神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

新潟県と富山県と長野県 県境付近③ その歴史的&地理的関係性

2023年08月31日 22時51分45秒 | 地理
中世戦国期の三県を見る
この三県では越後の長尾氏(後に関東管領職を上杉氏に譲られて上杉氏となる上杉謙信の家)が圧倒的な強さを誇っている。
親の長尾為景の時から富山県へ度々攻め込んでいるが、謙信の代になって富山県をほぼ制圧して、能登、加賀まで攻め込んで織田信長と対決して大勝利を収めた。
長尾家と長野県(信州)は領土拡大野心がない謙信は攻め込むことが無かった、また北信の豪族の中には長尾家と親戚もあった。
長野県の豪族と長尾家は共存していたが、甲州から野心家の武田信玄が北上して、たちまち中信、北信を攻略した。
ついに善光寺平まで攻め込み、北信濃の豪族を圧迫した、彼らは越後の長尾氏を頼って来たので、親分肌の謙信(当時は長尾景虎などの名)は兵を挙げて川中島で、信玄相手に5度の合戦を行った。
謙信にしても、本拠地春日山(上越市)と川中島はわずか50kmほどしか離れていないから油断すればたちまち被害を被る、黙っているわけにはいかなかった。
二人の力は全国トップクラスで、まだ若手で売り出し中だった織田信長は、経験豊富で最強のこの二人を特に恐れた。
両雄の力は均衡して勝負はつかぬまま10年過ぎて痛み分けとなった。
しかし上杉の勢力範囲は長野市までで、上田の村上義清は、武田の属将となった真田氏に領地を追われ、越後根小屋城で謙信の客将となった。
北信濃は武田信玄の領地となった。

信玄に奪われる前の信州は、力が均衡した豪族が盆地ごとに勢力を張ってまとまることが無かったし、卓越した強者が出るわけでもなかった
結局、そこを武田信玄に付け込まれたのだった。

一方、越中(富山)も格別の強者が居なかったため、小競り合いがあるだけだったが、信濃から飛騨に攻め込んだ武田氏の影響で、上杉と武田の代理戦争が行われるようになった、その後、織田家も進出してきて本能寺の変のあと、豊臣秀吉が進出、謙信の養子上杉景勝のとき秀吉に臣従して優遇され五大老となる。
その後、江戸時代になると越中は加賀の前田家100万石の分領となり明治を迎える。
越後、信濃は大きいため1万石から15万石くらいの小藩に分けられた。
越後高田には一時、家康の六男松平忠輝が六十数万石で入城したが、舅の伊達政宗と謀反を起こす疑いをもたれて、改易され流罪となって生涯を終えた。
高田城址は大きな堀や石垣が残り、三重櫓が作られて春の夜桜、夏の蓮の名所となって観光名所となっている。
5kmほど北には謙信の春日山城址も観光スポットとして公開されている。

中世から江戸期の交通を考えると、富山と新潟は県境の親不知の15kmが天下の難所で一般的な交通を妨げていた。
上杉が越中を攻めるにしても、船に兵を乗せて宮崎海岸あたりに上陸するのがもっとも効率的であっただろう。
一方、上越市から北信長野市方面へは隣町の感覚で簡単に行くことが出来た
また妙高新井からは東の峠を越えて、信州飯山へ抜ける一般的な山道が幾筋もあり上杉の軍用道路にも使われた。

富山から長野へ行くには、いったん飛騨の高山近くまで南下してから東に向かう野麦峠など峠越えが一般的だった。
この道は上越地方からの塩の道街道に対して、越中の塩ぶり街道と呼ばれている。
因みに正月魚は、新潟県は鮭文化、富山県はぶり文化である。

新潟県上越地方と富山県新川地方は関東と関西の分け目である
しかし分野ごとに微妙なずれがある
フォッサマグナの西端は姫川が境で富山県側の地層は古く1~3億年前、上越側のフォッサマグナは1~2千万年前の新しい地層と言われる。

生活圏では富山県が関西圏、新潟県上越、中越地区は関東圏と一般的に考えられているが、言語的にはフォッサマグナ地層と同じく姫川から西(富山方面)が関西系のイントネーションで尻上がり、姫川の東は平らなイントネーションで関東系アクセントで話す。

電気の50Hz,60Hzの切り替え地点は更に5kmほど東に移り、糸魚川市内の中間地点にある。
そして地形編で書いたように、海の中の地層はさらに数km東、早川沖が境界で西は深い富山湾、東は佐渡から東北地方につながる遠浅の海となっている。

北信濃は関東系のアクセントだが固有の方言がある、まあ方言は上越地方も富山県も固有であるが。
「~やね」「~がよ」「~がけぇ?」「~やわ」「~(な)んよ」富山
「~づら」「~せ」「~じぃ」「~だに」「~らぁ」長野安曇郡
「おまん」「~だっちゃ」「~だすけ」「~だわね」
「(そい)やんさぁ」西頸城
「~だってばさ」「~だがね」「~せった」「~だしぇ~ね」
「~だしけ」「そいがん」「~ねかね」上越 

20kmほどの隣町同士だが、山や谷が交流を遮るとこれだけ異なる。平らな広域地区(関東平野など)ではここまで違わないだろう。
隣町の方言の違い
「あんたとこのとおちゃん元気やね 風邪もひかんがけぇ? 丈夫なんやね」
「そいがやね 長生きするやろ」 
富山新川郡
「おまんたとおちゃ元気だねか 風邪もひかんやん? 丈夫なんねぇ」
「そいやんだっちゃ 長生きしるわね」
新潟西頚城郡

