神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(238) 甲越 川中島血戦 65

2024年10月31日 20時01分41秒 | 甲越軍記
 甘利、馬場、内藤、原、春日、山本勘助入道道鬼は、原昌勝の地理案内によって、やすやすと御嶽城にたどり着いた

山本勘道鬼はこれより八人を従えて、城の塀下に忍び寄って地の利を斥候した
そして松明を五、六百本を作らせて木の枝に結いつけた
これに兵士を五十人ばかりつけて、合図があったなら火をつけよと命じた

総勢三千余人、太鼓を打ち、鬨をあげて攻めかかる
無二無三に攻めかかれば、城方も険阻の要害を頼んで攻め入ることなかれと油断していたところに思いがけぬ敵勢来週
一戦もせず、慌てふためいて本丸に逃げ込んだ
天野鬼十郎も討ち死になる、敵は攻めよせてくる、なおも山々、谷々にも数百の松明が照らして攻め寄せるさまに、城中の足軽は元より、主だった勇士までもが戦意を失う始末である

大将、木曽義昌は「もはや叶わぬ」と思い、田山壱岐守をもって、木曽累代の所領全てを差し出して武田家に臣従を誓った
佐馬助信繁は、山本道鬼を召し出して、この件について問えば、山本は「御大将信玄の心は、信州のような国を五か国、六か国ほど得たくらいで満足するような小さな器量ではない、四国、九州の果てまでも傘下に収める気概を持った大量の大将である。此度は木曽の願いを受け容れて重く用いれば、更に攻め上っていっても信玄の仁心を慕って旗下に従う者が多いでありましょう、これ血を流さずに国を得る謀なり、早く本陣に告げて木曽の罪を許し給え」と申せば
佐馬助は「もっともなり」と信玄の本陣に伝えれば信玄もご機嫌よろしく、「木曽には本領安堵の上、信玄の姫を木曽家に嫁がせて婿とする」と申された
そして甲州へと帰陣した。

その年は年号の改元があって、弘治元年と号す、十二月左馬頭義昌父子は甲州に出仕すれば信玄は喜んで、千村備前守、山村新左衛門尉を姫君に差し添えて、木曽に輿入れとなる
穴山殿も、木曽を尊敬する旨を仰せになり、木曽の義昌は大いに面目を施しける。






同級生

2024年10月31日 09時11分38秒 | yottin日記
 昨日は高校時代の同級生15人で久しぶりに集まって親睦会をした
男女半々とバランスよく集まったものだ
今回は十年ぶりくらいに参加した男子も二人いて、任意の集まりの中ではもっとも多かった

以前は料理店に集まってやっていたが、近頃は気軽に集まれる居酒屋に代わっている
恐らく冷凍食品の解凍オンパレードだろうが、70半ばともなれば料理はつまみ程度で充分、アルコールさえあれば楽しい時間が過ごせる
ほとんどが年金暮らしであるから料理屋の7割くらいであがる予算もありがたい

68歳の時に卒業50周年の同級会を行い、その場で「次は古希に集まろう」となったが、コロナ騒動で中止になり、その後、リーダー兼事務総長のY子が急死して、もはや誰からも声があがらなくなった
それでも、昨日のメンバーは40歳の同級会の幹事ばかりなので、つーくんが「やっぱりやろうじゃないか」と声をあげたら、全員が賛同した
十数年ぶり参加のS君が「パーティ形式でなくても、レストランでコーヒーとケーキだけでもいいじゃないか」と言ったのでみんな吹き出して
「さすがは上流家庭のSくんだ」などとからかう

まあ我々の高校は最初は女学校だったのが、このメンバーが入学する8年前に男女共学となった商業高校で、2年後に工業科も併設されたのであるから当然進学校ではない
とくに取柄も無い学校で地元商店の子供たちも多かった、取柄と言えば甲子園に三回行ったことと、プロ選手を数人輩出したこと(名と成績を残した一軍選手は一人だけだが)、国体で1勝したこと、あとはテレビで今も活躍している有名タレントが二人ほどいるくらいか
学問や政財界で名を成した者は、私の記憶範囲には一人もいませんね
まあ、そんな学校ですが、「真善美」をモットーにみんな伸び伸びと生きてきました

