神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

諏訪に来ています④ 最終回

2024年11月14日 05時48分15秒 | 旅行 新潟県.長野県
 原田泰治美術館は今回で3回目です
何度見ても楽しい気持ちにさせてくれる作品です、美しい色彩とグラデーションで精密に描かれています
その多くは俯瞰的で10mとか20mとかの上から見下ろしている感じがします。

原田泰治は諏訪の生まれで、飯田に引っ越していますから、その景色のほとんどが信州の風景かと思えば、さにあらん、全国各地どころか外国の景色も書いています
しかも、田舎ばかりでなく、高層ビルが立ち並ぶ外国の大きな町の作品も結構あるのです
特徴的なのは人物が多く書かれているのですが、ほとんどがのっぺらぼうです、顔の表情が無い、なのに日々の生活に根付いた姿かたちを見るだけで表情まで見えてくるから不思議です。

原田泰治は1歳で小児麻痺に罹って歩けませんでした、しかし幼少期に杖や器具を使って奇跡的に歩けるようになりました、もちろん健常者のようには行きませんが
それで美術館も身障者に優しい作りになっています
二階のカフェからは諏訪湖が眼下にあってとても気持ちが良いです
ここで1時間、ゆっくりと鑑賞してきました
原田さんは、さだまさしと親友で一緒に旅行をしたりしました、この美術館の名誉館長にもなっています。
原田さんはニ年前に亡くなりました、もっと作品を書き続けてもらいたかったです。

以前購入した作品集です

駐車場に居たら変わったバスがヨットハーバーの方に見えました
ピンときました、いつだかテレビでやっていた水陸両用バスですから、仲間にしらせました、みんな始めて見たのでびっくりでしたが、一番若い好奇心旺盛な仲間が「乗りたい」と言い出しました
今日はもう間に合わないので明日の検討課題にして宿に入りました。

宿は湖泉荘という6階建ての中堅ホテル、割とこじんまりとしています
でも滞在してみてエレベーターから風呂、食事処がすぐ隣で移動がすごく楽です、エレベーターも二基並んでいて、少しも渋滞がありません
食事も夜朝ともに6人ですが個室でした
屋上には諏訪湖展望スペースがあるそうですが、行かなかったです
風呂もちょうどよい大きさで、私は病後で感染症が怖いから、食後に入りました、思った通り私一人の貸しきりでした、23時半にももう一回入りましたが、やはり貸し切り、王様気分です
お風呂上りには、かりんジュースなどが用意されています。

夕食が良かったです、下諏訪の宿は今度で4回目ですが、すべて違う宿
その中で、今回の料理は郷土の食材をいろいろ工夫して作られており、他の宿との差別化は一目瞭然で大満足です
でもまだ多少の食事制限があって食べたくても食べられないのがあって残念でした、それでも今回は普通の濃さの酎ハイを二杯飲みました

お造りは信州産の新鮮なイワナとマスです
 

さしみ用の、醤油のジュレと生わさびを練り込んだ味噌

前菜も一品一品に工夫がされています  柿をくりぬいた蒸し物(柿は制限されていて食べられませんでした)  栗とかりんのデザート、シャインマスカット

信州牛の鍋も参加型の工夫がされています


前菜も単純じゃありません、一品一品に細かな味の工夫がされています
板前さんの腕の良さとセンスが伺われます


このほかにも信州牛のローストビーフ、裏ごししたサツマイモの天ぷらなど満足、満腹でした
スタッフもみなさん感じよくて、また来て見たい宿でした。

翌日、水陸バスの申し込みをしましたら11時からの便に乗ることが出来ました
発着場はSUWAガラス館、ちょうど観光予定地だったので、時間までここでお買い物
いよいよ出発です、正式には「ダックツアー」だそうです、えくぼが素敵なエキゾチックな女性ガイドが元気よく盛り上げてくれます
諏訪湖クルーズが20分、そして市内観光30分のコースです


