神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 27

2024年02月29日 20時45分51秒 | 甲越軍記
 それでも勇士はよろめきながらも攻め手が取りつく石垣めがけて多少の石を投げ落して食い止めようとする。
これもすでに晴信の策の中にあり、かねての通り大手口苦戦ならば搦め手より攻めあがる手筈はできている。
晴信は下より暗闇の中、火縄を振って采配とすれば味方の将士一斉に搦め手の石垣をよじ登った。
真っ先に荻原常陸之介、板垣の組下成瀬又左衛門、古川宮内左衛門、猛虎狂象の勇をもって駆け上り、荻原が一番に塀に取りついた
塀を守る敵兵も必死で槍を頭上から繰り出し、荻原の兜を突くが鍛えられた兜に槍が後方まで滑り、その柄を荻原はつかみ取り、ついには七本まで束ね掴んで引く。
成瀬も同様に塀に取りつくところを、敵兵は熊手を成瀬の兜にひっかけてこれを引き上げて首を取ろうという魂胆
成瀬はわざと塀際まで敵の力に任せて引きあげられていたが、櫓際まで上がった瞬間、縮めていた体を跳ね上げて中に飛び込み、抜き打ち様に敵兵を切り倒した。
「海野口一番乗りにて一番首をあげたは成瀬又左衛門なり」と大音声で名乗りを上げた、さらに敵中に躍り込み火花を散らして切りまくる。

古川宮内左衛門は成瀬に先を越され歯がみして、これも櫓塀を乗り越えて城内に攻め込む、次いで荻原も城内に入り、続けて20名ほどが後に続いて城内のあちらこちらに火をかけた。
その時、西風が起り火は東西に燃え広がった、城兵はもはや防ぐ術もなく逃げ腰になった。

裏手から火があがり、物音騒がしく大手の城兵にも動揺が走った
その隙に乗じて教来石の足軽20名ほどが城内に躍り込み、こちらも火をつけて走り回った
すでに城中は逃げ場もない程に火が回り、日頃の忠臣もこれまでと家族を連れて城から逃げ出した
これを見た源信は、もはや落城は免れぬと見て本丸に走り去り、「同じ死すならば妻子を刺し殺し、信虎父子の間に出会い、冥途の道連れにしてくれる」と独り言、妻子の元へと行った。

源信の妻は同国の住人、布施谷兵庫介の娘で十六の娘を頭に男女七人の子があった。末子は六歳の乙鶴という男子だが全てを刺し殺して戸、障子、襖を外して死骸を覆い火を放った
それから本丸を出て武田勢の中に飛び込み、例の樫棒を死に物狂いに振り回し当たる先から武田方は腕を折られ、兜は打ち割られ、脚を砕かれて、たちまち30人ほどが打ち倒された。

その時、大手より一番乗りした武田の勇士、教来石民部景政が源心の前に立ちはだかった。

春はまだ遠いのだろうか 花だより

2024年02月29日 09時14分18秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
 雪国はまだまだ花の彩は見られず、わずかに紅梅、白梅が町内のあちらこちらに見える程度、だが今年は見事とは言えないが久しぶりに梅の木が花をつけた。 水仙だけが元気に咲き誇っている


家の中ではデンマークカクタスの2輪めがようやく開花した
今度の花は赤みが強い

三輪めも、間もなく開花する










「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 26

2024年02月28日 20時36分27秒 | 甲越軍記
 馬の口には枚を含ませていななかぬように静かに海野口間近まで着いたのは丑の刻半ば(深夜2時頃)であった

前日、武田勢が引き揚げたあと平賀源心は間者に探らせると、すでに主力の信虎勢は10里近く(40km)も先にあり甲州へ向かい、殿軍300程が4里先で雪の中難渋して今夜はそこで休息をとるらしいとの報告であった。
殿軍を攻めようと言う声も出たが、総大将平賀入道は甲州勢が引き上げたことに満足して、「包囲の中で敵を何度も蹴散らし、皆疲れておる、論功行賞をした後は思う存分飲み明かして祝おうぞ」と上から下まで城中の兵3000、安堵して大いに飲んで寝てしまった。

