神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 169  朝鮮からの撤退

2023年02月28日 17時47分52秒 | 貧乏太閤記
    
 秀吉の死は秘中の秘として秘匿された、だが秀吉が死んでも朝鮮の戦は続いたままだ、それも明国と朝鮮の連合軍は水陸併せて20万ほどに対して、朝鮮に残った日本軍は加藤清正、小西行長、島津義弘の三軍団と小部隊総勢3万5000ほどだ
海上も封鎖されて撤退もままならない。

 石田三成は、秀吉の死後すぐに五大老、五奉行を集めて善後策を練った
まだ朝鮮が不穏な今、決して朝鮮、明に知られてはならない
徳永寿昌らが渡海して、朝鮮に残る大名にのみこれを報せ、家臣にも気づかれぬよう、「和平交渉が整って戦が終了に近いから」という理由で、暫時粛々と帰国するように話した。
それで島津、加藤、小西、黒田、有馬の部隊が最後まで残ったが、そこに敵が攻め寄せてきた
9月20日には加藤清正の蔚山城、10月早々には島津の泗川城、小西の順天城が攻められた
蔚山には加藤、太田の1万が籠り、明・朝鮮軍は3万
泗川には島津が7000、明・朝鮮軍5万
順天には小西ら肥前、肥後勢13000に対して、敵は陸から3万、海上から2万が攻め寄せた
島津と加藤は城門を閉じ、いっさい討って出ず寄せ来る敵に弓鉄砲を放って追い返した、蔚山城もすっかり完成して防御は堅く、兵糧も1年籠城できるだけ用意してある
攻め寄せるたびに明軍は犠牲者を出した、島津の方でも同じで、日増しに明軍は犠牲が出るが、城方はほとんど死者が出ない
結局、蔚山を攻めていた明軍の方が兵糧の心配が出てきて9月末には撤退を開始した、そのまま10月には慶州まで後退した。
加藤隊はこれを見て悠々と釜山までもどり、一足早く名護屋に向かって帰国した、平戸には石田三成らが出迎えたが、加藤清正は三成と目も合わせず名護屋城の陣場に向かった。

 明・朝鮮軍は蔚山敗退で早くも足並みが乱れた、蔚山攻めの軍が早すぎたのだ、それが撤退したころようやく泗川と順天の攻撃が開始された
泗川では圧倒的多数にもかかわらず、攻め寄せていた明軍の火薬庫に島津の大砲が偶然命中して大爆発を起こして死傷者が大勢出た
連合軍は大パニックになった、その5万の大軍の中に朝鮮軍と明軍の不協和音を認めると、ついに島津軍は城門を開いて討ってでた
副将、島津忠恒は包囲されていた時でも何度も義弘に夜襲を申し出ては蹴られていたから、「いまこそ」の思いが強い
城内の全てに近い兵が、騎馬を先頭に混乱する連合軍に切り込んだ、日本国内でも強さが秀でている島津軍である、敵はひとたまりもない
押しては切りまくり、引いては左右から島津が得意とする野伏せ鉄砲で追ってきた敵を撃ちとる
大将の義弘まで討って出て、敵将を数名討ち取った
この戦場がもっとも激しく、連合軍の死傷者は総勢5万の半分近くにもなったという
この戦で島津の名は朝鮮から明国まで鳴り響き「鬼島津」と恐れられた
後退した連合軍は、それでもまだ数で勝っていたから遠巻きにして様子を見ていた、だが攻め寄せる勇気は失せていた、そのため島津軍は容易に巨濟島へ撤退することが出来た。

 順天城の小西隊も海陸から攻められて、固く門を閉ざした
しかし敵の水軍が潮を誤って座礁や衝突をして自滅しだすと、城兵は小舟を出して敵船に乗り移り、切りまくった、さらには船に火をかけたので、多くの敵水兵が溺死した、もはや水軍は全滅に近くなり満潮を期して逃走した。
その頃には泗川で島津に大敗したとの知らせが敵に伝わると、敵の陸兵も動揺した
これに勢いを得た小西軍は、鉄砲を撃ちこむと城門を開いて打って出た、敵兵は混乱して逃走した、順天も小西軍が大勝利を収めた
敵が敗北に打ちひしがれているうちにと

