神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史小説 貧乏太閤記20 岩倉城奪取

2022年09月30日 18時58分44秒 | 貧乏太閤記
この年、前田利家が結婚した、利家21歳である
相手は利家の実家荒子城に叔母を頼って来ていた「まつ」12歳である、利発さが気に入っていた
まつの母は、利家の母の姉であるから従妹である、翌年には長女が生まれた

翌永禄二年(1559)岩倉織田信賢は美濃の援軍も加えて今の一宮付近に3000の兵で進軍してきた
信長も直ちに1500を率いて、また別動隊として柴田勝家に500を与えて戦場に向かわせた
兵数に勝る信賢は押しに押してきたが、勇猛な柴田勝家の奮戦で一進一退であった、ともに兵に疲れが見えた頃
突然騎馬を先頭に一軍が戦場に突入してきた、大軍である

それは信賢の父、信安と犬猿の仲である犬山の織田信清の軍1000であった、信賢の伸び切った軍列に突っ込むとたちまち崩れた
もはや新手と戦う力は信賢軍には無かった、バラバラになって岩倉城へと落ちていく、それを信清の軍と元気が出た信長軍が追って討ち取っていった

この戦の前に、信長は親しくしていた犬山城主で従兄弟の信清に姉を嫁がせる約束をして味方に引き込んでいたのだった。
信長は岩倉城を厳重に包囲して清州に凱旋した、数か月間籠城したが降伏した
信長は信賢を殺さず美濃に追放した。
こうして信長は尾張一国を手に入れたが、今回味方した織田信清をはじめ一門や同族が多い尾張の国内は
若い信長を恐れはしたが従属しようとしなかった、まだ信長の苦労は続く

尾張国内はこのように小競り合いが続いていたが、大国今川は動かない
美濃斎藤も岩倉織田をそそのかしてみたが失敗して鳴りを潜めている
今川家では今川義元を教育し軍師と武将として今川家の大きな柱だった僧、太原雪斎が4年前に亡くなっている
そのあたりから今川の尾張進行が止まっている、信長の心に何かが芽生えた
今川こそが一番の脅威であったが、その背後にいる太原雪斎の存在そのものが今川の脅威と言ってよかった。
織田家には、いや美濃の斎藤家にも太原雪斎に並ぶ者はいない
それが居なくなった今川は果たして脅威なのか? 今川義元自体は僧侶上がりで温厚だという
その嫡男今川氏真(うじざね)は信長と同年代だが公家風で和歌や蹴鞠などに才を発揮する文化人で、およそ戦には縁がない人柄だと噂に聞いた
信長は試してみたくなった、義元は尾張を得ようとする気があるのか
虎の尾に降れるのは危険である、だが牙がない虎は失敗しても傷は浅いだろうと思った。
もし今川義元を駿府から誘い出せれば万に一つのチャンスがあるかもしれない
信勝を誘い出して殺したことが脳裏にひらめいた。

藤吉郎を前田利家が呼び出した
「藤吉殿は今川領に多少の縁があったと聞いたが、それはまことか?」
「いかにも、半年ほど駿府で今川家の家臣で頭陀寺城主松下嘉兵衛様に世話になっておりました。」
「やはりのう、実は最近の今川が音を消してしまってまったくわからぬのだ、お屋形様は諸国を商いして歩いたそなたを思い出して、
また商人姿となって今川領内を調べてもらいたいとの仰せなのだ
できるか?」
「それはありがたや、御屋形様直々のご指名とあればこれほどのしあわせはありませぬ、必ずや満足できる情報を集めてまいりましょう」
武家の妻女や豊かな町家の女房が喜びそうな小袖、白粉、紅を京から取り寄せて少し羽振りの良い商人に変装して三蔵を伴い清州を旅立った
藤吉郎は信長の腹のうちまではわからない、しかし今川領を調査させるからにはとうぜん今川に関することを何か考えているのだろう
その信長本人も全く頭の中は白紙であった、ただ今川の存在がすべての行動の妨げになっている
今川の脅威を排除しなければ自分は尾張一国で終わるか、最悪他国に併合されてしまう
それゆえに今川の尾張侵略の芽を摘むことが今すべきことの一番なのだ
藤吉郎の今川情報を待った、それが明らかになれば大国相手のこれからの戦略が明らかになると思った。