晴信は古今に数少ない名将だけに味方の兵の安全を第一に考え慎重に事を進め用心には用心を重ね、屈強の間者を20名ほど放ち周辺に間者や伏兵はないか、城中の備えはどうなっておるかと調べさせた。
報せによると、晴信の推測通り包囲を解かれて安心した城兵は酔って寝静まっているとのことであった。

晴信の兵300は申し合わせの通り三隊に別れて城攻めを始めた。
鬨の声を張り上げ、大手門より若手の精鋭150が攻め寄せた、同時に遠方でも鐘、太鼓が鳴り響き、雪灯りを頼りに城兵がそちらを見ると、おびただしい旗が立ち並んでいる・
「しまった、我らが油断して寝た隙に信虎め再び攻め上ってきおったか」
まだ酔いがさめず、目をこすりこすり何事かもわからずうろたえるばかりの城兵も多い、おぼろげに状況がわかって来た兵は、大手門に駆けつける者、臆病風に吹かれて城外に逃げ出すものと大混乱になった。
今井、教来石ら豪壮の若武者百騎ほど真っ先に櫓の下に取りつき、速やかに石垣を上る、盛んなる足軽50程、壁を伝い上がる蜘蛛の如く石垣を上り、熊手薙ぎ鎌を持って登り、塀に取りついて攻め込んだ

城将平賀入道は黒糸の鎧をつけ、兜はかぶらず鎖を入れた頭巾をかぶり、上から鉢巻を締め、四尺三寸の大刀を携え、手には一丈あまりの八角に削った樫の棒を持って城中を馳巡り、味方に向けて大音声で「敵たとへ大軍といえども我ら力を集結して手段を尽くしてこの城を守り抜こうぞ!」と励まし
「大石を落せ、材木を落せ」と鼓舞するが、肝心の兵は逃げ出す者、右往左往するもの、酔いが抜けずよろめく者ばかり多く、必死で攻めかかる武田勢にまったく太刀打ちできず打ち取られる兵ばかりが増えていった。







どこへ行くのか?

2024年02月28日 10時09分15秒 | どうでもいいこと
 今朝の新聞を見て一番関心を持ったのは「出生数のとどまらぬ減少」の記事
それと並行して「婚姻数の減少」、とうぜん「人口減少」「過疎問題」「高齢化社会問題」にもつながる。
日本の人口は減少中とはいえ正確なデーターは知らないが、今なお1億2000万人前後のはず、世界でも10位あたりだと思う。
数十年後に8000万人を切るという記事も読んだが、ドイツやイギリス、フランスと言った先進国が現在6000万~8000万人だから、団塊世代が消え去った後の数十年後には国家としてはむしろスリムで動きやすくなるかもしれない。
もう私はいないけど・・・ちょっと見てみたい

日本国が抱える問題はど素人の私でもいくつか挙げることができる
1.世界2位のGDPを得た中国の外洋進出による軍事的脅威
2.人口減少と都会への一極集中でおこる地方の過疎化と高齢化問題
3.都市部と地方の経済、収入、生活レベルの格差拡大
4.国会議員の質の低下と迷走政治 国民が投票したい党が無いと言う現実
5.世界の中で低下していく国民総生産額、一人当たり所得
6.諸物価の異常な高騰による庶民の苦しみ
7.個人資産および収入格差の拡大により、貧と富の二極化が目に見えるようになってきたこと、かっての後進国・独裁国のスタイルに近づきつつある。

政治家の急務は自分の財布より、国民の財布の心配をすることだろう。
世界に向かって誇れたあの時代が懐かしい、場面によっては「不適切にもほどがある」に共感する。
「自由・平等・平和」「権利と義務」「親孝行」さんざん聞かされてきた言葉。