ヨットハーバーから「ドバン」と湖に入ります

観光バスドライバーはここから船長になります、一人二役、大谷並みの二刀流です。
このバスの特徴は、窓がありません、道交法の重量基準のための軽量化だそうです、雨の日は雨具を着るとか・・・今日は快晴でよかった
元は物資運搬の大型車を1億円かけて改造したのだそうです、車高も制限ギリギリですから、乗車にはデッキを使います、料金は大人3000円(週末祭日は3300円)

陸に上がって流しの観光、高島城ちらり


片倉館などガイドさんは50分休むことなく楽しく案内を続けます
少し諏訪湖の知識が増えました、あの大きな湖ですが一番深いところでも7mだそうです、面積が約2倍の田沢湖は日本一深くて423mというからびっくり! 諏訪湖の面積は大きく見えても、一番大きな琵琶湖の約50分の1です
諏訪湖の面積は長い年月の中で広くなったり狭くなったりしているそうです
最大では現在の2~3倍あったそうです
偶然見つけたこれは、二日目の予定を変えても悔いが無い楽しさでした、みんんな「良い旅行になったね」と大喜び
見る観光もいいけど、体験する観光もいいねとなって、来年の課題になりました。

湖畔には紅葉がきれい

バスツアーで2日目のほかの観光はとりやめにして、コースも変更
長野道を安曇野へ行き、予定になかった大王わさび園





あえて人物は写しませんが観光バスも数台、月曜なのに多くの観光客でにぎわっています
白人、アジア人などの団体ツアーも多いです、ここも何度か来ていますが、これほどの賑わいは初めてで、インバウンドの活性化を感じます。
こうして今回の温泉旅は終わりました。

岬めぐり/山本コウタローとウィークエンド

諏訪に来ています③

2024年11月13日 09時42分56秒 | 旅行 新潟県.長野県
 懐古園を出て諏訪を目指す。ここからは望月を通って白樺湖経由で諏訪に下りる予定
山間の道路をのぼっていくが、幾筋もかの道があるので駐車場案内係のおじさんに道を聞いたら、親切丁寧に教えてくれた
順調に行ったが、途中から仲間のスマホナビを信じたら九十九折の山道に行ってしまった、べつに狭いわけでもなく猿が左右に出てきたが順調に進んだ
結局、近道だったようで次の目的地の長門牧場に間もなく到着した

小諸城も、ここも日曜のせいか結構な人手であった、長門牧場は特に30代、40代の若い世代で溢れていた
ここで昼食、ビーフカレーとピザを食べた、濃厚なソフトクリームは絶品、観光地に多いソフトクリームだが群を抜いた旨さである

気持ちが良い広い草原歩きが気持ちよいが、牧場ならではの歩くのに難があるのが唯一の欠点
とても展望が良い場所なので、なんらかの対処が必要かと・・・


ここから白樺湖はすぐだ、だが湖畔の紅葉は終わっていた
ビーナスラインを少し上がって、蓼科山と白樺湖が見える展望台へ行ったが、白樺湖の水がいつもより少なくて貧弱に見えた
蓼科山も山頂が雲に覆われて、美しい姿を見ることが出来なかった。

ここからは蓼科を通って茅野へ下るか、ビーナスラインを霧ヶ峰まで走って直接、下諏訪に下るかだが、茅野へ下り事にした
霧ヶ峰から下れば「君の名は」のモデルとなったと言われる諏訪湖を見下ろす景勝、立石公園に至るが同乗者もいるので安心策の道をとった
ところが何度も走った道なのに、芹ケ沢付近で八ヶ岳に見とれているうちに道を間違えたらしくて、予定より15kmほど南で国道20号に出た、それでも時間的な余裕があった。
諏訪に向かって、次の目的地「原田泰治美術館」に向かう。

