

前日には休暇を取って東京でクラブのフィッティングをしてもらい、帰りに掛川のホテルに泊まり翌日はゴルフという予定です。中々名門のゴルフ場でラウンドする機会はないので楽しんでこようと思います。山名と言う難しい方のコースらしいのでスコアはあまり期待できそうもありません。明日は家内が〇〇さんのコンサートに行くようなので夕飯がありません。どこかで飲んで来るしかないのですが、僕も遊びに出るのであまり文句を言える立場にありません。趣味がまったく違うのでお互いあまり干渉しないことにしています。それが良いかどうかわかりませんが、多分これから先もそうなのでしょう。

ところで話は変わりますが昨日、現代人の空虚感について労働の質が変遷してきたことに大いに関連していると書きました。それに加えて現代人は父親の威厳を知らずに育ってしまったことももう一つの要因だと思っています。僕らの世代は多かれ少なかれ父親が怖かった思い出があるものです。そして父親に対抗するような時期もありました。しかるに現代人はほとんどそんな経験がなくなってしまった。父親も母親も子供の機嫌をそこねるようなことはしなくなった。それと死人を子供に見せることもなくなってしまった。昔は祖父や祖母が死ぬのは自宅がほとんどでした。必ず死と直面した訳ですけど、現代ではすべて病院で死を迎えることが多くなり子供が直接死と向き合うことが少なくなってしまった。ようするに現代人は恐怖感とか死と言う人間の宿命のようなものに対して無菌状態で大人になってしまった。その結果、恋愛や危機に対して無菌状態が故の空虚さがあるような気がします。僕らが豊かになったことで、感情の発達が遅れてしまったのだと思います。これからの時代は遅れた感情を取り戻せるような体験が必要だと思うのですが、そのためには何事にも逃げずに自分で向き合う姿勢を作っていくことだと思う。自らが真正面から向き合って真剣に取り組んでいる姿は外から見えれば美しいものです。ぶざまな姿をさらして真剣に取り組むことは本人としてはみっともないと思うかもしれませんが、はたから見ればうらやましく感じるものです。

今日はここまでです。それではまた。