おまけ新潟弁
「おめさんってとおちゃん、ふっとつ元気らねか 風邪もひかねぇろ? 丈夫なんらて」
「そ~なんさ 長生きするこって」






今日の慌ただしい時間② 午後の部 最高の一日

2023年08月30日 15時57分12秒 | 料理を作る・食べる
12時近くなって友達はやって来た、かれは水産関係者
お土産は獲れたてのノドグロ(アカムツ)
魚から離れて1年8ケ月、現役の時は自らセリに参加して、毎日魚市場直送の魚を見てきた
今は魚が食べたくなるとスーパーで買うしかない
魚の鮮度の目利きは50年以上やって来たから確かだが、パックに入っていては手に取ることもできず時に見誤ることも。
それに魚市場で跳ねている魚を見ているから、器用貧乏みたいなもので、もうスーパーの魚で満足できない口になっている。
そんな時、この超新鮮な、しかも高級魚ノドグロだ、感激した。

高すぎて地元の一般客はもちろん、料理店でもなかなか使えないノドグロは、漁獲量の95%は、この町からセリと同時に都市部の魚市場へ出ていく。
地元の魚だから地元消費という時代は、数十年前に終わっている、特に高級魚は。

彼は1時間くらいあれこれ世間話をして帰っていった
それから私はノドグロの下ごしらえにかかった
A級品は氷の中に置いておけば良いが、B級品は時間との戦いだ
鱗をひき、頭を切り、腹を開ける、幸いにノドグロは海藻食なのか胃袋は無いに等しく内臓は小さくてきれいだ。
B級品はセリにかからない規格外品だから、調理もたいへん、鮮度は抜群だが時間がかかる。
内臓を処理したら、今度は三枚おろし、ごみ処理も大変だし、調理後の保存方法にも時間がかかる
なんやかんや3時間立ちっぱなしで調理した、その後も、骨でスープを作り
卵は酒と塩とだし汁で酒の肴用に作った。
他にも小バイ3ケ、サバ一匹、小さなカレイ2枚、バイとカレイは煮物
サバは大きいので塩サバに作った。
これでようやく終わったら5時だった、それから夕食の準備
今日は私が、ノドグロだけの超贅沢丼を作る。
それとノドグロの塩焼き、ノドグロ吸い物、ノドグロの卵煮とノドグロ尽くし
2年間、新鮮魚に飢えていた魂を思い切り開放する今夜。

ノドグロの刺身は皮をひいても良いが、それでは旨さの50%が減少する。
ノドグロの旨さは皮にある、正確に言えば皮と身の間の皮下脂肪が旨いのだ
皮下脂肪は私にもあるが、邪魔なだけで旨くもなんともないだろう。

これを引き出すには、バーナーで皮をあぶり焼きにする、焼き物ではないから皮が少し焦げて、脂が表面に出てきて薄黄色の油膜が現れたらOKである
氷水に離して、冷めたらすぐにタオルなどで水気を取る、それから刺身などに切るのである。

ところがバーナーが無い、それでチャッカマンでやって見たが火力と温度が違いすぎて何の役にも立たないのであきらめた。
しかたなくフライパンに皮目を下にして素焼きしたら、まずまずの成果があった。
酢飯を茶碗2.5杯分、その上にノドグロ1.5匹分を並べた超贅沢すぎる丼
金沢の近江町で食べたら、最低でも5000円は請求されそうなノドグロあぶり丼(正確にはフライパン焼き丼)
今年中の贅沢を、この一食で使い果たした気分
持つべきものは友達だ、2年間一度もあったことが無かったが、暑中見舞い一枚で思い出してくれて、今日があった。

人との付き合いは、その場限りでなく、真心でつき合っていれば、こんなこともあるのだと思った。


スープ 上品で濃厚 昆布、塩、しょうゆ(甘口の越中醤油)だけで味付け

魚卵の酒塩煮

一尾350gの獲れたてノドグロ


しかし2年ぶりの4時間にわたる立ち仕事、包丁仕事
まだまだやれる。


今日の慌ただしい時間① 午前の部 懐かしき友来る

2023年08月30日 06時04分33秒 | yottin日記
 2年ぶりに、一まわり以上年下の友達がお土産持って見えると言うので、お土産のお土産をあげようと、これも友達の酒屋へ買いに行った。
朝の客のタバコが売れると思って、7時半開店と定めていったが、8時開店とドアに書いてあって、店は真っ暗。

 勝手知ったる他人の我が家、裏玄関から「こんちわ~」と入ったら、事務所で夫婦が朝食中
「ごめんごめん」と言いながらも「酒が欲しい」
「あいよ」と店に回って、品定め、雪中梅の吟醸の一升瓶を発見して、それにした。

 家に戻って、部屋に通したあとの飲み物が無いのに気づいた
「しまった、一緒に買えばよかった」と思ったが、後の祭り
しかたない、自販機でペットボトルを買うしかない、スーパーなら同じ品が4割安く買えるが通勤ラッシュの時間だ。
ところが、道端の商店の自販機も、ラッシュで車を駐車できない
それで気づいたのは、市役所の廊下にある自販機、それで市役所Pへ向かった

役所もちょうど通勤ラッシュで、目の前を通った職員が入り口に吸い込まれていく、マスクはしていない方が多いが、役人らしい正調な服装
私は半ズボンにTシャツ、そして履物は鼻緒が就いたサンダルで靴下無しという風体、ちょっと恥ずかしい
でも躊躇している時間はない、お役人さんに混じって、変なのが一人、開店前の役所に入って行ったので、守衛も呆気に取られて何も言わず見送ってくれた、不審者とは思われなかったようだ。

ようやくペットボトルを買ったが、170円とは高い
でも時間がないから仕方ない。
家で待っていたら、彼から電話がかかってきて「仕事が忙しくなったので2時間、遅れる」そうだ。

