神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

団体旅行でトラブルの思いで 淡路島

2021年08月28日 08時31分13秒 | 旅行 関西・近畿
今、魚市場から帰ってパソコンを開いたらネットニュースで真っ先に飛び込んできたのは「世界平和大観音像」国費8億円以上かけて解体のニュース
淡路島にある個人が建ててた展望台付き100mの観音様だ
管理者が不在で倒壊の危険性が日々高まっていたという

私は40代の時、10年ほど鮮魚商の協同組合で福利厚生の担当をしていて組合員の親睦旅行の担当部長であった
ある年に淡路島の旅行を企画実行した、そして濃霧の淡路島でこの観音様の近くの道路を通過した,
遅い時間なので観光はしなかったが当時は最大1日2000人ほど訪れたという
濃霧の中にそびえる姿は顔が見えないので、さながら大魔神のように感じて畏怖を覚えるほどだった

私たちの旅行は、本州と淡路はまだカーフェリーしか通っていないときで大阪か神戸の港から観光バスで渡ったのだった
大きな温泉観光ホテルだったがエレベーターがまことに不便で部屋から遠いうえに台数が少なくて風呂に行くのに待ち時間が長くて閉口した
それが一番印象に残っている

一泊して翌日は帰路およそ700km前後の行程で、観光後港へ行くと濃霧で出港見合わせと言うトラブル発生
当時は魚屋さんも好景気で参加者は観光バス2台で60名あまり、台湾旅行をしたこともある
1時間たっても運行の目途は立たず、添乗員が私に相談に来た「どうしますか?霧が晴れるまで待ちますか」「ほかに方法は?」
「大鳴門橋を通って四国にわたり、瀬戸大橋で岡山に出て高速で帰る方法がありますが6時間余計にかかります」
さすがに私も考えた「もう少しだけ様子をみますか」「はい」
しかしまた一時間ほどたったが状況は変わらないもう11時近くになっていた、昼食は大阪が予定されていたがもう間に合わない、キャンセルした
とうとう四国経由で帰る決断をした、私は若かったから6時間余計に旅行できることに内心ワクワクしていた

しかしいざ走りっぱなしとなると楽ではない、12時前に着く予定だった大阪に着いたのは夕方6時であった
法律でバスガイドは6時以降の乗車が禁じられている、彼女らはわが町の人たちなので大阪のホテルで一泊することになった
降車する時、「楽しい旅行だったのでここでお別れするのは悲しい」と涙を流していた
そこからは男の乗務員が乗り込んできた、交代要員の運転手かもしれない、当時は一人400kmとか500kmとかの規制はなかった

そして9時近くになって本来5時頃の夕食場所石川県のレストランに到着して夕食、食べる終わるととすぐ出発
待ってくれていたレストランの人たちに感謝
北陸路に入ってからは雪景色だったが幸い大雪にはなっていない、たまにちらちら降るくらいだった
深夜11時、ようやく地元に帰ってきた、当時の高速道の事情はよく覚えていない、未完成の部分もあったかもしれない
さすがの私もヘロヘロだった、まして60歳以上の人も大勢いたからなおさらだったろう、後にも先にもこんな旅行はこれだけだ。

観音像完成1982年  大鳴門橋完成1985年  瀬戸大橋完成1988年 
明石海峡大橋完成1998年


 

奈良時代

2019年02月08日 19時02分37秒 | 旅行 関西・近畿

中学高校時代には歴史で「三世一身法」だとか「口分田」だとか「墾田永年私財法」

なんとも難しい言葉を書き連ねて、それを見ただけで歴史が嫌いな生徒がどっさり

歴史を覚えるのでは無く、言葉を覚えるという矛盾した教え方、これじゃ国語の読み書きだ

なぜもっとわかりやすい言葉で、教科書に頼らず先生は教えてくれなかったんだろうか?と

今、この歳になってようやく思うようになった

去年暮れに奈良を一人旅して、平城京の跡地と再建施設を見てきて感動したけれど

実際のなら時代は、平和であったけれど朝廷と貴族、そして派生した一族だけが富を独占して

数多の農民を奴卑の如く働かせて搾取していた時代

平安時代もまたしかり、華やかな時代の陰に多くの貧しい暮らしがあって、枕草子も源氏物語も

その貧しき者等の上で、書かれた物語なのだ

 

結局、日本史とは何かと言えば田畑を主とした土地争いの歴史なのだ

民主化の進んだ今では、土地では無く有権者の票を奪い合う形に変わったけれど、数十年前までは

やはり農民の票が圧倒的に物を言う時代だった

神話時代、飛鳥時代、天平時代など古代は圧縮された日本の原風景で、まさに日本史のビッグバン前夜だった

ここでは天皇と朝廷が権力の全てであったが国の形は定まらず、地位を巡る権力が争点だった

はじめて絶対的な王者が決まって、ようやく恩賞としての土地、天皇に繋がる貴族や一族郎党の食い扶持

として田畑が与えられた

それより遥かに多い(大多数が農民)にも小さな食い扶持の土地が与えられたが、もともと大きな田畑をもつ

貴族は自ら耕すことなどしない、できない、だから農民の土地を取り上げて、あぶれた農民に貴族の土地を

安い労働で耕させるす形に持って行ったのである

やがて貴族に開墾すればしただけ土地を与えるという法律を作ったので、我も我もと貴族たちは農民の

持ち物までも奪って開墾競争に明け暮れた、しかし無法であってはならないから一応、土地の管理者を

国毎、郡毎に任命したわけだが、都から自ら下向していく貴族もあれば、その土地の有力者に管理を

任せる貴族もいた

それらは都から離れた土地で権力を振るって、私田を不当に増やしていった

時代と共にそれらは荘園と呼ばれ、

 

