神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

人生 ここまで来たのか

2024年11月19日 05時46分17秒 | 心 思い
 昨日は一日、そして今朝も冷たい雨が降って、気温は一気に下がっている
とはいえ、まだ冬の寒さから見れば大したことは無く、夏慣れした体感が体温調整に戸惑っているだけなのだ。

気づけば74歳を過ぎていた
人生とはまさにトラベル、一日一日が新しくリセットされて、それもひとそれぞれに、それぞれの価値観、それぞれの目指す方向に動いている

同じ80年を生きても様々な人生があり、それはどれが正解でもなく、どれが間違いでもないのだけれど、不幸せな一生よりは幸せな一生の方が当然良いわけで
誰もがそれを目指して生きて来たのだと思う
それは年齢を重ねた人間の実感で、未来がまだたくさんある若者には実感できぬ事なのだ。

世界ではなく、日本国だけに限って言っても、生まれ落ちた時すでに9000万の日本人がいて、それから毎年300万の日本人が産まれ、今の時代でも70万の日本人が生まれている
常に1億人以上の日本人と同じ一日を生きているのに、74年の人生の中で一言でも言葉を交わした日本人はどれだけいただろうか
随分多くの人と接してきたつもりでも十万人は居ないだろうと思う
一日一人新たな人と話してもここまで365×74=アバウト25000人、そんなもんだ。

1億2000万人の日本人、そして生まれた日から会わないうちに亡くなってしまった人も1億人くらいいるだろう
2億人以上の日本人と同じ日を生きたのに、たった25000人としか言葉を交わしていない
自分にとって最良の相性の日本人が居るはずなのに、出会う確率は天文学的に少ない、究極のベターハーフに会わずに終わってしまうのがいかにも惜しい

身近なところでのベターハーフでお茶を濁して・・・と言えば失礼極まりない
悲しいことに人間は欲望の塊だ、つねに上を目指し、より多くを目指す、そして多くは妥協してそこで終わる
だからこそ、やり遂げた人に嫉妬する、だがやり遂げたと思った人さえ未だやり遂げずにいることは他人にはわからない
やはり、そこそこの満足感で妥協するのが賢明なのだろう、人間の限界など本当にすぐやってくるのだから。

60歳で保証人になれなくなる人が多いが、74歳の私は犬、猫を飼うことが出来なくなった
今度の保護猫のことでも、母子ネコを飼うつもりでいたが、50代家庭の子猫の貰い手がついて、カート(元、フーテンの寅ネコ)と母ネコを我が家で飼うことに決まり、すでにカートは同居しているが、今日から母ネコも来る予定だった
昨日は先駆けて保護会のSさんが来て、お話をしたけれど母ネコと言えども、まだ推定2歳で、この先順調ならば15年くらいは生きそうだ
15年後の私は90歳、父母は93歳、92歳まで生きたが、80代後半には自分の体さえ維持するのがやっとだった
それを思えば、高齢化した猫の面倒を見ることはできないだろう
今の寿命を考えても、男が90まで元気でいることができるのはせいぜい10%くらいではないだろうか、女(女房殿)が猫の介護をできる確率も20%くらいだろう
結局、そんなことで母ネコを飼うことも、Sさんの話を聞いてあきらめることにした
カートは推定7~8歳腎臓病を患っているので、そうそう長生きはできないかもしれない、だからカートだけと暮らすことに決めた
ネコの一件で、自分の年齢、高齢化を再認識した次第である。

思えば遠くに来たもんだ・・・そう思った。






人生相談

2024年09月29日 08時59分30秒 | 心 思い
 妻がプイと家を出て行って、それっきり帰ってこない
ラインを送っても既読にさえならない
「どうすれば妻を帰ってこさせることができるか」知恵を貸してほしいと知人からラインが来た。

ラインの既読さえないのだから、そうとう妻は怒っているか、もはや彼など眼中にないかのどちらかだ
たしかに彼には落ち度があって、それは100対0の落ち度なのも知っている