 石田三成からは小西に、「敵に殿下の死が知れる前に和睦してでも撤退せよ」と催促が来ている、大勝利の今こそ撤退するには最適な機会である
明軍も数万と言う戦死者を出して、このまま国に帰ることもできない
小西は停戦を申し出た
「城を明け渡すから、我らの巨濟島への撤退を安全保障してほしい、そのために明軍の副将など10名ほどを人質として出すこと、これ以上戦っても明軍の被害は増えるばかりであろう」
明軍の将軍はこれを受け入れた。
日本軍を朝鮮から追い払ったという実績を得れば大手を振って帰国出来よう
それによって加藤軍は釜山から日本へと帰国していった
島津も立花も巨濟島に渡り釜山へ行こうとしていた

 ところが一番遠くの順天の小西が難儀した、李舜臣が秀吉の死を疑い始めたのだ
李将軍は新たに立て直した水軍200艘で順天を包囲した、
小西は明と朝鮮の陸軍からは撤退の約定が結ばれた時点で、副将などを撤退時の安全のために人質として預かっていたので、陸軍が攻め寄せる心配はない
だが、水軍の李将軍は大臣であれ、上官であれ少しも恐れない頑固者で、水軍提督さえ棒に振った硬骨感である
陸軍提督にさえ、「陸軍は好きなようにするがよい、だが水軍への口出しは無用だ、朝鮮は儂が守る、貴官は攻めようと逃げようと勝手にするがよい、儂は日本軍を国には返さぬ、みな海の藻屑としてやろうぞ」
海上を封鎖された小西軍は順天城から出られず、再び籠城となった
これを聞いた巨濟島の島津義弘は、自分たちの帰国の順番が来たにも関わらず
「小西をそのまま置いてゆかれようか、救出する」と言って、立花宗茂の軍と共に船100艘あまりで順天沖の李水軍に挑みかかった
さすがは朝鮮一の水軍大将李舜臣である、巧みな戦術と数に勝る船で、日本軍の船に乗り移り攻め寄せる
だが島津軍も、立花軍も日本最強の九州武士団だ互角に戦っている
しかし日本軍の船は次々に沈んでいく、「いよいよ駄目か」と思った時、船上で指揮を執っていた李舜臣に鉄砲が命中して、どっと倒れた
あえない李将軍の最期であった、これで形勢は逆転した、順天城からも小西軍数千が海に繰り出し、兵の居ない敵船を奪い乗船する、その数60艘にも及び、小西軍は危地を脱した、勝利したとはいえ釜山についてみると、島津の兵の半数が死傷していた、勝利とも敗北とも言えぬ痛み分けであった
しかし、これで日本軍の全てが帰国の途に就いた
 日本軍がいなくなった城に、次々と明国兵が入って来た、残された日本軍や朝鮮軍の兵士の遺体の首を掻き切ると、討ち取った日本兵だとして意気揚々と引き上げた、日本兵より朝鮮兵の首の方が多かったが、そんなことは紫禁城の高官や皇帝は知らない、まさに死人に口なしである。
これで大敗を隠す言い訳もなった、日本軍の死者数が上回ったと報告したのである。
 実際の足掛け6年に及ぶこの戦の戦死者は朝鮮、明国の連合軍の方が圧倒的に多く、一般国民も含めると数十万人に及んだ
だが日本軍も、戦死行方不明者は出陣した兵数の3割強、10万人にも及んだという、そのくせ明国制圧どころか、朝鮮にも足跡一つ残すことがなかった
いったい、この戦争は何だったのだろうか?
それは徳川家康をはじめ、日本の諸大名にもわからない戦争だった
豊臣秀吉と言う、貧しい百姓から始まった小柄でやせ細った、たった一人の男が、全国数十万の武士や農兵を動かして行ない、そして自らの一族を滅ぼしてしまう意味のない戦争だったのだ。
なぜ人間は、ただ一人の人間に従うのだろう? 昔より世界中に、そんな人間が現れて世界征服を企み、多くの人間を殺した
領土は奪っても奪っても満足せず、奪いつくすか、失敗して滅ぶか、死して終わってしまうかであった、それは21世紀の今でも同じだ
人間は少しも進歩しない。
 
