神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

2023年 今年最後の料理作りは

2023年12月31日 20時14分02秒 | 料理を作る・食べる
 今年は台所に立つ日数が去年よりはるかに多くなった
ようやくジレンマと言うか、トラウマと言うか職業的な圧力から、趣味的な気軽な料理作りにシフトで来たのだ。

思えば、二年前の大晦日は商売最後の日で、この日の仕出し料理を作って私の53年の調理人生の幕を下ろした。
この日も、目がまわる忙しさで早朝5時から夕方6時半まで、びっしり働いた
みんな帰った調理場に一人残って「ぼおお」としていたが、めくるめく思いでが蘇って少しセンチになった。
そして翌日、新年の三が日を始めてのんびりと家で箱根駅伝を見ながら過ごし、4日からは富山市のホテルで一人、三日間過ごし美術館や刀剣博物館、運河公園、岩瀬浜、富山城、市内散策をしてのんびり過ごした。

さて、大晦日の晩ごはんは毎年「すきやき」と決めてあるが、今年は妹夫婦がすき焼き肉をプレゼントしてくれると言うので最後の最後に、すごくお得な日を迎えられて幸せだ。
12月に入って、ヘビの(大蛇)の夢を見たり、外国の金貨の拾い放題の夢を見たが、正夢になったのかな。
黒毛和牛3.5㎏もいただいた。


今日は年賀状を投函してきた後で正月用の「おせち料理」を作ってみた。
なんでも値上がりで既製品なんか買っていたら、とんでもない金額になる
ここは手に入る材料と田舎割烹界の三流の腕を活かして「やってみるか」となった。
彩も色気も品格もない料理だが食べ盛りもいるし、材料費だけだから、かなり格安に出来た
今はおせちの三段重ともなれば、田舎でも3万円以上、都会では6万、10万なんてのがザラらしいから、正月は家族4人そろったし、家族にはこれで我慢してもらう
これで明日は朝からのんびりできるし、初詣もゆっくり行くことができる

三段重にして①自家製大根と人参の酢の物 チキンから揚げ 大えびフライ
紅鮭焼き物

② エビチリ 鳥もも照り焼き ホタテ煮物  卵焼き 牛肉しゃぶ

③ はんぺん焼き タラの子和え サケ巻昆布(既製品) けんちん巻(既製品) 数の子(既製品) 越中昆布巻かまぼこ(既製品) チーズ(既製品)


さて2024年はどんな年になるのだろうか、2023年は私の一文字は「戦」だったな、同じ「戦」でもWBCや阪神決戦みたいなスポーツの戦いは良いが、中東、北欧での今までにない激しい戦争は多くの犠牲を出しながら、まだ続いている、そして中国周辺でもきな臭くなっている
左卜全ではないが「やめてけれゲバゲバ(じゃなくて戦争)」と言いたくなる

今年よりも平和な年であることを願う。

大晦日と言うのにカーエアコン冷房

2023年12月30日 21時00分40秒 | ドライブ
 今日は新潟も富山も快晴、絶好のドライブ日和だった
それでも外は寒いかと防寒具を持っての出発だったが、岩瀬浜の砂浜では若い人たちが20人ほどでビーチバレーに興じて楽し気に声を出している。
立山連峰も海越しにくっきりと見えて、季節はいつなのかわからないほど




富山は日中は12度ほどになって、午前中は暖房だったのに、午後は冷房に切り替えた。
先週は結構な雪が積もったのに、今日の天気はいったいなんだろう
正月三が日も雨は降れど雪マークはなく、4日には船が出るかもしれない

暖冬という予想ではあったが、どうも当たりそうな気がする
そもそも12月に少しまとまった雪が降った年は大体暖冬である
まあこれは寒さと除雪作業が嫌な私の願いでもあるから、実際はどうなるかわからない。

海王丸パークの周辺は整備が進んでますます広くなった
だけど食堂も喫茶もセンターもみんな休みで、海王丸の見学もできなかった
土曜日と言うのに・・・年末は休業なのか?
だけど久々に駐車場は満車、パークも多くの人が入れ代わり立ち代わりで訪れていた。
日差しが強くて、今日は海の色が違う、深いブルーだった。







大晦日までの三日間 神社のこと

2023年12月29日 15時04分13秒 | ライフスタイル
 昨日のカニゆでは3時間もかかって終わらず、残った小さなカニは廃棄しようと思ったが、カニの命を思うと「命をいただいてこそ成仏」と思い直し、今朝から続きをやった、1時間で終わった。
それからが忙しくて、午前午後と友達の家を配り歩いた。