世間では「夫婦喧嘩は犬も食わない」という、私もそうしようと思っている
無責任に首を突っ込んだり、口を挟んでよけいこじらせでもしたら、大失策だ
さりとて困っている知人を無視するのも男気がない
そうとう参っていて、これに留まらず悪い方向に傾けば、それも困る

もう何か月かたって、事態は一向に進展していないようだ
もはや望みは無いと言った方が早いくらいだ
仲良く見えた夫婦でさえ、近年は夫の退職を待っての「熟年離婚」が流行していると言う
それほどに女性の不満は蓄積しているのであるのか?

男などという者は、何十年妻と連れ添っても、妻の苦労や不満に少しも気づかない、気づいたふりをするだけだ
それで、たまに優しい言葉をかけたり、ちょっとしたプレゼントをしてすべては終わったと思っているが、どっこい女性はそれほど愚かではない
いや、愚かなのは男の方であろう
女性は明治、大正、昭和戦前の女性ではない
ウーマンリブ、女性解放運動、男女均等法、さまざまな改革の中で力をつけて来たウーマンパワーの闘士なのだぞよ

私も最近は朝食家事をするようになってみて思うのは、調理前に片付けと簡単な掃除をする、それは義務ではなくて、目に入るゴミやら片づけ物があるから、食事つくり前に、それをかたさないと次に進めない
それから神棚の水を取り替えて、仏壇に花とご飯を供え、それから材料の下ごしらえ、煮炊きをして息子優先で支度をして
調理した器具を洗って、ようやく自分の食事が始まる
6時から準備を初めて、7時過ぎに食べさせて、自分がテーブルについて食べるのは8時少し前になる
それで思ったのは、女房殿は是を50年近くやって来たということだ

例えば車いす生活の人の不便さは、側から見て「気の毒に」などと思って同情しても、それはほんの一コマを見ての感想でしかない
車いすを押して半日、街を歩いてみればようやく車いす生活者の視線で見えてくる、どれだけ世の中がこうした人たちの不自由を改善しないでいるかが見えてくる
一方、そうした人の目線で先進的に改善している企業や人たちが居ることもわかる
それと同じように、主婦目線で見るには、一日主婦業をしてみるに限る

さて、彼へのアドバイスは、「どうにもならないと悟ったらあきらめるしかない、失ったものに未練を残してはいけない、後ろを振り返らず前に一歩踏み出せば、五里霧中の暗闇も晴れて、また新しい展開が起こるかもしれない
何もないと言うのは決して不幸なんかではない、むしろ何もない方が気楽である、特に齢をとってからは
毎日、感謝の心を持ち、祖先を大切にして、神仏を敬っていれば、道は開けるよ」
と、言おうかな・・・まだ言ってないけど。









病気で変わる心

2024年08月29日 20時48分09秒 | 心 思い
 人生初の手術が74歳とは、それだけ健康に過ごしてこられたと言うことで、ありがたいのだけれど、入院前と入院中と退院後では、ずいぶん心持が変わった。
人生感が変わったともいえるが、入院前の心持が思い出せないくらい遠い過去に思える。

たしか、あの頃は煩悩がどうしたとか、業がどうとか言っていたことが多かったように思える
だが入院していた20日ほどの間に、余計な何かは、かなりきえさったように思う
そうだ、ずいぶんとコンパクトな思考になったと思うのだ
「憑物が落ちた」とかいうけれど、そんな感じ
病院が随分と住み心地が良くて、しかも空気が良いのか? 鼻の通りも良くなり
眠ければ寝るし、目が覚めれば夜中でも起きるし、そんな生活も覚えた
ようは時間感覚が薄くなった気がする、今が何時であってもかまわない、但し予約とか約束時間だけは守る
断捨離なんかよく言っていたけれど、日記を捨てるとか、レコードを始末するとか言っていたが、今はそんなことは、どうでもよくなって無駄な努力はしないことにした。