同級生の多くが卒業後、東京など都会に出たけれど、多くが地元に戻って来て約30%くらいが住み着いています
そんな仲間です。


Yさんの思い出

2024年10月30日 08時43分14秒 | 昭和という時代
Yさんの奥さんが亡くなったと新聞の広報で知った
それで夕方、家族だけの通夜式前の一般弔問に行って来た
私は一番乗りだったので、妹と高校で同級生だった喪主さんが一人でいたから声をかけて、焼香のあとで少し話した
彼は富山市で精密機器の町工場を経営しているので、こちらの自宅はもう空き家になっている、だがそれは豪邸で空き家にしておくのが惜しいほどだ

Yさんの奥さんは99歳10か月だったそうだ、ずいぶんと長生きされたものだ
ただ10年くらい前から認知症になって施設に入っていた
Yさんは15年前に89歳でガンで亡くなられた
私の父より4歳年上で地元で魚の卸業を営んでいた、戦後まもなく東京からやって来た父が魚の行商を始めた時にYさんと出会ったのだった
それは険悪な出会いだったのだった
Yさんは27歳、父が23歳の時だ、どちらも負けん気の強い男同士で事あるごとにぶつかったらしい
父は当時、父より6歳ほど年上の魚市場の販売部長に商売のあれこれを助けてもらった恩義があった、一方Yさんは魚市場で販売部長と次期専務争いで対立する人から慕われていたので、アドバイザー的な存在であった

それがある時、たまたま兵隊時代の話になって、父は調布の陸軍航空隊の周囲に展開する高射砲隊所属、Yさんは隣の厚木の航空隊で戦闘機の整備兵だったことを知ってから急展開で仲良くなった
魚市場の義理人情より生死を分かち合った戦友の絆の方が強かったようだ
数十年後に父が戦友会で調布に行った時にはYさんも「おれも連れて行ってくれ」と一緒に戦友会に参加したほどだ。

Yさんは魚屋では結構大きな商売をしていて、土地の親分的な存在だった
地元選出の国会議員や、大病で東京の大病院へ入院した時も本で学んだ知識で大学病院の名医を相手に一理屈も二理屈も言って困らせたような人で、なかなか弁も立つ
見栄を張る、大風呂敷を広げる、人の上でなければ気に入らない人だった
寺の総代を引き受けたりとにかく地元では名物男であった
だから市会議員程度なら説教するくらい朝飯前だ
そんなYさんだが、父には若い時から一目置いていた
「不思議なんだよなあ、なぜか**くんには負けてしまう、いったい何が違うのかなあ」などと時々言っていた

若いころYさんと父と魚屋仲間2人で長野県にドライブしたそうだ
狭い山道で対向車とにらめっこになって、どちらかが下がらなければ動けない状態だった、相手は生意気そうな連中で「下がれ」とクラクションをやかましく鳴らしていたそうだ、Yさんもどうしたものかと躊躇していたら、父がいきなり降りて、対向車に向かって歩いて行って、窓から相手に何か言ったら、すぐに相手が下がったそうだ
それでYさんが驚いて「**くん、何を言ったんだ」と聞いたら、父は「別になにも・・・『クラクション鳴らしてましたが・・なにか?』と聞いただけだよ」と答えたそうだ
Yさんは「おまえの親父は穏やかな人間なんだが、急に薄気味悪い顔をすることがあるんだよなあ」と高校生の私に話したことがあった

ともあれ、そんな父とYさんは、Yさんが89歳亡くなるまで夫婦共々で仲良しで、一緒に旅行や日帰りドライブに行っていた、Yさんの奥さんと母は同い年だった
父が新店舗を開店した時には2m×1mほどの大きな油絵を寄贈してくれたり、村上堆朱の彫り物を贈ってくれたりと人を驚かすのが好きな人だった
父も負けずにYさんが魚屋を辞めると大晦日には氷見の寒ブリをお歳暮に贈っていた、どちらも負けず嫌いの見栄っ張りは一生ものだった
そしてYさんは地域の共同墓地の会長を務めたが、父も影響されて、こちらの地域の共同墓地の発起人になって会長になった

