神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ドラッグストア

2023年06月30日 10時46分09秒 | yottin日記
チェーンのドラッグストアがまた2店舗開業した、これで6店舗目だ
人口の少ない田舎町になんでこんなにできるんだろう?

ドラッグストアと聞いて最初は薬屋の大きい奴だと考えた
しかし薬売り場は五分の一以下で、日用雑貨、お菓子、ドリンク、化粧品などが大部分を占める
今度オープンの店は魚、肉、野菜の生鮮三品のほか、持ち帰り寿司のチェーン店がテナントで入る

おそろしい世の中になったものだ
平成生まれであれば気づかない社会の変化も、戦後まもなく生まれた私たちは見てきた。
戦争で都会の商業はご破算になった、アメリカ軍の空襲で町ごと焼き尽くされたからだ
昭和30年代になって小さな商店が雨後の竹の子のように誕生してきた
それに伴って、国や県の許可を必要とする問屋もでてきた。
生産者(工場)→一次問屋→二次問屋→商店→消費者という構図だ
しかし昭和50年前後からこの形態は小さな商店だけで
生産者(工場)→一次問屋→大型店→消費者  一部では生産者(工場)→大型店→消費者という独占的なシステムが構築された。
大型店にはより安く、より多い商品が集まり、より安く販売する、これでは日本中でパパママストアが閉店していったのは当然のなりゆきだ
どこかで国も零細商店の保護をあきらめたのだ、昔は地方に中央の大型店が出店するときには*千平米以上は禁止などというお達しがあったが、それも反故になった、抜け道はどうにでもなる。

こうしてわが町のような田舎町には個人商店がほぼなくなった、我が家もその一つだったが昭和には50店くらいあった魚屋小売店が、今は5店舗位で細々とやっている。
八百屋はどこにあるかわからない、ないかもしれない
いやあるある思い出した、お客が減ったので腐りやすい野菜は市場で箱単位で買えないから、大型スーパーで必要量だけ買っている
これはもう食料品店というより、小さな過疎地域の奉仕店と言った方が良い

ドラッグストアにもどる
先日A店に行った、ここのレジはスーパーのようにレジが駅の改札のように4つ並んでいて、暇なときは一つしか稼働しない
混んでくるとマイクで店員を呼んでもう1つ動くと言ったスタイル、支払いは機械で清算するスーパー式
この日は一つのレジに客が4人ほど並んでいて、私たちは3番目だった
店員は若い娘で今風のお姉さんだった、客と目を併せずなげやりに「いらっしゃいませ」とぽつりと言った、見るのは商品だけ
顔を見ると(なんでこんなに忙しいのよ)という険しい表情
この店は若い店員はほとんどこんな具合だ、数人いる中年店員だけが客と目を併せる、だが日増しに目の輝きが無くなっている

この日のお姉ちゃんは酷かった、、女房殿が商品を持ってくるのを私は精算機の前で待っていた
ところがなぜか女房殿は商品を持たずに精算機の前にきた、レジと精算機はテーブルでつながっていて距離は数十センチ
「もってってください!」店員がヒステリックに叫んで顔もあげずに、商品が入ったバッグを我々の前に放り投げた
頭にくるより呆れてしまって口もあかない、ここで怒鳴れば頑固老人がわがまま言って娘さんを虐めているとも言われかねない
ここは黙って出て来た、会社に投書しようかと思ったが意味が無いのでやめた

B店へ一昨日行った、雑貨を一個750円買った
ここのレジは病院スタイルで窓が3つ並び、少なくとも2つはいつも稼働している、支払いは対面で、もちろん店員は立っているが
ここの店員さんは美人さんが3人くらいいる、しかもどの子も愛想がいい
「袋ありますか」「お入れしましょうか」「スマホにこの店のアプリは入っていますか」アプリの入れ方を親切丁寧に教えてくれた、そのおかげで薬はいつも15%引きだ。
一昨日は「750円です」財布をだそうとしたら
「今月で切れるポイントがありますから使いますか?」「ああそう! いくら払えばいいのかな」
「全額ポイントで払えます」「へえ・・これは儲かった」「はい」
帰りがけに「ありがとう 親切な人だね」と笑顔で言った。