なんなんだろう時間が見える、時間がとろみの付きすぎた寒天羊羹みたいにまったりして見える
そんな時間の中を私は急ぐ必要もなく、羊羹同様にまったりと動いている
朝食を6時半に食べるとか、22時に寝るとか、そんなことはどうでも良くて、食べる時間は、調理を終えた時間であり、寝るのは眠くなった時間なのだ
もう、そんな贅沢な時間を送ることができるようになり、それが最大の幸せになった。

思いもよらない大腸がんを患って、手術をして、抗がん剤投与が始まって
それは、まるで夢の中の出来事みたいで、自分はSF小説の中を動き回る登場人物みたいな気分で生きている
入院前から、他人が理解できないような人間関係の中で生きてきたが、今は本当の睡眠の中で毎晩そんな夢を見ている
「夢が現実になった」というが、私は現実が夢になったのだ。

こんな病気を患ったことがなんだか人生の刺激になっている、スパイスと云うのかな・・・
けっして嫌な経験ではなかった、むしろ貴重な経験で、いままでであったことがない数十人の病院スタッフと知り合い、話した、話している、そんな状況がたまらなく好きだ
注射は大嫌いなのに、注射をうつ看護師と短い言葉を交わすのが楽しいし、大好物を食べたくても食べてはいけないと我慢するのも何だか誇らしい。

抗がん剤の点滴をやっている2時間が、やたら静かで、あの静けさも好きだ
まるで座禅をおこなっているような心持になる
点滴室の空気が、それは「し~ん」としていて私の他にも数人いるような気が全くしないのだ、それはスマホ会話が時々聞こえる入院時の大部屋ともまったく異なる。
点滴室の静けさは自分を思うには最適で、何を思っていたのかも点滴が終わると同時に忘れてしまう。

今が多分、一番「生きてる」感が大きいのではないか
一日一日、朝が来るのが待ち遠しく、目が覚めれば、まずは外に出てプランタンの花々に水を撒き、ついでに玄関先にも水を撒き、新聞をもって台所に戻り顔を洗い、歯を磨き、神棚を新たに祀り、仏壇を新たに飾る
そして一坪畑を確認して、少しの収穫と整理をして、それから朝のおかずと汁物を作り食べる、ここまでは毎日同じルーティンになった。

抗がん剤治療が規定回数を終えることが、最大の目標になっている
それは2クールで今はストップしている、年内の行事計画も早くから立てていたが、それも狂いだした
やはり計画とは達成が最終目的地なので、ストレスではある
だから一刻も早く4クールを終わらせることが今の自分にとってもっとも大切なことになっている。

春になって、重い冬の外套やセーターを脱いだような気分が今だ
気分とは気持ちであり心である、ずいぶんと軽やかになった
それは知らぬ間に多くのものを捨て去ったからだ、それは構えて捨てる「断捨離」とは全く別物である
無意識のうちに消え去っていくものもたくさんあるのだと、今思っている
ただ自分は、そうしていても知人や家族が持ち込んでくることがある
それを自分が処理するのは小さなストレスだ、ただそんな刺激も無いと、本当に立ったまま寝てしまいそうだ。






眠るということ

2024年07月16日 20時07分38秒 | 心 思い
抗がん剤治療 第一期 7/14
一週間が過ぎて、テキストに書かれている多くの副反応は全て見られない
腕の痛み、指先のピリピリ、ふくらはのつっぱり、多少の不快感、すべて無くなった。
夜中のトイレも3/14から5/14までが7時間で8~10回もあったのが、夕べは2回に減った
食欲も旺盛、気力もまずまず、外出を控えて買い物にも行かなくなったので気分的には少し刺激がない。
それでも夕方の散歩は雨でなければ必ず行っているから気分転換はできている
体調的な変化はある、それはS字結腸を20数センチ切ったせいで、腸が短くなったことが実感できるようになった。
たしかに短さを感じる、それは不快感ではなく、むしろ良い感触なのである
手術前は胃や腹部が時々痛んでいて胃腸薬が欠かせなかったが、今はそんな症状も無くなった。
あと一週間、ゼローダを飲めば一週間の体休めに入る。