今日も35度越えらしい
魚津蜃気楼海岸道路


新潟県と富山県と長野県 県境付近② 災害の歴史

2023年08月29日 05時58分12秒 | 地理
ここで紹介するのは富山県の西半分、即ち富山市から東部、新川郡と呼ばれる地域。 新潟県の西南部上越地方(上越線とは場所が全く違う)頚城郡と呼ばれる地域、長野県の北部地方、主に安曇郡、松本市、水内郡、長野市、栄村を結ぶラインの北側。


前回は三県の地形を書いてみたが、最初に三県の地形の特性と比較を書いてみる。
富山県と新潟県は端から端まで海岸線が続いている、長野県はご存じの通りで海なし県である。
だが海岸線が続く富山県と新潟県であるが、同じではない、上記の通り新潟県は上越地方だけに関してここでは記している
富山県のほぼ全域は平野が広く海岸から数キロは標高20m以下の部分が多い
一方新潟県上越地方は富山県境から上越市までの40kmは海と山がわずか100m足らずで接近して山が海に落ち込んでいるように見える、平らな部分はほとんどない。
市街地は川に沿って数km、狭い谷間に広がっているだけである。
上越市だけが広い平野が10数km広がっているが、大潟区あたりから柏崎市にかけては約20km、富山県境から上越市までと同様に、海岸と山は接近している。

長野県の北部、安曇郡と水内郡も国道148号、18号に沿って狭い谷間を行く感じである。
安曇郡は信濃大町(大町市)に至って、急に開けて安曇野の豊かな平野部に出る。これが松本市まで続く。
日本海から大町までの山間地は約60km、そこから松本市までの平野部は30kmほどである。

一方、上越市から長野市までの18号沿いは長野市に至るまではほとんど谷間を行く、但し裏街道となる403号、292号(飯山街道)は千曲川のおかげなのか比較的平らな大地が続き果樹園が連なるフルーツ街道である。

さて災害である、新潟県は昭和39年の新潟地震(M7.5&津波、死者26名)、平成16年の中越地震(M6.8、死者46人、家屋の被災約12万戸)、平成19年の中越沖地震(M6.8 死者15人、家屋被災4万戸以上)
昭和39年以降で大地震が3つ発生している。
新潟地震以後の2つの地震は中越が中心だが、上越地方に分類される柏崎市周辺でも影響は大であった。

地震以外でも山を背にした狭い海沿いの上越地域は、江戸時代から近年まで山崩れの災害が頻発している。
約270年前の名立崩れが地元では有名だ、今の上越市名立区で起きた海岸集落全滅の山崩れである。
山が数百mに渡って崩れ落ち、当時の名立の集落が全て埋まり、勢いで海の中にまで押し流されて、村民400名以上が全滅したと言うことだ
たまたま海へ漁に行っていた漁師だけが助かったともいう、海の中からは寺の鐘がしばらく鳴っていたとか。
名立崩れの後は、今でも国道8号線から見えるとか・・・

同じころ、1751年の高田地震で約2000人が亡くなったそうで、そのうち半分は土砂崩れによる死者だと言う。
また上越市高田地区、直江津地区を流れる関川は台風や大雨の度に氾濫を起こし、昭和39年以降でも7回の大災害を引き起こしている、都度1万戸近い家屋が被災している。

1963年(昭和38年)には現在の糸魚川市小泊地区(旧能生町)で山崩れが発生して、200mに渡って国道が埋まり、さらに日本海にまで到達した。
死傷者25名、家屋31戸が埋没した。

昭和53年には妙高山山麓の川で土石流が出て13名が亡くなり、鉄道も埋まってしまった。
妙高山2446mは大昔大噴火で出来た山だが、最初は中央部が溶岩や噴出物で富士山のように盛り上がり(私は通るたびに3000mの妙高山を空想する)
最後はマグマだまりが空洞になったため、中心部の火山が一気に陥没した。
その為、外縁が円形に残り巨大な外輪山となり、二重火山になった。
麓の川がせき止められて、野尻湖やいもり池が出来たと言われる。
山自体は普通の山だが、その山麓は富士の樹海のように広大である、溶岩や土砂によって出来た原野であろう。

火山と言えば長野県は浅間山、御嶽山、燧岳が代表的だ
木曽の御嶽山の大噴火で大勢の方が亡くなられたのは、近年のことで多くの人が知っている。
浅間山は軽井沢の北にあって、今も入山禁止の活火山である
江戸時代中頃、天明の大噴火では菅平高原の東、群馬県北部側(嬬恋)の村を火砕流が襲って全滅させて500名近くの村民が亡くなった
関東でも二次災害の土石流で1500名ほどの犠牲者を出した。
富山県は立山など火山があるが、目立った火山災害はおこっていない。

 平成7年7.11長野県小谷村で起きた姫川上流の大規模山崩れで川底が10mも浅くなって土石流がおこり、糸魚川市の平岩集落に押し寄せ、姫川温泉、白馬温泉の温泉街が浸水、一二を争っていた人気宿など多くの宿が流されて観光地は一瞬で、その繁栄が終わり、今も昔の繁栄を取り戻していない。
翌年には復興作業中の作業員が支流の土石流で押し流され二次災害で地元業者や秋田県などの季節労働者13名が亡くなっている。
この災害で国道148号は3年間にわたって交通止めとなり、富山県東部、新潟県西部の観光に大打撃を与えた。

昭和60年には富山県境の玉ノ木集落の裏山が崩れ落ちて住宅7戸を飲み込み10名が亡くなった災害が起きている。
このように新潟県上越地域は川の氾濫、山崩れ、地震で度々大災害を被っている、小松左京の「日本沈没」でもフォッサマグナ上の糸魚川市あたりは早々に飲み込まれる設定だとか?