父は生涯、人に心を許さない人であったがYさん夫婦とだけは気が合ったようだ、Yさんの天衣無縫の性格に警戒心が強い父も心をわずかに許していたのだろう、この土地で唯一無二の友だった
これでまた四人があの世で揃った、また大きな声のYさんと冷めた顔の父が楽しく語り合うだろう。





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(237) 甲越 川中島血戦 64

2024年10月29日 18時51分36秒 | 甲越軍記
 かくして福島筋の武田勢、信繁、飫冨、長坂、栗原、市川、真田の勢も険難の切所を乗り越えて御嶽城に寄せ来り
そして鉄砲を撃ちかけて、鬨をあげて攻め寄せる

木曽方には、天野鬼十郎勝成が切所に陣を構えて、寄せ来る武田勢に激しく鉄砲を撃ちかければ、武田勢は面を上げる間もなく打倒されて、死傷数え切れず
武田左馬助信繁はこれを見て、「騎馬武者にて横合いより攻め崩すべし」と下知すれば、依田新左衛門、高木蔵人、諸部又兵衛、一番に馳せだせば、左馬助の旗本も負けじと横合いより攻め入る
栗原、市川、真田勢も同じく攻め入れば、木曽方も柵内より鉄砲を雨あられの如く乱れ打つ
これによって、寄せ手は鉄砲の的となり、百余騎がたちまち打倒されて、依田、高木も手傷を負って、仕方なく引き下がる

ここに長坂左衛門は飫冨兵部の脇備えとして控えていたが、味方の正攻法がかえって損害多きことに嘆き、「敵兵は防御固く、いかに攻め寄せても味方の損害が増えるばかりなり、ここは敵をおびき出して叩くのが上策」と信繁に乞えば、信繁もこれを許した
左衛門は我が一手にて功名を挙げんと、軍を柵近くに寄せて大声で「卑怯なリ、木曽勢は腰抜け武士ばかりと見た、だれぞ打ち出て我らと一戦を交えようという勇士はおらんのか、腰抜けばかりであるなら早々に我らに降参するべし」と挑発した

これを聞いて木曽方の勇士、天野鬼十郎はためらいもせず、この挑発に乗り、八尺の鉄棒をしごき、馬にまたがり百名の従者を率いて、長坂勢の真ん中に攻め込んだ
鬼十郎は身の丈六尺(180cm)の大剛の士、鉄棒を右に左に振り回し、当たる者みな粉砕すれば、長坂勢の手負いたちまち多くなり、長坂の三百余人は打ち崩されてこらえきれず敗走する
これを見た真田弾正は長坂を救わんと勢を出せば、天野勢は掛け合わず早々に柵内に引き上げた・

武田勢は、その夜、本陣にて軍議を開いていると、真田一徳斎の二男吉兵衛昌幸十六歳が進み出て、「明日の合戦を某に任せていただきたい」と願い出る
父、一徳斎は怒って睨みつけ「軍議の席にて言葉を発するのは戦に熟知した者でなければ言わざるものなり、汝のような嘴の黄色いひよこは、しゃしゃり出ずに控えおれ」と叱った

吉兵衛は少しもこれを恐れず、「どうか御免蒙りて、明日の戦において某の戦ぶりをご覧あれ、もし仕損じたなら敵の柵前で討死するのみ」と思い切って望めば、飫冨兵部少輔進み出て「さすがは真田殿の御子である、天晴雄々しき一言なり、感じ候、某が後を詰める故、お許しあるべし」と言えば、一徳斎は大いに喜び、「吉兵衛の初陣、某も見届けるなり」と言って、吉兵衛の智力を計るためにわざと謀を談ぜず、兵二百余人に勇士三好伊左衛門、海野平右衛門をつけて授ける。



パンドラの箱

2024年10月29日 07時17分56秒 | 小説/詩
パンドラの箱には一体なにが入っていたのだろう
浦島太郎の玉手箱には止まっていた時間が入っていた
そもそもパンドラの箱って何なんだ? 調べてみたら
なぜいきなりパンドラの箱を思いついたのかと言えば、自分の人生を振り返ったとき(大概は寝起きの時なんだが)煩悩が浮かび上がった
それはおそらくパンドラの箱から逃げ出した多くの煩悩の一つではないかと思ったからだ