 ようやく朝鮮に静けさが戻ったが、荒らされた半島は疲弊した、多くの捕虜が日本に連行された、朝鮮の人民の悲惨さは目を覆うばかりだった
日本と明と言う大国に挟まれた国の悲劇は今度だけではない、遠い昔から北方の遊牧民族に襲われて数十万の民衆だけでなく王族までも北方に連れ去られたことがある、大陸からは漢民族の圧力を受け、南の日本からもこうして侵略を受けた、国家の政治家や防衛体制の脆弱な朝鮮民族は何度となく悲惨な目に遭っているのだ
自ずと国民は為政者を頼らなくなっていく、そうなると国民意識など無くなってしまう、自分が生きるには国に頼っても無駄だから、自分だけの安全のための方策に没頭する、だからこそ日本軍の中に身を投げて保身に走った者も多かったのだ。
日本軍は朝鮮から消え去ったが、代りに明軍が各地に駐屯するようになった、これはこれで朝鮮人民には苦痛の種となるのであった。
また宮廷では東人派だ西人派だと権力争いが始まるであろう、この国家体質は朝鮮王朝が変わるまで治まらない。
 来年には秀吉が三度、朝鮮に上陸するという噂があり、明国は容易に朝鮮から軍を引くことが出来なくなった
朝鮮も明の進駐軍の為の食料や維持費を提供しなくてはならないし、人的な労力も提供しなければならないので、荒れ果てた国内はいつまでももとに戻すことが出来なかった。
しかし、年が明けると秀吉が死んだニュースが伝わり、ようやく一安心する
それならば仕返しに対馬を奪い、九州に攻め込むかなどと勇ましい言葉も出たが、現実的ではなかった。





大相撲三月場所は見どころあり & J1アルビレックス新潟

2023年02月28日 09時51分15秒 | 大相撲
大相撲の番付が発表されましたね
今回も照ノ富士が「横綱大関」と言う兼業、でしかもたぶん休場でしょう
一人大関の貴景勝が「西大関」というのも滅多に見られない現象ですね
でまたこの人が15日間「この一番にて本日のうちどめ~~」なんでしょう。
13勝以上で優勝、14勝以上で準優勝以上なら横綱昇進間違いなし、(私見)ですけど。
問題は13勝で準優勝、12勝以下で優勝の場合、協会はどんな判断を下すでしょうか、横綱が欲しくて仕方ないですからね、しかも日本人。

大関不足に悩んでいるのに、十両3枚目までに元大関二人、関脇一人と豪華です、朝の山、先場所は上位に二桁勝が多かったため幕内復帰はなりませんでしたね、まあ朝の山が十両筆頭か幕尻かでは優勝にも大きな意味の違いがありますから
最近は照ノ富士を含め幕尻優勝2回ありましたからね。
好成績で十両優勝して一気に幕内上位を狙ってほしいです。

5年ぶりJ1復帰した新潟アルビ、強さは本物か?
開幕戦は昨年5位のC大阪に2-2のドロー、第二戦は昨年3位の広島に2-1で見事勝利、攻撃時のスピード感が今までと全く違う
地味な松橋監督になって、去年のJ2優勝年からスタイルが全くかわった
とにかく走る、パスが早い、ヒールパスなど技も多彩に、攻撃バリエーションも増えた、堅い守り
大阪戦は鶴翼の陣形から速い攻撃に変化、広島戦は鋒矢(ほうし)の陣形から一気に中央突破してもぎ取った2点、敵陣前には数枚が飛び込んでロストボールに対応
弱い時は一人しかいなくてチャンスを何度も逃した。
守りも固い、初戦は2点取られたが、広島戦は後半16本の怒涛のシュートを浴びたが1点に抑えた、これは自信になるだろう。
勝ち点4で6位、まずまずの滑り出し、次回のホーム戦は25000は入りそう、アルビファンが会場を埋め尽くすだろう。




空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 168 北政所ねねの述懐

2023年02月27日 18時44分20秒 | 貧乏太閤記
 秀吉の死は直ちに肥前名護屋城にも伝えられた
すでに戻っていた渡海軍のうち、五大老の宇喜多秀家が石田三成、浅野長政ら奉行衆、小早川秀秋ら諸大名を集めて、朝鮮に残っている軍の撤収方法を相談した
一方、京に詰めていた徳川家康は、ただちに軍勢を率いて大坂に向かい、大坂城の秀頼の警護と称して家康は城内にとどまった
前田利家は既に秀吉に依頼されて詰めていたが、そこに家康も来たので今後の国内の安定、朝鮮、明国に対する備えや対処方法を語り合った。

