神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

無呼吸症候群

2020年02月02日 18時58分19秒 | 老人介護

昨日は雨の中『新酒の会』のパーティ券をもって友人の事務所まわりをした

友だちや同級生に会うと、必ずと言って良いほど「どこが痛い、どこが悪い」

という話が出てくる

一人目は、私の倍くらいむちゃくちゃ仕事をする奴で、朝は3時頃に起きて

朝風呂で目を覚ましてから、夫婦で仕事を始めるという男だ

これは一昨年の暮れから、無理がたたってヘルニアなんだろう・・とうとう手術

歩くことが出来なくなったのだった、今はゆっくりなら杖無しで歩けるし、商品の

配達も以前の通りやっている、しかし先々月頃から痛み止めの副作用が出て

難儀していたのだが、薬を代えて痛みの復活と引き替えに、副作用は治まった

まさかと思いながら、パー券の購入を聞いてみたら「あっ!いいよ」

まったく気持ちの良い男なのだ

もう一人は年がら年中、パソコンを睨み続けて図面書きをしている社長

以前は、何かにつけて夫婦で飲み歩いていた人だが、もう5年以上前から

外で飲むことがほとんど無くなった

隔年で行っていた海外旅行どころか近くの温泉にも行かないようだ

なんか昔の元気覇気が無くなって寂しいのだが、今回の件を頼んだら

3枚買ってくれた

忙しい人なので遠慮しながら少しだけ話しをしたら、つい最近、無呼吸

症候群である事が判明して、病院で検査の結果、毎晩酸素吸入器を

つけて寝ていると言うことだ

私の父も、亡くなる6年くらい前に無呼吸症候群の疑いで病院に一泊して

検査したのだが、一晩に40回も呼吸停止がおこると聞いて驚いた

そのとき先生の説明では、「呼吸器をつけるのが一般的ですが、呼吸が

止まる度に酸素が送られるので寝ることが出来ないかも知れません」

そして「私は、機械をお勧めできませんね、あなたは昼間でも寝ている

ことが出来る、ご身分ですよね、夜の不足分は昼間取り返せば良いんじゃ

ないですか」

父はこれに納得して機械はつけなかったので、それを彼に言ったら

「ぜんぜん酸素が送られても目が覚める事は無いよ、静かでつけていないと

同じ、ぐっすり眠れていいよ」とのことだった

私も、自分ではわからないが無呼吸の兆候をうっすら感じることがある

それはものすごい恐怖が襲ってくる夢で、マジ心臓が止まりそうになって

目が覚めることがあるからだ、その時は少し長く呼吸が停止しているのでは

と思う

一度だけだが若い頃旅行の相部屋で、相棒が凄いイビキをかく小太りで

それが「が~が~」やっていたのだが、聞いていたら突然イビキが止まって

静かになった、(やれやれ)と思った瞬間、彼はガバッと上半身だけ飛び起きた

そしてものすごい勢いで息を吸った、というか激しい深呼吸「は~は~!」と

生き返ったような息の吸い方だった

人間70歳ともなれば、そうそう100点満点の健康というわけには行かないようだ

 

 


高齢者の一人暮らしは情報通

2018年11月13日 19時17分41秒 | 老人介護

朝、出勤途中でおばあさんと行き違った、おばあさんといっても老人老人しているわけで無く

今時の80何歳のおかあさんだ

そして思い出した、一昨年連れあいが88歳で亡くなって、12月にその3回忌のおとき(食事)を

頼まれていて、「近いうちに打ち合わせに行きます」と言って、今日まで忘れていたのを思い出した

2kmほど離れている我が店まで来るのはちょっと無理なので、私が彼女の家に出向いていく

連れあいが亡くなって一人暮らしになったが、近所には何人も一人暮らし、あるいは連れあいのいない

おばあさんが何人もいて、毎日お互いに行き来している

このYさん宅に着いて「どうぞ」と言われて入ったら、中から痩せた小柄なおばあさんが出てきて

「じゃあこれで」と言って、わたしと入れ違いで外に出ていった

「わたしの姉なんだよ、95歳になるけど毎日ここに来るんだけど・・・・」と一息ついて

「呆けたわけじゃないんだけど、言ったことをすぐ忘れるんでねえ、毎日同じ事を言いに来る」

「でも、家にちゃんと帰れるから、まだ大丈夫なんじゃないですか」と私

「そうだね、家にはちゃんと帰るからね、すぐ隣に住んでいるのだから」

このYさんも一人ながら、娘が50mほどのところに嫁いでいるので、毎日様子を見に来ている

私は、こうして老人の一人暮らしを訪ねると一時間の長期戦になる覚悟でいく、独居老人は話しに

飢えている、Yさんのように元気で動ける人はまだ良いが、足腰がダメでほとんど外出出来ない人は

尚更、話し相手が欲しい

 