日曜の浜辺 5 海岸の人工造形 

2022年09月30日 06時12分25秒 | 散歩道
二週間前までは異常な暑さに海に足を入れて涼んだが
今はそんな気も起きない
朝夕は半そででは寒いくらいになってきた

人工物の幾何学模様  
3kmの浜を歩いていると様々な形に出会う

剥げたタイルの穴さえ味がある

住宅街の人工物の間を流れてきた小さな川の最後も人工物の中から海に出る

まっすぐそびえたつ煙突がかっこいい

強者どもが夢のあと


たどり着いた場所 安住の地


草に埋もれたようでも現役

老人の生きがい

総額いくら? 地方経済の救世主?

市松模様


上から見れば波模様

お疲れ様

露出過多 でもアラビア風






空想歴史小説 貧乏太閤記19 信勝闇討ち

2022年09月29日 17時57分04秒 | 貧乏太閤記
また一年がたった、藤吉郎は相変わらず鉄砲足軽を率いる2人扶持の貧乏下士のままだ。
実入りがないのに足軽たちの面倒をよく見るから、銭入れはからっけつで食う者にも困る始末だ、見かねた利家が時々援助してくれた

尾張は動きがない、あえて動きと言えば弘治3年(1557)に信長の側室生駒が長男信忠を生んだ
すると間もなく、正室の濃姫が先年、弟義龍に討たれた父道三の菩提を弔いたいと言って美濃に帰った、そしてそれきり音信が途絶えた
翌年には次男信雄をまた生駒が生んだ
さらに今年には側室牧の方が三男信孝を生んだ。 信長は敵対する美濃には直接聞けずにいたので間者を送って情報を集めた
すべてが城下の噂話であるが、濃姫は義龍を恨んでいたので義龍に押し込められたとか、尾張に帰るのを拒まれて尼寺に入ったとか、また生駒の方が長男を生んで信長の愛情が生駒に行ったことに腹を立てて実家に帰ったのだとか様々なものがあるが定かではなかった。
信長は濃については何も語ることがなく、また生駒を正室にするともせず淡々と政務にいそしんでいた。

信長は胸の中で大きな野望を燃やしていた、道三がささやいた「尾張一国を信長のものにしてしまえ」という言葉
それから尾張下四郡を手に入れた、残る半国上四郡は岩倉の織田伊勢守が守護代として持っている
その伊勢守に美濃の斎藤義龍が近づいて信長討伐をささやく、伊勢守は信長にとって代わりたい信長の弟、信勝を支援して兄弟を争わせようと唆している

信長は信勝の家老柴田勝家と会った
「信勝は未だ野望を収めようとせず岩倉と通じ、更に背後に美濃がついている、このままではいずれ岩倉や美濃が攻め寄せるだろう
今のうちに信勝と岩倉を打ち取らねば尾張は近いうちに今川か斎藤のものになってしまう
権六、覚悟を決めよ、もはや信勝は討つしかない」
すでに前回のことで柴田勝家は信長に心服している
勝家は無言であったが意を決したように語りだした
「お屋形様が言われるように信勝様は野望を捨ててはおりません、それがしにも近いうちに兄を討つとはっきり申されました
申される通り、背後の伊勢守が唆しているのです
その都度、拙者が諌めてももはや聞く耳をお持ちでない、うるさい拙者を遠のけて林兄弟を頼りにしております、拙者ここでお屋形様にお仕えすることを誓いましょう」
「ならばことは急ぐ、そなたに一肌脱いでもらうぞ、城に戻ったらこう申せ
『殿、信長様は重病を発せられたとのことでです、かなりの重病と清州ではもっぱらの噂です、もしそうであれば攻めるには今がその時です
この権六は兄弟のいさかいを御諫めしましたが、それは信長様が健康であればのこと、病身を聞きつければ今川が兵を起こすでありましょう
そうなる前に殿が尾張半国を支配して備えるべきです
まずは殿が清州へお見舞いと称して行かれ、信長様の状態を確かめるのが良いかと思います』こう言うのだ。」
勝家が戻ると信長は信頼できる近習数名を呼び
「わしは病じゃ、寝る しかも明日をも知れぬ重体じゃ」城下にこの噂を広めよ」
そして織田家の医師にも「誰に聞かれても悲し気な困り顔で無言を通せ」と言った。