誰も彼もが当たり前の顔をして、何もなかったかのような顔をして生きている
それは知らん顔ではなくて、耄碌して忘れただけなのだ
忘れるとは都合の良い言葉だ、耄碌したからとは都合の良い言い訳だ
齢をとるとは、そう言うことに巧みになることなのだ
「年寄りだから」で簡単に片付く場面が多くなった
自動車に黄色いマークをつけておけば「老人だから仕方ない」で大概済んでしまう

耄碌したって煩悩も欲望も消えたわけではない
特に団塊世代の欲望は半端ない
いったい俺はパンドラの箱の中身を幾つ身に着けているのだろうか
指折り数えてみる「いつつ・・・とお・・・」それくらいはありそうだ
今も在るのが怖い 何が怖い 自分の煩悩が怖い
好々爺の顔をしてみても中身は違う ただただ単純に違うのだ
「違うんだ」と叫びたくなる
叫べば、気の触れた老人が一人、そこに居た

浦島太郎の夢だったのに



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(236) 甲越 川中島血戦 63

2024年10月28日 20時17分14秒 | 甲越軍記
 木曽左馬頭源義昌は清和天皇八代の後胤、帯刀先生義賢の嫡子、朝日将軍伊予守義仲の末流にして、数代木曽を領して、御嶽の城に住む
その地は山から山に続き、険峻な谷から老松が重なり繁る深き山中を越え、木こりでも無ければ人の通う道なし
大軍が通る道など無理な険地なり、更に剛勇の士が立てこもり武田の武威など恐れもしない。

時に天文二十四年八月二十ニ日、武田の先備えは甘利、馬場、内藤、原隼人佐、春日
福島口には武田左馬助、飫冨兵部少輔、同三郎兵衛、長坂、栗原、市川、真田源太左衛門、同吉兵衛に入道一徳斎

信玄は日向大和守、諸角豊後守、穴山。原加賀守を従えて後陣を行く
先陣はいよいよ木曽山中に足を踏み入れる、されども道らしき道はなく、獣道を行けば断崖絶壁に阻まれ、少しも進むこと叶わず
軍議をするが、良い案も浮かばず堂々巡りを繰り返すばかりで疲れ果てた

その時、原隼人が進み出て、「その昔、源平合戦に於いて、源義経は一の谷の裏手を行くとき案内人を求めた
平山武者所季重が進んで言うには、君は日本武尊、田村将軍に劣らざる大将ゆえ、ここに至って地の利に屈するなど浅ましく思え
良将とは、まず勝ってのちにこそ戦う者である、この季重、地利を存じ候と言って真っ先に鵯越(ひよどりごえ)に乗り込んだ
この木曽山は鵯越の十倍も険阻にして行く道も無く、やすやすと大軍を押し出す道に非ず
されども、某はこの道に熟知精通しております、わが尻に従いたまえ」と真っ先に馬を歩ませた
将士は言われるがままに後をついていくと、隼人の言葉に違わず総軍難なく小木曽溝口の難所を打ち越えて、御嶽城近くに進み出た

なぜ原隼人が閣なる術を身につけたのか、みなみないぶかしがる
これは隼人佐の父、加賀守昌俊は甲州白畑の住人で、武田家譜代の士大将であった
信虎、信玄二代に仕えた武功名誉の士である、
加賀守の元に一人の山伏が訪れて、宿を乞い一年ここに借り宿をした
加賀守はその間、山伏から諸国の風俗、あるいは武道の雑談をすると、彼の山伏の問答、兵道孫呉の奥秘に通じ、奇正得失を論ずること水が流れるがごとく
なおも城取の秘伝を伝え、且つ山中に於いて道に迷いたる時、その是非をわきまえて山を隔てていずこの地理を知ることを相伝した
そして暇をとり、いずこかにまた旅立って行った

昌俊は不思議に思い、家人をやって探させたがいずこへとも消え去ったのか、ついに知れず
「ちきりの矩」とは城取の極意、その矩に精通する者は少なし、しかれどもその詳しき伝を得ざるがゆえに「ちきり」の形をもって家の馬印とした
一本は黒字に白き「ちきり」、一本は黒字に白き「ちきり」をつけて大小の纏とする
隼人佐は父から伝授された山中の地利を知りて、今日険阻の切所をやすやすと越えたのであった。