 

 

 


3日目 奈良から、思いきってあの場所へ 最終回

2019年01月04日 10時14分00秒 | 旅行 関西・近畿

今度の旅ではいろいろなコースを考えていた

家を出る前は、最終日は京都の大原三千院~琵琶湖~安土城跡~帰宅

白浜温泉では、最終日は雪が降りそうな三千院を諦めて、大和郡山城~京都東寺へ行こうかとか、

奈良から伊賀上野城を経て名古屋の湾岸を通って中央道へ出ようかとか、いろいろ考えた

けれども帰宅の3日目は信越地方に大雪警報が出たので、雪が多い福井、石川経由は諦めて

中央道を岡谷~松本経由で帰ることにしいた、それも雪が多い白馬、小谷は夕方4時前には通過したい

そうなると奈良を発つ最終時間は遅くとも10時半、そうなればホテルの近くしかない

それでホテルを8時半に出発して唐招提寺へ行くことにした、ホテルからは15分くらいだ

唐招提寺も10数年前に女房殿と法隆寺のあとに立ち寄った寺院だ、あのときは大修理で国宝の金堂は

見ることが出来ず、講堂で仏像を拝見するにとどまった

今回は修復された金堂を見ることが出来、外からだが盧舎那仏、千手観音、薬師如来の迫力ある三尊

そしてその前に四天王立像が巨大な国宝三仏像を守護している

これら国宝は格子越しに見るだけだがその迫力と威圧感と、その真逆の包容力が伝わってくる

どれだけ見ていても飽きることの無く、この場を離れがたい気持ちになる

 

話しは変わるが、毎朝夕、仏壇の前で手を合わせる、そのとき何を思っているか、初めの頃は神であれ仏であれ

「幸せにしてください」「苦しみから解放してください」「助けてください」「お金持ちにしてください」などと都合の良い

頼み事ばかりしていた、けれど神仏には願い事をしても聞き届けてはもらえません」ということを聞いた

それはそうだ、願い事の実現は自らの手で行う事でしか実現出来ない

その後、禅道場ではないが心を空にしなさい、何も考えず、何も思わず、ひたすら心を空にしなさいとか

「南無阿弥陀仏の六文字をひたすら唱えなさい」とか

そして今の私は仏壇の前では手を合わせて何も思わないように努力する、しかし努力することを思う自体がもう空では無く

「何も考えないようにしよう」と思った瞬間、空は破れる、でも時々空になる、そんな訓練が少しずつできてきたように思える

今、この巨大な三像の宇宙を目の前にして飲み込まれるような気持ちは、空の始まりのようでもある

残念なことにここは道場でも無く、立ったままの自分にはそんな時間も無い

 

裏手の講堂にまわった、なぜかしら女房殿と雨の日にここを訪れて相合傘で講堂前までやってきた日を思い出す

今日は一人だけでやってきた、一人でも二人でも弥勒如来像の前では思うことは同じ、それが救いでもある

講堂を出て、そこから境内の中を歩いた、かって女房殿と来たときは講堂を見ただけで車に戻った

一人旅は、自分だけの時間を存分に使えることが嬉しい

新宝蔵は時間が早くてまだ閉まっていたので、御影堂にまわったが修理中であった

それで鑑真和尚像が祀られて居るお堂にお参りしてから、もう一度金堂の三尊をお参りして外に出た

この地で道場を開き、唐招提寺のいしづえを築かれた帰化僧の鑑真和尚の歩みを井上靖が「天平の甍」で

書いている。

時間は9時半、10時半までなら急ぎ足で薬師寺参拝ができる、薬師寺はここから車で2分くらいだ

しかしとうとう駐車場がわからず、時間が過ぎていくので諦めて帰路にむかった

木津ICから京奈和道-第二京阪-京滋バイパスと往路の逆回りで名神に出た、そして草津JCTの手前で名神か

第二名神かの選択に悩んだ、第二の方が中央道に出るには距離的に近い、しかし混み具合では名神の方が

すいているだろう、決めかねてカーナビに任せたら、名神を選んだ、それで米原-関ヶ原回りにした

滋賀県に入った、なんだか物足りない気分、今日は唐招提寺しか見ていない

急に安土城が気になってきた、しかし位置関係がわからない、蒲生スマートインターの手前、ここで降りるか

それとも次の八日市ICか、でももう通り過ぎているかも

一か八かで信長が信頼していた豪将蒲生氏郷に因んで、蒲生で下りた、そして農道でカーナビで探したら

安土城跡まで30分と出た、往復一時間、見学30分で一時間半のロス、これでは白馬通過は5時過ぎになる

大雪の山道がちらつく(これは賭だ!凶か吉か、やってみなけりゃわからない、もうイケイケだ)