 75までにあれこれしようと計画を立てていたというのに、もう74歳を過ぎていた、これがまことに不思議なのである。
いったい73歳はどこに行ってしまったのか、あまりにもあっけない73歳、いったい何をしていたのか、とんと思い出せない。
四国一周一人旅も、東北一周一人旅も所詮は絵に描いた餅になってしまった
こんな調子だから80歳だってもあっという間に過ぎ去るのか知れない
「思い立ったら吉日」を実行できる人にはかなわない

とはいえ若い時は結構やりたいことをやってきた覚えがあるから、それほど人生を悔いているわけではない
特に旅行とドライブは人並み以上にやって来た、白人、イスラム人、黒人、中南米などは行ったことがないが、それでも満足している。

もしこの先悔やむことがあるとしたら、それはいったい何だろう?
悔やむことはあるのだろうか? それもわからない
人間がやりたいことはいくらでもあるだろうけど、時間は決まっている
何もかもやることは不可能だ、だから早く自分のやりたいことを見つけるのが良い、それが道を究めることにつながる。

このごろ幸せってどんな時だろうかと思うことがある
そして気持ちよく眠ることができることが一番幸せだと思うようになった
本当に「す~」と眠りに入る時が最高の時間だ
何も考えず、何も思わず、すべてを無にしたまま眠ってしまう
こんな幸せがあるだろうか

三日間、夜中に10回も目が覚めていたが、昨夜は8時間で5回だった
それだけで寝不足が解消された
人間にとって寝ることは起きている時間同様にたいせつだ
起きている時間の心の汚れを全て洗い流す気がする
それも眠りの質によるが、快眠こそが最高の時間である

何かをしたい、何かをしたから楽しい
そう思うが、それなりにエネルギーを使っている
眠るのが良い 眠るのが良い 最近、そんな気持ちになって来た。 






思えば遠くへ来たもんだ

2024年07月13日 19時13分38秒 | 心 思い
 抗がん剤一回目 5/14
点滴の影響は少しずつ薄まって来た、指先が水にぬれても大丈夫になって来た
だが冷水はどうか? 試す必要なし。 ふくらはぎの張りもずいぶん無くなった
夜中のトイレは相変わらず同じで7時間に10回くらい起きる、だが寝不足感は無い。 食欲は相変わらず大丈夫である。


 この身は変わらず故郷にあるけれど、時空は遥か遠くに来てしまった
74年の年月は長くもあり、短くもある
様々、多くの人との接点が流れていき、縁あったのか無かったのか
別れがたい人も男女問わずあったけれど、今もこの地にある者は一人もいない
今親しく交わっている人たちは家族親戚を除けば、みな40を過ぎてから知り合い、友となった人たちだ
いったい若い時の親友とか想い人とかは、どこに行ってしまったのだろう
あの時の離れがたい切なさは何だったんだろう
私と同じように、彼らの心からは私はもはや忘れ去った幻になったのか

良き友、生涯を通じてと思った友ほど早く逝ってしまった
友の価値感は同じ時を一緒に過ごしたことにある、同じ時空で同じ課題を語り合い、討論した日々
同じ山道を前後になって歩き、同じゲレンデを前後になって滑った
同じ映画、同じ書を語り、生真面目に青春や人生を語り合ったりした
思い出せば懐かしいが、一つとしてもう戻ることは無い
その人も戻ることがない
今は近くに居てくれる人たちと人生を共に過ごしていく

過去を思えば、やはり遠くに来たもんだ。



 
パティページ ふるえて眠れ
Patti Page - "Hush, Hush, Sweet Charlotte"

人生と友

2024年02月27日 11時36分23秒 | 心 思い
 今朝、伯母さんが亡くなった、5月で98歳になるところだった。
私と同じ寅年の5月生まれだった、寅年らしい気丈な女性で、大人しい伯父さんとは対照的だった。