よほどのことが無ければ今後はA店には行かないだろう。

愛用している「ユンケル錠剤」、ドリンクは高すぎるのでこれで代用
キャベジン、しょっちゅう胃痛が来る私には欠かせない


人と話すのはやっぱりいいね

2023年06月28日 08時41分04秒 | yottin日記
一気に蒸してきましたね
いよいよ水割りからロックに切り替えました
風呂も湯船に入るのは週2日、あとはシャワーに切り替えました
シャワーが気持ちよい時期になった、シャワーだと汗まみれになるたびに汗を流せるから良い

キュウリも雨を受けて一気に育ちました、とはいえ一株ですから2本だけ、それでも通算8本目です、こんな生活は考えてもみませんでした。


今日は6歳年下の商売人の友達が家に初めて訪ねてきました、先月大腸がんの手術を終えたばかりだそうですが少しも痩せていない
かえって太ったくらいで元気いっぱいでした。
「yottinさん、相変わらず小説書いてるんかね?」「いや、もう終わったよ」
「じゃあ、何をしてるんだね?」「こっちに来て見て」
小庭の畑を見せたらびっくり「こりゃあいいわ」
まさか私が畑などやるとは誰一人想像もつかなかったはず、私自身が不思議がっているのだから。

ロックも今日は一杯じゃ全く足りません、畑を10分やっただけで汗びっしょり、シャツを着替えました。 お代わりです

夕方散歩に出たら、いつも花や木にたっぷり水を与えているがっしりした体格のAさんがいる
いつも一言挨拶の言葉を交わすだけだが、わたしにとって気になる人なのだ
最近はキュウリやトマトも花壇風の盛り土の中に植えて、キューリは10株くらいある
通り過ぎたが戻って声をかけた「これはなんですか?」
「これはキューリだよ」「ああ、けっこうなっていますね」
「一人だから、娘たちに送ったりしているんだ」
「このあたりに同姓のT子というのが住んでいたんですがね」
「ああ、それは妹だよ」
「やっぱり! そんな気がしてました、わたしの中学時代の同級生というか高校時代まで一緒に遊んでいた友達なんですよ」
「ええ?T子の同級生なのか」「はい、目がくりくりしたかわいい子でしたよ」
「ははは、あのバカが」と彼女のその後を語ってくれた、彼女は10年くらい前に亡くなった、由美かおる風の小柄でキュートな目の大きい女の子だった
ゴーゴーダンスが得意で、屈託のない活発な子だった
黒い瞳でじっと相手を見つめるような子だった
美容学校を卒業して美容師になった、地元で結婚したが広末のように突っ走ってしまったらしい
それくらいの情熱があった子だった、それから首都圏で暮らしていたのだが60歳を過ぎて死んだ。

やっと一つ気にしていたことから解放された

Aさんは元気で体格も良い、歳を聞いたら86歳だという、若いころはダンプ一台持って請負仕事をしていたという、トラック野郎だ
たしかに面影はある、なぜかこういった荒っぽい仕事をした人と話しやすい、板前や魚屋、漁師と通じるところがある。
話が早いと言うか、酷い話もからりと話すところが良い、後を引かないのも良い。

ともあれ立ち話ながら1時間話が弾んだのだ、ご近所さんでもあり地域の長老でもあるし、これからも機会があれば話したいと思っている
お互い、話し相手には飢えているから。
老人会にも誘われたが、それは80歳になったらかんがえるつもりで、今回はやんわり受け流しておいた。