自然災害では長野県北部も多い
日本海に流れ込む姫川は長野県白馬村の佐野坂に源流があり(遊歩道があり見ることが出来る)日本海まで約60kmである。
姫川には支流があって、しょっちゅう小さな土石流は起きている
新潟県で書いた7.11の水害も長野県側の大規模な崖崩れ、山崩れでおこったものである。
長野県の地震の特徴は群発地震が多く、その多くは長野県北部でおこっている
M6クラスの地震も1~2年から、10年ほどの周期で起きている。
新潟県境の山間部が震源であることが多い、栄村あたりの地震は新潟県の群発地震が多い、松之山と関連しているかもしれない
長野市、松代町も地震が多いところで、松代は群発地震地帯でもある。
大糸線沿いの小谷村でも近年地震があった、また明治時代に大町市が震源の地震もあったから油断できない。

2019年、長野市から飯山市にかけての千曲川が台風の影響で堤防が決壊、付近の集落が一階部分まで水没したのは記憶に新しい。

長野県特有の自然災害と言えば山岳県だけに雪崩事故だろう
今年の1月に外国人スノーボーダー(一人は世界的プロだとか)がバックカントリーで雪崩に巻き込まれて亡くなっている。
また、それ以前にも小谷村のスキー場で雪崩が発生、大学生が亡くなった。
もっとはるか前1975年には、スキー場へ行くホテルの送迎バスが冬の青木湖に転落、大学生ら24名が溺死(凍死)した。
定員過剰(2倍だとか)などの人災だったが、これも冬の凍えた山道という自然現象も多少は関連しているだろう。

レアな災害と言えば火山がある
新潟県上越地方では2400mの焼山が、今でもときおり水蒸気を噴き出しているが、昭和49年小爆発があった、火山灰は100km先まで到達したと言う。
運悪く、登山中の大学生3名が岩石の直撃で亡くなった。
私は昭和43年に登っているが、山頂付近はガラ場で、火口にも降りたが硫黄が激しい勢いで1mくらい吹き上げて激しい臭いがしていた。
あの時、爆発していれば私たちが犠牲になっていたかもしれない。



さて富山県だが、地震の無い県として有名だ、周辺の新潟、長野、石川(能登)は地震県なのに、なぜか震源地とする地震が起こっていない。
それだけでなく、台風被害、水害、土石流なども大規模なものは起きていない
全国でも自然災害が無い安心県の5本の指に入っている。
たしかに地形的にも全国でも珍しい特殊地形だから、何かがあるのだろう。
今後研究してみたい。

あらためて富山県の地形の特殊性を書いておこう
①目の前の海、富山湾は独立した深海になっている。
②すぐ南には3000mの立山連峰がそびえたって南からの風を遮っている。
③富山湾の向こう側(北、西)には能登半島が水平線を隠すように長く伸びている。
④魚津市の海には珍しい「蜃気楼」が5月ごろ発生する。
⑤日本海から3000mまでおよそ30km、その為、黒部川など富山県の川は急流である。
⑥立山連峰の天然水が富山の平野の各地に湧き出している(名水が多い)
⑦豪雪のイメージがあるが、平野部はわりと積雪が少ない。

終点「岩瀬浜」に停車中の富山市の「ライトレール」電車





















少し秋かな? 冬野菜、秋野菜作り

2023年08月28日 13時02分20秒 | 家庭菜園
昨夜も21時に寝て、今朝は4時に起きた
5時半から、撒いておいた畑の土に堆肥を加えて混ぜ合わせ、畝を作った
僅か1.8m平方の超ミニ畑、基本的には60cmの幅が必要だが、何種類か作るには二畝では無理がある、畝間には排水溝も必要だから
それで、先は考えず夏同様に、経験者から見たら無茶苦茶だが、50cm、40cm、35cmの畝を作った。
これで野菜ができるかどうかは知らないが、人のやらないことをやりたいのが、へそ曲がりたる私の真骨頂(と、負け惜しみ)
深さだけは充分あるから、まあやってみてのお楽しみ、夏のスイカづくりが無手勝流で、まずまずの出来だった二番煎じとなるか。

一昨日の雨は、山でも降ったと見えて、我が家の裏の用水もカラカラになっていたのが、今日は少ないが流れがある。
シオカラトンボが、その浅い水に尻をチョンチョンとつけて横移動していた
卵を産み付けているのだろうか?

日中の暑さは、相変わらず35度を超えて酷いものだが、夜はだいぶしのぎやすくなってきた。
昨日は、1か月ぶりくらいにエアコンをつけず、扇風機で寝た
7月、8月中盤まで体調が悪すぎたが、ここにきてようやく良くなってきた
夜も起きることなく熟睡できるようになったし、朝の目覚めも悪くない
体調が悪い時でも食欲は旺盛だった、これが、この夏を支えてくれた。

畑の菊がすっかり枯れてしまった、まだ開花時期ではないが、たぶん去年のようにはいくまい。
梅の木の足元の土もひび割れて、梅の葉も萎れ気味だ
今朝は、さほど暑くないので、トマトの葉の剪定をして、畑周囲の片づけ、そして徹底的に水まきをした。


昨日も夕立が来る予報だったが、ハズレで雨は無しだった。
この先、いつ降るのか? 台風が2つ来ていて、熱帯低気圧も台風に変わるらしい。
最初の二つは上陸しないようだが、9月初めに上陸しそうな気配。
直撃はご勘弁だが、まとまった適量の雨が欲しい。

さて 怠け者をなかなか怠けさせてくれぬ
夏野菜を初めてやってみて、前半はよかったものの、後半は野菜の葉の病気や、葉につく害虫の対処に追われて、いささか疲れた。
さび病、うどんこ病、ヨトウムシ、アブラムシ、アリ
どれも野菜を始めて、アリ以外は「お初にお目にかかります」だった。
今考えれば、わき芽の摘芯がよく理解できず、むだな枝葉を増やして風通しが悪くなったのが原因のようだ。