本題に入る前に、世間話から始めるのが私流、今日はYさんの方から95歳の姉さんの話をしてきたので

取り掛かりが楽、まずは落ち着きのお茶をいっぱい入れていただいて、猫舌の私はそのままにして話を聞く

「最近は物忘れがどんどんひどくなって、困るんさねえ、この間、老人会で大失敗したんだわ

Hさん(85歳くらい)と二人でOさん(88歳くらい)を誘って行く約束だったんね、忘れてしまってさあ、二人だけで

行ってしまった、そして忘れていることも忘れていたんだよね、そしたらOさんも今日が老人会だと言うことを

忘れているもんだから、その日はなんともなかったんさね」

「次の日、Oさんの隣のKさんが(90歳)Oさんに『敬老会どうだった?』って聞いたんね、そしたらOさん思い出して

『二人が迎えに来てくれる約束だったんに来てくれんかった』って、それで気まずくなってねえ、しばらく

なんも言えんかった、やだねえ忘れっぽくなって」

それで私もおばさんの話を少ししてから、娘さんの旦那さん(69歳)ISさんの話しに切り替えて

「ISさんは元気でいいねえ」と言ったら、「そうなんさ、仕事も辞めて毎日家にいるから遊びに行くと、すぐお茶を

入れてくれるし、退屈しないわ」と嬉しそう

「へえ、大工さんやめたんですか?、じゃあ趣味のゴルフ三昧ですね」

「ゴルフもやめたんだわ、何もしないで毎日なんかの本ばっか読んでるみたい」

「へえ~、そんなに閑なら、むかえのSさん(72歳)みたいに民生委員でも引き受ければいいのにね」

「Sさんって言えば、それもたいへんだったんだよ」「どうしたんですか?」

「行方不明になってね、近所の人が警察に通報して全市への放送をしてもらえばどうかねっていうもんだから

その前に、埼玉にいる娘さんに承諾を得た方がいいんじゃないっていったら『それもそうだね』ってなって

電話してみたら『放送はしないでください、近所のTさん(80歳)が親しくしてるから、そちらに聞いてみてください』

って、それで携帯でTさんに電話してSさんがいなくなったって言ったら、『Sさんなら一緒にいるよ、退屈そうに

してたからカラオケに連れてきて、今歌っているよ』だって、まあ一安心したけどさあ・・ひやりとしたわ」

「どうしてSさんが心配なんです?」民生委員をしてバリバリに元気なSさんを知っているから、今の話しが

腑に落ちない

「あら、知らんかたんかね、Sさんのおとうさん去年102歳で亡くなったでしょ、そしたら急に気が抜けたのか夫婦で

おかしくなっちゃってね、奥さんは人工透析を受けるようになって、Sさんが週4回車で送り迎えしてたんだけど

近所の人がSさんの様子がおかしいって言い出してね、民生委員の仕事で来るんだけど、言うことがおかしいって

みんなそう言い出して、とうとう車の免許証も返還、そしたら奥さんは入院するしかなくなって、家にはSさん一人

近くの介護施設が面倒を見てくれているんだけど、どうしたもんかねえ、まだ若いのに」

近所の話しだけど、私はまったく知らなかった、こうした高齢者のネットワークもなかなかのものだ、情報量が

半端でない、老人会の会長さんが先日88歳で、ハシゴに乗って木の枝きりをしていて落ちて即死したことや

今壊している近所の家は地主が別で、借りていた人が家を壊して更地にして返すんだとか、いろいろ知っている

やはり高齢者宅を訪問するのも何かと情報が入っていいもんだ、仕事の打合せもしてちょうど一時間、お茶を

3杯お呼ばれして帰ってきました。

 

 

 

 