果たして一週間後、わずかな共を連れただけで無防備な信勝が誘い寄せられてやってきた
そして信勝は清州城内で信長の家臣によってだまし討ちされてしまった
直ちに信勝の那古野城に兵を送って取り囲んだ、城内は騒然としたが柴田勝家が信勝の取り巻きの主だったものを縛り上げて開城したので戦も起こらず信長の手に入った。

信長は早い、直ちに岩倉城下に噂を流した、岩倉城の織田信賢を挑発した
一気に攻め滅ぼそうと考えている
「美濃斎藤義龍に、親を人質にして尻尾を振り援軍を頼む信賢は尾張守護代にあるまじき売国奴だ
わが弟まで唆して先兵として儂を襲わせた、やむを得ず信勝を討ったが兄弟同士を殺し合わせるやり方は非道としか言えない
儂は父同様に尾張の安泰を願って侵略者と戦ってきたが、同じ国内のしかも守護代たるものが美濃に魂と国を売ろうとしている
我らはは劣勢だが、正義のため道理を通して伊勢守を討ち滅ぼす所存である
正々堂々と戦にて決戦せよ。」






































日曜の浜辺 4  砂と・・・の風景

2022年09月29日 05時40分58秒 | 散歩道
「一握の砂」という
砂、砂をじっと見つめたことはありますか
濡れた砂、乾いた砂、一粒一粒が見えるサラ砂
波うつ砂模様 砂が作る光と影 砂浜は表情を変え続ける
風が吹くたび 波が侵食するたび 砂は表情を変えていく
砂は草を育て 小さな生物を守る 砂は浜辺を作る 景色を作る






























空想歴史小説 貧乏太閤記18 利家を助ける

2022年09月28日 17時46分40秒 | 貧乏太閤記
藤吉郎はしばらく考えてから、「石積みと基礎ができているのはありがたい、ご心配には及びませぬ、必ず3日で間に合いましょう、土木人夫、大工、左官、瓦職人・・・
それぞれ5人ずつ手配してください、それと作業初めの日に酒と肴を人数分たっぷりご用意いただきたい」と言った。
それから藤吉郎は再び小六のもとに行って何やら相談をしたらしい。

さあいよいよ工事開始の日がやってきた
工事を請け負った職人たちおよそ50人ほどが集まっている、現場監督である利家の家臣が皆の前に立って
「今日は皆さま方ご苦労でござる、これから工事の概略を現場を見ながら説明する故、一緒に参られよ」と現場の案内を始めた
「たった三日でやれとは言われてもこれは無茶だ、間に合うわけがない」
「なんでも失敗して、3人も奉行が交代させられたそうじゃ、知り合いの瓦屋が言っておった」
などと、あちこちで職人たちがささやいている、「
だいたい初対面の大工が5人で釘を打っているわけにもいくまいよ、ハリネズミみたいになるぞ
柱だって5人がてんでに切ったら短くて使い物にならないぞ
あぶれたものは昼寝でもするかい」などと言って笑い合っている。

