一週間前の雨の日を境に、気温は一気に10度下がって秋の気配濃厚
朝晩、寒さを感じるがそれでも20度近い温度だから、体が慣れるまでの事だ
慣れてしまえば彼岸も過ぎて、爽やかな紅葉の季節に突入していく
魚屋と、割烹料理人、経営者としての生涯は終わったが
今さらだが、望んで進んだ道ではなかった、ただただ流れるままに目の前の一日の連続を消化してきたにすぎない
力士がインタビューされるたびに「一日一番、頑張るだけです」と言う
まさに私も、そんな風に55年生きてきたのだと思う
「好きこそものの上手なれ」というから、逆説的に好きではない道だったのかもしれないな
だけど、嫌いかと言われれば、そうではない
「慣れるより、慣れろ」的にやって来たのは事実で、「慣れた」のだった
だから「面白く、楽しく、スリリングな人生だった」と言える
本音で言えば魚屋の親父がちょうどよかったかもしれない
本当にやりたかったかったことは「無い」し、考えたことも無い
「好きだったことは無いのか」と問われれば「ある」
数日前、小グループの旅行のプランニングを頼まれて、2日で作った
コースの設定、時間と距離を当てはめて安全な最短距離を探し、参加者の好みに合わせた観光ルートを作る。
レンタカーの手配、宿の手配も請け負って、高速料金、燃料費、施設の入場料一人当たりの予算、様々な割引なども割り出す。
個人的な体験とネットなどを使って、ドライブマップとにらめっこ、物差しでローカルな道路距離を測ったりして信号、市街地、道路状況を考えながら所要時間を割り出す、プランを作っていく。
小学生の時から地理とデーター収集が大好きで、イラスト入りの地図を書くのが趣味だった
太陽紙に白地図を書いて県境を書き、そこに地図を見ながら当時あった市を全て書き込んで、すべて記憶したこともある。
人口も調べて、それをランキング的に多い順に書き並べたことも一度や二度ではない、そう言うことが大好きな少年だった。
同業者団体では10数年間「旅行部長」を担当して、毎年旅行社の添乗員とコンビを組んで不意のトラブルに対処したこともあった。
今思えば、旅行関係の仕事が合っていたような気がする、従兄弟が大学を卒業して旅行会社に入り、添乗員で海外へ行くのが羨ましかった。
でもお客さんと直に触れる添乗員も良いが、やはりお客さんとマンツーマンで希望を聞きながらコースプランニングするのが性分に合っている
それは料理店の調理場の奥深くで、お客様の顔を見ないで料理と対峙している板前業より、店頭で、お客さんとため口を叩きながら 魚を捌いていた魚屋時代の方が楽しかったのと同じだ。 すなわち人と直に会う対面販売が好きな性格なのだ。
仕事を辞めた今、まもなく離職2年になるが、そろそろ虫が起きてきて
昔の友達を家に招いたり、外で会ったり、食事をしたりして退屈しのぎをしている
商売時代の派手な付き合いは年金暮らしで無理になった、ゴルフもやめたし、業務適な親睦旅行も、おおぜいでの宴会もゼロ、外食もほとんどなくなった
それでもポン友たちと枝豆かじりながら焼酎を飲みかわすくらいはできる
小さなことでも人から頼られるのが楽しい、それをやり遂げるのが今の楽しみだ
あっち、こっちから、お誘いが来るようになってきた
消息をどうやら昔の馴染みたちもかぎつけたようだ
しかし、さすがに東京から10年ぶりに来た手紙には驚いた
彼は群馬県の有名観光地の温泉旅館の営業マンだったが、今は体を壊して辞めたようだ
若い時に心臓手術をした人で、どこか悟ったような穏やかな人物だった
手紙では、私に仏教を勧めてきて、その寺も教えてくれた
新興宗教ではない、ちゃんとした古来からの日本仏教寺院だ
私を心配して自分と重ね合わせた親切なのだろう、お互い元気だった25年前には行き来していたものだ
彼の勤務する温泉旅館も何度も遊びに行った、いまは連絡しようかしまいか迷っているが、人との付き合いも一部断捨離の時だと思うこともある。
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