Misty [日本語訳・英詞付き]  ジュリー・ロンドン






「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 25

2024年02月27日 20時32分14秒 | 甲越軍記
晴信の殿軍も速やかに撤退して味方に合流すべく雪道を急いだ
しかし方円の陣形を保っての進軍は滑稽にも見えて、心無い兵は「もはや敵の追っ手も無いと言うのに仰々しい構えである、何とも小心なことよ」と嘲った。

晴信は「まだ薄暮の内は、敵の追っ手いつ来るやもしれぬ、抜かりなく備えるのが万全である」と陣構えを崩さなかった。
そして敵地から3~4里来た頃に闇が周囲を覆いつくした
晴信は部隊の行進の停止を命じた、焚火を起してしばしここで休息をとる、皆のもの軍装を解いてしばし横になるがよい」と命じた。

その時、軍監の板垣信形が様子を見に来て驚いた
「この時に休息とは如何されたのじゃ、御本陣は既に8里も先に進んでおる、急ぎ後を追いなされよ」
晴信も軍装を解きながら「殿軍の緊張で皆疲れておる、もはや敵も追うてはくるまいゆえしばし暖を取っての休憩じゃ」
板垣は「何を申されるか、いつまた敵が追うて来るやもしれぬと言うのに」
「なあに勝ち戦に乗じて追うてくるのが定石であるのに、今こうして夜を迎える頃になっても来ない、昼間に来ぬ者が夜になって、のこのことやってくることはない」と取り合わない。

板垣は顔を真っ赤にして「なんと情けないお言葉じゃ、とても一方の大将の言葉とは思えませぬ、疲れたなどとひ弱なことを申されるとは、お屋形様が若き頃には三日三晩甲冑を解かずにいたこと度々ありましたぞ
お屋形様が『晴信はたわけた臆病者じゃ』と時々口にされたが、今このとき某も納得いたしました、おすきなようになさるが宜しい」
そう言うと陣幕から去っていった。
晴信は兜を枕にして体を横たえてしばし休息した。

しばらくの時が過ぎると、晴信は起き上がり軍装を整えると、具足びつに腰かけて威厳を見せ左右の者に「今井市郎、教来石民部を急ぎ呼びよせよ」と命じた
二人がやってくると「ただちに配下の物頭全員ここに集合させるように」と言った。
全ての物頭が揃うと、その後方には板垣も何事かと来て、晴信を見て、その凛々しい大将ぶりに驚いた、黒糸の胴丸具足に金の耳副輪の黒の陣笠、腰には四半に大菱の腰指。
晴信は「これより我らは海野口に取って返す、そして我らを嘲った平賀源心を討ち取る
我は本国を出る時より、容易には落城しまいと思っていた、もし雪が降り、道を覆ったならば半途より軍を引き返し攻め寄せるつもりであった、その為に殿軍を申し出たのである、予の初陣の功名はじめとして平賀入道を討ち取って槍の穂先にその法師首を突き刺して本国に立ち返ろうではないか
それゆえに近習に申し付けて白紙の旗を300本作らせたのである」
教来石が長櫃の中から紙旗を300ほど取り出した
「教来石、今井市郎が若手は先陣を切ってその勢150を以て城の大手より攻めかかれ、板垣駿河守、小幡尾張守は遥か後方で50人を率いて雪の中に白旗を立てて、金太鼓を打ち鳴らして偽兵の計で大軍を装うようにせよ。
儂は100を率いて搦め手より忍び寄り、大手に敵兵が集中したころ合いを見て石垣を上って攻め入り城中に火をかける
敵は恐らく間者を放って本陣が8~9里先を行き、殿軍の我らが3~4里の先にいることは承知であろう、われらのような小勢が戻り攻め寄せるなど夢にも思わうまい
今日囲みが解けたので数日の疲労一同に起こり、前後不覚の眠りに落ちるのは明白である、我らが不意に攻め寄せれば、敵は大混乱に陥り、明け方までには落城するのは必死である」