高原のお嬢さん 舟木一夫


諏訪に来ています②

2024年11月12日 06時22分36秒 | 旅行 新潟県.長野県
 北陸道から上信越道を通って信州小諸まで一気に走った
「小諸なる古城のほとり」木曽馬籠で育った島崎藤村は、ここ小諸の教育現場で数々の功績を積み、文学界の実績を築いた。
小諸城(懐古園)は牧野氏の居城で、城下町より低地に築かれた唯一の穴城として有名だ
特異な台地に築かれた城は、一枚の台地が幾筋かの深い谷で切り離されて天然の切り立った堀(と言うには深すぎるが)になっている
城下町よりは低いが、千曲川から100mくらいはそそり立つ台地の上に立つ城
今、懐古園では「紅葉祭り」が開催されている、色鮮やかな木々の紅葉がきれいだった。


宝物館の「徴古館」「藤村記念館」「動物園」も見た




「徴古館」は小さいけれど展示品は見どころ満載、戦国時代の山本勘助のことや、江戸時代牧野家の品々、武器や諸々が展示されいていて一人でじっくり見たい施設だ。
「藤村記念館」も小さいが藤村の様々な展示品はゆっくりと見たいほど充実している、受付担当の方がとても親切だった。
「動物園」は工事中でほんの一部しか見られないし駐車場への道は閉鎖されている、橋の入り口あたりに、このことを表示してもらいたかった。

城内はけっこう広い、人力車も走っていて利用されている方も多かった
紅葉も本丸辺りが特に美しい。



諏訪に来ています

2024年11月10日 17時12分49秒 | 旅行 新潟県.長野県
今夜は諏訪湖の湖畔の温泉宿
温泉は日光以来半年ぶり、今年二度目。
久しぶりに、らっくりします

小諸の懐古園、藤村記念館、宝物館

立科の長門牧場、それから原田泰治美術館を見ました。



同期生旅行{最終回) 碓氷峠眼鏡橋

2021年11月17日 08時25分43秒 | 旅行 新潟県.長野県
2日目八ッ場ダムからは、ひたすら上州と信州国境の山道を走り続ける
そして最大の難所「碓氷峠」に取り着いた
今は高速道とバイパスと旧道の三本が曲がりくねった急坂を行き来している
旧道にある眼鏡橋は信越線の廃線の橋脚が壊されずに残されたものらしい
この旧道は実に180あまりのカーブが15km以上続いている
そして登り切ったところが昔の信越線横川駅で「名物峠の釜めし」を停車中の列車の乗客に売っていたものだ
だからこの駅では小さな駅にもかかわらず停車時間が長かった、ホームにおりて買いに行く者、窓を開けて買い求める者でバカ売れしていた
今は高速道のSAや佐久などの町の中で観光バス相手のドライブインで食べさせたり販売したりしている
私も横川SAに寄って釜飯か高崎だるま弁当かを必ず買ってくる

今年の紅葉はダメだ」と言っていたが11月中旬にきて全国各地できれいな紅葉の便りが届きだした、今年は少し遅かったのか


碓氷峠の秋




この辺りから1時間走って軽井沢に到着
昼食はプリンスホテルの中華レストラン、ゆったりとした広いレストランで楽しく食事をしました
それから国道をゆっくり時間つぶししながら「雷電道の駅」で買い物してから上越市の回転寿司で夕食、それから高速道路に乗って帰郷しました
また来年までのお楽しみです


同級生旅行(4) 雨の八ッ場ダム (やんばだむ)

2021年11月15日 23時37分28秒 | 旅行 新潟県.長野県
二日目は昨夜からの雨が降り続いていて旅行には最悪のコンディション
それでも朝五時半から温泉を楽しむ
今朝の風呂は入れ替わりの露天風呂、湯船の前には立派な薬師様が立っていた
薬師様の足下の湯口から熱い湯が流れ込んでいる