キューリ、スイカもメロンも終わり、畑を埋め尽くした蔓と葉も片付いた
害虫や鳥の防止ネットもはずれて、今はネットの一部を朝顔の蔓用に使っている
残るはトマト二枝とナス一枝になった。
これで来年まで畑は。お休みかなとのんびり構えていたが
つーくんが「白菜の苗をくれるから」と言う。
さて痩せこけた畑を、新たな畝づくりが始まった。
やりだせば夢中になるのも私の性格、また楽しみがやって来た。

なんぼなんでも白菜5株だけとはいかないので、今考えているのは私の大好物「ほうれん草」それから「大根」、そのくらいしか思いつかないが
とにかく2mx2mの小さな畑だから、15cmだ30cmだという野菜の植え間隔では作る数も限られる。 2mの畝、三つで何ができるだろうか。
その点、キューリやナス、トマトのように上に伸びるのは場所を取らなくてよい。スイカもメロンも最後は立体栽培になった。

葉物の多くは平面だから取れる数も限られる、雪が降れば細い枝は折れやすいから、やはり二次元的な葉物が雪国には向いているようだ。
何がいつ収穫されるのか、いつ種を撒くのかも分からないから、畝作りのタイミングも土壌改良のやり方も知らない。
つー君にラインで教えを請いながら、ようやく月末に堆肥撒き、来月早々に種まきとなる。
葉物を作るのは初めてだ、昔、砂地で大根を植えたが、葉だけ成長して、肝心の実は京野菜並みだったことは何度かここでも書いた。
今度は、その時よりは知識があるから、そこそこのものはできそうだ、肝心なのはやはり害虫と病気だ
農薬は夏野菜もそうだったが使いたくないので、掛物などで調整することになる、これもまた勉強だ。
「出来て満点、失敗は当たり前」と思ってやれば気楽だ。


淡々とした試合 エンジェルス連勝だが

2023年08月27日 19時13分06秒 | 野球
9回二死、一二塁で大谷の5打席目
得点はエンジェルス5,メッツ3 前半5-0から3点追い上げられたいつものパターン。
昨日も二死一三塁で大谷を申告敬遠したメッツの監督、当然ながら今日も大谷の一発で2~3点さらに差が開くから申告敬遠は当然。
案の定、今日もまた大谷に続く3番打者が内野ゴロで監督の勝ち。

アメリカまではるばる応援に行った日本人ファンの皆さんはがっかり!
今日の大谷は3打数2安打(二塁打、三塁打)1四球、1申告敬遠、当然打率は1分か2分上がった、だが四球では打点は増えず。
今日は二盗、三盗も成功させて19盗塁、20にリーチだ、そして大谷は元気!

大谷申告敬遠もむなしく、メッツは連敗
5対3とはいえ、盛り上がらぬ試合 好投した先発シルセスに一塁からの送球が頭を直撃して退場、メッツ選手も死球を頭に受けて退場
ボールは打者ではなくキャッチャーミットに投げ込む練習をすべし
あまりにもボールがはっきりしている投手がエンジェルスは多すぎて、イライラする。
危険球が投げられるたびに大谷に仕返し死球が来るのではと心配になるが
大谷を壊してしまえばメジャー機構の利益構造に大打撃を与えてしまう、さすがに故意死球を投げる投手はいないだろう
自分の選手生命も終わってしまう。

まあエステベスが昨日、今日とばっちり抑えて28セーブ、メッツクラス相手なら先発もある程度良い投球をする。




7月23日以来の少しまとまった雨が降った・・・が

2023年08月27日 09時38分30秒 | 季節と自然/花
天気予報も当たるものだ
昨日の時点(25日)で、いつ雨が降るのか見てみたら、今日と明日の15時過ぎから1時間ほど雨マークがついていた。
今日(26日)になって14時ころまで様子を見たがとても降るような天気ではない
ところが15時近くなると、雷が鳴りだし山の方には黒雲が湧いた
ぽつぽつと雨のしずくが落ちてきたが、暑い日差しは変わらず照り付けているおかしな天気だ。

そのまま、待っていたら16時ころから小雨ながらやむことなく降り続いた
17時まで降っていたので、畑にも多少の湿りがあった。
山の方で降ったような感じがするから、川の流れも少しは増したかもしれない

明日も15時ころに降る予報だから期待している、雨のおかげで夕方はかなり涼しくなった。
明後日からはまたしばらく雨が降る様子はない、いったいいつになれば猛暑は終わるのだろうか。

深夜0時に起きて窓を見たら、隣の家の方で激しい光の点滅が続いている
「火事か?」と思ったが色は青白く、火の色ではない
鉄工所の溶接作業の火花のような感じだ。
それにしても異常なのでサンルームに出て見たら、光っているのは正反対の北の空だった。
電光、雷が10秒サイクルで昼間のような明るさ
時に稲妻が走る、あっちの方向は海上だ、夏や冬に稀におこる
しばらくカメラでビデオ撮影したが、バッテリー不足のせいかフォルダーが見当たらない。
約1時間も続いていた、海岸道路を走っていた人は驚いただろう
おかげで寝そけて3時過ぎまで寝ることが出来なくなった。

富山市の東の入り口、常願寺川河口


エンジェルス、今日の相手は千賀

2023年08月26日 20時34分58秒 | 野球
昨夜は、やることが尽きてしまい21時には寝た
珍しく4時まで7時間、一度も起きることなく爆睡
結構、長編な三部作の夢を見ていたし、久方ぶりに空中を飛んだ
今までなら10mくらいの高さを鳥のように飛ぶのだが、今朝の夢は人間の周囲をぐるぐる飛んで回った。
毎度ながら、空を飛ぶのは気持ちよい。 人間の行動は二次的な物で、心の動きや感動が直接的な神経作用であるなら
昼間見ようが、夢で見ようが、その時の感動や楽しさは同じレベル、だから夢でも人間は楽しむことが出来るのだ。