録画した「春になれば」を見ていたら、「時間は無限にあるわけじゃない、どんどん前に進まなくっちゃ」というセリフがあった。
伯母さんも我らから見ればずいぶん長生きしたなあ」と思うが、90だろうが100だろうが、いずれ最後の時は来る
自分をふりかえってみれば70歳で商売を辞めて、月間平均400時間以上働いていたのが、急に年間ゼロ時間になって茫然唖然だったが、慣れてからしばらくは何するわけでもなく無為に過ごしていた。
だが去年の春過ぎから、ようやくいろいろなことにチャレンジすることに決めて、ようやく第二の人生が動き出した。
畑仕事、ボランティア、趣味、散歩、ブログ、書き物、それにこれからは金をかけない一人旅なども考えている。
たしかに70過ぎて、立ち止まっている時間はない、特に男は女より10年も残された時間が短い、すでに健康寿命に達しているのだから。
健康な体つくりに励んで、やりたいことをパワフルにこなしていく、歩けなくなった時が健康体の終わり、後は知的な楽しみに限られてしまう。

友がまた一人去っていく、20年間つき合った友が家庭の事情で首都圏に移住する、こうして友は減っていく、いくら長生きしても友がいない人生の寂しさは、父を見てきてよくわかる。
友の本当のありがたさは、一緒に生きた時代を同じ価値観で話し合えることだ
共通の時代を、共通の場に居合わせた友と語る、だから職場の友、同級生、同じふるさとの友が一番楽しい。
それとは別のタイプの友もある、それは同じ趣味を語ることができる友だ。これは年齢が違っても楽しめる
旅行、ドライブ、ゴルフ、映画、芸術、芸能、スポーツ、花、園芸、畑つくり、写真、読書などさまざまな多岐の趣味に広がる
そんな意味ではブロ友さんも友と言えるだろう。

ときどき、はたから見るとつまらないことに時間を費やすことがある、それは楽しい時間だからやってしまうのだが
今回は今までの人生で出会った友達をピックアップしてみようと思っている
思うとすぐやってしまうから、三日うちにはできるだろう。
条件は10年以上、ある程度の頻度でつき合ってきた人、数年と短くても自分の人生に大きな影響を与えた人を拾い出す。
恩師や家族は含まない、そしてこの中からもっとも大きな影響を与えてくれた友をベストフレンドとしたい。
他人から見れば何の意味もない時間つぶしだが、私は私の心に問いかけてみたいのだ
子供の時の友は主に遊び友達、便利の良い奴だが、大人になるにつれて精神的なつながりが重要になってくる
もちろん異性も含んでのことであるが、つまるところ恋愛感情は友なのかどうなのか」は昔から問われるところだ。(あえて異性カップルとは言わない)
それが可であれば熱愛の末、結婚した相手がベストフレンドとなるが、意外と離婚するケースも多い、そうなるとベストフレンドの定義も揺らぐ。
本当のベストフレンドとはどんな人なのだろうか? それを知るためにも、愚かなる時間つぶしをやってみよう。







人生相談

2024年02月24日 08時17分51秒 | 心 思い
 昨日久しぶりに体重計に乗って見たら2㎏弱減っていた
食事改善を始めて10日余りで効果が出て来た、理想体重65㎏まで、あとひと頑張りだ。
ヨーグルト、牛乳、納豆、オリゴ糖は毎日摂っている、夕食後は牛乳、ヨーグルト以外は口にしない
アルコール摂取は一か月に1~2回になった、それもコップ一杯程度、これも効果があるのではないだろうか。 毎日2~3合飲んでいたのだから、ずいぶんさっぱりと減らしたもんだ、そう言えば1日50本吸っていたタバコも、突然やめたから(30歳の時)わりと切り替えが早いのかもしれない。