衆議院選挙 自民党敗北 そして妄想

2024年10月28日 07時54分16秒 | 雑記
 昨日最大のニュースは衆院選挙と大谷翔平のケガ
大谷は盗塁失敗したとき不用意に手をついて、肩が外れたと言っていた
「ハイ、入りましたよ」で済むとは思えない
少なくともニューヨークの三連戦は大事をとって休養するのではないだろうか
ちょっと下手なスライディングをしてしまったという感じ、一番恐れていたケガをやってしまった
今や野球の大谷、相撲の大の里は、それぞれの業界の看板スター、ケガをしてはいけない存在だ、軽症であることを祈る。

衆院選は自民191(ー56)、立憲148(+50)、維新38(ー5)、国民28(+21)
公明24(ー8)、れいわ9(+6)、共産8(ー2)、参政3(+2)社民1(ー)
諸派3(+3)無所属12(ー10)となった
無所属には自民党から公認を外された平沢、萩生田など自民党籍議員がいるから、これは自民に追加されるだろうから自民は実質195前後か

自民、公明与党は過半数に届かず、政権運営の為、国民民主党に接近が予想される、国民も今は売り手市場で与党に加わるチャンスを得た
立憲は国民は双子のように言っているが、あきらかに国民は与党志向だろう

それにしても大敗と言えども単独政党で見ても自民党は強い、第二党の立憲に45前後(無所属復活含めて)の差をつけている、野党も追いきれていない
そうなると野党連合、与党連合となって国会を支配しようとする
これには無理がある、もともと主義主張が違うから違う政党なのであって、それが一緒になっても細かい部分で少数政党は我慢して自党の主張をしまい込まざるを得ない
例えば原発問題、防衛問題、対米、対ロ、対中でも違いが出てくる
それを連合だからと言って一つの考え方に仲間の政党が全て同じ主張に納めるのはどうかと思う

例えば第一党が政権党になって、国家の代表として政権運営を行い、国会で取り上げられる諸問題は各政党がそれぞれの主義主張を堂々と述べて、国会で採決すべし
野党議員であっても国家運営に立派な主義主張をもち行動力があれば、その専門能力の部署に限り政府の大臣職に迎えるくらいの度量の広さも必要だ
名前だけの大臣になっても知識もなく学ぶ気も無く、国会答弁であたふたして官僚頼みでは国民も吉本新喜劇を見ているようで吹き出してしまう

優れていても所属等が弱体で埋もれてしまう立派な議員もいるだろう
大谷がエンゼルスで埋もれていたのが、ドジャースで花開いたのと同じこと
日本国の中では与党も野党もあるまい、優れた人物は国政に役立てるべきだ
政権与党にもくだらない議員はいくらでもいる、名誉欲だけで何の役にも立たなくても地盤、看板で国会議員になっているのは最悪だ
今回自民党が負けたのは「奢る平家は・・・」に違いないだろう
何をやっても国民は俺たちを選ぶという錯覚が招いた敗北だ

重要問題はテレビで最後まで放送して、国民もこれを真剣に見るべきだ、そして次の投票に生かせばよい
国会は日本人の命と生活が懸かる案件を論争する場である、投票率が50%以下の現状を見れば、政治に興味が無いでは済まないだろう
独裁政権が誕生しても、それは権利放棄した国民が招いたことになる
だが逆に考えれば、政治に関心がある人だけが投票しているともいえる、其の方が投票率に関係なくより濃い一票なのかもしれない

とは言え、政治に関心がある人というのは、それだけの知識を持った人であるし、生活環境もおそらく良い方に属するのではないだろうか
だとすれば、投票しない人には生活困窮者、身体的ハンディを背負った人の割合が多いのではないだろうか(選挙どころではないよ)とか(政治家はどれもろくでなしだ)(金持ちの政治家におれたちの苦境がわかるか)
そんな気持ちで投票しない人もいるだろう

日本の選挙制度は世界の中ではクリーンで立派だと思う、だが弱者を置き去りにしている部分も感じる
例えば、精神障害、知的障碍の人は政治に興味はないかもしれない、だがこうした障害に真剣に取り組んでいる政治家もいるだろう
だとしたら、彼らがそんな議員に投票する仕組みはできないだろうか
難病に苦しむ人々もしかりだし、九州に拉致被害者救出に真剣に取り組んでいる議員が居れば、日本中どこからでもその議員に投票できるシステムにならないだろうか、ふるさと納税のような。