夜中に起きなかったので、エアコンを停めたのは5時前、8時からエンジェルスの試合が始まった。
9時には扇風機からも生暖かい風が出るようになり、室内は32度を超え、とうとう、エアコンのスイッチが入った。

4連敗中のエンジェルス、今日はニューヨーク・メッツとの試合で、メッツは千賀が先発、大谷との対戦が楽しみで、さっそく1回の表に実現した。
まずはご挨拶のストレートの四球で大谷の勝ち。
千賀は大谷以外は悪くない、三振も順調にとっていく
二度目の対戦は先頭打者がデッドボールで出て、次が大谷
真っ向勝負は、少し甘いフォークを大谷がすくいあげて外野フェンスまで転がる二塁打。
これで二三塁にして、次打者ドルーリーの外野フライでまずは1点、大谷も浅い外野フライだが三塁までタッチアップで到達。
ムスタカスのヒットで大谷もホームイン、ここで千賀は2点を失った。
三度目は5回、外に逃げるフォーク、150kmのカットボールなど超本気の投球だったが二度目の四球、これで大谷が三連勝だ。
メッツも1点を返して5回まで2対1でエンジェルスがリード、先発サンドバルが崩れそうになりながら、なんとか5回まで持ってきた。
千賀も8奪三振と好調だ。
私の理想は、大谷が千賀に打ち勝って、千賀降板後は45号ホームラン
メッツは7回までに逆転して、千賀もそこまで2点に抑え勝利投手になる
エンジェルスには勝ってもらいたいが、今日は千賀に勝利を。

さて本番は、千賀は1点負けたまま6回3分の2でマウンドを降りた、今日の勝ちは無かったが2失点、10奪三振。
大谷、第四打席は代わった左サイドスローのコラレクから一塁ゴロ
第五打席が最終回、エンジェルス打線の粘りで二死一三塁の追加点チャンスで回って来たが、なんと申告敬遠で満塁に。
球場は味方であるメッツファンまでブーイング、大谷の打席に敵味方なく期待されているのがわかった。
結果はメッツ監督の勝ち、次のベラスケスが打ち取られて追加点ならず
だがエンジェルスが3対1で逃げ切った。
どちらもプレーオフ進出が極めて低い同士、このレベルチームならエンジェルスも勝ちきれる。

エンジェルスは大谷が抜けるのはほぼ確実だろうが、来期以降は若手の台頭が期待できる。
オ.ホッピー、モニアック、シャニエルなどを中心に、打撃陣が繋がりを持てるチームになればスターが居なくても(トラウトが核だが、安定していない)
平均的な打線で、そこそこ得点力は上がるだろう...期待はしてないが。
問題は先発、中継ぎ、クローザーの三拍子そろったダメ投手陣だ
先発が早々に大量失点して、リードしても中継ぎがぶち壊し、勝ち試合をクローザーがぶち壊す、これがエンジェルスの実態。
打撃陣はそれほど悪くない、ホームランも出るし乱打戦を繰り広げる力はある
トラウトが居なくてもこれだから、打撃は強い、大谷が抜けた後、どうなるかだ。

大谷は来季の二刀流はどうなるのだろう?
打撃は問題ないようだが、今年のような過剰労働が続くようなら、短命に終わる危険と隣り合わせだ。
金田正一投手のように20年以上も過重労働に耐えられるなら、ものすごい大リーグ記録を作るだろうが、壊れてしまえば稲尾や尾崎のような伝説だけが残る
(レベルは違いすぎるが)
大谷には凡人にはわからぬ秘密パワーがある、誰も想像できないことをやってのける
今度の靱帯裂傷にしたって、打者としては何ら影響ない感じでプレーしているし、超人の仲間には間違いなく入っている、大谷は「天才超人」であり、自分を限界まで律することが出来るイチロー並みの「神人間」でもある。
誰も知らない大記録を今後もやってのけるのだろう、目が離せない。
野球を離れた生きざまとしても驚かせることをやりそうだ。

打撃に専念すればどんな記録が期待できるだろうか
三冠王、連続MVP、40盗塁、70ホーマー、通算500ホーマー、、それらの複合記録
ベーブルースが、どんな記録を持っているのか調べたことが無い
子どもの頃から、大リーグ最高のホームラン王なのは知っていたが、二刀流なんて誰も言わなかったから知らなかった。
大谷が秘められたベーブルースの記録をほじくり返して世に出したのだから、やはり大谷選手は凄すぎる。

ウィッキペディアで調べたら、実働22年弱 通算714ホームラン
投手は10年94勝46敗で、投手として好成績は5年間、シーズン23勝、24勝がある。 奪三振488 
打者7年連続40ホーマー以上 シーズン60本、59本など50ホーマー以上4回、40ホーマー以上が11回 ホームラン王12回 打点王6回 首位打者1回 二冠王7回(1919年から21年は3年連続、ホームラン王、打点王)
足も速くてランニングホームラン通算10本 通算盗塁123 シーズン最多17

なんにしても記録を作るには、長く活躍をすることだ、大谷君も15年、40過ぎまで頑張れるか?