そして安土城跡に着いた、カメラを持った観光客が数人居た、受付でお金を払って中に入る、安土城見学と

いうより管理者は総見寺のようだ

本丸跡まで30分トイレ無しとのこと、往復すれば45分以上、見学、写真撮りまで入れれば一時間

これはちょっと痛い、帰路大雪の中を走るのか?、それも曲がりくねった夜道を

だがせっかく来たからには本丸跡まで行くのみ、あとは天に運を任せる、ここで帰ってたまるか

安土城の感想要点のみを書きます

①想像していた100倍の規模でした

②想像もしなかった険しく長い石段と石垣遺構がどこまでも続く

③麓から本丸跡まで30分、確かにかかりました

④途中に多くの重臣の居宅跡があった

⑤山城のようで、しかし実際は山を要塞化した堅固な大城郭だった、なにもかもスケールが大きい

まさに信長の城である

⑥あとで聞いたら、この石垣の大部分は江戸期から昭和にかけて復元工事がされているところが大部分とのこと

しかし無いところに新しく造ったわけでは無く、崩れる恐れや風化しそうなカ所を修復したのだから、規模そのものは

同じである

⑦天守台付近は、本能寺の変の跡、天守閣が焼け落ちたのは遺構からみても事実であったようだ

信長の次男、織田信雄がうろたえて火をかけたという説が言われているが真実はわからない

⑧二の丸に信長の慰霊廟がある、仇討ちした羽柴秀吉が本能寺の灰を埋葬して信長廟を造ったと言うことである

⑨本丸跡からは西から北、北東にかけて視界が開けている、当時は城の下まで琵琶湖の湖水が来ていたそうだ

⑩全体が山で深い森や藪が多い、しかしその中には未整備の手つかずの石垣群や郭跡が多く存在するらしい

⑪とにかく登るには息が切れる、体力脚力が弱い人には辛いだろう

⑫二の丸から総見寺跡へ下る道がある、そこには三重の塔?と巨大な楼門が残っていて文化財に指定されている

⑬登り始めこそ息が切れたが体が慣れてくると、意外にも順調に足が動き、息も切れず体力向上している実感がある

⑭とにかく時間が無いのが残念だった、ゆっくり探索すれば二時間の滞在時間が必要、あらためてもう一度来てみたい

⑮冬なのに、往復して駐車場に戻ったら一気に体中汗が噴き出した

 

スタート地点 コーンが気になるが

  

 

天守台

埋もれている遺構

 

信長公霊廟

 

 

安土城を出発してようやく位置関係がわかり、蒲生インターには戻らず、一つ先の八日市インターから高速に乗った

養老パーキングで飛騨牛カレーで腹ごしらえして再出発、天気は安曇野までずっと晴れだったが、大町あたりから小雪が

舞い始め「スワ!」と気を引き締めたが、信越県境の148号線はほとんどトンネルばかりなので案外楽に新潟県に入ることが

できた、雪もみぞれ程度で午後7時過ぎに無事帰宅出来た  「ばんざ~~~い」     おわり

 

 

 

 

 