これを聞いた板垣信形は涙を流して「先にはあきれ果てて過言申し上げましたが、ただいま君の計略いちいち理にかなったこと承り、某の心魂に徹し恐れ入り奉りました、四十年来戦場を駆け巡りましたが、このような神機妙算の謀は初めて聞きました、己の愚かな考えで名君を罵ったこと天罰に値します」と腰を折って詫びるのを見た晴信は
「汝の先ほどの忠諫は的を得たものであった、君を君と思えばこその諫言である、これこそが忠臣である、それよりもことは急ぐ、敵にもれる前に急ぎ兵を引き返そう」



人生と友

2024年02月27日 11時36分23秒 | 心 思い
 今朝、伯母さんが亡くなった、5月で98歳になるところだった。
私と同じ寅年の5月生まれだった、寅年らしい気丈な女性で、大人しい伯父さんとは対照的だった。

録画した「春になれば」を見ていたら、「時間は無限にあるわけじゃない、どんどん前に進まなくっちゃ」というセリフがあった。
伯母さんも我らから見ればずいぶん長生きしたなあ」と思うが、90だろうが100だろうが、いずれ最後の時は来る
自分をふりかえってみれば70歳で商売を辞めて、月間平均400時間以上働いていたのが、急に年間ゼロ時間になって茫然唖然だったが、慣れてからしばらくは何するわけでもなく無為に過ごしていた。
だが去年の春過ぎから、ようやくいろいろなことにチャレンジすることに決めて、ようやく第二の人生が動き出した。
畑仕事、ボランティア、趣味、散歩、ブログ、書き物、それにこれからは金をかけない一人旅なども考えている。
たしかに70過ぎて、立ち止まっている時間はない、特に男は女より10年も残された時間が短い、すでに健康寿命に達しているのだから。
健康な体つくりに励んで、やりたいことをパワフルにこなしていく、歩けなくなった時が健康体の終わり、後は知的な楽しみに限られてしまう。

友がまた一人去っていく、20年間つき合った友が家庭の事情で首都圏に移住する、こうして友は減っていく、いくら長生きしても友がいない人生の寂しさは、父を見てきてよくわかる。
友の本当のありがたさは、一緒に生きた時代を同じ価値観で話し合えることだ
共通の時代を、共通の場に居合わせた友と語る、だから職場の友、同級生、同じふるさとの友が一番楽しい。
それとは別のタイプの友もある、それは同じ趣味を語ることができる友だ。これは年齢が違っても楽しめる
旅行、ドライブ、ゴルフ、映画、芸術、芸能、スポーツ、花、園芸、畑つくり、写真、読書などさまざまな多岐の趣味に広がる
そんな意味ではブロ友さんも友と言えるだろう。

ときどき、はたから見るとつまらないことに時間を費やすことがある、それは楽しい時間だからやってしまうのだが
今回は今までの人生で出会った友達をピックアップしてみようと思っている
思うとすぐやってしまうから、三日うちにはできるだろう。
条件は10年以上、ある程度の頻度でつき合ってきた人、数年と短くても自分の人生に大きな影響を与えた人を拾い出す。
恩師や家族は含まない、そしてこの中からもっとも大きな影響を与えてくれた友をベストフレンドとしたい。
他人から見れば何の意味もない時間つぶしだが、私は私の心に問いかけてみたいのだ
子供の時の友は主に遊び友達、便利の良い奴だが、大人になるにつれて精神的なつながりが重要になってくる
もちろん異性も含んでのことであるが、つまるところ恋愛感情は友なのかどうなのか」は昔から問われるところだ。(あえて異性カップルとは言わない)
それが可であれば熱愛の末、結婚した相手がベストフレンドとなるが、意外と離婚するケースも多い、そうなるとベストフレンドの定義も揺らぐ。
本当のベストフレンドとはどんな人なのだろうか? それを知るためにも、愚かなる時間つぶしをやってみよう。