下見が終わり場内の馬出し丸に集まった職人の前に、前田利家が出てきた
「今日から3日間でわれらは50間の土塀を完成させねばならぬ、尋常のやり方では間に合わないのは明白である」
「じゃあ三日間寝ないでやりますかい? おれは夕方になると飲みたくなるんで無理ですがね」などと若い利家を侮って戯言を言う者もいる。
「心配するな、夕刻にはみな家に帰って寝るがよい、今から段取りを申すからよおく聞け、これから戯言を申せば敵の首10以上取った、この槍をお見舞いするぞ」
そういって利家が家臣が持っていた鋭く長い槍をしごいて見せると職人たちは真剣な顔に変わった。
「まずは大工、前に出て横並びに整列せよ」と言って前に出てきた5人の大工を等間隔に並ばせた
「次に左官の者も大工の後ろに並べ」と言って並べさせ、そのように職種別のグループが5組できた
「あとは奉行から説明がある、皆の者たよりにしておるぞ」
奉行が出てきた
「よいか、5組できたがそこからイ組、ロ組、ハ組、ニ組、ホ組とする、自分の組を忘れてはならんぞ
50間の塀を各組10間ずつ受け持つこと、そして競い合え、早く仕上がった組から順に日当が割増しで出るぞ
一番には5倍の手当てを出そう」、職人がどよめいた
「ただし、早くしたいがために手抜きをした者には褒美どころか厳しい罰を与えるから絶対手抜きはならんぞ」
明日は、工事には入らず資材を持ち寄り、現場前で組み立てるものは組み立て、削るものは削る、練り合わせるものは練り合わせる下準備の日じゃ。
翌朝からすぐ組み立てできるように準備しておく
そして三日目に手間とりも増やして一気に組み上げ、壁を塗り、屋根を作るぞ、明日の段取り下ごしらえが山場じゃ
初日の今日はこれからこの場にて殿様より馳走される故、各組ごとに車座になってたっぷり飲んで食うがよい、そして話し合い組の結束を固めよ」
城中の女どもがご馳走やら酒やら次々と持って出てきて、職人たちに最初の一杯を酌して歩いた。
「こりゃまた、どうしたことじゃ、今日から仕事と思って出てきたがこんなうまい話があるのかよ」
「こんなにしてもらえば何としてでも間に合わせて殿様の顔が立つようにせにゃワシ等の男も立つまいよ」
そこへ利家がやってきて「どうじゃ一杯」と言って注いでくれたものだから
「へへー、もったいねえ」すっかり恐縮してしまった
飲むにつれ、和気あいあいと気分も盛り上がってくる
「わしらが絶対一番乗りじゃ、負けられねぇぞい」
グループ同士、大いに盛り上がっている、昼にお開きとなった
「皆の者、今日は家に帰ってゆっくりと休み、明日からの仕事に万全の体調で向かえよ、今日はこれにて解散じゃ」

3日目、組み上げの日だ、現場に屈強な男たちが15名やってきた、小六が引き連れてきたのだ
蜂須賀党の面々だ、3人ずつに分かれて、各組の職人の裏方として手伝うのだ
もともと野武士の連中は土木作業はお手のものだ、要領を知っているから職人たちも仕事がスムーズに運んで100万の援軍を得た気分だ
夕暮れ前には見事に50間の塀壁が見事に完成した。
職人たちが多くの賃金を得て喜んで帰った後、利家は蜂須賀党と藤吉郎と家来2人を狭い利家の長屋に連れ込み飲ませた。
「あのような仕事の方法もあるのだな」
「あれは小六殿から習った方法です、割普請と申す、50間をみなバラバラにやっても前の奉行衆の二の舞でございます、
割普請なら作業も手順も無駄なく流れるようにできます」
「それにしても一日目に職人を働かせずに酒を飲ませるとは珍案じゃ」
「なんとゆうても人の輪が肝心でございます、殿様に心服して、奉行のいうことを守り、仲間同士が助け合う、そうすれば仕事も楽しく進みましょう
さらにニンジンを目の前にぶら下げれば馬は食べたい一心で本気で走り始めます、貧しいものには欲に訴えるのが一番効果があります
貧乏慣れしたこの儂が一番身に染みておりますから」
「なるほどのう、ぬしは人たらしの天才じゃのう」