友だちとの飲み会は月2回前後で、飲み物も大好きな日本酒やビールはやめて焼酎のお湯割り一本だ。 焼酎はこの時ばかりは5~7杯くらい飲む。

歳を取ると、いろいろな欲望、欲求が薄れてくることがわかった
私はどちらかというと煩悩にさいなまれて、かなりの歳まで欲しいものが多かったが、70過ぎてようやく人並みになりつつあるようだ。
こうしてブログを書いたりして多くの時間を割く、あるいはドライブをしたり、ボランティア仲間といろいろやったりしているのが良くなってきた
去っていく者は去って行って、本当にお互いを必要とする友だけが残った感じだ。

ラジオの全国放送で「テレフォン人生相談」と云うのを時々聴くでもなく聴いてしまうことがある。
今日の回答者は名前は忘れたが、元気の良い、はきはきした物言いをする女性だった、以前も聞いたことがあるが、歯切れの良い語り口でズバズバとズバリ直球どまんなかのストライクを取りに来る。

今日の相談は、35歳の娘が自分から一目ぼれしてつき合っていた人に2か月くらいで振られて、自己嫌悪に落ち込んでいる、そして落ち込むと必ず言う言葉が「私はダメなお父さんに似たから、こんなダメな女になってしまった」
お父さんと言うのは、相談者が30年前に離婚した元夫のこと、離婚してからずっと娘に、夫がいかにダメな人間だったかを腹立ちまぎれに言い続けて来たそうで、それが娘に悪影響を与えてしまったと、母親もまた娘に対して自己嫌悪に落ち込んでしまっている。

元夫は今はまじめに働いているらしいので、娘を合わせて真面目な元夫の姿を見せたら娘の気持ちが変わるのではないか、いかがでしょうか?というもの
娘が振られた原因は、彼氏が遠くに移住したいから一緒に行ってくれるか?と聞かれた時、娘は仕事のことを考えたりして決心がつかず答えに躊躇したら、「おまえと付き合わなければ良かった、そんな女だとは知らなかった」と言われ、仲直りしようとしても、もう全然受け付けてくれないで終わってしまったという。

回答者の答えは、彼氏の気持ちが離れたのはタイミングと組み合わせが良くなかったから起きたことで、娘さんの性格にはなんの関係もない
第一彼の求めに即答しなかったこと自体、本気で好きだったかどうかわからない、本当に死ぬほど好きなら何もかも捨ててついて行くはず、即答できなかったと言うことはそれほどでもなかったということ
彼氏は、それに気づいて離れていったので当然の事なんです。

子供は母親にべったりで離れないが、隣の子供も自分の親よりもあなたを大好きでべったりと言うことはないでしょ、だから人と人が好きだと言うのは組み合わせ以外の何者でもない
それから、あなたが夫の嫌いなところ、彼氏が娘さんの嫌いなところ、それぞれあるけれど夫や娘さんの全てを嫌ったわけではない
あなたが別れた夫を思い出せばわかること、別れたいくらいの嫌な部分があったけど、結婚したくらいだから、好きな部分だってたくさんあったはずです
それを書き出して娘さんに伝えなさい、「若い時の私が若気の至りで嫌いになったけど、すべてを嫌いだったわけではない、好きな所もたくさんあった」って伝えなさい、彼氏があなたと別れたのもあなたの全てを否定したわけではない、たまたまタイミングが悪かった、組み合わせが悪かったと言うだけだから、落ち込むことはないと伝えなさい。

あなたは夫が怠け者のだらしない男だから嫌になったと言いましたが、私が好きな男性のタイプは情けない甲斐性なしの優柔不断男です
わたしの友達で一番驚いたのは「病弱な人が好き」と言ったこと、自分も体が弱くて、一生懸命働いても「もっと頑張りなさい」と言われるのがつらかった
だから病弱の人なら私の気持ちがわかるから、そんな彼氏と出会って結婚したいと言いました
こんな風に人にはさまざまな形の組み合わせがあるのです、それをおかあさんも娘さんも知るべきです。

私も回答を考えてみたが、さすがに全国放送で人生相談を承る人は視点が違うと感心した次第です。
今さらだが、私の理想の女性像ってどうだったんだろうか?