なるほど家康 そう来たか

2023年06月27日 15時09分18秒 | 映画/ドラマ/アニメ
「どうする家康」年表どおりにドラマは進んでいるが、興味あったのは通説とは違う相思相愛の築山殿を家康がどのように成敗(処刑)するのかにあった。
築山殿と信康の成敗は来週になるが、今回は二人がどのような理由で成敗されるのかの原因を「どうする脚本家」だった。

通説は武田に通じていた大須賀弥四郎に築山殿が惑わされて、信康も巻き込んで武田に通じたことが五徳(信康の妻、信長の娘)が知って、信長に知らせて、信長の命令で家康は二人を殺す羽目になる。
今回のドラマでは、武田と徳川の戦を話し合いで治め、互いが奪うために戦うのではなく互いに足りぬものを融通し合う(貿易)ことで平和裏に解決する
ということを築山殿が提案し、それを武田勝頼の伯父の穴山信君が賛同して勝頼に提言、勝頼も承諾して両国の戦は収まる。
しかしこれは織田信長に内緒で、徳川、武田の戦は続けるが互いに空砲を放って犠牲者を出さないで撤退するというもの
通説で不仲な信康と五徳もドラマでは相思相愛、だから五徳は信長に築山殿の策は知らせない、しかし武田勝頼が(ぬるい)平和主義に我慢できなくなり、徳川領に攻め入る支度をする、その為に織田に対して武田と徳川の密約を知らせて、織田、徳川を戦わせ力を削ぐために織田領に密約話を広めた。
知った信長は、家康に対して圧力をかけて戦か築山殿と信康の成敗を選択させるだろう、それは次回のお楽しみだ。


若き日の徳川家康の痛恨の出来事
この事件で成敗された嫡男信康は20歳、家康を補佐する将来有望の若武者だった、一説には信長の嫡男信忠より資質が上で信長が先を危うんで殺させたともいう。
この時、家康の男の子供は5歳の於義丸(秀康)と信康が死んだ年に生まれたばかりの後の二代将軍秀忠だけ。
家康は於義丸をなぜか嫌って傍に置かなかったから、男子はいなかったに等しい、この時、家康は36歳
(於義丸は早くに秀吉の人質として大坂に送られ、その後秀吉は養子とする、秀頼が生まれると結城家の養子になって結城秀康と名乗る
関ケ原戦では会津の上杉と常陸の佐竹の抑えとして関東を守る、秀忠が将軍となると弟の秀忠に臣従して越前67万石を得て、越前松平家の祖となる)

息子の秀忠が一人前となる15歳の頃には家康は51歳になっていた、信長父子はとっくに死に秀吉も耄碌が始まっていた、4年後秀吉は死ぬ。
信康が生きていれば35歳くらい、楽隠居ができる歳だったが現実は秀忠がやっと15歳デビューと言ったところ
家康は天下を掌中にするためにまだ20年近く老体に鞭打って戦い続けなくてはならなかった、それほどに痛い信康の死であった。



得ること 失うこと

2023年06月26日 23時14分57秒 | 昭和という時代
僕らはいまどこにいるのだろう
2023年とか言っても1964年となんにも僕は変わっていない

日本だとかアメリカだとか言ったって 死んでしまえば関係ない
地球だ火星だと言ったって 死んでしまえば関係ない

この次生まれ変わると言ったって 日本に生まれるとは決まっていない
地球に生まれるとは決まっていない 人間に生まれるとは決まっていない
産まれてくることさえ決まっていない

だけど今よりいい物になるかもしれない 今とは比べることはできないが

死んだ後の事ばかり心配する人は多いけど
産まれてくる前のことを思う人は少ない
死ぬことは怖いけど 生まれてくる前を怖がる人を見たことが無い
同じことだと思うけど

考えても仕方のないことは考えない 自分に都合の良い哲学を信じるだけ
宗教を信じることは良いけれど参考程度にしておいた方が良い
少なくとも私はそう思っている 自分の為の自分経を信じているから