その後、市税、電気料、ガス水道料を郵便局とコンビニで振り込み
それから山の神社へお札をもらいに行った。
今住んでいる家は神社まで徒歩2分、山の神社は車で10分の所にある。
近くの神社は、延喜式にも出てくる古い神社で、町の中心となる一の神社、町の有力者が支えて大晦日から正月まで万人の参拝客でにぎわう。

一方、山の神社は1000戸ほどの地区の神社だが、半数以上は一の神社に行く
二年まいりも初詣も一の神社とは比べ物にならないほど少ない氏子の参拝だ
我が家は父が今のここに住んでから、一の神社のお札をお祭りしているが、ここは息子に任せて、私は山の神社のお札をいただいて前の家の神棚にお祭りする。

神社へは鬱蒼とした林を抜けていく

先日の雪がまだ残っていた


山麓から一気に30mほど登る

もう2年以上空き家だが、私が65年間住んだ家なのでホオッテおけない。
山の神社の神主さんとは三代にわたってお付き合いがあるから尚更だ。
能登半島から何百年か前に今のところにやって来た神社だと先代の神主さんから聞いたことがある。
故人となった先代は飲んべい神主で、いろいろ武勇伝がある、ある意味名物神主だった。 今でも時々思い出す、祝詞をあげていても酒の気が抜けていなかったり、結婚式のあとで刺身を肴に酒をコップ一杯飲むのが楽しみだった。
およそ神聖な神主ではなかったが、本人はそれをウリにしていた。
二代目は巫女さんで私より少し年上、今日も神主さんの自宅へ行ってお札をもらったが、その時出てきて「おやまあ久しぶりでなつかしいわ」とすぐに私をわかって話しかけて来た。
私は、この土地から離れたが、許す限り空き家の我が家には、山の神社のお札を祭って守ってもらう。

今日は、これから風呂の大掃除をして、そのあと年賀状を書く。
明日は新湊へ今年最後のドライブ、帰ったら神棚の清掃と飾りつけをしてベランダの掃除をする。
31日は正月の「おせち」を作る
はんぺんを使って伊達巻を作り、数の子、鮭の焼き物、越中かまぼこ、鮭の昆布巻、海老フライ、海老の黄身焼き、自家製大根の鱠、つー君に頂いた山菜塩漬けの煮物、タラコとツキコンの子和え、煮豆、椎茸、人参、細竹、焼き豆腐、コンニャクの煮物、チーズなど

31日の歳とりは、妹夫婦がすき焼き用の極上牛をお歳暮にくれると言うから
すき焼き、そして年越しそばを食べて、つー君に頂いたシャンパンを飲む。
正月は実業団対抗駅伝を見てから初詣、久しぶりにおみくじでもひいてみようあとは酒でも飲んでのんびりかな、
2日3日は箱根駅伝を見ながら一杯やるか・・・・・
そうだ3日は友達同士の新年会に招かれているから、そこで初顔合わせかな
今年の正月はのんびりのんびり。

2024年まで、あと5日

2023年12月28日 15時53分18秒 | ライフスタイル
 昨日書いた記事です。

2024年がやってくる、1970年には想像もしなかった未来に今いる。
午前中は何を食べたっけ? 考えないとすぐにパッと出てこない
作ったのも自分自身だから、もっとすんなり出てきてもよさそうだが

炊き立てのご飯があって、そうだみそ汁を作った
絹豆腐と白菜と、えのきだったな、少しいつもより出汁と味噌を多めに入れたら良い風味が出て美味しかった。
おかずは? そうだ野沢菜と、え~と・・・なんだろ?
ああ・・・昨日の夕飯に半分残したホッケの焼き魚、それで済ませた。
そのあと小さなカニを一つ食べて、息子は大きなのを一つ食べながらメジャーの話、安倍派のなんちゃらを話した。
それからコーヒーを一杯飲んでから居間で「ブギウギ」「寅さん」と阿部サダヲの市役所おみおくり課の映画を見た。

昼過ぎからは台所の掃除と整理整頓、いらない物の始末をした
14時頃小腹が空いたので、ちょうど一年前の鏡餅(プラだかの三段餅スタイルの容器の中に一口サイズの丸餅がいくつか入っているやつ)が2ケ残っていて
それを電気オーブンで焼いて醤油をかけて食べた。
買ったのは2022年12月で、賞味期限が2023年12月、どうかと思ったが食べた
一年もカビが生えない餅ってカビ以上に危険な気もするが、かまわず食べた
おいしかった。