朝食も銘々の満足のメニュー、ビールを朝からいただいた
記念撮影して出発する、窓ガラスが曇って外が見えないのでまたビールを飲む
雨で甌穴も四万湖もパスして国道で八ッ場ダムへ向かった
雨降りは運転するのがたいへん運転手さん、ありがとう。 去年までずっと私がやってきたが今年は楽させてもらっている

八ッ場ダムは群馬県最大の貯水量と流域面積をもつ利根川水系最大のダム湖だ
セメントか人かと推進派の自民党と反対派の民主党が対決した曰く付きのダム建設、民主党政権下で一時中断したこともあるが去年ようやく完成した
いまも工事は進んでいる
ダムの底に沈んだ集落と移転した数百人の住民、大部分がこの地からどこかに行ってしまい過疎が進んだ


ここからエレベーターで地下三階まで下がりダムの下に出る

ダムの主要部、放水口は真ん中に見えてる口のまだ下に左右一対であり、それで足りないときは、真ん中からも出す
更に緊急事態が起きれば最上部の緑の辺りが開いて放水をすると言うが
未だ開いたことはないそうだ




私は5月にここに来たのに八ッ場ダムとは知らずにいたのだった
ここでも地元のガイドさんに案内してもらったので、知らずにいたら通過してしまうところを解説してもらい目から鱗の連続だった


晴れていたら紅葉が素晴らしいと残念がったが霧に煙る景色は山水画のようでむしろ風情があってよかった




同期生旅行(3) 四万温泉

2021年11月12日 20時31分19秒 | 旅行 新潟県.長野県
真っ暗な登り道、見えないけど多分両側は山で、左手には川が流れているようだ
国道を左折してから10数分で温泉宿に着いた、北陸などの大きな温泉街と違って一軒宿が5~6軒点在しているらしい
レトロな宿がこの地域の売りみたいで、「千と千尋」のモデルらしい宿もあるとか(台湾などにもあるから、ここだけではないようだ)
玄関を入ると民芸品のような飾りがロビー一杯に見える、照明がレトロ感を出している


これは? あれかな

温泉に入るのは去年の同期生旅行以来だから、ちょうど1年ぶり
店の人に聞いたら、お風呂は3か所あって、男女入れ替えになる露天風呂に最初に入った方がいいとのこと
さっそく行ってみると、広々してなかなかいい感じ
熱い湯、ぬるめの湯とあってスベスベした泉質がなかなかいい感じ
外はすでに気温一桁だが、温まって出てきた
そして個室で宴会、だけど幹事が宴会(歌ったり踊ったり)は極力しないように宿からお願いされたらしい
われわれの持ち味はどんちゃん騒ぎ、大騒ぎが楽しみなのだ(昨年の湯沢の温泉でも大いに歌い踊ったのだが)
我々の他にも団体はいたようだが周りからは歌ひとつ聞こえず、シーンとしている
これでは我々も静かにしているしかあるまい「お通夜の晩みたいだね」と誰からともなく聞こえた
ただ御料理は素晴らしいの一言に尽きる、板前さんはそうとう腕の立つ人のようだ
料理出しは20代の男性一人だけで大忙しだ、言葉が少しおかしいので「お国はどこですか?」と聞いたら「中国です」
それで「ニイハオ ニイハオ」と思わず言ったら「シェィシェ」と返ってきた
「晩上好(ワンシャンハオ)」くらい言えば少しは「おぬしやるなあ」と言われるところだったが出てこなかった

御料理の一部






ともあれ料理は大満足でした
部屋で二次会をした、一年ぶりに温泉マッサージを頼んだら「今日は休みなんです」がっくり!
もう一度、今度は大浴場の方に入って23時頃には寝ました