国民の命と生活は国際政治、安全保障といった全体主義的なセーフティと、個人が抱える個人の命のセーフティの二つがある
そして選挙は前者の為の選挙の意味が大きい、どうしても後者の意見は国政に反映しない、後者の意見が選挙を左右するくらいにならないと陽の当らない人たちはいつまでも幸せになれない。

大阪では19区すべて維新が勝利した、しかし隣の兵庫では勝てない
農業県新潟では立憲が5戦5勝のパーフェクト勝利、角栄さんなどの自民党王国がどうしてこうなったのか?
地域によって政党の片寄りが見えている、地域格差を訴える地方議員も出て来た、一極集中を懸念する
例えば首都圏が大災害に見舞われたら日本の機能は停止するだろう、人口密度の高いところゆえ人的被害も膨大なものが予想される
長野県に首都機能移転なんて話もあったが実行されなかった、主要な省庁は全国に平等に振り分けて、人口100万くらいの地方行政都市を10ほど作れば、人口も分散され、田舎も減少するのではないか
例えば旭川、盛岡、長岡、郡山、松本、福井、静岡、松山、熊本、松江など
北海道は広いから函館、帯広、北見あたりにも必要
それに現行の地方大都市にも分署を設けて、主核が機能停止の時には副核が即時機能するようにシステム化すべきだ
もちろん国会機能は東京にそのまま置くが軽量化する、大阪に国会関西を設置
第一副総理を置く
副核には副大臣とサブ的な有能官僚を配置する、これは国土防衛システムも同様にする、もっとも自衛隊は既にそうなっているが。

今のままでは、そのうち富山県、石川県の国会議員は1人、長野県、新潟県の大きな県でも2人なんてことに、そして東京が100人・・どう思いますか
やはり地方分散は必要でしょうね。

我が祖国 (ピーター・ポール&マリー)







「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(235) 甲越 川中島血戦 62

2024年10月27日 19時08分20秒 | 甲越軍記
 武田信玄は諏訪、村上、小笠原の信濃の諸将を攻め滅ぼして信濃の過半を奪い取ったが、木曽左馬頭義昌は、険阻なる地形にあって上杉謙信と通じて抵抗を続けていた
信玄は、これを勢いに任せて攻め滅ぼさんと願うが、上杉謙信が背後から攻め寄せるを危ぶみ、間者を使って越後を探らせたところ、信濃から帰陣して間もなく、今度は関東に出張って北條と干戈を交えるとの報が入った。

信玄は直ちに木曾に向けて兵を進めた
ここに木曽の隣地に瀬場兵衛大夫宗範という勇猛無双の将がいる、木曽に属して堅固な城を構える
武田に属す板垣法印は、瀬場と因があるのを幸いに、板垣を使者として「武田家になびけば領地安堵に加えて信州にて一郡を与えよう」と持ち掛けた
瀬場は思案して、板垣の誘いに乗ることを決めた
その後、天文二十四年正月、年始の慶賀に甲府まで大蓮寺に宿を賜った。

山本道鬼と信玄は密談を行い、瀬場がもし上杉に調略されれば木曽退治の大いなる妨げになると甘利左衛門尉に命じて、その夜、俄かに宿を取り囲み競いかかって討ちこめば、瀬場は大いに怒って「信玄に欺かれたる悔しさよ」と死に物狂いになって甘利勢に切りかかる
瀬場の主従二百十三人は甘利の士卒を大いに討ち果たしたけれども、地の利悪く、多勢に無勢なれば瀬場も大剛の将と言えども、体中に手傷を負い討死となった、家来たちもそこかしこで切り死にして果てた
これにて木曽を討つ妨げ無しと三月七日に信玄は兵を率いて、本山、贄川を押し渡り、習井峠(奈良井か?)を越えて屋根原に着陣して、この地に砦を築いて、これを足掛かりに木曽に攻め寄せると普請にかかった
しかし越後に放った間者が「謙信が川中島に出張った」と知らせて来た
信玄は屋根原に栗原左衛門尉、多田淡路守を押さえに置いて。急ぎ川中島に戻った。