 


新潟県と富山県と長野県 県境付近① 地形編 

2023年08月26日 08時37分45秒 | 地理
ここで紹介するのは富山県の西半分、即ち富山市から東部、新川郡と呼ばれる地域。 新潟県の西南部上越地方(上越線とは場所が全く違う)頚城郡と呼ばれる地域、長野県の北部地方、主に安曇郡、松本市、水内郡、長野市、栄村を結ぶラインの北側。

新潟県の西南部と、富山県の東北部が境界になっている
新潟県は糸魚川市、富山県は朝日町で戦国時代なら、どちらも上杉謙信の勢力下だった。
江戸時代は糸魚川は葵の家紋松平1万石、朝日町は加賀前田100万石の一部として幕末まで続いた。
新潟県の糸魚川藩に接する、長野県側の安曇郡は松本藩6万石の領地で譜代大名松平家が明治まで治めた。
またもう一つの越後、信濃の境界は現在の新潟県上越と長野県信濃町が国境で
上越側は高田藩15万石、藩主は多くの大名が入れ替わったが、明治時代を迎えたのは榊原家6代であった、また長野県側は松代藩10万石で、代々真田家が治めて明治を迎えた。

県境に沿って南に行けば長野県の後立山白馬三山から、北アルプスへと続く
では北へ向かい海に入るとどうなるか?
新潟と富山の県境には天下の険「親不知」の難所が明治の初めまで人々を苦しめた
山の上をいけば山賊にクマ、イノシシが出たであろうし、人を喰らう山姥(やまんば)もいたと言う。
それでたいがいは海岸の砂浜を歩いたが、冬は荒波が砂浜に押し寄せ、人々は数十メートルごとにある天然洞窟まで走っては隠れ、波が引けば次の洞窟まで走るの繰り返し。

そのむかし、上方から越の国へ赴任した役人の妻が夫に会うため、幼子の手を引いてはるばるやって来た。(平清盛の息子で源平合戦で唯一生き残った流人、頼盛の妻ともいう)
最大の難所、親不知にさしかかり浜に足を踏み入れたが、たまたまの大波に子供の手を離し、たちまち子供は波にさらわれて二度と帰らなかった
歎く母は「おやしらず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の泡と消えゆく」と詠んだそうな。

また親鸞聖人が都で罪人(宗教上の)とされて越後に流罪となり、弟子と流刑地に歩いて向かった。
親不知に差し掛かると波荒く、親鸞は冬の事とて寒さと恐ろしさで立ちすくんでいた。
すると屈強な地元民らしき男が来て「背中に乗ってくだされ、儂が向こうの村まで渡します」と言った。
親鸞は喜んで背中におぶさって、無事に向こうの村に着いた。
礼を言おうとしたら、もう男はどこかに消えてしまった・
もう夕方、辺りは暗くて親鸞は一軒の家に行って、一晩玄関先でも良いから泊めさせてもらえませんか」と頼んだが、夫婦はにべもなく断った。
仕方なく親鸞たちは玄関先で石を枕に寝たが、寒くて震えていた。

家の夫婦が、仏壇の如来さまを拝んでいると、家の中にある如来さまの足が上の方まで濡れて塩水が滴っている。
親鸞から、ここへ来るまでの話だけは聞いていたので、この如来さまが男に姿を変えて助けたのかと気づいた。
「これは、たいへんな名僧に無礼を働いた」と慌てて、道端の親鸞一行を家に入れてもてなした。
親鸞からありがたいお話を聞いた夫婦は、その後、自宅を更地にして寺を建てた。 その寺は今も親不知に会って、ご本尊は、その時の如来さまで「立ちすくみ観音」と呼ばれている。

このような難所伝説が多い親不知だが、明治天皇が全国を巡幸されることになり、さすがに輿であれ、馬であれ波間を走らせるわけにもいかず、断崖の中腹に国道を建設したのである。

その親不知の数百メートルの断崖が富山湾の東の端の縁へと一気に落ち込んでいく。
西に落ちていけば1000mを超える富山湾の最深部につながり、東に上がって行けば糸魚川市の沖合、早川という河川の河口辺りを境に東、即ち新潟市や佐渡方面に向かって、いきなり海は遠浅になり、陸から水深150mまでの距離はと糸魚川港からは300mくらい、40km離れた直江津港からは20kmくらいになる、いかに糸魚川沖から富山湾へは深く、直江津沖以北が浅いかわかる。
このあたりから陸に上がって南側、すなわち後立山から北アルプスの東端は、大糸線に沿って安曇野、松本平を抜け静岡までフォッサマグナ(大地溝帯)の西端となっている。

子どもの頃は姫川から諏訪湖につなぎ、諏訪湖から天竜川がフォッサマグナなのだと習った気がするが、その後、フォッサマグナが線ではなく、面であることがわかり、その範囲は富士山も含む関東一円となり、その東端ラインは今も不明なのだそうだ。
糸魚川と長野県の一部では西端を証明する露出面が発見されている。

フォッサマグナは当然、海底にもつながっていると思うが、その海底には大陸に向かって200kmとかの海底峡谷があるのだそうだ。
それはそれとして、もし海水が干上がれば、富山湾から立山連峰に向かって標高4000m以上の山脈がそびえたつだろう。
富士山は単独で美しいが、こちらはヒマラヤのミニ版、あるいはヨーロッパアルプスのような景色が現れるかもしれない。

新潟県から長野県へは峡谷沿いに容易に行ける、国道148、上越からは国道18が長野県へ続いている。

だが富山県から長野県を結ぶ峡谷道路はない、昔は旅と言えば徒歩が当たり前だったから、峠越えなら幾筋か富山県と長野県を結ぶ街道はある。
登山道ともなればさらにバリエーションは広がる。
一番有名なのは戦国時代、富山にいた柴田勝家の与力大名佐々成政が、秀吉に攻められて困り、浜松の徳川家康の救援を頼みに冬のアルプスを越えたという、サラサ越え、あるいは針ノ木峠越え、さすがに2500m級は・・・
ということでもっと北の低い方を越えたのではという説も出て来た。
たしかに小川温泉から朝日岳付近に出て大糸線方面に下りることもできる。
もっともそのあたりは秀吉と同盟した上杉景勝の領地でもあるから微妙ではあるが。