そのあと乾麺のそばを茹でて食べたが、湯がもったいないから6本入りのウィンナーソーセージを2本、水から放り込んで茹でた、沸騰して浮き上がって来たのを熱いうちに食べた。
昨日は同じウィンナーをフライパンで乾煎りで食べたが美味しくなかった
でも今日の茹でたのは、脂肪分が甘くて、とても美味しかった
調理法で、こんなにも味が違うことを知って感動した。

船長からメールが入って、明日の5時15分入船予定とのこと、今夜は20時半の就寝だな。
たぶん明日の漁が今年最後だろう、29日もよさそうだが出番はないだろう。
29日が年賀状を書く日になりそうだ。




















親鸞の教え

2023年12月27日 09時09分30秒 | 宗教
 地元の人なのだろうけど知らない人から「歎異抄を学ぶ会」というチラシが送られてきた。
ほかにも半年前に神奈川の古い知人から「東京の日蓮正宗の寺で学んで今の苦しみから抜け出しませんか」というような手紙とパンフが送られてきた。
誰にせよ、私はあえて宗教の中に身を投じる気持ちは無いので無視という形、ただ後者は良く知っている人で何度も杯を交わし交流した仲だから、「自分は宗教が無くてもやって行けてます」と年賀状に書こうと思っている。

我が家の先祖には建長寺で学んだ臨済宗の高僧もいるのだが、それは遥か大昔の話で、75年前今の田舎に父が移り住んで先祖供養もできないのでは困るから親しい人が檀家になっている寺を紹介してもらったが、それが今の浄土真宗の寺である。
父母の祥月命日には来ていただいて読経してもらっているが、それ以外は寺の様々な行事に参加したこともない。

浄土真宗と言えば親鸞聖人が開祖である、浄土真宗が何であるかも知らなかったが友人が高校卒業記念にくれた「出家とその弟子」を読んでから親鸞さんの一風変わった宗教感に惹かれた。
私の外祖母は50年前に83歳で亡くなったが、寝込む前は毎日仏壇に手を合わせて「なんまんだぶ」と言っていたのを覚えている。
寝込んでから漫画「親鸞」で知ったことを枕元で話してあげたら手を合わせて「ありがたいありがたい」とつぶやいた。
母にも、私のこのことを言ったらしくて感謝された。

親鸞さんは、学歴も知恵も知識も少ない私にいかなる名僧よりも、わかりやすい言葉で現世の生き方を教えてくれる。
禅宗・臨済宗の名僧、夢窓国師と足利直義の禅問答「夢中問答集」のさわりを読んだが、現代訳でもほとんどちんぷんかんぷんで5ページほどでやめた。
「歎異抄」は親鸞さんの言葉を弟子が書き記した部分と、弟子の見解を記した部分で出来ているが、全体で短い。
だからわかりやすいかと言えば、わかるようで奥が深いから人それぞれ様々な解釈をするかもしれない。
そもそも宗教に正解と言える唯一の答えはあるだろうか? 数学や歴史は答えの数字は一つだろうが、国語の漢字は答えが一つだろうが、文学解釈は答える人の生きて来た経験や環境でずいぶんと多くの答えがあるだろう
同じことを言っても幾つもの言い回しもあるだろうし。
宗教も、そんな感じがする。

軒下で濡れて震えている野良猫を見ても、10人が10人様々な考え方をするだろう、親鸞さんはどう思い、どういう感想を述べ、猫に対してどのような行動をするだろうか?
仏教的に考えた場合、猫は人に救われるべきなのか? 自力で生きる道を探すべきなのか? すぐにも飢え死にして阿弥陀様に救われるのが幸せなのか?
人もまた、野良猫は生きている価値はない、とか、家に連れかえって飼ってあげよう、とか保健所に引き渡せとか、そのままにしておこうとか
様々な考えに至る、猫に石を投げる人間は死んでから地獄へ落ちるのか?
親鸞さんは天国も地獄もないという、では死ねば何があるのか、何が残るのか、何もないのか?