 その頃、北政所は秀吉が眠る伏見城で、危急を聞いてやってくる在地武将に何かと返礼の言葉をかけていた。
その中でも福島正則と加藤清正はわが子同様である、しかし清正は今も朝鮮で戦を続けているので、正則は(さぞかし、かかさまは落胆されているだろう、わしが行って虎(清正)の分も孝行せにゃなるまい)と決意してやって来たのだが・・・
意に反して、政所は元気な様子だった。 「市(福島)、早速にきてくれたのじゃのう、やはり持つべきは市と虎じゃ、ありがたやありがたや」
そう言って肩に手を当てて、正則の体を揺らすのだった。
「ご心痛、お察しいたします、お気落しなきよう」
「市よ、この日が来るのはとっくに覚悟していたこと、あの人も全てやり尽して天に召されたのじゃから悔いはないであろう」
わりとさばさば言う、正則はいささか拍子抜けしたが
「殿下は満足されて逝ったのでありましょうか?」と問うと
「あの人は日輪を背負って生まれてきた方なのじゃ」と意外なことを言った
「それはいったいどういうことでしょう?」
「まだ秀吉殿と一緒になる前であった、身分も足軽だし、実家も百姓だと言う、私の両親も兄も心配してのう、最初は結婚に反対だったのじゃ」
「それは聞いております」
「じゃが、あの人は少しも動揺せず、『儂は、ねねさを好いておる、ねねさも儂を好いておる、ならばこの話はうまくいくで、心配せんでもええ』そういうのじゃ」
「ほお どういえばいいやら・・」
「どうしてか?と聞いたら、『儂は日輪を背負って生まれてきたのじゃから、うまくいかんことなど何一つない、心配せんでもええ』とまた言った
なんでも子供の時に、家では義父にさんざん酷いめにあわされていたそうな
それが、ある時、秀吉殿の義父が柿の木から落ちて死んだ、最初は腰が抜けるほど驚いたそうじゃが
その時、急に心に何かが湧き出すような感覚がおこったそうじゃ、腹の底から外に向かって湧き上がってくる力と言うのか
初めて身近で見た人の死、あれほど恐れていた義父が、呆気なく目の前で死んでしまった、死んでしまえばただの躯(むくろ)
それは自分にもいつ起こるかわからん、子供ながらにそう思ったそうじゃ
『人は必ず死ぬ、死ねばただの躯』死に対する覚悟が、その時に出来たんじゃと、それをあの人は『儂の体に日輪が入ったんじゃ』そう言っておった
『どうせ死ぬんだから、やるだけのことをやってみよう、田舎で百姓をやって一生地べたを這って生きるなんぞ、儂はできん』そう思って家を飛び出したのじゃ」
「ふ~ん・・・初めてお聞きしましたぞ」
「その日から、『わしは前しか、いや今だけしか見んようになった、今この時に命をかけようと思ったんじゃ』そのように申しておられた」
「なるほど」
「それからは自分のやることに自信をもって向かっていくことが出来るようになったのじゃと、『まだ来てもいない明日の心配をする奴はアホじゃ、明日のことは明日になればわかる、但し今、何もせにゃ明日危機に陥ることがわかれば、そうならぬように今全力を尽くして阻止する、それは当たり前のことじゃ』と、明日の為の準備は必須だが、明日を心配して悩むのはだめだと言うことだそうじゃ、
『明日まで生きているかどうかもわからぬのが人じゃ、それが明日の心配をしてどうする、そんな心配ばかりするから今がおろそかになる、今を誤らぬよう持てる力の全てを結集して今この時を生き抜くのよ、今この時に全力を尽くせば、日輪様は必ず助けてくれる、日輪様は儂が進んでいる前に大河が現れれば、橋を架けてくださる、知者に問答を迫られれば、溢れるほどの真理を儂の口から吐き出させてくれる
それもこれも日輪様が儂に大きな役目を与えてくれたからじゃ、それは戦国の世を終わらせること、その役割をこの儂一人に与えて下されたのじゃ
もちろん、最初からそう言われたわけではない、日輪様は小さな覚悟から順に与えて下されて、それができると次の少し大きな覚悟を与えてくださる
そうして次第に儂を成長させてくだされたのじゃ』と申されました」