救急搬送 父、三度目の入院

2018年02月19日 11時15分42秒 | 老人介護

しばらく安定していた父の容体が、4日前くらいから食欲がなくなり

見た目にも辛そうな感じであった

しかし定期検診の日も「病院に行かんでもいい」と頑固に言い張り、迎えに来た妹を帰した

しかし昨日の昼頃から、息が荒くなってきたので「今日は日曜だから、明日あたりかかりつけへ

連れて行って見てもらおう」と妹と約束したのだった

夕方5時、ヘルパーさんが来て「長男さん、たいへんですよ血中酸素の濃度が危険水準です」

普通人なら90以上、母が入院したとき80、そんな数字が70しかないという、血圧も90-55

脈拍も多い、すぐに妹に「病院へ連れて行くからすぐに家に来い」と電話、妹も夕飯の支度中だったが

息子に任せて入院支度をして30分後にこちらに来ると言うことになった

それより、受け入れ先の市民病院への連絡が先、日曜の夕方でもあるしちょっと心配だが

すぐに受付が出たので名前を言ってから、「症状は?」と聞くので、症状よりもヘルパーが調べた

数値を言い並べたら「ちょっとお待ちください、医師と代わります」

医者に数値を行ったら、「分かりました、それは緊急を要するのですぐに来てください、どのように来ますか?」

妹の車でと言いかけたが、医者が慌てるくらいだから、それでは手に負えないだろう「救急車要請します」

「そうですね、それがいいですね」

すぐに119番へ、最近は順番待ちがイヤだから救急車を頼むなどという横着者が多々横行するので

救急も慎重に問うてくる、だからこちらも病院同様数値を並べた、その電話の傍らでヘルパーさんが「67に下がりました

、ああ今度は55です!」と悲痛に叫ぶ、それが救急の耳に届くみたいで「直ちに向かいます」

平生の3分の一で問診終了

父の体に震えが来ている、急激に悪化してきた、ヘルパーを見て気が緩んだのか本当に急激だ

約15分後、妹と救急車が同時に到着した、私が同乗して病院へ、およそ10分で到着

待合室で待つこと30分、「夕飯を食いそびれたなあ」と妹と話していたら医者に呼ばれた、レントゲン写真を見せて

「肺炎悪化ですね、最高濃度の酸素で対応していても、最低レベルの血中酸素濃度しかありません、かなり

悪い状況です、これだけで無く心臓やさまざま過去の病気もありますし、最悪のことも少しすみにおいてください」

年齢も年齢だし、私たち兄妹もとっくに心構えだけは出来ているから驚かないが、・・・という気持ちになる

看護婦に呼ばれて処置室に入った、酸素マスクと点滴、哀れな老人の姿だが「凛とした」プライドのオーラは失っていない

「常に他を制す」あのオーラだけが父を支えている、あれがあるうちは健在なはず

看護婦に手を焼かせたらしく、私に助けを求めてきた、私が手をさすったり、マスクをはずそうとするのをいさめたり

しているうちに寝た、看護婦が来て、「やはり身内の方だと違いますね、私たちではlこうなりません」

部屋の用意が出来て個室に移った、ここで両手にミトンをはめられ、おしっこは管で、そして点滴

昨日までとは全く違った入院生活が始まる、またストレスがたまるんだろうな

周囲に敏感なので個室を希望した、インフル流行で面会もママならぬと言う、弟も来るといったが容体に変化がない間は

来ても会えないからと断った

この冬を乗り切れるのだろうか? 母が亡くなって半年、24日は母の誕生日、どうなんだろうか?

 

 

 

 

 


この頃の父

2018年02月02日 16時10分32秒 | 老人介護

昨夜は6時に仕事を終えて、その足でボランティアの会議に参加した

7時半に終わって店に戻り、雑務を終わらせて9時半に帰宅、階段を上りかけたら

父が大声で名前を呼んでいる。  とりあえずそのまま父の部屋へ行った、「どうした?」

「具合が悪い」「どのくらい?」

「ものすごく悪い」「どこが?」

「どこもかしこも、全部悪い」「救急車呼ぶくらい?」

「・・・・・・・」とてもそんな風には見えないので、「今は夜中の10時だよ、町医者はもうやってないよ」

「・・・・・・・」、「どうしても我慢できないなら、病院へ問い合わせて行って見る? ぺいぺいの若いのしかいないけど

それでも行って見る?」

「もういい、我慢しる!」あああ、また始まった、わがままと寂しさで(ぐざっている)=だだをこねる

まったく子供返りだ「明日になっても調子悪かったら、かかりつけの医者へ行こう」「ああ・・・・」

「死にそうなくらい辛いなら救急車呼ぶよ」「もういいわ!、おれの話しはとおらんのだから、もういい!」

まったくもう!