川中島では互いに足軽を出しての戦があったが、いずれも隙のない名将であれば敵の虚を伺えども、少しの油断なく、むなしく日が過ぎゆくのみ
信玄は謙信を討つこと叶わぬと思い陣を引けば、謙信も詮方なく越後へと引き上げる
八月、信玄は再び屋根原に戻って、木曽攻の手配りをする。




今日は一日テレビ桟敷

2024年10月27日 08時02分50秒 | 野球
一年ぶりか、二年ぶりか正座が出来ない膝の痛みが出て来た
座る時と歩く時だけ痛む、それ以外は大丈夫、原因が無いから運動不足で筋肉量が減ったか、サポーターをしたが、そのうち治るのがいつものこと。

朝からワールドシリーズ、昼は第42回全日本大学女子駅伝対校選手権大会 
夜は衆議院選挙速報と目が離せない。
他にも天皇賞競馬、チャンピオンシップ男子ゴルフ、レディスゴルフ、全日本サッカー、NHK杯ジャンプ、プロ野球日本シリーズと目白押しの一日だ
投票はどのタイミングで行けばよいのだろうか。

昨日の第一戦は両エースが投手戦を展開して中盤まで緊張の試合に
エースが降板して打線が動いたが、ヤンキースがつねに先行していた
10回に勝ち越し点を取られて、その裏大谷も打ち取られてずるずる負けかと思ったが、ドジャースの底力
ベッツを申告敬遠してフリーマンに劇的な逆転サヨナラ満塁ホームランとは
今年のドジャースはMVPトリオの一人を申告敬遠すると次のMVPトリオが試合を決めてしまうのがドジャーススタイル
大谷を敬遠してベッツに痛い目に遭ったチームも多いが、今日はベッツを敬遠してフリーマンにヤンキースはやられてしまった
ヤンキースの誤算は8回に勝負を決めようとクローザーを持ってきて延長戦に入ってしまったこと、これが試合を決めたと言って良い。

第一戦はMVPトリオ全員が良いところで勝利につながる打撃を見せた
マンシー、Kヘルナンデス、エドマンも渋い活躍を見せた
ヤンキースのジャッジが悪すぎる、今日も3連続三振と絶不調、しかしソトとスタントンは絶好調、明日は山本由伸が先発、ミスタージャパンの力をヤンキースに見せてやれ。



ハロウィン

2024年10月26日 20時45分44秒 | yottin日記
ハロウィンだそうだ
都会では何年も何十年も前からハロウィン騒ぎが流行したようだが、我ら保守的な田舎町では全然・・・
家の前や、そこらの家庭の玄関先でカボチャ仮面をたまに見るだけだ

先々週、地区公民館から回覧板で「子供たちがハロウィンの仮装をして地域内の家を回るので、ご協力してもらえる家庭を募集します」とあったので参加希望を出した。
子供たちが玄関に来て「お菓子をくれないと悪戯するぞ」と英語?で言うので「悪戯しないでね」と言って、お菓子をプレゼントする趣向だそうだ
我が町内ではどこも希望しなかったので、わが家が一番のりだった

午後になって「ごめんください」とやって来た
シンデレラなどに仮装した小学生が10人ほどやって来た、PTAも5~6人
乳母車に赤ちゃんを乗せたPTAも三台、賑やかでかわいい
大小の子供たちが並んで声を揃えて「悪戯しちゃうぞ」と言ったので、さっそくお菓子をあげた、わが家には孫がいないので小学生がとてもかわいい
PTAの一人は3mの恐竜の縫いぐるみを着て歩いている、これはご苦労さんだね

西洋の祭りでも、こうして子供たちがファミリーで楽しめるのは良い
都会で大人がバカ騒ぎして、ついに締め出されたと聞く、何事もルールの範囲で楽しめばよい、酒を飲んでバカ騒ぎして秩序を乱すのは大人のやることではない、楽しいことは他人に迷惑をかけずに最後まで楽しく楽しめばよい
子供たちのハロウィンを見て、PTAの人たちのご苦労に感謝した次第です。

ピノキオPinocchio/ダニエル・ビダルDanièle Vidal