いろいろ生きることを考えて疑問に思えば、それは自分も「歎異抄」の中に加わっているのではないだろうか。
人の営みのささやかな疑問を一つ一つ明確に答えてもらえるなら、それは本当の宗教だろうか、否 僧侶は教師ではない
1+1は2です は普通の教師ならそれでよいし間違っていない
しかし宗教家なら1とは何か、なぜ1と1で2になるのか、それを問うた人が自ら考えるヒントを与えるにとどめるべきだろう。

「ああしなさい、こうすれば極楽に行ける、こうしないから地獄行き」そんな宗教家は宗教家ではない、交通整理係のようなものだ。
まして迷える人々に恐怖を与えて、「我こそがそれを救う唯一の宗教家だ」などと言って高額な布施を強要するのはまったくいかがわしい。

親鸞さんは弟子の疑問に対して「それは私もわからないのだよ」と素直に言う
それだけなら私でも親鸞さんの代わりが勤まる
しかし、親鸞さんは弟子が自ら道を開くためのヒントを与えてくれる
また親鸞さんの生きざまと、我々と同じような家族に対する苦悩、振り切れない様々な煩悩も、我々が生きていくための問題解決のヒントとなっている。
行動の一つ一つを理屈で正しい、正しくないと議論するのではなく、人が生きていく上に何が足りないのか、何が必要なのか、何が無駄なのかをしることこそ自分だけの正解にたどり着く学びなのだ。

答えが一つだけと思えば議論が起こり、正解から遠のくばかりだ
人100人に100通りの答えと生き方がある、それを戦わしても何の意味もない
ウクライナ戦争や、パレスチナ戦争と同じで答えが出るどころか傷が深まるばかりだ。

僧侶が修行するのは何のためなのか、何を修業するのか、そもそも僧侶の仕事とは何なのか。
大昔、初期の僧は他人を幸せにするために修業したのではない、己の苦しみ、煩悩を無くして平安を求めるために出家して人里を離れて山にこもったのだと思う。
だから生涯、一生修行で弟子を持つなどと言う考えはなかったはずだ
空海、最澄などは修学僧として死と隣り合う遣唐使船で大陸に渡り、本場の仏教を学び、名僧と交流して知識を吸収した。
官費と言うのが純粋ではないが、当時の天皇を始め大きな権力を持つ平安貴族たちは名僧を手中にして死後の世界でも栄華を保てるよう念仏させることを考える。
当然、名僧の元には金銀財宝が集まり、大伽藍が建立され、朝廷貴族の二男三男も出家して僧となり出世する。
名僧と言われるようになると迷える人々は近道として名僧に仕えるようになる
名僧にしても国家の後押しがあれば、より布教が拡大するし、ライバルの他宗教に差をつけることができる
こうして、自分の煩悩との戦いから始まった宗教は国家宗教となり、国家と貴族の永遠の安定のための宗教となった

こうした本来の目的から離れた宗教に対して、救われない貧しい大衆を救うと言う、いままでなかった遅れて来た宗教家が日蓮であり、親鸞だった。
親鸞の宗教は簡単で俗世にありながら修業もいらず、「南無阿弥陀仏」を唱えていれば、いかなる罪人でも阿弥陀様が救ってくれるという簡単なものだ。
権力を持った成功者が救われるのがこれまでの宗教、それなら力を持たない善人、業が深い罪人は尚更救われなければならないと親鸞は言う。
「悪人は死ねば地獄行き」というかっての宗教感とは正反対なのだ。

「悪人」とか「法」の始まりは権力者の命と財産を守るために作られたもの
貧しい人間を救うために作られたのではない。
明日食べる飯もない人間がひもじさから財ある者のそれを盗む、時には傷つけたり殺したりもする、それを防ぐために「悪人は地獄」と宗教的な解釈を加えたのだろう。
善人もわが子が目の前で飢え死にしていく様子を見れば、矢も楯もたまらず一本の大根を盗むだろう、それが人なのだ。
「れ・ミゼラブル」ジャンバルジャンも貧しさ故に罪を犯した、だがそれをかばってくれたのは神父であった。
宗教家とは「手を差し伸べる者」であるべきだ。
ジャンバルジャンにしろ、親鸞の時代の貧しい大衆にしろ、その時代の政治家は大衆を顧みず、飢えている民に冷えた粥の一杯も与えず、わが世の春を満喫していた。
それゆえにその後、フランス革命がおこり王族は怒る民衆によってギロチンにかけられ、日本では戦国乱世へと繋がっていく。