2日目②平城宮跡~奈良で2泊目

2019年01月03日 09時30分04秒 | 旅行 関西・近畿

法隆寺駐車場のおじさんに言われた通り行って見た、看板通りに入り口から入ると広い駐車場があった

そこに車を停めて平城京史跡に行こうと歩き出したが、建物は史跡とは全く関係が無い会社事務所のようで

まるでどこかの工場の敷地を歩いている雰囲気、100m程奥は工事現場のようでもありトラックが出入りしている

看板があったので見たら、何かあるようだが見渡しても何も見えず、二階建ての事業所らしき建物ばかり

目をこらしてみたら平城宮資料館らしきものがあったので、とりあえず行って見た

ボランティアガイド風のおじさんが玄関先に居たので聞いてみたら、そこだった

「おいくらですか?」フロントの女性に聞いた

「これは市のプロジェクトなので無料です」という、資料室へ入ろうとしたら3人ほど居たボランティアガイドの

一人が「失礼ですが、間もなく4時になりますので、ここのいくつかの関連施設は4時で入場できなくなります

そんなわけで、私はここを見るより大極殿の方を絶対的にお勧めします」

思いがけない言葉に戸惑っていると、「ぜったいあちらをご覧になった方が良いと思います」とパンフを

見せてくれて指さした

何も見えない、松のような木々が立っていて、広さだけは感じるのだがわからない

「あそこの十字路から右に入って進んで行くと大極殿が見えてきます、時間が無いので近道を教えましょう

池が左に見えますからその傍の道を進んでいってください」と親切に言ってくれた

言われるままに5分ほど歩いて行くと奈良時代風の色彩の大きな建物が見えてきた「あれだ!」なかなか立派だ

そして池もあったので、葦原の中を歩いて行くとすぐに大極殿の横に出た、道では無い土手をよじ登って

長い塀の切れ目から中に入った、なんかこそ泥気分、正式な入り口は100m以上右にある

建物の中から「入場は4時で終わりになります」と放送している、3時45分くらいだった、急いで裏の入り口から入った

勿論入場無料、中には台座がついた金色の囲いが真ん中に置かれている、ここにもガイドさんが居るので

「これは何ですか・」と聞いてみた、「それは天子様が座られる玉座です」と言う返事

「ああ、あの中国の皇帝なんかが座っているあれですね、ああそうかじゃあ下の方に家臣たちが

この建物の外にずらーっと平伏して、それですね」「そうです」

目の前で大きな工事が行われているので「あれは何を造っているんですか?」と聞いてみた

「あれは南門を建設しています2020年頃に完成予定です、今は周囲を仮の塀で囲っていますが、それも取り壊して

正式な回廊と東西楼を造ります」

「じゃあそんな工事が終わるのはいつ頃なんですか・」「そうですねえ20年くらいはかかるでしょう」

「それじゃ完成形を見ることはできそうもないな」

別の観光客とのやりとりにも聞き耳を立てていたら、未だ調査中で次々と発見があるので完全に復元するには

100年くらいはかかるとのことで、広さは130ヘクタールでディズニーランド+ディズニーシーを足してもまだ

30ヘクタール余るそうだ

県道から見ると、完成された朱雀門から大極殿まで一直線になっている、その間で南門の建設を行っている

これだけでもかなりの広さがある、すでに広場や付属設備が完成していて時間があればゆっくりと見たい場所である

   

 

 

 

 

遠くに見える朱雀門

4時半頃駐車場に戻りカーナビでホテルをセットした、実は宿の予約プリントを家に忘れてきて、白浜の温泉宿も

今夜の奈良のホテルも名前がわからないという失敗をしているのだ

白浜の宿はプリントアウトの不要な紙をメモ用紙にして持っていたおかげで、メモの裏に偶然ホテル名が印刷してあった

しかし今日は、「奈良**ホテル」は覚えていたが**がわからない、有名な「奈良ホテル」ではないのはたしか

持参していたタブレットで「奈良 ホテル」で検索、真っ先に奈良ロイヤルホテルが出てきた

わからないので詳細を見ると、「お子様の添い寝1名可能」という覚えがある文と、温泉があるホテルという決定的な

文字が・・・これに間違いない」と決めてとりあえず行って見た

なかなか立派なホテルだ、平城宮からわずか10分足らずのところにあった、フロントで「ネット予約のyottinです」

固唾を吞んで待っていると、「はい、一泊でお申し込みのyottinさまですね」ホッとした瞬間

奈良を放浪せずに済んだ、サービスの水2本(部屋の冷蔵庫にある)と温泉入り放題の券をもらって部屋に向かう

部屋はダブルルームをシングルユースで頼んでおいたせいか何でも二組あったのでものによっては重宝した

ミネラルウオーターも二本あるわけだ、なによりベッドが広いので寝相が悪い私にはとても助かる

朝までぐっすり寝ることができた。

 

花園ラグビー場での高校ラグビー出場の日本航空石川高校の選手もこのホテルに泊まっている

地元北信越のいっかく、応援せにゃなるまい、しかし相手は3強の一つ東福岡だということだ。(実は昨年の組み合わせ

だった、今年は國學院栃木に敗れた)

エレベーターの中でトンガの留学生と思われる2人と一緒に、短い言葉を交わしたが日本語で返してくれた礼儀正しい

子たちだった(多分そうじゃないかと思う、ガタイのしっかりした子だった)

 

さて夕食は予定していなかったのでどうしようかと思ったが、地理不案内のうえ天候も良くないのでホテル内の施設を

調べたら日本料理の店がある、早速部屋から3800円ほどの簡単コースを6時半に予約した

行って見ると早い時間ですいていた、着物姿のサービスさんが二人、いずれも40.50の味のある年頃、昨日の

ホテルとはすっかり趣が違う、やっぱりこんな店の方が落ち着く

今日も地酒冷酒のお勧めを伺って、辛口を一合注文、お料理が6品ほど出てきて、そろそろと言う頃に

「ご飯をお持ちしますか」と来たから「いえ、もう一本お酒ください、超辛口というのがありましたよね、あれを飲んでみたいな」

「わかりました、今お持ちします」「すみませんね雪国の人間は酒が好きなんですよ」

「どうぞごゆっくり召し上がってくださいませ」

一時間ほどかけて食事をとった、酒二合くらいがほろ酔いで丁度よい、昨日の白浜では生ビール一杯分が余計で

少し寝てしまったのだが、今日はこれから温泉に入れば丁度よい

温泉と言ってもシティホテルの温泉だから、きっと小さくて狭いのだろう、だから時間差で行けばすいているだろう

 