「じゃ寝るよ」と言ってふすまを閉めかけたら、また「おー~い」

「どうしたね?」「お茶をくれ、お茶を飲めば治りそうな気がする」

「そう? それはいいね」台所へ行って湯を沸かす、ついでに自分のコーヒーもアメリカンで入れて

茶を持って行ったら、一口飲んで「旨い!」、「夕飯たべんかったから腹減ったんじゃない?」

「そうかもしれん」「ゼリー食べる?」

「ああ・・・」

一口食べて「うまい!」と言って、目をくりくりさせている

「やっぱり腹が減ったんだな」自分で言ってる、「そうだよ腹が減って気持ち悪くなったんだ」と私

「たまに糖分も必要だ」と続けたら、今度は「なにかあまいもんあるか?」だって

「あるよ、蜜豆と桃のシロップ漬け、どっちがいい?」「蜜豆だな」

蜜豆を食べ始めて「おまえの言ったのは正解だ、あまいもんが必要だ」「もういっぱいお茶飲む?」

お茶を飲みながら「おまえはたいへんだな」だって、「ここにいるんだから別にいいじゃないか」

「感謝はしとるんだよ」としおらしい、「親一人だけで暮らしているのが多いから、男3人でも良い方じゃない?」

「そうだ!」、テレビでちょうど72歳の孤独死を言っていた。

 

 

 


最近の介護状況

2018年01月11日 14時23分58秒 | 老人介護

昨夜から雪が降り始め、一面の雪野原になった

今朝も外に出たら真っ白で、車の屋根と窓は雪に覆われている

何がイヤだって、車の雪払いが一番イヤだ、除雪もイヤだけれど

見た目より積雪量は少なくて3-4センチ程度、九州の雪景色よりましかも

しかも昼には日が差し始めて、一時間ほど青空が見えた

窓から差し込む日の光と、背中の電気ストーブ、それとコタツ、さらにカイロで

体がポカポカしている

警報注意報の連発にも関わらず、我が町は未だに大雪どころか除雪さえしていない

このまま春になってくれればありがたい

 

昨日の夜は特別寒くて、一晩中父が心配だった

数日前には、ベッドの下でうずくまっていたし、それはトイレに立ったとき調子が悪いと

ベッドに上がれないで、ぐずぐずと倒れ込んでしまうのだ

私も夜中の零時くらいまでは起きているし、朝も今だから6時くらいに起きる、けれども

夜中は、どうしようも無い、でもさすがに昨夜は寒すぎて心配だったから、夜中の2時半

朝の5時の二回起きて、階下の部屋まで見に行った

案の定、ベッドの上で布団を剥がして寝ていた、24時間冬中休むことの無いエアコンのおかげで

部屋は暖かく、風邪をひくことはないが、それでも万一がある

布団は剥がしたと言うより、体の下に巻き込んで寝ているのだ、日に日に体と頭の衰えが見られる

夜中に起きるのも、三度の食事を作るのも意外と気にならない、これは自分でも予想しなかったことだ

案外、主夫業があっているのかもしれない、体の介護はだめだけど食事作りと簡単な面倒見は

女房殿を相手でもできそうな気がしてきた。


いまどきの姥捨て山

2017年12月13日 09時53分15秒 | 老人介護

今朝「迷ってる」という女性から相談された

彼女は1歳年上で、旦那さんは地元大手の管理職だったが退職間もなく60歳そこそこで

急死して、彼女は寡婦となった

少し認知が入ってきた90歳の実母と暮らしている、足腰が衰えて移動は車いすだ

食欲旺盛で健康面はまったく大丈夫と言うことだ

今はショートスティを利用しているが、進められるままに応募した特養入所に当選

あまりにも急で何の準備もしてなかったので動揺しているとのこと

明日にでも入所OKだが、とりあえず一週間のばしてもらい、母親の説得もしなければという

彼女の決断を鈍らせているのは「姥捨て山」だという自己嫌悪

今は、さほどの問題も無く、平和な親子生活をしているつもりだという、そんな時、母を家から

追い出すことに自責の念を持つのではないかと迷っている

 