政治家は善政をもって、できる限り人間の平等性を保つ努力をしなくければ国家は不安定になっていく(格差の縮小、最低限の幸福度を持たせる)
宗教家は不安な暮らしの大衆の心の平安を保つために努力する
心と食が安定していれば暮らしも安定して人も国も豊かになるだろう。






強い長野県 全国高校駅伝

2023年12月26日 11時59分04秒 | マラソン/駅伝
 男子のこの10年の優勝校は世羅(広島)が4回 佐久長聖(長野)が1回
山梨学院大付属(山梨)1回 倉敷(岡山)3回 仙台育英1回

長野県の佐久長聖高校は、全国高校駅伝男子では毎年上位に顔を出す強豪
昨年は大会新記録を作った倉敷高校に最終7区でかわされて悔しい2位だったが、今年は逆に倉敷の記録を抜く大会新記録で2位倉敷に1分49秒の大差をつけて優勝した。
男子は42.195kmのフルマラソン距離を7人の選手でタスキリレーする。
北信越勢では優勝の佐久長聖の次が、34位の富山・富山商業 36位の石川・遊学館 37位が新潟・開志国際 39位が福井・鯖江と出場47校中すべてが30位台と振るわなかった。

今年の佐久長聖は出場7選手のうち、5000m13分30秒~50秒の選手を6人揃え、14分台の一人も一桁秒と出場校の中では抜群の選手層
アフリカ系の外国人留学生選手が13分30秒前後、日本人高校生は14分20秒以内なら早い方だから、このチームの強さがわかる。
結局平均した強さのまま走り抜いて大会新記録で勝ったが、唯一14分台の記録の5区佐々木哲選手が51年ぶりに区間新記録を出した、ここで一気に勝負をつけたのであった。
これまでの記録は1972年の小出高校(新潟)の浅利選手だったと聞いてびっくり!  浅利選手の区間記録もむなしく小出チームは44位だった。
最短区間3kmながら区間2位の選手に40秒の大差をつけての記録だった。
この23回大会での北信越勢は上伊那農(長野)38位、若狭(福井)40位、小出(新潟)44位、石川県工が45位、二上工(富山)が最終の46位と振るわなかった。
なおオープン参加で韓国の大聖高校が出場、全体の6位相当の記録で走った。
優勝は広島の世羅高校。

強豪校でも5000m13分台は2名くらい、そんな中で前年優勝の倉敷が13分前半の記録を持つ留学生サムエル・キバティ選手が3区で区間一位14人抜きでチームを3位まで押し上げた、佐久も3区で2位から1位に浮上した、倉敷は4区でも桑田選手が区間1位で全体2位に浮上して佐久に追った、しかし5区以降で区間1位、1位、2位と佐久長聖の3選手の快走で差が広がった。

優勝 佐久長聖(長野) 2位 倉敷(岡山) 3位 八千代松陰(千葉)
4位 須磨学園(兵庫) 5位 埼玉栄(埼玉) 6位 大牟田(福岡)
7位 洛南(京都) 8位 仙台育英(宮城) 以上入賞

佐久長聖の新記録タイムは2時間1分ジャスト、あと1秒早ければ、初の2時間0秒台が出るところだった。
マラソンの世界記録は今年10月のシカゴマラソンで出た。 ケニアのケルビン・キプタムの2時間0分35秒 日本記録は鈴木健吾の2時間4分56秒
今回の佐久の記録は日本記録を4分近く上回る、このメンバーの中から将来日本を背負う長距離ランナーが出るかもしれない。

女子は61校が参加、ハーフマラソン距離を5人のランナーが走る
過去10年の優勝校は
豊川(愛知)1回 大阪薫英女学院(大阪)2回 仙台育英(宮城)3回
世羅(広島)2回 神村学園(鹿児島)1回 長野東(長野)1回

今回35回記念大会優勝は鹿児島の強豪神村学園、2位は宮城の仙台育英だった
北信越は長野東(長野)が堂々の5位入賞、昨年は優勝だった。
新潟の新潟明訓が健闘して19位、福井の鯖江が39位、北信越代表で初出場した帝京長岡(新潟)が44位と大健闘、富山は初出場富山中部が55位
石川の遊学館が58位だった。

