”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2011年04月05日 22時05分14秒 | Weblog

 

4月5日(火)晴

4月になっても中々暖かくなりません。冬のコートを洗濯に出したのが悔やまれます。天気もそうですが、日本人の心も寒いままです。毎晩原発のニュースを聞く度に、何も進展しない状況を腹立たしく思うようになりました。経済性ばかり追求してきた今の企業の在り方を変えて行く必要がありそうですが、グローバルな競争の中でどこまでできるのかは甚だ疑問です。

ところで文明が発達したことによって我々はどんな恩恵を受けたのでしょうか?確かに便利な世の中になったし、食べる物に苦労することもなくなりました。しかし、その一方で感動とか充実感のようなものが失われているのも事実です。現代人は総じて空虚感のようなものを感じているのではないでしょうか。

ある人が文明の発達によって働く人はレイバー(奴隷的な苦痛を伴う労働)からワーク(工夫や訓練により完成度の高い作業)になり、現代はアクション(自己表現をする行動)と変わってきていると言っています。その昔レイバーがやる仕事は危険で厳しく力のいる仕事でした。ところが力仕事や危険な作業は機械が人間に変わって行い人間は知恵と工夫により商品や製品を完成させる仕事をするようになりました。そして現在はコンピュータを駆使して完成度が高く、まったく同じものが作れるようになりました。こうなってくると人間の出番は高度な自己表現をできる人だけが必要になってきます。ところがみんな学校に行って勉強したって追いつけない人が多く出てきてしまいます。こうなると世の中は空虚になり、現代の若者のような無気力な人達が多くなってくるのは当然です。ひとえに無気力な人達が悪い訳でなく、文明の発達がもたらす公害のようなものだと思います。

そう言う意味で時代を戻すのではなく、誰にでもできる新たなワークがビジネスとして通用する社会を目指さなければ、行く末は滅亡しかないような気がします。この辺が文明の限界なのかもしれません。コンピュータにはできないアナログ的な感性と額に汗するワークってどんなものがあるのでしょうか。何かそういった方策を真剣に考えてみる必要があるような気がします。人件費が高いからセンサを使うのではなく、人間のセンサだから良いことだってありそうな気がします。

今日はこれまでです。それではまた。