早朝の思考 静けさの中で

2024年01月15日 07時08分43秒 | 心 思い
 早朝5時に目が覚めたら、頭が冴えてもう寝られない、昨夜寝たのは22時半だから寝不足と言うほどではない‥起きてしまえ!
仕事が待っているわけでもない、寝たくなればこたつに入ったまま寝てしまえばよいだけの事・・・夢に描いた「気ままな生活」そのものではないか。

いつの間にか体は自由人になっている、ところが思考というか、心の動揺というか・・・そっちはなかなか自由にならない
時々、得体のしれぬ、どうでもよい不安が襲ってくる
しかし、よくよく考えれば、それは気鬱であり、仮に現実であったとしても「それがなんだ!」で終わってしまう程度の気の迷い。

人生の75%に差し掛かろうとしている
「まだ25%ある」ともいえるお年頃、かっては怖かったことも、今はかみ砕いて飲み干せるようになった。
人とのつながりが煩わしい時期もあったが、今は人と繋がっていることが支えでもある。
ブロ友Wadaさんのブログにもあった通り、長いこと人と話さないと「独り言」が出てくる
独り言も、無意識で出る場合と、意識して独り言を言うこともある
無意識で出るのはイエローカードで、意識的なのは発散だ

私の場合、女房殿と息子が同時に仕事に行って一人になった時間
シーンとした静寂が訪れる、かっては、この一人の静寂がたまらなく好きな時間だったが、今はどうなんだろう?
あの静寂が嬉しいのか、寂しいのかわからない ただただ静寂で、何を思うわけでもなく、頭が空になっている

「神に祈る」と言うのはたいがい願い事で、それが叶うことはほとんどない
若い時は、それでも神に祈った
今は、そんな無駄なことはしない、そもそも、もう願いなど多くはない
一日を平穏に過ごせれば、それで十分だ、欲しいものだってそれほどあるわけでもなく、できることの範囲が狭まった今はなおさらだ。

今、神に祈るのは「神と一体化」するためだ
「神」と言うのは、毎度いうように具体的な形ではなく、自然界の最大の力の仮称である。
人間の力や能力では到底及ばない英知、自然の力、宇宙の法則、あらゆる破壊力、寝て見る夢、それが「神」
愚かな少数の男が行う戦争の破壊、大量殺人、それは神が最も愚かな人間に与えた試験、それにまんまと乗って「王」の喜びを楽しんでいる
どうしょうもない愚か者と、数百万の力無き哀れなチェスの駒

カニ漁以外の早起き そうだ「モーニングコーヒーの楽しみ」あった
久しぶりのアーリーモーニングコーヒー モカを飲みたい気分
インスタントのモカに、今朝は蜂蜜を少し入れてみよう

1月花開いた我が家のジャコバサボテン「ホワイトベル(雪うさぎ)」 もう10年以上生きている。


 



寝放題

2024年01月05日 08時10分45秒 | 心 思い
今朝、目が覚めたのは7時半だった
起きたとたん「寝放題だな・・・」と心の中でつぶやいた
昨日の朝は8時半までグッスリだった。

「そうそう」期待していた初夢もまったく見ることが無く
3日の夜は見た気がするが、ぜんぜん内容は覚えていない
そして4日から今朝にかけて、とうとう夢を見た、くっきりと覚えている
なぜなら目覚めの直前の夢だったから、そしてそれほど長くはない夢。

私は息子と、小さなスタンド割烹を経営しているらしい
そこに60歳くらいのコロコロした元気の良いおばちゃんが就職してきた
それが入店一日目だと言うのに「送別会をしましょう」と私に言う
まだ一日も仕事をしていないのに「送別会」とは
入店したのなら「歓迎会」だろと思ったが、おばちゃんに任せた

そもそも自分の歓迎会を自分でプロジュースするのもおかしな話だが・・
良く動く女で、「あの店でやります」とか言って近くの飲食店に飛び込んでいった、いつも走りまわっている。