神村学園は3区は8位だったが4区小倉が区間3位で5人抜いて3位に浮上、絶対エースのアンカー、カリバ・カロライン(ケニア)につないだ。
一方首位の宮城・仙台育英は2区から4区まで安定した走りで1位をキープ、5区中継点で3位神村に1分20秒の差をつけていた。
しかしカロラインは2位に上がると、ひたひたとトップの仙台育英を追い上げる、そしてついにトラックまで勝負は決まらず、最後の直線50mほどの所でついに追いつき、追い抜いた
ゴールタイムは僅か1秒の差、仙台育英は悔しい2位となった。
ゴール前勝負1秒差で決着は中学駅伝男子と同じだった。

仙台のアンカーの橘山さんも区間6位の激走だったがカロラインの超人的走りにはかなわなかった。
わずか5kmの距離で日本選手のトップクラスよりも1分21秒も早く走られてはお手上げだ。
留学生問題と言うのが出てくるが、仙台も2区で留学生シェロップが区間1位で走っているから、1位、2位には問題がない。
留学生の恩恵で優勝とか、とかく言いがちだが、男子の優勝校、佐久長聖は7人全員が日本人ランナーだった。
駅伝は際立った選手が一人いても勝てない、チーム全員のレベルアップと仲間意識、メンタルの強さと瞬発力、日頃の猛練習がものをいう世界だ。

但し次回からは男女とも出場留学生 選手はチームで1名、全区間で一番短い距離(おそらく3km)にだけ起用できるというルールになることが決まった。
これは大学駅伝と同じルールだ。

女子の順位は、
優勝神村学園(鹿児島) 2位仙台育英(宮城) 3位立命館宇治(京都)
4位大阪薫英女学院(大阪) 5位長野東(長野) 6位須磨学園(兵庫)
7位筑紫女学園(福岡=北九州地区代表)8位青森山田(青森)

新潟明訓が健闘 1区橋本が7位 2区寺木も7位を守った 3区で10位に下がったが4区も10位をキープ しかし5区で力尽きて19位 それでも新潟県にとっては10位台は次への希望となった。



戻って来た料理人気分

2023年12月25日 19時59分11秒 | ライフスタイル
 今日の富山県は小雨ではあるけれど黒部の義姉宅にカニを届けに行って来た
もっとも、それは「ついで仕事」で、クリスナスプレゼントと正月おせち用の材料を買いに行くのが目的だった。

ところが義姉から、お返しに手作りのクリスマスイチゴケーキと鎌倉小町通りの銘菓「半月」をいただいた、義姉の亡夫の実家は逗子なのだ。
ケーキをいただいたのだけど、我が家では今日が家族が揃うので注文したクリスマスケーキが届き、思いがけずケーキが2個になった・・・一人二分の一とは、これは「爆食い」だな、でも義姉のケーキは甘さが控えめですんなりと口に入っていった、さすがに一度に半分は食べないけどね。

スーパーへ行ったついでに安い国産牛を売っていたので買ってきた
それをステーキに焼いたが、味つけはうまく出来たが、交雑の固い肉で味もあまりなかった、やはり安い牛肉は銭失いだった、豚ロースの方が遥かに美味い。
それにしても今夜も夕食をしゃしゃり出て作ったのだが、大晦日は毎年食べるものが決まっているけれど、正月三が日はグータラな寝正月なので、今度は私がお正月のおせちを作ることにした。
それでこれから献立を作るが、なんだか料理人気分が戻ってきてワクワクしている。
仕事を辞めた一年目は何もやる気が起きなかったが、今年は何だかんだと夕食を作る日が多くなっている。
女房殿の家庭料理とは違った、ワンポイント料理なので、お互い邪魔になることもないし、パートアルバイトをしている女房殿の骨休めにもなるだろう。

やっぱり料理を作っている時は楽しい、50人前、100人前の料理を作っていたので、家族の料理などどれだけの労働にもならないから楽しいだけで少しも苦にならない。 
家庭の台所は狭くて専門道具も無いので、何かと不自由でもあるが、包丁だけはプロ仕様セットで持っているから刺身でも煮魚でもなんでもござれだ。
プロとしての腕前は???だった私だが、自分で食べる料理は好みに合わせるのでそこそこうまくできる。
毎日は嫌だが週一くらいなら生活リズムの一環として良いと思う。

ああ、肉厚の椎茸を焼いて甘口醤油を垂らして食べたくなってきた。





疲れました

2023年12月24日 14時50分42秒 | 料理を作る・食べる
 今日は疲れました
船長も年末に向かってエンジンがかかってきたようで、獲ってくるくる量が日増しに増える。
もっとも天気次第の漁業だから、獲れるときに獲らないと大雪の年には1か月に2日しか出漁できなかった年もある。