同期生旅行(2)上田~四万温泉

2021年11月11日 17時12分16秒 | 旅行 新潟県.長野県
出発日の8日は朝から晴れて気持ちが良い、マイクロバスに男6女5の11人で乗ってジョーク連発で笑いが絶えない
御料理上手がいて今回も私の為に大好物のこんにゃく料理などを作って持ってきてくれた、同い年だとやっぱり女は大人で男は子供だ
上田城の後は別所温泉に近い塩田平のマツタケ料理の店で昼食、ちょっと奮発して6000円のコースだが上には上があって最高は16000円コース、これは信州牛が入るからだ
昔、女房殿の実家で近くの山からマツタケをとて来てもらって丸ごと焼いて食べたことがある、それから見たら6000円コースも大したことはなかった


生ビールを飲んで食べてお腹も膨れた、次は佐久まで走って「ピンから地蔵」ってなんだ? ・・・「ぴんころ地蔵」でした
今回は初めて私の運転出番が無くなって2日間、飲み続けていればよい良い身分だ、すっかりいい気持になって小一時間寝た

スマホのガイドを頼りに右往左往しながら東部湯ノ丸ICから上信道に乗った
本当は高速でなく下道で行く予定だったのに高速入り口に入ってしまった
早く着くし運転手が楽になるからよかったかも、途中JCTから南アルプス市への分岐に向かう
降り口を左折、この道は佐久のコスモス街道への道路でさらに行けば内山峠から下仁田へと出ていく峠道になる
そのほんの入り口の街中に「ぴんころ地蔵」があった、参道は小さな仲見世のような感じで華やか、でも店はやっていないし人流もなかった
参道を言ったら鳥居があって、その先にはお寺がある、御本尊が「ぴんころ地蔵」かと思ってお参りしたが暗くて姿が見えなかった
「ここって神社?お寺?」たしかに?だ、鳥居と狛犬と鈴があった
でも墓地もあるし、作りはお寺だし、梵字も刻まれているし、さてさて?

で、お参りを終えて戻ってきたら、なんとそこに「ぴんころ地蔵さん」がおられるではないか、気づかずにまっすぐ本堂まで行ったのだった
それはそれで御利益あるだろうけど、あらためてお地蔵さんにお参りして目を併せて頭をなでなで
とっても優しいお顔のお地蔵さまです


次は甌穴(おうけつ)の見学だが「甌穴」ってなんだ?
しかし4時半近くなって雨も降ってきたし真っ暗になってきた、しかも寒くなってきた、これじゃ行かないで旅館直行のほうがいいな
ということで暗い中を旅館に向かいました




僕らの同期生旅行20回目(1)上田城

2021年11月09日 22時02分54秒 | 旅行 新潟県.長野県
コロナにも負けず今年もまた同期生旅行を行った、今度が記念すべき第20回目だ。 20年連続続けているから51歳から始まったこの旅行会
私だけが20年皆勤賞、他にも17回、18回参加という者もいる、そして今回からまた一人ニューフェイスが参加
メンバーのT美に続き夫を亡くしたE子が一周忌を終わらせたのでメンバーの総員一致で誘ったところ快く仲間になってくれた

今回の宿泊地は四万温泉(群馬県)やまぐちや、レトロ感溢れる宿なのだそうだ
四万温泉は初めて行く、群馬県は温泉が多く私も草津、伊香保、水上、礒部などに何回か行っている
一日目の観光は上田城から始まった、上田城はご存じ真田家の城で宿敵徳川と二度この城で戦い、圧倒的に多い徳川軍を2度とも退けた
私は4回目になるがいつも本丸へ直接入っていたが今回はガイドさんを頼んで二の丸から緩い坂道を登って本丸へ向かい神社の裏手の西郭まで行き
さらに本丸跡を囲む土手を歩いた、今まで小城と思っていた上田城が意外に大きな縄張りを持っていたことに驚いた
周りは川や堀に囲まれ急峻な天然の崖と石垣で敵を寄せ付けない作りになっている
本丸に天守閣があったかなかったかわからなかったが金粉が施された瓦が発見されて天守閣があったのではと盛り上がっている
この城は関ヶ原合戦のあと真田親子は負け組となったが徳川に味方して活躍した長男真田信幸の命乞いで昌幸、信繁(幸村)親子は助命されて紀州九度山に流された
その時、上田城は破壊されたという