この間までは富を得ることが目標だった 今は目標はない
今は自由気ままに自分の時間を楽しめるだけで良い
持つと言うことは、それを守る苦しみを背負う
何もないのが良い 守るものがないのが幸せ

何を得ようが最後は全てを失う 
いかなる栄光を体験しようがその記憶は永遠に失われる
プーチンも習近平も束の間の栄光を楽しんでいる
だけどその数倍も栄光を守るために苦しんでいるはず
今の俺の方が幸せなんじゃないかな しらんけど・・・

人生は無駄を承知で生きるのがよろしい
今だけの喜びに浸るのがよろしい 先のことなど考えても無駄

人生は身軽に気楽に時を過ごすのがよろしい



記録づくめのエンジェルス

2023年06月26日 10時19分54秒 | 野球
リアルタイムで我々は大谷翔平という世界でも類を見ない大選手のプレーを見られることは幸せである。
百数十年続くメジャーリーグ、私が小中学生の頃に大リーグチームが親善試合で来日した、オール日本のオールスターで迎え打ったがまったく歯が立たない
しかし大リーグチームの方は本気も出さない物見遊山だったのだから、その差は歴然だった。

その後、日本のチームに大リーガーが天下りしてくるようになった、ほとんどがメジャーでの力が衰えた選手、2A、3Aで伸び悩む若手が多かった
それでも日本に来ると主力になった、私の印象に残るのはヤクルトに入団したホーナー、来日早々ホームランを連発、シーズン60本超えるのではというようなペースにびっくり! しかしその勢いは続かなかった、だがメジャーの凄さを印象付けた。

その後、日本の野球もどんどんレベルアップしていきメジャーに日本選手が入っていくようになった、これは画期的な挑戦だった
そんな中で一番最初に実績を上げたのは野茂投手だった、初めてメジャー選手を手玉に取った一流選手だった。
その後はイチロー選手がメジャーで金字塔を打ち立て、メジャーの中の超一流に名を連ねた、そして今、大谷選手がイチローさえ越えようとしている。

メジャー選手さえ成し遂げない二刀流は中途半端でなく、打撃では現在ホームラン、打点のニ冠を維持しているし、打率も3割前後だ
投手としても6勝上げて奪三振も一流だ、だから今年は打者としては超一流、投手としては並みの一流と言える、一流選手二人分の活躍をしているのだ
大谷の年俸は現在レートで43億円とかだが、日本レベルで考えれば打者として7億円選手、投手として3億円選手、合計10億円と言ったところか。

この大谷が所属しているのが去年まで弱小チームのエンジェルス
このままでは地区優勝さえ経験できない恐れがあり、今年、大谷は移籍話が現実味を帯びている
早ければオールスター後などという、そんな話が出たとたんエンジェルスが急に頑張りだした。
去年はバタバタだったリリーフ投手陣がレベルアップ、クローザーも安定しないが去年よりは安心感がある
大谷、トラウト以外あてにならなかったが、今年は補強がうまくいき、さらに若手が台頭してきて活躍、投打ともにあきらかにレベルが上がっている。

昨日はエンジェルスが大爆発した、投手も好投でロッキーズを1点で抑えた
1イニング打者16人13点はタイ記録 総得点25点 安打数28点はチーム新記録
先発陣で一番さえなかったのは1安打の大谷だった
大谷以外の先発8人は全て複数安打 先発全員安打、全員打点 5打数5安打二人 復帰したばかりのフレッチャーも4安打 1号先制2ランを放った
メッツから移籍直後のエスコバーも挨拶代わりの2安打
前日逆転満塁打で敗れたエンジェルス、十倍返しで鬱憤を晴らした。