だが私に言わせれば贅沢な悩みだ、特養を望む市民は数百人も待機している、わが家もそうだった

その中で運良く当選をして悩んでいる、ならばなぜ応募したんだろう

それは、数年後を見据えて応募したのだと思う、それが突然「今」になってびっくりしたのだ

私の考えでは、今はいいだろう、だが一年ごとに親の認知は進んで行き、予測もつかない事態が起こる

可能性は高い、また体だっていつ骨折したり、肺炎になったりするかわからない

自分だってやがて70歳を超えて高齢者の仲間入りだ、好きな海外旅行だって出来なくなる

それを思えば、親と別れるのは辛いなどと泣いているほど悠長な問題ではない

今は仏の気持ちでいても、仏の影に鬼が住んでいる、思いどおりにならない事態になったとき鬼が出てくる

何年も妻を介護していた夫が高齢になって妻を絞め殺したり、心中したなんて話しはザラにある

高齢の親を介護していた孝行息子が認知の親を同じように殺した例も数多ある

姥捨て山と言ったって、信州の山奥に親を放り捨ててくるのではない、介護の人たちに囲まれ、同年代の

人たちと話したり、お茶を飲んだりして過ごす

家でたまにヒステリーを起こす孝行娘と二人暮らしの生活と比較したって遜色ないはず

しかも車で15分足らずの場所にある、ダメだったら退所すれば良いだけのこと、強制収容所に入れるわけ

ではない。

「ちょっと贅沢な悩みですよ」と言ってやった、「ダメなら連れて帰れば良いだけでしょ」とも

当選したのは神様の意志だと思って素直に受け入れてみたら・・・・・・。

私の考え方はおかしいでしょうかね?  相談されるととことん親身になってしまう、お人好しです。

 


親孝行は、お金がかかるという謎

2017年10月31日 19時17分06秒 | 老人介護

今日は介護ヘルパーの会社と、契約更新の話し合いをした

その中で、衝撃的な話しがあってちょっと混乱したし腹立たしかった

父は以前、認知状態になって深夜に徘徊しそうになった、幸いに近所の人が偶然帰宅して

父を発見してくれたので大事にならなかったが・・・・

それからは心配で、週に何回か父の家で夜泊まることがある

そのことが「同居家族がいる家庭」になるらしい、そうすると恵まれた介護老人と言うことで

介護料金が2割、3割ではなく実費負担の部分も出てきて、最悪現在の支払額の180%増しに

なるおそれもあるとか、180%って約2倍!!!、今15万払っていれば、今度は28万円くらいに

が~~~ん! 誰が払えるの

おかしいのは、年末調整でこれを逆手にとって、同居老人として申請しても住所が違えば同居とは

認められない、なのにこちらは同居だという・・・縦割り官庁の謎???

 

そして、病院に父の食事のあれこれを言い含められて、複雑になったのでただでさえ時間が無い

ヘルパーさんの手助けすれば介護時間が短縮されて安くなると思って、食事作りをしてきた

のに、それは「介護を出来る家族がいる」と言うことになるらしい

仕事の合間に無理矢理捻出して作った僅かな時間、実際のところかなりストレス溜まっているんだ

でも、そのお節介が、やはり介護料の値上げに繋がるらしい

結局、父の家に泊まらず、仕事にかまけてご飯作りもやめて仕事一筋、全てヘルパーさんに任せ

介護時間も、サービス内容も低下させれば「目出度し目出度し」というわけなんだろう

親を田舎に残して、都会で自分だけ優雅に暮らす方が正解ということなんだ・・・今の時代は

ちょっと情けなく、悔しい気持ちの私です

 