「なんであの店を知っているんだ?」不思議に思ったら、おばちゃんの家は、その店のすぐ近くだとわかり(なるほど)と納得した。

その店に行った、だがその店は西に向かって右手にあったのだが
行った店は東に向かって右手にあった、すなわち逆方向
店の正面には道路を(車は来ない土の道路)挟んできれいなせせらぎが流れていて、中にきれいな魚が泳いでいる
去年の夏に行った白川郷の景色だ。

大きな店ではないが、外まで客があふれ出している
私たちは外のビーチパラソルの下にあるテーブルで椅子に座って待っている
私の正面に座っているのは、おばちゃんのはずだったのに、いつの間にか内田有紀そのものの美女に代わっている、私の従業員なのだ。
従業員なのに私の心は穏やかでない
左の椅子には、今、来ている店のオーナーが座っている
豪胆な気性が見える大柄な男、そいつも有紀ちゃんに興味があるらしくアタックしている
有紀ちゃんは嫌がりもせず「私、オーナーとは知り合いなの」と、私を崖から突き落とす。

私は居たたまれず、その混み合う店の中に入った、中はディスコ状態で料理なんかまったくなくて、矢沢のコンサートのように全員立ったまま熱気に包まれていた
そして私も、以前この店に来たことを思い出して、急いでテーブルに戻りオーナーに息巻いた
「おれもこの店に来たことがある、有名なへんな親父がドジョウすくいだかエビすくいだかをテレビ中継でやっていた店だろ」
そう言うと、なぜか攻守逆転になってオーナーは私に低姿勢になった
「そちらは、あの有名な**の社長さんですか」と私に言った
私は、いつのまにか有名な**さんになっていた、有紀も私にうっとりしている・・(やったぜ!)心の中で踊り上がった。

「食器が必要なら持って行ってください」とオーナーが貢物を呈した
クールにかっこつけて断ろうと思ったが
「いただいていきます」と下手に出てしまった、些細なことで攻守逆転してしまう、慌てて「うちの食器もよければあげますよ」
なんとか自分の立場は守れた
「有紀ちゃん、そろそろ帰ろうか」

このハッピーエンドを、今年の初夢としよう。







新潟市での法要に

2023年11月19日 18時19分52秒 | 心 思い
 今日は日帰りで新潟市へ行って来た。 義妹の三回忌法要
出るときは雨降りだったが新潟市に着くと青空だった。
新潟市で家を建てた弟は当然ながら菩提寺が無く、妻が旅立って近隣の寺院を探し、我が家と同じ浄土真宗の寺に行きついた。



我々が寺に行くと、既に法要を終えた別の家族が帰り支度をしていた
我々が帰るときには、もう別の家族が玄関を訪れていた
複数の僧侶が居て交代でお勤めしているらしい、弟の家の法事にはいつもこの寺の住職が担当してくれている。



読経は普通レベルだが、説教はなかなか為になる立派なものであった。
内容は書かないが、考えさせられる言葉に感銘した。

外に出たら鐘楼があって、今年小学校に上がった姪の男子が
「これなに?」「鐘だよ」
「鳴らしてもいい?」と言って、中に入ろうとしたので姪は慌てて
「だめだめ」
何にでも興味があるので驚くことばかりだ

墓地は寺から車で30分くらいの樹木葬墓苑
晴れていて気持ちの良い風が吹いていた
東京からは娘の家族4人、県内から息子の家族3人もやってきて、一人暮らしの弟宅も昨夜は賑やかだったようだ。
穏やかな天気は亡くなった義妹の性格そのもので人柄が偲ばれた。


妹と私は近所にいるが、弟は遠くに住んでいるので、これからは毎年一回は一緒に兄弟旅行しようと古河から日光へ行ったときに約束したのだった。
私も73歳、弟は68歳、もうしばらくは付き合いも重ねられるだろう
兄弟仲良くできることは幸せである。