今日は現在6回表無死一三塁で1-3で負けているが、大谷は単打、3塁打、1打点

今日は蒸し暑い、部屋の中は30度、そろそろエアコンの短時間出動が迫っている


正反対の人生を体験

2023年06月25日 07時00分46秒 | ライフスタイル
エンジェルス ホームランが出やすいという標高1600mのロッキーズのホームで3番トラウト、4番ドルーリー、5番サイスが合計4球で3者連続ホームラン
打者一巡の大谷は3回で3打席目、ノーヒットは大谷だけだったが渋いタイムリーヒットで先発全員安打達成、これで7-0 アンダーソン降板。
しかし1イニング2打席目のトラウトは四球で満塁、ドルーリーもヒットで9-0
ドルーリー1イニング2安打3打点、サイスは四球でまた満塁
イニング13人目のレンフローが二塁打で12-0 レッズから移籍いきなり出場のエスコバーがタイムリーで13-0、15人目のモニアックが2ランホーマーで15-0
この回、4本目のホームラン、一イニング13点
帰って来たフレッチャーは先制2点タイムリーで2回に口火を切った、そのフレッチャーが16人目でようやく3回は終わった。


日記の一行転記作業もついに結婚前夜までやって来た
14歳の日記から始まって、今は27歳になっているから転記も14年目に入ったのだ、70歳まで続けるとして(今も日記は書き続けているから)残りは44年分
ようやく20%程度を書き写した。
はたして年内に終わるだろうか?

結婚したのは4月だったが、その年の秋、私は婿らしく女房殿の実家(農家兼会社員)へ稲刈りの手伝いに行った。
もちろん料理人と魚屋以外の仕事は初めてだった。 女房殿の家は当時6反歩(1800坪)米造りをやっていて村では中サイズの田んぼである。
機械化が進む中でも珍しく手作業一本やりで、屋内(やうち)という隣近所の親戚並みの人たちが互いに助け合うシステムで数人が手伝いに来てくれていた。
私もそこに混じって鎌を手に見よう見まねで稲を刈った。

ようやく要領がわかって調子が出てきて面白くなったら「昼飯だ」ということで午前の部はお終い、家に戻って(近い)昼飯のおにぎりを食ったら昼寝だ
私は店でも昼寝をしたことが無いので、戸惑ったが1時間以上皆さんは寝ていた。
午後の部が始まり、私だけ何かに追われるように急いで仕事をしているが、皆さんは悠然と作業を急ぐ風もなく、しかし同じペースで作業している。
そしてまた「休憩だ」と土手に腰を下ろして一服、遅々として進まない
(こんなんでいいのだろうか)毎日、分単位で緊張が続く料理作りの感覚ではこのペースは信じられない


内心(もっと早く動けば、早く終わるのに)と思った。
あとから思えば、それはいつも時間に追われている料理人の考えで、農業は正反対の作業理論がある。
わかりやすく言えば料理人は100m競争の選手、農家はマラソンどころか100km、200kmを歩き続けるトレイルレーサーなのである。
時間との勝負は同じだが、短時間にエネルギーを集中させる調理人、時間配分、ペース配分を考えて急ぐ部分と休む部分を作る農作業
昼までに100人前作る料理人と、植え付けから収穫まで半年かける米造りは全く違った作業なのだ。

今、畑つくりを始めて見て改めて農作業の心がわかって来た
のんびりしながらも、雑草取り、肥料、害虫退治、病気予防、水まきなど日々の目立たない作業をしている。
農業は静、調理は動という正反対の作業を体験している
やって見て調理は目の前の美を作る仕事、農業は大空の下で自然相手におこなうダイナミックな世界、それを感じた。

昔、うつ病になった調理仲間が仕事を辞めて引きこもりになったが、数年後に同じ村の建設会社の社長が気にして、彼を雇用して単調な穴掘り手作業をさせていたら、いつの間にか彼のうつ病は治った。
自然の下で急がず、自分でペース配分を考え、周りからのプレッシャーもない、一人の世界で何かを思いながらの作業が彼を再生させたのだろう。