私の収穫、初大根 小さいけれどしっかり水分と辛みがありました。

これからなんにでも使う激辛唐辛子

冬至 ゆず


雌カニを身抜きして、内子も入れて「カニの素焼き」を作りました。

今日はここまで

年賀状が悩みの種

2023年12月23日 12時57分01秒 | どうでもいいこと
 年賀状を買ってきたが、未だに書いてない
絵か筆字で書こうと考えたのが甘かった、絵は幼稚園児並みの絵しか描けないし
筆字も鉛筆で書いたような情けないか細い字しか書けない。
こんなことなら例年通り写真でも加工した年賀状にすればよかった。
それだって「インクジェットでなくてよろしいんですね」と郵便局の女性に念を押されたのに、絵を直接書くつもりで「普通でいいんです」
それで今になって悩んでいる次第、ああ来年からはハガキも封書も今までにない値上げだそうだから、これを機会に年賀状もやめてしまおう。
こう毎年毎年、年の瀬まで悩んでいるんじゃ仕方がない。

私が過去に頂いた素敵な年賀状のコレクションをご披露させてもらったが、ああいう年賀状を書きたいと思ったのだ
ところが実力が違いすぎた、それに手間暇かけることが億劫になっている
怠けものには、あんな年賀状を書くのは無理だ、ちょっと自信喪失になってどうしてよいかわからなくなっている。
それなのに3日間、大雪が続くと言うし除雪作業で年賀状どころではなくなった。 晴れれば晴れたで年末掃除やらカニ漁の手伝いやらで忙しい
ここは思い切って年賀状は元旦まで書くのは辞めてしまおうか
そして、いただいた年賀状だけに順次出すと言う、ずるい考えはどうだろうか
それにしても73歳にもなって、こんなズルいことを考えるなんて人格を疑われても仕方ない。

自分でも、このごろ自分がわからない。そもそも73歳という歳になったことも理解できていないし、先日WOWOWでの矢沢永吉さんのライブ中継を見て、矢沢さんのエネルギーと迫力に圧倒された、75歳だそうだから
「そうでしょ 矢沢さん 年齢はかんけいないよね」などと語りかけた。
けれども除雪作業なんかやると、歳相応の息切れや力のなさを感じる。

大雪警報が出ていた、二昼夜降り続けて累積50cmほど積もったが、車の運行には全く支障がなかった。 
まあ雪国の肩慣らしと言ったところか、それにしても近年で12月にこれだけ降ったのは久しぶりだ。
今日は昼から陽が差してきた、明日はまたカニ漁がある。

我が家から5~6km山間部の雪景色




我が家の周辺





我が家のミニ畑も埋もれた



雪空のクリスマス

2023年12月22日 12時07分19秒 | 季節と自然/花
 今冬の初雪は一晩で30cm積もった
夜中は静かで、昔から「越後の雪は音もなく積もる」というが、まさにそれであった。
早朝5時前から近所の若者が除雪機を発進する音で目が覚めた
間もなく我が家の長男も起きて除雪機のエンジンを鳴り響かせた。

先日は5時に港へ行ったが辺りは真っ暗で、凍るように輝く星空が美しかったが
今朝はもっとも夜が長い冬至にも拘わらず外が明るい
満月かと思ったが、雪降る悪天候である、それは積もった純白の雪にかすかな光の全てが反射して、満月の夜の様に辺りを明るくしているのであった。
暗闇は光の全てを吸収するが、純白の雪は全ての光を解き放つ。

人工のイルミネーションは華やかな色彩で彩られ、宝石のようなきらめきで人々を夢の中にいざなう
だが何の飾り気もない純白だけの雪の世界は、暖かな真綿色
ワタ雪を被った自然界のクリスマスツリー

雪が止んだ22時、天空に北斗の七つ星とぶれることがないポーラリス
南天の青白き青狼星、そこから中天へ延びればオリオンの大きな姿、今まさに天頂から西に下り始めた青白き炎、幾千万の昴星
地上の純白と天空の青白きイルミネーション、そんな中にペテルギュースのザクロのような赤が彩を加える。

しばし見とれて・・・やがて夜半も過ぎればふたご座を追いかけて獅子座が姿を現す
冬はこれから始まると言うのに、もう春に期待を持たせてくれる真冬の星空であった。