翌日、完成した塀を信長が見に来て絶賛した
「さすがは新進気鋭の犬千代じゃ、あっぱれである100貫加増して300貫といたす、長屋より出て一軒屋敷に移るがよい」
利家は礼を述べてから、恐る恐る「実はこの度の・・・」
「わかっておるわ、猿面冠者のことであろう」
「?なにゆえに」
「ふふん 知らでか儂は織田信長ぞ、あれは此度はほおっておけ、度々加増しては、そなたと違いすぐに調子に乗りそうな男じゃからな、せっかくの逸材じゃ道を誤ってはならぬ」

日曜の浜辺 3  浜辺の草花

2022年09月28日 08時58分51秒 | 散歩道
夏の間、砂浜に草原を作っていた長い草わらは枯れて萎れていた
それに代わって砂地に新しい草花が芽吹いている
砂ばかりの暑い砂浜で生の営みを続ける草花、そこに住んでいる昆虫や鳥たち
山間部の自然とはまた違った姿がここにある












孤独な曼殊沙華













空想歴史小説 貧乏太閤記17  あらすじ

2022年09月27日 18時52分47秒 | 貧乏太閤記
            ここまでのまとめ

現代の名古屋市、中村の在の貧しい農家の長男に生まれた「ひい」は怠け者のママ父に虐められる毎日、ある日酔ったママ父は柿の木から落ちて死んだ
これを機会に「ひい」は家を出て、寺の下男になった
ここで読み書きを習った
寺を出た「ひい」は清州に出た、ここで幼馴染の暴れ者三蔵に出会う
三蔵の手配で鍛冶屋に入って技術を学んだが、親方が突然死んでおかみさんと二人で仕事をする、おかみさんによって「ひい」は男になる
ここでも番頭から算盤を習って身に着けた
ここを逃げ出して三蔵たちの不良グループに入り「中村の藤吉」と名乗る
このグループの上に、野武士蜂須賀の小六がいた
藤吉は小六に気に入られて舎弟となる、ある日、小六に頼まれて稲葉山(岐阜市)の明智十兵衛を訪ねる
十兵衛は藤吉に駿府(静岡市)の今川家の家臣松下嘉兵衛に手紙を届ける使いを頼む
藤吉を気に入った松下嘉兵衛から、十兵衛が使いの藤吉を口封じに殺すように手紙に書いてあることを知らされる
嘉兵衛は藤吉を守るため屋敷で半年下男として働かせた、その間、身の回りの世話をしてくれた初女に恋心を抱くが何も起きなかった
半年後、藤吉は駿府を離れ京、大坂、堺、姫路まで商いをしながら半年見て歩き、多くの知識を得た
鉄砲に目をつけ一丁仕入れて小六のところに帰る、これを理解できる大名に仕官したいと小六に言うと、織田信長の寵臣、前田利家に引き合わせた
信長は美濃の義父斎藤道三を驚かせたいと考えていたが、どうすればよいか悩んでいた
藤吉は東海では誰もしていない鉄砲隊を作ることを勧めた、信長は採用して藤吉に大金を預け鉄砲30丁を買って来いと命ずる
鉄砲を持ってきた藤吉は褒美に織田家の足軽に雇ってもらった
信長は藤吉を、ただの足軽ではなく足軽鉄砲隊の足軽頭にした。


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この度は前田利家、丹羽長秀、森長可の働きが特に目覚ましく信長も満悦してそれらの者に恩賞をとらせた
藤吉郎より1歳年下の前田利家18歳に信長は200貫の知行を与えて、父前田利昌の荒子2000石から独立させた
利家は同時に稀な才能を持つ藤吉郎を、信長に士分に取り立ててもらうように働きかけた
信長も「鉄砲を持ってきた猿面冠者か」と覚えていて「利家がそういうなら間違いあるまい」と言って2人扶持の最下層の武士に取り立てた
いままで通り、利家の組下としての武士である、藤吉郎はついに足軽から武士に抜擢されたのである。