部屋からタオルとバスタオルを持って地下階へ下りると風呂の入り口があって、入ると受付カウンターと下駄箱がある

外からの客も受け付けているらしく、玄関は外へも出られる

若いお嬢さんと男性スタッフが受付にいてロッカーキーを渡してくれた、廊下を歩いて行くとロッカールームが二室

あって1室だけでも数十のロッカーがある

浴室に入ると意外にも広い、ジェットバス、普通の風呂、水風呂、歩くためのぬるくて深い浴槽、そして広いサウナ

30人くらい入っても大丈夫そうだ、洗い場も20位ある、そして案の定入浴者は数名だけだった

浴槽は深くて、たっぷりとお湯が入っている、白浜の温泉はきれいだが浅くて、ちょっと物足りなかったが今日は最高

入り口とは別に洗い場からの出入り口もある、充分暖まってそこから出たら水が置いてあったので飲んで

後ろを見たら、そこはマッサージルームになっていた、昨夜はうかつにも寝てしまってマッサージを受けられなかったので

旅の疲れをとろうとマッサージをしてもらうことにして部屋の中へ入ったが人の気配が無い

着替えてから受付へ行ってマッサージができるか聞いてみたら「10分後にできます」との返事で、ルームの横の

休憩コーナーでお待ちください、と言ってガウンを渡された

休憩コーナーへ行くとサウナパンツ一丁で、数人年配の人がテレビを見たり話したりしている(そうか風呂に入って

おしまいじゃ無くて、休んで入り休んで入りのヘルスセンター式の利用法もあるんだ)と知った

すぐに呼ばれてガウンを脱ぎ、下着だけになってマッサージが始まった、50歳くらいのおばちゃんだった

いろいろ話しをしながらやってもらったけど酔っていたせいか内容は少しも覚えていない

コースは60分、首から肩が痛いのでそこを中心にやってもらったが「カチカチですね」いつも言われる

結構力のあるおばちゃんで、ときどき強すぎて痛い、「痛い」と言ったら「弱くしますか」と言うので

「痛くても気持ちいいから、その強さでいいよ」

でもさすがにふくらはぎだけは我慢出来ず、セーブしてもらった

けっこう激しく整体もするのでなかなかケアとしては充実したもので、温泉場の気持ちいいだけのマッサージとは

一味もふた味も違う、終了してからもう一度、風呂に入った血行が良くなってすっきり気持ちよい

リラックスルームで休んで、また最後にもう一度入った、すると岩盤浴の文字が目に入った

岩盤浴はやったことが無いので、やってみようと思ってフロントへ行っておねえさんに「岩盤浴ってどんなことを

するんですか」と聞いて説明してもらった

すっかりやる気になって「じゃあ、お願いします」と言ったら、「すみません今日は受付終了したんですよ」だって

残念! 部屋に戻って缶ビール1本飲んで寝た

翌朝もういちど温泉に入ってなんだかこのホテルで凄くリラックスした、こっちへ来たなら毎回このホテルにしようと

思った、。 朝食バイキングもおいしかった         つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2日目 白浜温泉から奈良斑鳩へ

2019年01月02日 14時42分11秒 | 旅行 関西・近畿

のんびりと旅気分を味わいたいので、アウト10時のところを11時まで延長してもらったが

結局、魚屋気質の私は8時半の朝食がすむと9時半には宿を出発した

天気は小雨、今日の予定では紀ノ川SAで買い物、そこから紀ノ川を遡って写真を撮りながら

穏やかな紀州を楽しみ、柿の里や九度山、高野山や木津川の面影だけでも味わいながら

奈良斑鳩、法隆寺へと考えていたのだ

ところが天気は雨、しかも大阪へ向かう一車線の阪和道は渋滞で60kmののろのろ運転

和歌山からの無料自動車道、京奈和道も渋滞で50km、まったく土地勘、距離感がないために

思わぬ時間ロス、しかもロマンチックな紀ノ川ののどかな田舎を想像していたのに、谷間には

びっしりと住宅が建ち並び、ベッドタウンが延々と続いている

雨も降っているし、時間もどんどん過ぎていくのでそのまま自動車道を走るしか無い

 

事前調査もせず、感に頼るだけの行き当たりばったり走行、法隆寺には昼前につく予定が大幅に遅れている

そしてあてずっぽで下りたのは20kmも手前の御所南IC、奈良っぽい名前に近いと思ってしまったのだが

ここからは市街地の一般道路が続き、しかも渋滞も続き大幅な遅れ、法隆寺にようやくついたら2時過ぎ

幸いなことに雨は上がっていた

近くの小さな駐車場に車を入れた、おじさんが出てきて600円だという、なかなか気のよさそうな人で

「法隆寺は初めてですか?」と関西アクセントで聞いてきた

「2度目だけど、もう10年以上前だね」「それじゃ忘れてますなあ」

「そうですね」「そんならちょっと簡単に見所紹介しましょか?」

「お願いします」

おじさんは管理小屋から法隆寺の地図を持ってきて、見る順番と見所を簡単に説明してくれた

関西の人と、こんな短い時間でもお話しするのはほとんど無い、だから関西から西の人たちとはどんな人なのか

はっきり言ってわからない

20年くらいまえに我が店で結婚式をあげた女性が奈良の田原本町の人で、我が店から100m程の家に嫁いだ

その後、商工会議所に勤務した関係でボランティアの事務代行担当になって私と2年ほどコンビになった

その人の口から出てくる奈良ことばが、まことに心地良かった、唯一まともに語り聞いた関西弁はこれだけだと思う

だから私の頭の中では奈良、和歌山、滋賀の女性の言葉が日本で一番心地良いのではないかと思い込んでいる

もっともまともに聞いたのは、この奈良言葉だけだが

大阪は、自転車でいきなりやってきてお節介してくれた、おばちゃんの印象が強烈に残っている

 