私も今、慌ただしい商業の世界から落ちこぼれて、私の心が求めるままに天の意思に任せて始めた畑作業、はじめてゆっくりと広々とした様々な景色が見えてきたのだった。



またしても目的地に着かず

2023年06月24日 11時31分29秒 | ドライブ
たった今、またしても大谷、トラウトの連発アベックホームラン
ドジャースに連敗したエンジェルス、ナ・リーグ西で最下位のロッキーズにはスィープしたいところ
大谷は日米通算200号のメモリアルホームランとなった。
ホームランダービーダントツの25号、そして6回には今日3安打目のヒットで、またしてもサイクル安打にリーチ、今期4か5回目、まだシーズン半分にも達していない。

木曜日は久しぶりに新潟県の中央部をうろうろしてきました
目的地は小千谷(おじや)の山本山公園でしたが・・・トホホ😿

国道8号を北上して柏崎から291号で小国を抜けて小千谷に向かった
柏崎もとうとう市街地の入り口から柏崎ICまで8号バイパスが全通して楽になった
今までは市街地に入ると信号と渋滞で、なかなか時間がかかって
特に夕方5時頃に入ってしまうと、もうどうにもならなかったが、良かった
無事に小千谷ICまで国道経由で着いたのに、ここから先がたいへん
越後川口ICあたりかと思っていたが、国道からの入り口がわからない
初めてではない、過去に2~3回来たことがあるのに、今回はどうしてもメインの入り口がわからず、細いつづら折りの山道を登って行ったがそれらしいところに着かず、枝道に入り行ったり来たり

とうとう小千谷へ戻ってしまい(もしかしたら朝日山だったか?)それで長岡の朝日山へナビを頼りに向かった
山本山もナビで行ったのに全然だめだった、こんなことなら地図を持ってくればよかった、ナビとスマホで何とかなると思ったのに役に立たなかった

朝日山は戊辰戦争で長岡藩と新政府軍の激戦の地である
またまたつづら折りの上り道、最初は広かったのに「この先、通り抜けできません」の」看板から細くなり、どんどん狭くなっていく
対向車が来れば万事休す
僅かに1mほどの空き地を見つけて(間違えれば崖から落ちる)何度も切り返して戻って来た(こういうことが多いんですよ、私の場合は)
結局往復300km近く走ったけれど、くたびれもうけだった、小千谷の山の中を2時間近くおろおろ、無駄に疲れた。
天気予報に反して雨が降らないだけがめっけもの

予定では山本山の後には国道117を南下して十日町から長野県に入って、飯山から信濃町に抜ける予定だったが断念
「おやき」を買って帰ろうかと思ったが、あきらめて長岡まで北上、疲れたので高速道で帰って来た。

それでも走っているだけで良い気分になる、最近は目的地に着かないドライブが続いている
いよいよ73歳になって、やきが回ったかな?


平和な時間

2023年06月23日 19時32分17秒 | 家庭菜園
野菜作りを始めて、今日までの収穫はキューリ7本、小葱8束、ナス1ケ、ニンニク10ケ分くらい(失敗作)
今はトマトの実が10ケくらいついて、キューリも2日に1本ペースでなっている
枝豆はなかなか伸びなくて、たぶん根が張れないのではないだろうか、それでも実がついているのが嬉しい。
1畳半くらいの畑はいまやスイカとメロンに占領されてジャングル状態、その中でナス3株、キューリ1株、ネギ3株が立ち上がっている
蔓に発育を邪魔されないように、毎日ナスたちのスペース造りが仕事だ
メロンとスイカも伸び放題にしているが交通整理は毎日やっている、蔓の伸びるのが早くて防鳥ネットに蔓を伸ばす
外にも誘導して、今は立体的に誘導している、二株を交配しやすいように並べる作業を終えたばかり
人工交配なんてやったことが無いので、少しやって見たが成果は不明
防鳥ネットで虫の往来は自由になっているので自然交配に期待する
小さな蜂が飛んでいるのでちょっぴり期待あり、ただテントウムシとホタルのあいの子みたいなのが葉を食べに来る
葉もたくさんあるから、少しくらいは奉仕の精神で見逃しているが、花や蔓先をやり始めると我慢できない
だが強力な殺虫剤&病気予防の農薬系は極力使いたくないので、蚊のスプレーで追い払う方法をとっている
臭いで追い払う程度だ、まあ根競べだ。 葉や根の病気、油虫などがでれば農薬系も止むおえまいが、いまのところ葉も健康に育っている
かぼちゃも瀕死の状態から葉をつけて生き返った、手を加えればなんとか実をつけるかもしれない。