藤吉郎は、しばらくたったある日、三蔵と共に小六を訪ねた
もはや明智は美濃にいないし、いても素浪人である、今や明智の方が逃げ回る側になったのだ。
「小六様、とうとう士分に取り立てられましたぞ」
「なんと、それはめでたい、そうとなれば小六様などと言わず『小六』と呼び捨ててくだされ、わしは野武士じゃ」
「何を言いまする、そのようなことは口が裂けても言えませぬ」
「では、小六殿と同輩のつもりで・・」
「わかりました、そういたします小六殿」
「ははは、何よりめでたい、早うに大身になって蜂須賀党を配下にしてもらいたいものよ、儂も野武士が疲れてしもうた」
「それはありがたい、その小六様の言葉を励みにして頑張りまする」
「またまた小六様と」
「あっ はは」
「藤吉郎殿が侍となれば三蔵はご家老様か ははは」
「小六様、からかわないでくださいよ」と三蔵も笑った

いつの日か小六を配下にすることができるのか、ようやく小者二人を雇える身分になったばかりなのである、侍とはいえまだまだ貧しい暮らしであった。

また一年が過ぎた、いまのところ尾張も美濃も波風は立っていない
前田利家が藤吉郎を呼んだ、利家は一歳年上の藤吉郎を家来とは思っていないかのように親しく接している
利家の家来の前では「木下」と呼び捨てるが、二人だけの時には「藤吉殿」と言う、
武辺では利家の方が「鑓の又左」と呼ばれ戦場首をいくつも取った利家が勝るが、知恵となると藤吉郎の方がはるかに上だと認めざるを得ない
利家の周りの足軽は言わずもがな、士分でも藤吉郎に勝るものが見当たらぬ
利家は困りごとが起きるたびに藤吉郎を頼りにして何度も助けられた
ところが今度は難問を信長から言い渡された
大和守との戦の時に崩れた清州城の塀壁を50間(約90m)にわたって新築しろと言う、それもたった3日で
最初に言われた家臣は石垣の土台を半分積んだだけで3日が終わった、次の役人も残りの石垣を積んだだけで終わった
次は基礎を作っただけで3日が終わった、信長は家臣のふがいなさに業を煮やして3人の担当者の禄を半分取り上げてしまった
そして今度は前田利家を任命した、実のところ利家には築城のノウハウはない、それで藤吉郎に相談に来たのだ。
仕事は塀壁の骨組み、漆喰の壁塗り、庇、屋根、屋根瓦、鉄砲狭間、弓狭間も必要だ
人数は何人雇っても構わぬという、最初の役人は甘く見て人数を揃えなかったら全く間に合わず、後の二人は逆に大勢集めすぎてぶつかり合い、おろおろする者が多く、手足が動いて居ないものが大部分で、小人数と何ら変わりなかった。
これから職人を集めて3日後から始めよとの命令だという
職人のあてはついているから心配ないが、段取りをどうすれば3日で終わらせるかがわからないという
 







空想歴史小説 貧乏太閤記16 信勝の反乱

2022年09月26日 19時39分27秒 | 貧乏太閤記
美濃の内戦を聞いて信長も兵をあげた、名目は舅道三への援軍だが、もしチャンスがあれば美濃を奪おうとする魂胆も持っている
しかし甲斐もなく信長が美濃を超えたところで道三が討たれたとの知らせが入った、しかも信長軍に対して勝ちに乗じた義龍軍が攻め寄せるという
信長は自ら主力を殿に置いて引き戦を行った、敵は信長の倍の人数で攻め寄せる、信長の左右にも矢が飛んでくる
その時、前田利家が「御屋形様、ここは拙者が引き受けますからお立ち退き下され」
信長は危急故、四の五の言わず「頼むぞ、生きて帰れ」と励まして退却した
勢いずく敵に、左右の草むらに潜んだ前田利家の鉄砲隊が五段の陣を引き、迫りくる敵に次々と銃弾を浴びせると敵は崩れて退却した。
もちろん鉄砲隊の足軽頭は藤吉郎であった。