法隆寺は10数年前に女房殿と今日と金閣寺を見たあと、道を間違えたおかげで生駒のスカイラインを通って

簡単に斑鳩の里へ来ることができた、あれ以来である

国宝の数々、唐の時代に中国で造られた仏像も重要文化財となっている

小学校の国語で習った「玉虫厨子」もあった、なかでも、ようやく住居が定まったという放浪する「百済観音」が印象に残った

飛鳥時代の木造観音だが、いつどこで誰が作成したのか、どのように法隆寺に来たのか、でどころが全く不明という

不思議な観音様なのだ

細身で背が高く、ほんとうに立派な観音様だ、もちろん国宝に指定されている

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 

ここで約一時間たっぷりと歩き、見た、もう時間は3時をまわっていた、昼食を食べることさえ忘れてが夕食兼用にすることにして

もう一カ所、薬師寺でも行こうかと思いながら駐車場へ戻った

「おかえりなさい」管理人のおじさんがニコニコして出迎えてくれた

「これからどちらへ行かはります?、もうこんな時間やし、寺は時間的にむりやろなあ・・・お泊まりはどこです?」

「奈良駅に近いところです」

「それならいいところ紹介しましょか・」「はい」

「今、奈良市では平城京の跡を公園にして、復元して居るんですわ、資料館もあるんで、そこが時間的にもちょうど良いと

思いますから地図もってきますね」

そして道順を教えてくれた、その通りに行ったら30分足らずで到着できた、途中には大和郡山城、薬師寺、唐招提寺など

見所が幾つもあった、これは明日にまわすことにして平城京跡へ向かった        つづく

 

 

 

 


1日目 和歌山~南紀白浜温泉へ

2018年12月28日 20時57分11秒 | 旅行 関西・近畿

今朝5時半に外に出たが幸いにも積雪ゼロ、けれど強い北風が吹いていた

今は七時半、道路が白くなった、まだ積雪とまでは行かないが大雪警報発令、少しは

積もりそうだ

 

この旅は急に思い立った旅だった

道後温泉から高知、広島あたりへ行こうと考えて距離や所要時間を調べたら、全く無理なことがわかった

こちらは24日25日と氷水の中を歩いているような寒さで、とにかく暖かいところへ行きたかった

四国がダメなら、紀州和歌山、ミカン繋がりで考えた結果だった

25日に急遽ネットで一人を受け入れてくれる宿を探し予約、28日の宿は未定だった

26日にコースをあれこれ考えて二日目は奈良に泊まるのが良いと考え、奈良のホテルを予約した

 

さて出発の27日、朝から冷たい雨が降っている六時半出発の予定が5時前に起きたので5時45分に早まった

天気はパッとしないが透明感がある、剣もくっきりと見えている

北陸道を南西へ一気に下っていく、ずっと灰色の曇り空、滋賀県あたりからようやく青空が見えてきた

瀬田から京滋バイパスに入り、第二京阪ー阪神高速ー阪和道と乗り継いで和歌山に到着、途中「岸和田P」で

昼食、ちゃんぽんを食べた。 もう外は温かで、少し散歩もした

和歌山市に下りるのは始めて、御三家の和歌山城を見たかったのでここで下りたのだった

私は城見学で一番興味があるのが石垣の形と、遺構の大きさだ。

天守閣とかは国宝級以外はほとんど戦後に再建されたものだから、それほど興味は無い

あとは城内展示のの武具刀槍を見るのが好きだ、和歌山城は石垣の遺構がかなり広範囲に残っていて規模の

大きさを伺うことができる、西の丸庭園へ下っていく途中の石垣は平たくて小さな石がたくさん積み重なっていて

こんなタイプの石垣は見たことが無い、結構興味深かった

天守閣

二の門櫓と二の門

かなりやばそうな石積み

 

立派な乾櫓

城の三隅に櫓がある、紀ノ川が海に

天守閣、その隣には小天守もあるが見えない

地下の調査現場

二の丸へ下る途中の石垣、苔むして年代を感じる、石積みが特異で面白い

 

西の丸の庭園はわりと小ぶりであるが高低差があり池もあるので、けっこう面白い

およそ2時間を和歌山城で過ごした、やはりこうした見学は一人旅に限る

  

城の周辺には広がりを感じる石垣がずっと続いている

それにしても持参したオーバーコートを着る必要がないほど暖かい、気温は15度近い、家を出たときは3度ほどだったのに

さあ再出発だ、和歌山インターへ戻るにはまた渋滞にはまるので、海岸線に近い道路を次のインターまで行くことに

結局、都市はどこもそうだが、道路を変えてみても信号だらけでのろのろ運転である事はかわらない

紀三井寺前を通過したが、時間が無いので拝観はできないで先を急ぐ、ようやく阪和道にのったが、やはり土地勘が無い

すぐ近くと思った白浜も、まだ80kmも先だ、一時間近くかかる

余裕を持ったつもりでも結局、予定通りの5時少し前の到着だった、カーナビに遊ばれた感もあるが、阪和道終点の

南紀田辺インターの先に紀勢道が開通していて、ナビは白浜インターまで誘導、これが行きすぎで予定外の時間が

かかってしまった

温泉は塩水温泉で塩っぱい、二階の屋根付き露天風呂は広くて、眼下には白浜海岸の白い砂浜が見える

波の音も聞こえるのどかな温泉、気温も18度に達し、「これが温暖の地というのか」思わず独り言

夕食には追加で今が旬という「クエの唐揚げ」「クエの土瓶蒸し」を追加、生ビール一杯のあと、地酒冷酒二種類を

正一合ずつ飲んだ、大阪出身という仲居さん(今はそうは言わないのだろうけど)の若いおねええちゃんと

短い会話をするくらいで、話し相手も無く酒が友だち、それも一人旅の良さかも知れない

昔の温泉場なら仲居さんがお客を退屈させなかったけど、今は逆に客が気を遣う時代になった

部屋に戻ったら、そのまま二時間ほど寝てしまい、目が覚めてもう一度風呂へ行き、マッサージを頼もうと思ったら

もう23時近かったので諦めて寝た、今日の走行距離はちょうど600kmだった。

レストランからホテル

朝食はご馳走

部屋からの景色

 