大相撲・陸上競技

2024年02月27日 08時54分33秒 | 大相撲
 大相撲大阪場所番付を予想して見て、協会が発表したのと比べてみた
意外だったのは先場所同点準優勝で大関昇進した琴ノ若より、2勝しか挙げられず、今場所カド番の貴景勝の方が番付が上だったこと。
負け越したのに西張り出し大関から、東張出大関に昇進した・・なぜ?
考えてみたら、番付のバランスとりのため先場所は東張出大関をあえて空位にして貴景勝を西にまわしたのだった、本当は先場所は東張出大関だったんだ、納得
驚いたのは北青鵬が十両の番付として残っていたこと、編成会議より先に引退と思っていたが、番付はいくらか前に出来ていたのか?

それとわかったのは三役や前頭上位の負け越しは、さほど番付が下がらず、下から上がって来た力士よりも優先されると言うことがわかった。
当然上位は横綱、大関、関脇とあたるから下位での勝ち越しよりは優先されて当たり前だ。
十両10枚目で13勝優勝の尊富士が、一場所で幕内昇進した、西二枚目で8勝の東白龍より優先された、まあ当然と言えば当然、東白龍が9勝なら微妙だった。  これで10枚目に復活した若隆景も今場所13勝以上で優勝すれば一場所で幕内復活の道が開けた。
伯桜鵬も13枚目だが14勝以上で優勝すれば元幕内だから、一場所通過の確率は高い、できれば十両で若隆景と伯桜鵬が14連勝同士で千秋楽に優勝をかけた大一番を見せてくれて、同時入幕というのが理想。
十両一場所通過の24歳尊富士も並みの力士ではない、伯桜鵬、大の里に匹敵する大物力士になりそうだ、また楽しみな力士が増えた。
序の口から始めて8場所連続勝ち越し、序の口、二段目、十両で優勝、8場所目で入幕を決めた大器だ。
モンゴル勢の下風に20年ほど甘えて来た日本勢、ようやく強い日本人力士の芽が噴き出してきた、サラブレッドの一角、王鵬もライバル琴ノ若の大関昇進で目が覚めたか、先場所から相撲内容が変わって来た、まずは精神面から変えていけば大成するだろう。
先場所、上位初挑戦で跳ね返された有望株、豪の山、湘南乃海、熱海富士の今場所リベンジにも注目だ。
琴ノ若は今場所12勝以上上げれば、来場所は横綱獲りに挑戦の場所になる、稀勢の里以来の日本人横綱誕生に期待がかかる、しかも若いから長命横綱となるだろう。
大の里も大関の力は確実にある、もはや平幕では敵なしだ、横綱、三役にいかに勝つかが問題だ、平幕相手なら馬力で一気に行けるが、三役以上や朝乃山のような実力者には今のままでは通用しない
下半身が伸びたところで投げられるパターンが多い、照ノ富士などは大の里が沈んでいても投げ飛ばす怪力だから、まだまだ課題は多い、なんといっても足腰の強化と技術を磨くことが大事だ、霧島、豊昇龍、若元春、朝乃山なども投げがうまい力士だ、これを克服するまでは苦労するだろう。

サッカーも始まった、今年からは2シーズン制になった
新潟だけが唯一、反対したが決定した、その新潟は昨年J1復活を果たしてど真ん中の10位をキープした。
そして今シーズン初戦はアウェイで、サガン鳥栖に2-1で勝利、昨シーズン終盤から5勝5分け0敗と、10戦連続負けなしを続けている。
エースの伊藤、三戸が相次いで欧州に引き抜かれて戦力ダウンのはずが、チームワークで勝ち抜いた、なんといっても鉄壁の守護神小島享介の存在が大きい
18チーム中、得点順位は16位と低いが、失点は7位タイと奮闘している
ナイスセーブ連発の小島は日本代表にも追加召集された。
富山、松本、長野はJ3に低迷、松本山雅はJ1経験もあるだけに頑張ってもらいたい。