見学を終えて出て来たらイケメンの真田幸村と出会って記念撮影できた
天気も良いし出だしとしてはまずは上々
「マスクかっこいいね」と私が言ったら
「マスクでござるか?」と少しトーンが落ちた幸村くんが可愛かった





写真下方の平地は駐車場だが真田氏の時代は神川が流れていた天然の堀だった



築城の時のままの西郭

本丸跡地



昔の電車線の跡は市民の散歩道になっている
空堀の跡地


初めての新発田市(しばた)と新発田城

2021年09月09日 06時36分14秒 | 旅行 新潟県.長野県
北信越5県(福井、石川、富山、新潟、長野)関西圏と関東圏が混じり
JRも東と西が混在、フォッサマグナで新潟、長野  富山、石川、福井とプレートが別れる
県をまたぐ移動はしないで下さい、と国は言う、これは不公平だと思う
福井と富山は狭くて県民の県内移動などあっという間に限界になる
石川は思いのほか能登半島は奥深い、だが面積が全国4位の長野県、5位の新潟県民は広い県内を縦横に移動できる

新潟で仕事を午前で済ました私はチャンスを得た、新潟県の北部、新発田城、村上城を見たいと思っていた
それと新発田から福島、新潟県境の阿賀町に抜ける赤谷線を20歳ころから走りたいと思っていた
なぜかはわからないが、とにかく行きたかった、とうとう二つ同時に出来るチャンスがきた
ざっと所要時間を計算したら充分に間に合う、天気は快晴、明日から崩れるらしい
新発田城
思ったより広い前庭 草むらが広がる 
市民が10人ほど思い思いの場所でくつろいでいた、
御弁当を食べている人も、そういえば12時ちょうどだ
新発田といえば赤穂浪士の英雄、堀部安兵衛の故郷だとか
浪人中、お江戸でおじさんか誰かの仇討ちの助太刀をした
こっちは3人、向こうは倍以上だが安兵衛は数人を叩き切った
おじさん? は仇討ちを果たすことができた

これを知った赤穂藩の武士、剛直な堀部弥兵衛じいさんが
安兵衛(中山安兵衛)をすっかり気に入って
ぜひ娘の婿になってくれと懇願、婿入りして堀部安兵衛となる
しかし江戸城、松の廊下で主君浅野内匠頭は吉良上野介に切り付けて
お家断絶、安兵衛、またしても浪人になってしまった
しかし赤穂浪士の一員として主君の仇討ち参加、吉良上野を討ち取り
英雄として今に名を遺した
新発田城も天守閣はなく、復元された隅櫓が二つ見える、三層なので案外立派に見える、堀は満々の水
鯱が3つ乗っている珍しい屋根だ



赤谷線は結果を言えば、予想していたのとは全く違っていた、もっと山の田舎道だと思っていたのに快適な舗装路だった
昔は赤谷線と言う鉄道があった気がするが記憶は定かでない

内ノ倉ダム湖、ダム方面は交通止めで入れなかった 車3台来ていた

でもそれがわかっただけでも成果だ、途中の綱木村はブルーコメッツの三原綱木さんがここに住んだことで芸名にしたというネタを聞いたことがある
意外にも旧、三川村では戸数が多くて驚いた
しばらく行くと寂しい所で新谷という地区名が出てきた、脇道を行くとあるらしい、修業した店の後輩がここの出身
「こんな山深いところで生まれ育ったのか」と切ない気持ちがした(本人はそんな風に思わないだろうが)

三川村に着いて、阿賀野川が見えた、福島県から出て新潟市に流れ込む大河だ