ともあれ、長野県と新潟県はフォッサマグナ上にあり、富山県は全く別のプレート上にある。
フォッサマグナは「地底の割れ目」と説明されていたが、それは半分当たって、半分外れている。
地底の二つの大プレートがぶつかり合っているのは確かで、その押される力で北アルプスが誕生したのもほぼ確かだろう
だがフォッサマグナは、沈み込んで行くプレートの境界あたりを底辺として
海底にあった時、そこに堆積した泥や様々な堆積物
その高さは6000mにもなったという。
フォッサマグナとは6000mの厚みを持つ堆積大地なのである、
姫川の東側は堆積大地で、西側は石灰岩層、すなわち海底で堆積した生物の死骸が固まってできた地質が隆起して山になっている。 だからセメント工場があり、鍾乳洞もあるのだ。

富山湾がどのようにできたのか興味があるが未だ知らない、学んでみたい。
私の想像では深い富山湾のすぐ上に3000mの立山連峰があることから
片方が落ち込み、その分、片方が盛り上がったような気がするが
しかし立山は火山である。 いったい何があったのだろうか?
富山湾に関連しているのは立山だけではない、能登半島が半円形に囲んでいる
なぜ、能登半島はあんな風に日本海に突き出たのだろうか?
富山湾だけが陥没したのか? 大きな河口なのだろうか? それとも隕石が衝突した穴なのか、周りの立山や能登半島は吹き上げられた、富山湾にあった土砂というか大地なのか?
だとしたら糸魚川沖まで深く、直江津沖から向こうが遠浅の説明もつく
親不知や能生、氷見に至る海岸に岩が多いのも、その吹き飛んだ石と思えば説明になる。
そうだ、富山湾と立山、能登は隕石衝突で出来たのだ
そして硬いプレートの富山県側は影響なく、やわらかなプレートの新潟県、長野県側に亀裂が走り峡谷が出来た(全くの暴走説です、気になさらないでください)。











世の中がざわついているニュース

2023年08月25日 19時08分41秒 | ニュースネタ
この数日、平穏な日々とは言い難いニュースがいくつか出て来た
私なりに、自分の好きな分野の僅かな知識の中から書いてみた。
(数字はランキングではありません)
1.大谷選手靱帯断裂で今シーズンは投手としての出番は回避。
投手としての今後は未知数になり、史上最大と言われたトレードの相場も一気に下落するだろうと解説者が言っていた。
まあ1000億が400億に(仮装数字)なると言うだけの話、雲の上の事関与せず。
誰が見ても超過剰労働だ、個人事業主だから自己責任だが、会社員なら会社は労災として厳しい処分を免れないだろう。

2.ワグネルの創設者にして総帥のブリゴジン氏が乗った、小型飛行機が墜落
ブリゴジン氏と幹部ら10名全員死亡。
プーチンによる反逆者粛清の噂あり、またブリゴジン氏を支持したロシア軍の司令官も解任された。
プーチンは神妙な顔で哀悼の意を示していたが、千両役者の感は免れず。

3.一か月、ほとんど雨が降らず、ダムの貯水量も0に近づく、しかも連日35度~39度なので米や野菜の被害も出始めて来た。

4.福島原発のたまりすぎた汚染廃液を諸団体の反対を押し切って、福島沖への排出を見切り発車。
安全レベルまで浄化したと発表したが、風評被害は免れない
中国政府は日本の魚を全面輸入禁止と発表、韓国でも左派を中心に反対運動。
漁業者は既に現れた影響に戸惑っている、今後の保証条件でどう転ぶか
これとは逆に、ロシアへの経済制裁で中古自動車の輸出禁止を決定。
富山には外国人のロシアへの輸出業者が何社かあるが、早速影響が出た
しかし、輸出先を変えると言っている、外人はしたたかだ。

5.北朝鮮、長距離弾道ミサイル、発射実験失敗、10月に再度飛ばすと言明。

6.日本、オーストラリア、米国の艦艇がフィリピンで合同演習すると発表、日本からは航空自衛艦「日向」が参加。 フィリピン海軍は参加せず。
24日、フィリピンも参加した。

7.神奈川慶応高校が107年ぶりの夏の甲子園優勝。
本来、東北の仙台育英に判官びいきが行きそうだが、今回はなぜか都会の慶応高校に全国が応援した模様
かっての愛知東邦高校のバンビ坂本投手(準優勝)、早実のハンカチ王子、斎藤佑樹投手(優勝)のような、慶應ボーイの爽やかさが受けたのかもしれない。
 大応援団のマナーには批判も。

8.元プロレスラーのテリーファンクさんが死亡、79歳。
人気漫画「キン肉マン」では、キン肉マンに味方する正義のレスラー、テリーマンのモデルになった。
実際のテリーさんも兄とタッグを組んで、日本のジャイアント馬場さんや、アントニオ猪木さんらと戦ったが、その甘いマスクは正義のヒーローに見えた。
全日本プロレスの人気に貢献した。

9.アメリカ大統領選挙の顔ぶれがポチポチと
しかし民主党、共和党ともに前回と同じく、共和党トランプ氏77歳、民主党バイデン氏80歳が党内の2位以下に大きく水を開けている。
どちらが新大統領になっても、その高齢が不安視される、若手の絶対的カリスマは現れないのか?

10.ガソリンの果て見えぬ値上がり。 もはや原因がウクライナ戦争なのか、産油国の調整なのか、はたまたどこかが大儲けしているのか庶人にはわからぬ
1円、2円で泣き笑いの平民生活は不安に陥る、4月末158円だったマイスタンドは177円、164円だったマイスタンドBは182円。 岸田政府は9月には何らかの軽減策を講ずると言った。

11.数年前から世界各地で大規模な山火事が、オーストラリアではコアラやカンガルーなど野生動物が数十万匹焼死
絶滅危惧種の鳥なども沢山死に、昆虫もそうとう絶滅したのでは、植物も同じく、牧野博士が見たら嘆くであろう。
ハワイでは100名以上の人間の死者も出ている。