「そう言えば虎も日蓮宗に熱心じゃ、それで肥後半石の大名になれたのかもしれませぬなあ」
「そうかもしれませぬ、信心も日輪を背負う如しかもしれませぬ
あの人は、それからもどんどん出世していった、なぜか問うたことがありました、『それは、儂に迷いがなくなったからじゃ』と言いました、『道が二つあったとしても、儂は迷わない、なぜなら日輪様が教えてくれるからじゃ、それも右だ左だとは言わぬ、どちらでも儂が踏み出した道が正しい道で〈踏み出した道を疑わず、できる限りの知恵と力を絞り出せば、必ず道が開ける〉そんなふうに言われている気がする』そう言うのです」
「しかし、時には金ケ崎の退き陣のように失敗したこともあります、また小牧でも徳川殿に大敗を喫したこともありましたな、あれはどのように言われましたかな?」
「そうじゃ、そうじゃ、そんなこともあった、あの人はどういったと思います? 『儂は大失敗したことなど一度もない、だが小さな失敗は数え切れぬほどしたものじゃ、人間、時には失敗しないといつか取り返しのつかぬ致命的な失敗をするものじゃ
だから小さな失敗はあってもええんじゃ、それは学びじゃ
その学びが何倍の大きさの次の成功につながる、それができん奴は失敗なのじゃ、失敗から学べば・・・学んだだけではだめじゃぞ、それを生かした実行が無ければ、それもただの失敗じゃ・・・金ケ崎の失敗では、わしは身内と言えども油断してはならぬことを学んだ、小牧山の戦では大きなものが、小さなもののところまで下りていけば大であっても小の働きしかできなくなることを学んだ、だから、あれ以後は徳川殿に対して、大きく向かうようにしておる
今川義元が、若き日のお屋形様に敗れたのは、まさにそれであった』
失敗は学んで活かせば失敗ではないとは名言でありましょう」
「いかにも、わしも今日は、かかさまから学びましたぞ」
「市や、大きゅうなっても慢心してはなりませぬぞ」
「?」
「秀吉殿でさえ結局は道を誤りました、そもそも関白だ豊臣だとお公家様の真似を始めたところで日輪様は、秀吉殿の体から抜けて行ってしまわれたのです
秀吉殿は、その頃に日輪様の存在を忘れてしまわれた、あるいは『日輪様などもはや儂の力に及ばぬ』という慢心を持たれたのでしょう
あれから歯車を狂わせてしまった、意味のない唐入りを始めて、敵、味方あわせて数十万も死人を出し、彼の国も我が国も疲弊して民が犠牲になっている
それだけではありませぬ、一番大切な秀次はじめ数少ない身内を滅ぼしてしもうた、自分の力になる虎など大事な大名をいわれなき罪に問うて離れさせてしもうた、あまつさえ私の身内である浅野家にも罰を与えた
私すら、秀吉殿は敵にしようとしたのです、木下吉房さま夫婦は三人の男子全て秀吉殿に身を捧げながら滅んでしまった、夫の吉房どのも流罪
瑞竜院さま(秀吉の姉、秀次の母)の嘆きは見ておられませんでした、幼い孫までも皆殺されたのですから、惨いことです、自分の姉にさえあのような仕打ちをするとは・・・日輪様とは、あの人そのものの生きざまだったのでしょう、自分を信じ通すことが日輪の力、その信念が秀頼がうまれたことで揺らいでしまった、自分の奥深く見つめていた人が、その眼を秀頼に向けてしまった、目が曇ったのです、日輪に雲がかかったのです
あれからの秀吉殿の行動は、すっかり狂ってしまった、冷静に自分を見ることが出来なくなり、それに老いが追い打ちをかけてきたのです」