半年後に迫ったパリ五輪代表も続々決定しているが、私の一番の関心は男女マラソンと女子の1万m、5000mの代表だ。
これは毎度申し上げているが、マラソンはいよいよ男女とも最終レースを3月に迎える。
2月25日は男子マラソンのファイナルレースのラスト2「大阪国際」が開催された、結果は初マラソンの21歳、國學院大學の平林清澄が初マラソン日本新、大学生マラソン新の二つを達成、記録は2.06.18だった、小雨の中のレースでは上出来だ。
しかも2時間4分台のエチオピア選手に競り勝って(4秒差)の堂々たる優勝
パリ代表が決まっている3位小山にも15秒差をつけての勝利、31kmからのスパートは、ついに誰の背中も見ずにゴールに駆け込んだ、日本人1位ではなく、外国人招待、国内招待を抑えての堂々の大会1位だった。
今大会では参加標準記録の2.05.50を破った選手が出なかったのでMGC3位の大迫傑が暫定代表権を握っている。 残るは3月3日の東京マラソンのみ、ここで2.05.50を破った選手の中の一番良い記録の選手が第三代表を得る
誰も2.05.50を破れなかったら大迫傑に決定する。

女子マラソンは3月10日の名古屋ウィメンズが最終決定レースになる
こちらは現在暫定3番手は大阪で日本新記録2.18.59で優勝した前田穂南。
名古屋で2.18.59を破る日本新で優勝した日本選手が第3代表を得るが、日本新が出ない場合は前田が第3代表となる。

1万mは男子27.00.00 女子30.40.00が参加標準記録で、男子は日本記録を大幅に更新しなければだめ、女子も日本記録よりは少し遅いが、なかなか難しい
但しワールドランキングで27位以内に入れば代表権を得ることができる
刻々と順位が動くランキングだが女子の廣中は有望視されている、

プロ野球はMLBが何といってもドジャース加入の大谷、山本に注目だ
NPBも佐々木、村上の復活が気になる、阪神のアレンパはどうなのか
それより興味深いのはイースタンリーグ新加入の新潟と静岡の試合、どこまでやれるのか楽しみだ。




「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 24

2024年02月26日 20時02分07秒 | 甲越軍記
              晴信初陣

信虎は海野口に出陣して平賀を攻め滅ぼさんと陣触れを行った
しかし老臣の板垣駿河守信形は「今は雪深い厳冬期であるから雪解けを待って出陣なさる方が宜しいかと」と言うも、言い出したことは決して翻さぬ信虎であるから、板垣の言など無視して、総勢8000人を率いて、11月21日甲府館を発った。

その陣容は、本隊に総大将武田信虎、従う諸将は、嫡子大膳大夫晴信、武田信繁(二郎丸、晴信の元服の後、すぐに二郎丸も元服を行って武田信繁と名乗る、後に左馬助)、穴山伊豆守信行、板垣駿河守信形、原能登守友胤、同美濃守虎胤、甘利備前守、加藤駿河守、飫富兵部少輔虎政(飯富と書く本が多いが、それは誤りである)
武田晴信に従う者、小幡入道日浄、跡部尾張守、教来石民部、今井市郎 他

信虎出陣の知らせを聞いた平賀入道は直ちに味方である、村上、諏訪、小笠原、木曽らに後詰出陣の遣いを走らせた。
自らは海野口の城の守りを固めて万全の態勢で迎え打つ準備をして「信虎、攻め寄せたなら、後詰の諸勢と挟み撃ちにして滅ぼしてくれようぞ」と息巻いた。

信虎勢、海野口に達して采配を振れば、兵一斉に城に攻め寄せ、土塁に取りつき垣根を上るがごとく群がって攻め行く。
平賀入道は謀略だけでなく怪力無双の勇士なれば、20人~30人でも持ち上げられない大石を「えい!」と軽々持ち上げて上から投げ捨てれば、大石は土塁、石垣に取りついた武田の兵を数十人まとめて押しつぶして雪崩となって転げ落ちて折り重なる。
頭を割られた者、手足がちぎれた者で埋め尽くされ、血しぶきが舞う
そこへ平賀入道4尺3寸の大刀を軽々振り回して、縦横無尽に攻めては引き、引いては攻め寄せ、押し寄せる武田の兵を切りまくった。