 

 

 

 

    

 

 

 


大阪へ

2018年04月15日 19時57分50秒 | 旅行 関西・近畿

大阪は2年ぶりくらいだろうか、前回は会社の旅行で神戸に泊まって

その前に大阪で大坂城を見て、通天閣へ行ったんだ

別組は梅田で「吉本」を楽しんだ

そのあと、同級会旅行で、こちらは難波花月で「吉本」を見たのだった・・・あれ以来

今回は姪の結婚式で、ヒルトンホテル大阪へ

ホテル内の小さな式場で、キリスト教式の挙式、そして両家でのささやかな食事会をして

そんな結婚式でした

私が2日間、マイカーを運転して、午後7時に帰ってきたばかりなので、詳しくは明日また


京都紅葉の旅(3)

2017年11月30日 07時27分48秒 | 旅行 関西・近畿

世界遺産「宇治平等院」、平安から源平合戦の時代、そして南北朝時代へと移る中で

この世の極楽を模したという平等院は幾度も戦火に遭ったそうだ

そして鳳凰堂だけが今にその姿を伝えているのだとか

光源氏のモデルと言われた優雅な貴族がこれを建てたという、平安絵巻のきらびやかな時代

藤原氏が栄華を誇って、天皇さえ凌ぐ権力をふるっていた、そして源氏、平氏によって武家の

身分が上がり、平清盛はついに天子の祖父にまで上り詰めた

だが奢る平氏は久しからずや、情けをかけた源頼朝によって平氏は滅びる

その源氏も木曽義仲、源義経の従兄弟同士が宇治川の戦で相まみえ、義仲は討ち死に

だが義仲を葬った義経も危機感を持った兄、頼朝に追討され奥州平泉で討ち死にする

そんな血の代償で得た、征夷大将軍の源氏も3代で頼朝の妻方の北条氏の陰謀で滅びてしまう

そんな歴史のある宇治川、初めての旅

平等院のすぐ傍にて昼食、京都らしい薄味のお料理が並んだお弁当

 

窓からは宇治川が見える

平等院

 

 

 

 

とてもハッピーな青空の1日だった

 

おまけ   嵯峨清涼寺のお庭

 

 

 


京都紅葉の旅(2)

2017年11月29日 06時50分50秒 | 旅行 関西・近畿

1日目は地理不案内で、寺院巡りは大幅に時間ロスしてしまい

宿に入ったのは1時間遅れ、それでお楽しみ宴会も1時間遅れでスタート

今夜の宿は京都国立博物館隣の「東山閣」、この同級旅行会では二度目、そして

プライベートで1回の3回目

銀閣寺、清水寺、三十三間堂、八坂神社など観光の中心部にあってマイクロバスの

ホテル前駐車が出来て、しかも大きなお風呂もあるのでお気に入りの宿

最初の1時間は1年ぶりの再会もあって話しに花が咲いていたが、「宴会は2時間

ぴったりだから、あと一時間余興タイム開始!」と幹事長のつーくんから声かけ

さっそく、演歌ナンバーワンのマスくんが「祭り」を歌い、舞踊の師匠かっこちゃんが踊る

このために衣装まで持ち込んできた彼女、あでやかに踊ってくれました

「yotiin 来年は私と(矢切の渡し)を踊るんだから練習しなさい!」宿題を出されてしまいました

それからハロウィンならぬ仮装パーティに、私も赤い襦袢を履かされ、黒のストールを首にかけて

「星降る街角」を熱唱、いつもはクールなつーくんまでもがマリリンモンローに変身

意外と満更でもない様子、すっかりなりきって歌ったり、踊ったり

こんあバカ騒ぎも時間と共にぴったりやめて、最後に恒例のスクラム組んで「高校三年生」を

全員で歌う、そして部屋での二次会へと

ところが不覚にもyottinはベッドに横になった途端、寝てしまったのだった

毎回頼むマッサージさえ呼ぶこともせずに、翌朝は6時半まで寝ていた、なんと9時間ぐっすり

そして27日の京都は快晴、朝食を食べて出発だ、今日も京都観光中は私の運転だ

今日の予定は、西本願寺-漬け物店買い物-東福寺-宇治平等院-そして京都駅-故郷への帰路

となっている

西本願寺は何を見るのだろう、メンバーの多くは東本願寺系が多い、我が町ではお西さんの末寺は少ない

メンバーの一人が国宝の唐門が修理に入るから見納めと言うことで推薦したんだそうだ

敷地の中を歩いていたら特に期待もしていなかったのに、美しい木々の景色に出会った

 

漬け物店のオブジェ

さて、この後はちょっとした面白い出来事が2題

最初はバスの燃料があと10リットルほどになったのでGSを探していたら、伏見のあたりでようやく見つけた

店員さんがやってきたので「軽油現金マンタン」と言ったら、申し訳なさそうな顔で

「実はうちは軽油ものすごく高いんですよ、だからよそで入れた方がいいですよ」

「はあ????、どういうこと?」

「うちは軽油が158円なんです、凄く高いからよその方がいいですよ」

売り言葉に買い言葉「158円でも良いから入れてください」ハイオク並みの価格なのに言っちゃった!