「太閤殿下がお亡くなりになって、このさき豊臣家はどうなりましょうや」
「何を言うのですか、あなたや虎が大坂城の秀頼を守らなければなりません、まだ5歳の童です、少なくとも10年が必要です」
「しかし、三成ら大坂城の奉行どもが我らを寄せ付けまいとしております、三成こそ豊臣家に仇成す獅子身中の虫でありますぞ」
「それは違います、三成は三成なりに秀頼の将来を万全なものにするため努力しているのですよ」
「ならば我らと共に働くのが良いのでは? だが三成は我らを見下して相手にもしようとしない、しかも殿下に讒言までしたのですぞ、許せませぬ」
「そうなのですか、それならしかたにゃ~が、市と虎は、おみゃーたちが思うように、三成と違うやり方で秀頼を守りなさい」
「わかりました、そういたします」
「決してこれ以上、豊臣家を分裂させてはなりませぬ、やっと訪れた戦国の終わりを元に戻してはなりませんよ、まだまだ機会があれば天下を我が物にしたい者たちがいますからね、秀吉殿の家族はみな力を併せて平和を守って行かにゃーなりませんよ」
「おかかさまの話は、ようわかりました、しかし三成は評判が悪すぎます、儂や虎だけではにゃ~で、いつ誰が怒りをぶつけるかわかりませぬ」
「困ったこと、私が大坂城に入って、そうした者たちを諌めるとしましょう」








次のミッション

2023年02月27日 08時09分20秒 | ライフスタイル
ついに「貧乏太閤記」を書き終えた、掲載もあと三話で終わる。
これを書き始めたおかげで、約6か月退屈せずに済んだ
そして勢いに乗って次の長期ミッションに挑戦する
また自分の根気が試される
以前書いたけれど、今度は自分の人生の総括、1964年(昭和39年)8月25日から始まる日記の中身の整理だ、これをまとめれば日記帳の断捨離ができる
58年間の自分を振り返る、何が出てくるかわからないびっくり箱だ
今読みかえしても、わからない人物も登場してくる、記憶とは曖昧なものだ
エクセルを使って、その日の内容を簡潔に、出てきた人物名、気持ちを1~2行に集約して書いていく、1ページ1ケ月だから12x58=870ページか
一日2か月分書いても休みなしで435日、1年半500日以上はかかりそうだな
一番楽しみなのは家族以外でもっとも多く登場する人物は誰かと言うことだ
その人こそ、私ともっとも関係が深い人物と言うことになるだろう

ついでに1964年の出来事抜粋(ウィキペディアより)
1月  カルビーが「かっぱえびせん」発売
   「少年サンデー」で「おばけのQ太郎」連載開始 藤子不二雄
2月 ビートルズがアメリカデビュー
3月 早川電機工業(シャープ)が「電卓」(商品名は違う)を開発販売
4月 日本人の海外渡航自由化 観光パスポート発行可能に  
   東洋工業(マツダ)がファミリアワゴン発売
   (因みに私が22歳で初めて乗った新車がこれ)
   週刊平凡パンチ発売
5月  BASIC言語CPプログラム初実行
6月  三菱系三社合併して「三菱重工業」発足
   新潟地震 死者26人
8月  村上雅則、サンフランシスコジャイアンツで初のメジャーリーガーに
9月  米軍、自衛隊の航空機事故4件相次いで起こる
10月 東海道新幹線開業
   気象庁富士山レーダー完成
   日本武道館開館
   東京オリンピック開催
   中国核実験成功、世界5番目の核保有国になる
11月 東京パラリンピック開催
   佐藤栄作内閣発足
   公明党結成
   アメリカ火星探査衛星マリーナ4号打ち上げ
12月 新宿駅に日本初のコインロッカー設置

スポーツ 野球 阪神と南海が優勝
相撲 六場所の内 四場所大鵬が優勝 競馬 シンザンが二頭目の三冠馬に



   
      


空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 167  豊臣秀吉の死

2023年02月26日 17時40分51秒 | 貧乏太閤記
 そんな秀吉も昏睡状態になることが多くなってきて、8月にはもはや意識がもうろうとした状態が続くので、面会も断り、政所と前田利家の妻「まつ」
それに京極殿の三人が交代でつきそうだけであった。
ときどき、医師全宗が様子を見にやってくるくらいである、昏睡はしているがすぐに命がどうこうと言うほどではない
だが日増しに衰弱していくのがわかる、もう食べ物らしい食べ物も、それが水のような粥であっても自力では食べることが出来ない
完全な老衰状態になっているのだ、苦しむこと、痛みを訴えることもなく、ただただ寝ているだけなのだ
そんなとき、今まで音沙汰がなかった淀殿が突然伏見にやって来た、供として大野治長がついている、籠を守る衛士たちは別の広間で待っている