劣勢となった武田方はいったん兵を引いて城を取り巻いたまま様子見に入った
12月23日からから急に天気が変わり、雪がどんどんと積もり始めた、その量は8尺、9尺にもなり身動きもならぬ
そんな頃、平賀を後詰する信濃の諸部隊も到着して各々陣を張ったが、「この雪では身動きもできぬ」と遠巻きにするだけで攻め寄せる気配がない。
武田方も同じで、大雪に次々と陣屋が潰れるありさまで、戦どころではなくなった
御親戚筆頭の穴山伊豆守が信虎本陣を訪れて「大雪で道も覆いつくされ、陣所はどこも押しつぶされて、是では野戦の滞陣もかないません、ここはいったん甲州に引き上げて再起を期しては如何でありましょうや」
さすがの信虎もこれでは戦にならぬと悟り、珍しく家臣の意見をあっさりと取り上げ、甲府館に引き上げる気になった。

諸将を集め「これより甲府へ引き上げることとする、ついては誰ぞ殿軍(しんがり=全滅覚悟で味方が引き上げるまで追ってくる敵勢を食い止める部隊)、を勤める者はいないか」と言うと、晴信が前に出て
「某が殿軍をいたしまする、兵300お貸しください」と言った
信虎は、それを聞くとせせら笑って
「いかにも手柄顔で申して居るが、そなたの腹の内などわかっておる
このような大雪で敵が追い打ちなどせぬことを見越しての発言であろう、誰でもできるようなことを得意顔でいうものではない、しかし、そう言うからには、それもよかろう」と吐き捨てるように言うと、全軍に撤退の命令を下した。 晴信はそれを聞き流して平然としている。

信虎勢はわざと敵勢に撤退を知らせるため軍旗を高々と上げ、引き上げの鐘を聞こえよがしに鳴らして、陣小屋を破壊して火を放ち引き上げを開始した。
諸将は信虎の晴信への辛辣な言動を苦々しく思い、危険な殿軍を引き受けた晴信に同情した。

武田勢の引き上げを城中から見ている平賀勢は「殿、敵はこそこそと引き上げるどころか、我らを侮りこれ見よがしに旗を揚げ、鐘を鳴らして敗走を始めております、今こそ敵を追い討ちしましょうぞ、勝利間違いなし」と言う
しかし大将の平賀入道は、「敵勢本隊は既に一里先まで撤退した、この大雪の中を追うのは、味方にとっても良からぬ
まして、あそこに見える300程の殿軍を見て見よ、地の利に優れた高台に兵を備えて我らの追っ手を待ち構えている、しかもあの意気はただならぬものがある
誰かは知らぬが、かなりの戦上手が大将であろう、追い打ちをすれば敵の殿軍は死に物狂いで戦い、我らが勝利したとて大きな痛手を被り信虎を討つことなどできぬであろう、今は待て」と言い切った。
敵勢の、そんな様子を感じ取った晴信は、それから兵をまとめて悠々と撤退をし、海野口より3~4里の所で歩みを止めた。



やられた!

2024年02月26日 08時23分48秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚
 昨日の朝、歯を磨きながらなにげなく畑を見たら、キャベツが割れているような?
近くへ行ったら、見事に外側の葉が葉脈だけきれいに残して食べられていた、隣にあったブロッコリーの葉も同じように食べられている。
キャベツは真ん中の柔らかい巻きだした部分は無事だったので、急いでそこだけ刈り取った。
鳥なのか、なにかハクビシンみたいな獣なのかさっそくググって見たら、ヒヨドリの仕業らしい。
ヒヨドリなんて今まで見たことがない、どんな鳥なのか写真で確認した、カラスに次いで農作物被害が多い鳥なので害鳥に分類されているようだ、ところが富山県の砺波市の市の鳥に制定されている。
ヒヨドリにはもう一つの顔があって、飼育しやすい鳥で人懐こいと言う、今は飼うことは鳥獣類保護法で禁止されているが平安時代には貴族の間では飼うのが流行していたようだ。