藤吉郎は三蔵を自分の配下として呼び寄せた。
信長は清州に戻り、しばし戦の疲れを癒していた
ところが夏になると弟の信勝軍が柴田勝家を先鋒に2000の兵で攻め寄せてきた、信長も手持ちの兵700を引き連れて討って出た
先鋒は森長可と前田利家、藤吉郎ら鉄砲隊は城を守っている
利家は敵陣に真っ先に駆け込み、自慢の槍で敵をねじ伏せる
敵方も名のある将が出てきて一騎打ちになった、そして利家は一番首を取った
味方は意気上がった、しかし敵は3倍、先頭は鬼柴田という異名をとる歴戦の強者柴田権六勝家だ、味方の兵を次々と打ち取って信長本陣に攻め寄せた
信長を護るのは佐久間兄弟とわずかな近習のみとなった

前田利家も丹羽長秀も前線で必死の働きをしていて、信長の救援ができない
信長危うし、10mもないところまで来ている柴田勝家と目が合った、と、その時信長が吼えた
権六か! 老いぼれて血迷うたか
「老いぼれてなどおりませぬは、ご覚悟を」
たわけ! 信長が顔を見忘れたか」
「忘れましょうや、あなたさまこそ信長様に相違ない、ご覚悟召され」
「ははは、まことに忠義の者よのう権六は、父上が信勝に与えた故仕方ないが、うぬはでくの坊か」
「・・・・」
「長幼の順がわからぬ権六ではあるまい、信勝と儂とどちらが尾張の主としてふさわしいか考えて見よ、
親父殿は死んだ、後を継いだ儂が柴田権六に命ずる、『信長が下に帰参して働くを許すなり』
一門の長である兄を襲うような弟になんの義理を果たす必要があるか、そもそも信勝は儂の家来である
それが儂を倒すために美濃と通じていることを知っているのか」
「そんなバカな」
「ばかなことではないわ、お前も美濃に尾張を売り渡す気があるなら同罪じゃ、成敗して呉れよう、
だが今なら許そう、信勝も一度だけは許す、権六よ、すぐに戻って信勝を説得せよ
このような愚かしい真似をするものではないと、母者に権六まで居ながら信勝に愚行をさせるとは
よいか家老の仕事は戦ばかりでないぞ、主の過ちを戒めるのも真のしごとなり、早々に兵を引け!」
勝家はうろたえた、信長が憎いわけではない、先代信秀の命令で信勝の付け家老に任命されて従ったのだ
だが信長は従うだけでなく間違いを諌めるのも家老の仕事だという、考えればその通りだ、しかも曲がったことが嫌いな自分が、美濃の間者みたいに言われては立つ瀬がない。
最近は信長の実力を認めて尊敬の念さえ抱いている、どう見ても主の信勝より風格も重みも統率力も信長の方が一枚上手に思える
勝家は命じた「退散じゃ、みな兵を引き末森に戻るのじゃ」
信長の迫力と神のようなカリスマ性になすすべがなかった、帰った勝家は信勝とともにいる土田御前に言った
「信長様は本当に恐ろしいお方でございます、信勝様心改めて兄弟仲直りせねば、東の今川。北の斎藤に攻め滅ぼされます
信長様は詫びをいれればすべてを水に流すと言っておられます、どうかお袋様から信長様に信勝様の非を許すよう言ってもらえば丸く収まるでしょう」
土田御前は自分の実の息子である信長に信勝を許すように言った、信長もこれを快く受けた。
こうして尾張国内の風は収まった。






日曜の浜辺 1 海辺の蝶

2022年09月26日 06時11分38秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

また同じ場所で蝶がやってきた
同じ蝶だろうか 私とまた一緒に戯れた でもすぐにどこかへ行ってしまった
3週間たっているから子かな? でも少しの時間前後になって遊んだ






蜂が飛んできて止まった 何かあるかと思ったが仲良く蜜を吸っている






今日はいろいろな蝶に出会った