作る作業も面白いが、ベランダでボ~っと緑を眺めている時間が長くなった
これが一番平和でリラックスしている時間、まさに神様からもらった時間なのだ。

いつの間にかプリンスメロンの実が大きくなり始めていた、たぶん自然交配だと思うが、育つかどうかはこれからの世話によるだろう。
今はビワくらいの大きさ


今日の手作りラーメン
醤油系タンメン




毎日が日曜日・・ でもありません

2023年06月22日 17時19分54秒 | ライフスタイル
仕事を辞めれば毎日が日曜日
それは今年の春になるまでの1年4か月はそう思っていたのだが、今年は春から忙しい、なんといっても畑を始めたのが最大の原因だ。

1年4か月、様子がわからずおとなしくしていたが、やはり虫が起きてくる
ただ持つべきもの(友と収入)が少なくなった分、回数的にも大幅に減ったけれど、そこは頭を使っていかに自分の好奇心を満足させるか勝負だ。

小さな畑だが水やりは欠かせないし、蔓物を始めたために交通整理も必要、これからは害虫や病気とも向かい合わなければならないし、交配もさせなければならない
ただ交配は面倒なので、オープンにしてあるから自然に任せようかと思っている、小さな蜂も最近見かけるし、何とかなるのでは
殺虫剤など使うと、害虫だけでなく蜂などにも影響があるからピンポイント攻撃が必要だ。

野菜も良いが、やはり人恋しい
かっての大きなボランティア団体は、やむ負えず脱会したが、小さなボランティアグループに入会申し込みを出した
メンバーは5名で、全て女性のグループ、こういったグループが居心地が良い
大きなボランティアでも仲良くしてもらった他地域のメンバーからはたまにお誘いがかかり、はるばる出かけることもある
「yottinさんが居ないとやっぱりつまんないわ、なんとかならんの」なんて言ってくれる
小さなグループも1年に1~2回は他地域の小さなグループとの交流があるから、その時、大きな団体とも交流できるかもしれない
ともあれ、何かをしていないと心が折れる、自分が必要ない人間であるかのような錯覚に陥ることもある
だが、同じ目的をっもつ仲間と交流できれば、それは吹っ飛ぶ

そんなわけで結構今年のyottinは忙しいのだ
朝、起きたい時間に起きて良いのが嬉しい、朝だけは毎日が日曜日だ
おっと! そうはさせまいと「ちゅんた」たちが5時を過ぎると一斉に私を呼ぶ「起きろ起きろ」

私の朝は仏壇のご飯を取り換えることから始まる、我が家には仏壇が二つある
我が家のと女房殿の両親の仏壇だ、なんかおかしな気もするが、今の時代、これが普通なのかもしれない、夫婦は同等なのだから。

二つの仏壇のお下がりを、以前は廃棄していたが、今はちゅんた一族の命をつないでいる
「フーテンの寅ネコ」はGWに去って行って以来、もう2か月近く帰ってこないから、新たな生き物との交流を始めたと言うわけだ

毎週1回はドライブの日だし、「毎日が日曜日」とはいかないのだ
そして、そんな忙しい日々の方がyottinには、お似合いなのさ!

今日の収穫、初ナスです