楢山節考

2017年10月28日 07時01分57秒 | 老人介護

緒形拳さん、坂本スミ子さん主演が主演した映画、もう30年以上前の映画だ

ロケ地を見てきた

昔、寒村では貧しさ故、口減らしに生まれた子供を間引き、老人を山奥に置き去りにする

村の決まりがあった、という前提の話し「姥捨て山」とも言う

人生50年の時代に老いた親、といってもせいぜい60歳くらいだろうか

今の人生90年と比べると信じられないような話しだ

今の時代も少し前までは、老人ホームなどに入れると「姥捨て山」にやったなどと言う風潮があった

私も母がそう言う施設でお世話になったので行って見たり、ボランティアで介護施設や老人ホームを

尋ねたことが何回もある

他にも知的障碍者の支援施設、もう20年以上前になる精神病院の病棟の中も入った事がある

中には首をかしげざる環境もあったが、最近のホームは環境が良い

きれいだし、職員も多く教育も行き届いているようだ、だがホーム格差も確かにある

わが家の在宅介護のヘルパーさんは10名ほどが交代でやってくるが、ひとりひとりが個性が有り

興味深い、皿洗い後の処理や、父に対する声かけ、仕事への熱意、みんな違う

父もそれを感じ取っていて、自分の中でランキングを持っているようだ

たったひとりだけ、どうしても気に入らない人がいたようで、その人には口も聞かず顔も見ない

困ってたたずんでいるヘルパーさんが気の毒で会社に頼んで担当を変えてもらった

その人は落ち度など全く無くて、性格が大人しい人、そして言葉遣いが敬語なのだが

我が儘老人はそれが気に入らない、元気が良くて、子供のように遠慮無く「どう元気、食べなきゃダメよ

さあトイレしましょうね」なんて命令口調のテンポが良い人がお気に入りなのだ

「食べられますか?」「お水どうしましょう?」のように「?」の連発を一番嫌う

丁寧なヘルパーさんにとってはたまったもんじゃないですよね

「姥捨て山」の時代から、老人環境も大きく変わった

我々が90歳頃には、少子化の絶頂期、巷にあふれ出す老人でいっぱいになり「姥捨て山」は

復活するかもしれない

未来は暗いぞ! 団塊世代よ!

こんな山奥に90歳で置き去りにされたら恐怖だね!

 

 

 

 

 

 

 


父の発熱

2017年10月20日 08時03分05秒 | 老人介護

おはようございます

今朝は全天白い雲が覆っているが雨もなく、南の空は明るく輝きまぶしい

午後から天候は良くなっていくような感じがする

夕べはヘルパーさんが父の熱を測ると、平熱より3度高かった

熱冷ましの薬を飲ませたが、咽は渇いてカラカラ、当然夕食は全く食べずに水を少し飲んで

そのまま寝ているが、やたら「足が痛い」と顔をしかめるから

「病院へ行く、それとも我慢する? そのどちらかしかないよ」と言うと病院は嫌だという

どうも、そばにいると余計に甘える風なので、そのままにして夜7時からの会議に出かけ

代わりに息子に付き添いを頼んだ

暖房がないと寒いという、たしかに最近は寒いけれど、もともと血流が悪く、夏でも暑いとは言わず

エアコン無しの生活を送ってきた

「石油ストーブなら風がでないからそっちにしたら」と妹は言うが、あれは空気そのものが汚れる

それで加湿器でもあればいいなあと独り言を言ったら、父が「加湿器ならある」とぽつりと言った

認知症が進行しつつある父だが、時々はっきりすることがある、早速物置化している小部屋を

探したらやはりあった

さっそく、父の寝室に持ってきて稼働させた

 

今朝、父の食事を用意してから部屋を覗いてみると、私にとっては過ごしやすいしっとりした環境になっていた

これでは父には寒いはず、エアコンの温度を3度上げた

父の呼吸も落ち着いている、額に手を当ててみると熱は下がったようだ

父が目を開けたので、「おはよう」というと、手の平を左右に振って言葉では無く手で返事をしている

「熱が下がったようだね」と言ったら、「夕べ熱が出たのか?」と他人事のように言った

 

 


父が退院 また主夫業に戻る

2017年10月14日 06時46分08秒 | 老人介護

2週間ほど父が肺炎再発で入院、その間に諏訪湖のイベントや母の法要を終わらせ

少しだけホッとしていました

おかげで、久しぶりに女房殿の手料理にありつくことも出来たし、仕事も進んだんですが

さあ一昨日からまた台所で主夫に戻った

入院前よりも父はパワーアップして戻ってきました・・・何がって?

それは我が儘度数です、いよいよ言いたい放題になって注文の多いこと

特に食事内容、病院から全てとろみをつけてくださいと言われているのに

「とろみは嫌だ」「おかゆは嫌だ、柔らかいご飯をそのまま食べたい」

「こんな食事じゃ痩せるばかりだ」

妹と相談しました「食べたくないものを食べたり、拒否して100まで生きるのと

食べたいものを食べるという本人の意志を尊重するのか、どっちがしあわせ?」と

延命処置の件については、すでに病院と結論が出ています

父が健康な頃、テレビで認知症の植物人間を見ては「おれはこんなになってまで長生きしたくない」

とよく言っていましたから。

それに93歳、充分長生きしましたから・・・・・本人が希望するようにさせてやりたいと思います