この年、前田利家が結婚した、利家21歳である
相手は利家の実家荒子城に叔母を頼って来ていた「まつ」12歳である、利発さが気に入っていた
まつの母は、利家の母の姉であるから従妹である、翌年には長女が生まれた
翌永禄二年(1559)岩倉織田信賢は美濃の援軍も加えて今の一宮付近に3000の兵で進軍してきた
信長も直ちに1500を率いて、また別動隊として柴田勝家に500を与えて戦場に向かわせた
兵数に勝る信賢は押しに押してきたが、勇猛な柴田勝家の奮戦で一進一退であった、ともに兵に疲れが見えた頃
突然騎馬を先頭に一軍が戦場に突入してきた、大軍である
それは信賢の父、信安と犬猿の仲である犬山の織田信清の軍1000であった、信賢の伸び切った軍列に突っ込むとたちまち崩れた
もはや新手と戦う力は信賢軍には無かった、バラバラになって岩倉城へと落ちていく、それを信清の軍と元気が出た信長軍が追って討ち取っていった
この戦の前に、信長は親しくしていた犬山城主で従兄弟の信清に姉を嫁がせる約束をして味方に引き込んでいたのだった。
信長は岩倉城を厳重に包囲して清州に凱旋した、数か月間籠城したが降伏した
信長は信賢を殺さず美濃に追放した。
こうして信長は尾張一国を手に入れたが、今回味方した織田信清をはじめ一門や同族が多い尾張の国内は
若い信長を恐れはしたが従属しようとしなかった、まだ信長の苦労は続く
尾張国内はこのように小競り合いが続いていたが、大国今川は動かない
美濃斎藤も岩倉織田をそそのかしてみたが失敗して鳴りを潜めている
今川家では今川義元を教育し軍師と武将として今川家の大きな柱だった僧、太原雪斎が4年前に亡くなっている
そのあたりから今川の尾張進行が止まっている、信長の心に何かが芽生えた
今川こそが一番の脅威であったが、その背後にいる太原雪斎の存在そのものが今川の脅威と言ってよかった。
織田家には、いや美濃の斎藤家にも太原雪斎に並ぶ者はいない
それが居なくなった今川は果たして脅威なのか? 今川義元自体は僧侶上がりで温厚だという
その嫡男今川氏真(うじざね)は信長と同年代だが公家風で和歌や蹴鞠などに才を発揮する文化人で、およそ戦には縁がない人柄だと噂に聞いた
信長は試してみたくなった、義元は尾張を得ようとする気があるのか
虎の尾に降れるのは危険である、だが牙がない虎は失敗しても傷は浅いだろうと思った。
もし今川義元を駿府から誘い出せれば万に一つのチャンスがあるかもしれない
信勝を誘い出して殺したことが脳裏にひらめいた。
藤吉郎を前田利家が呼び出した
「藤吉殿は今川領に多少の縁があったと聞いたが、それはまことか?」
「いかにも、半年ほど駿府で今川家の家臣で頭陀寺城主松下嘉兵衛様に世話になっておりました。」
「やはりのう、実は最近の今川が音を消してしまってまったくわからぬのだ、お屋形様は諸国を商いして歩いたそなたを思い出して、
また商人姿となって今川領内を調べてもらいたいとの仰せなのだ
できるか?」
「それはありがたや、御屋形様直々のご指名とあればこれほどのしあわせはありませぬ、必ずや満足できる情報を集めてまいりましょう」
武家の妻女や豊かな町家の女房が喜びそうな小袖、白粉、紅を京から取り寄せて少し羽振りの良い商人に変装して三蔵を伴い清州を旅立った
藤吉郎は信長の腹のうちまではわからない、しかし今川領を調査させるからにはとうぜん今川に関することを何か考えているのだろう
その信長本人も全く頭の中は白紙であった、ただ今川の存在がすべての行動の妨げになっている
今川の脅威を排除しなければ自分は尾張一国で終わるか、最悪他国に併合されてしまう
それゆえに今川の尾張侵略の芽を摘むことが今すべきことの一番なのだ
藤吉郎の今川情報を待った、それが明らかになれば大国相手のこれからの戦略が明らかになると思った。