ところがむこうも頑固で「どこへ行かれるんですか?」「宇治だよ」

「だったら途中に安いスタンドありますから、そちらで入れてください」

含みがあるのか、事情があるのか、運転手の顔が気に入らないのか・・・・あきらめた

次のスタンドで入れた、120円以下だった

「うちは高いからよそで入れて」なんていう商売人は初めて見た、謎じゃ

 

さてその次は・・・

カーナビ頼りに東福寺へ、狭い商店街に入り込んだ、マイクロバス一台がやっとの道路、一方通行だ

観光客を左右にかき分けながら時速10kmほどの徐行運転

ようやく参道らしき場所を発見、しかし満車の看板が・・・次へ向かう100m程でまたあった、またも満車の

看板、誘導警備のお姉ちゃんが立っていて「ダメダメ」と言っているから

「ダメでもいいけど、マイクロバスの駐車場はどこにあるの?」とちょっと強めに行って見た

もし、もう一度ダメと言ったら「400kmも走ってきた20人の人間にそのまま田舎へ戻れと言うんですか」と

やってやろうかと構えていたら、なにかマイクみたいなもので連絡を取り始めたぞ・・聞き耳

「大きなバスみたいな・・自動車です」とか言ってるから(大型なんて言ったら断られるじゃないか)と思って

「マイクロバス!」と大声で言ったら「マイクロバスです」と言い直した

するとなんと許可が出たらしい、「どうぞ中へ進んでください、空いているそうです」

「おねえさんありがとう」力一杯感謝してまたしても狭い参道をゆっくり進んだ

そして道路が小さな門に突き当たると、今度は厳つい男の警備員が手を広げて車を停めて

「どこへ行くんですか」あきらかに敵意!!

「駐車場ですよ」と言ったら 「どんな目的ですか!」だって

「観光ですよ」 「・・・・・・それはねえ」と言い出したから

「入り口で「駐車場の許可が出たから、進んで行ってください』と言われたから来たんですよ」

今度は私が強く言い返すと、突然態度が変わって「そうですか、それならどうぞ」って

ちょっと拍子抜けしたけど、狭い道からやってきたタクシーをバックさせて通してくれた

「ありがとう」って御礼を言って次にすすむ、次の角で左折して直進したらまた門があって

警備員が二人、今度はスムーズに案内してくれて・・・・

そこへ入ったら境内だった

観光バス1台と反対側に乗用車が十数台あるだけ、一般駐車場ではないようだ

隣の大きな寺院は後で調べたら国宝の三門だった

キツネにつままれたようだが、特等席の駐車場に案内していただいたような気分「超ラッキー」

後で知ったけれど東福寺は臨済宗の中の一派の本山なんだそうだ

私の家系も、鎌倉五山建長寺の流れを汲む寺の臨済宗の檀家だった(今のわが家は地元の浄土真宗の寺に

法要を頼んでいる=臨済宗の寺が無い町)

臨済宗がらみで救われたのかもしれない、幹事長の話では駐車場は寺の1.5km先にあって

そこから徒歩でと言うことだったようだ、しかも早い者勝ちだから満車前に入るようにとの事だった

それが寺の境内にまで案内していただいた、「ありがとうございます」

さて入場券を買って、ずらりと並んだ人の後について入っていくといきなり紅葉の森だ

それより人の海だ、身動きがとれない

係員がヒステリックに叫ぶ「ここでカメラの撮影はしないでください!!!」

あとは写真をご覧ください

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

広い境内、どこまでも歩いて、出てきたら奥に「特別展」との事

次の平等院見学と昼食もあるので切り上げることにした

続く

 

 


京都紅葉の旅(1)

2017年11月28日 07時12分15秒 | 旅行 関西・近畿

二日間の楽しい旅を終えて、今朝からまた元の生活に

朝五時前には間が覚めて、いつも通りの父の食事作り、五時半に家を出て

1.5km、15分のウオーキングで職場に到着

今日は全国的に良い天気で、南寄りには開けの明星が輝き、東の高くには木星か土星か?

まだ太陽は昇らず、ようやく六時半に山脈が茜に染まりだした。

 

前回京都を訪れたのは、ちょうど2ヶ月前 この2ヶ月で京都の色はすっかり変わった

今回は仲良し同級生の16回目の旅です、この会での京都は今回が3回目

最初は大原三千院の紅葉、次は北野天満宮の紅葉、そして今回は東福寺の紅葉

地元からマイクロバスで京都に向かう、男6、女5の11名

京都の東寺で関東、東海の新幹線組4人と落ち合う(男1女4)夜は京都在住の男1も参加

総勢17名

途中、金沢で思いがけないハプニングがあって30分のロス、しかし無事に終えて再出発

京都にも15分遅れくらいでつくことが出来た

まずは西京極に近い桂川べりで昼食をとる、嵐山方面へ向かい清涼寺ー二尊院-常寂光寺を

歩いて巡った

常寂光寺では夕暮れも迫って紅葉の合間からの茶屋などの木漏れ日がいっそう美しかった

残念だったのは今にも降り出しそうな曇天で、鮮やかな紅葉が見られなかったことだった

 

清涼寺

 

 

二尊院

 

常寂光寺