今朝、確認のために畑を見ていたらサルスベリの枝にハトより二回りほど小型の黒い鳥が一羽停まっていたが、すぐに残しておいたキャベツの外葉を食べ始めた
チェックしたら頭の冠、黒めの色、腹の方だけが白っぽい灰色、尖った黒いくちばし、間違いなくヒヨドリだ。

満腹で寝ているのか?

ヒヨドリが巣を作る家は縁起が良いとも言われているが、害を考えればどうなんだろう、追い払うことも、飼うことも禁じられているので寄り付かないように姿を見せたり、野菜を早々に始末するしかないようだ
もっともキャベツはこれがお終いだったし、ブロッコリーもお終い
日本、朝鮮半島、中国の一部しか生息しないので外国人のバードウォッチャーには人気の鳥だそうだ。

我が家には雀しか来ないので、ヒヨドリが来てくれて嬉しいが、時には集団で来ると言うから、それも迷惑、野菜もおちおち作れなくなる
対策を講じないといけないかな。

これが被害に遭ったキャベツ、これから大きくなるのを楽しみにしていたのに


切り取ったキャベツ





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 23

2024年02月25日 19時42分45秒 | 甲越軍記
 勝千代丸主従は勘助の申す通り、甲州に戻り、何事も無かったかのようにして静かに日々を過ごし、天文三年の正月を迎えた。
年は変わっても、信虎の悪行は変わらず、二郎丸に家督を譲る心であるから、いかなることであっても勝千代に利することはすべて気に入らない。

新年祝賀の席において信虎は盃を巡らすに、まずは二郎丸に差し当たえ、続いて孫六に与えて勝千代丸には、その素振りさえ見せない、勝千代は屈辱に耐えられず顔を真っ赤にはらしてその席から立ち去った。
臣下は見て見ぬふりをしているが、みな勝千代丸の無念を感じて同情しているのであった。

年月は過ぎ、今は天文5年となり、今年勝千代は16歳となった
この時、駿河国(静岡県)の太守。今川義元公は武田家の婿殿であり。正月よりしきりに使いを走らせて信虎に申すには「勝千代、はや16歳となり早々に元服の儀式(武家の成人式)を行うべきでは」という催促であった。
信虎は意に沿わぬことと思ったが、義元が言うことは当然の仕儀であり仕方なく勝千代の元服を執り行った。

その頃、京都では足利将軍家足利義輝公の治世であり、主上は人皇第106代後奈良天皇(*105代とする書もあり)
朝臣今川義元公の取り持ちにより(*今川家と足利家は深い関係にあった)
将軍足利義輝公の諱を賜り、上野中務太輔清信を上使として甲州に下され、晴信の名乗りを賜る。
また三条左大将公頼公を今上皇帝勅使として晴信に大膳大夫兼信濃の守に任じられた。 上使、勅使の甲州入来、下向を受けて甲州国中がにぎわった。
更に、今川義元公の取り持ちで公家の姫君を以て大膳大夫晴信の室として、同年七月に京都より入輿があった。
目出度きことながら、信虎の心はますます面白くないのである。

その頃、信州海ノ口と云うところに、平賀武蔵守入道源心という者があった。
その祖先は武田家の一族であった、むかし右大将源頼朝に仕えたる平賀武蔵守義信の末裔である。
武勇は近国にとどろき、大胆にして身の力70人力と云い、信虎の残忍な行いに憤り、近年は不和となった。
そして村上左衛門尉義清、諏訪頼茂、木曽義高、小笠原に同意して武田の領分に乱入して、青田刈り、放火をして合戦が絶えなかった。