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「ふるさと」も変わっていく

2023年03月08日 20時22分12秒 | 心 思い
*ふるさとの理屈を書くつもりはなかったのに、意図しない文になってしまった、あとで気づいたが「望郷の念」を書きたかったんだと思う
産まれた土地に住んでいる故郷がない私が書くと、こんな風になってしまう

「ふるさと」自分が生まれ育った土地をいう、それも少年および青春時代を過ごした場所である、「ふるさと」とは過去形で語られるものだと思う
ずっとこの土地で生まれ暮らし続ける人は「ふるさと」というのだろうか
私がこの地を「私の故郷は・・」とはいわないだろう
だから「ふるさと」とは、生誕の地を去った人だけに与えられるもの
じゃあ銀座や新宿で生まれ育った人でも、そこを離れて別の土地で暮らしていれば銀座が「ふるさと」なんだろう
ただ「ふるさと」という童謡のせいか、「ふるさと」というと「田舎」というイメージがある、高層ビルと人混みの大都会は「ふるさと」と言われても田舎者の私にはピンとこない
「うさぎ追いしあの山、小鮒釣りし彼の川」が「ふるさと(田舎)」のイメージ
いくら田舎でも今は、こんな風景は山間地でもなければ見られない
その山間地も過疎になり、廃村になったところも多く、家はあっても子供はいない
田畑はもう90%以上が工場や住宅街に変わり、わずかに残った田んぼも田植え、稲刈りは一台数百万、一千万という機械化されて、泥の中で腰を曲げての作業は見ることがない
これからは都会に出ても「君の田舎はどこかね」とか「僕の故郷はどこどこ」という会話は無くなっていくだろう
「ふるさとは遠くに在りて想うもの」なのだ、新幹線網が発達して日帰りできるこの時代、たとえ田舎であっても「懐かしいふるさと」という気にはならないだろう
せいぜい「出身は**県です」というくらいだ
わが北陸であっても東京へは新幹線で2時間以内で着くし、田舎にいてもテレビやIT機器、スマホで東京と情報マッチングしている
欲しいものはネットで調べて、明日明後日にはアマゾンを介して家に届く
都会のアパート暮らしより、田舎のオール電化の庭付き一戸建ての方が近代的だ。
もう衣食住、田舎と都会の格差は解消されつつある、スポーツ観戦も、コンサートも2時間で見に行ける、田舎の高校生でも日帰りで追っかけやっている時代
滞在するにしても都会のアパートに住んでいると思えば、その家賃分でビジネスホテルで1週間過ごせる、田舎の人間でもこうして都会を味わえる時代だ

もはや「ふるさと=田舎」のノスタルジーは昭和生まれの人間の心の中にしかない幻になったのだ。
昭和世代が消え去った時、「ふるさと」も「田舎」も消え去るだろう。

大正時代生まれのわが父にも「ふるさと」があった
私にほとんどものを頼んだことなかった父が、87歳の時、突然
「古河へ連れて行ってくれ」と私に言った
茨城県古河市が生まれ故郷の父は生涯に3回くらいしか、そこには行っていないはずだった
初めての親孝行、寺へ行って墓参りをしたが、それは寺内の無縁塚、父も父の親も、父の祖母も一人っ子で、縁者一人いない町である。
父にとって最後のふるさと旅だった
10歳まで居て、その後は東京御徒町、亀戸、上野、調布が第二の故郷となった
父の死後、私は古河を再び訪ねて渡良瀬川の土手の野原で広い関東平野を、父の小さな遺影と眺めていた
なんだかここが私の故郷のような気がしてきた。

「ふるさと」の風景を見たければ、原田泰治さんの絵を見るとよい
信州諏訪湖湖畔に原田さんの美術館がある、私はファンで何度か見に行った






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