 治長は廊下に座って警護の体制で誰も近づけない、秀吉の寝間を淀が開くと、そこには京極殿がつきそっていた
秀吉は、あいかわらず昏睡状態であった。
「殿下の症状はいかがでありましょうか」淀が聞くと
「ずっとこのままです、もう10日以上目を開けられません、医師は見守るしかないと申しております」
「目覚めることはないと?」
「はい、どうやらこのまま・・・」
「亡くなられると?」
「・・・・・」
「わかりました、私がしばし見ておりますから京極殿はお休み下さい」
「そうですか、それではお言葉に甘えて座をはずします」
「お疲れ様です」
全宗が様子を見に来た、廊下に出て話を聞いた
「殿下はこのまま・・ですか?」
「もはや、治ることはありませぬ、もうずっと何も召し上がりません、今は残った体力を少しずつ消化して生きながらえているのです」
「意識は戻りませぬか?あとどのくらい持つのですか?」
「長くても10日は持ちますまい、短ければ明日にでも」
「そんな そんなに悪いのですか」
「悪いと言うより、苦しむこともなく蠟燭の炎が消えるように静かなお最期となりましょう」
「そうなのですか、わかりました、そなたにもたいそうなご苦労をかけました」
「いえ、もったいないお言葉で、お役に立てず心苦しいのです、しかし殿下と言えども天の定めは避けられませぬ」
「わかりました、最期まで看取っていただけますね」
「それはもちろんでございます、私も城内に一部屋いただいて常駐しております、何かあればおよびください」全宗は淀がいるので部屋に戻った

 淀は秀吉の耳元に口を寄せた、そして小声で
「殿下、殿下、わかりますか? 聞こえますか」
かすかに秀吉が反応した、声と言うより、ため息のようなものが漏れた
「殿下、私の言うことを聞いてください、私は殿下を愛して夫婦として生きるのだと申しましたね・・・でも、あれは偽り
殿下をどうして愛せましょうか、けれども鶴松が生まれた、あれは誤算でした、まさか殿下に子を作る力が残っていたとは・・・
私は悲観に暮れました、いきなり計画が狂ってしまったのですから

でも、殿下に鶴松ができたのは神の悪戯だった、 あれ以後、殿下といくら関係を持っても子はできなかった、やはり殿下には子種が無いと、それに体も老いた、鶴松は100万回に一度の奇跡だったのよ
ところが、あなたは唐入りに夢中になって九州へ行ったわ、その時私は殿下の目を盗んでたった2度だけ若い男との逢瀬でたちまち秀頼を宿したのです、
安心して、殿下より素性は良くて家柄もはっきりしている殿方ですから
何と言うことでしょうか、若さとは子種も元気と言うことなのですのね、たった2度の逢瀬でしたが秀頼が出来てしまった
殿下は鶴松を得て、自分に子種があることを確信したから、少しも疑わずに若侍の子を、自分の子として喜んで後継ぎにした、私にとって願ってもない復讐を果たすことができた
鶴松は本当に殿下の奇跡の子でありました、まぎれもなくあなたの子でした
でも秀頼は9割がた、あなたの子ではありません、いえ言い切れます、あなたの子ではありませぬ。
 豊臣の家は秀頼が継ぐことになりましょう、だが秀吉の血は絶えたのですよ
誰が、あなたを愛しましょうや、私の父と義父を・・私の父を二人も殺した、兄をも殺した、憎い敵のあなたを許せましょうや・・・
思ったより、あなたは純情でやりやすかった、母は確かに私の兄を救ってもらったことで、あなたに感謝していた、それは事実よ
でも、それもあなたの嘘でしたね、あの当時のあなたは伯父に背くことなどできないはずと確信して密かに寺を探らせましたのよ、とうとうあの偽物、莫大な黄金に目がくらんで私の兄などでは無いと白状しました、もう寺になどいませんよ
母は五年もたってから会いに行ったけれどわかるはずがなかった
面影があったから自分に万福丸だと無理に思い込ませて納得したのよ
純真な母と私は違う、ずっとあなたを恨んでいたの、父の仇、兄の仇いつか浅井長政と柴田勝家と母の仇を討とうとね
あなたは私を信じた、バカな男よ、天下人と言っても所詮は男の一人、私の体に溺れて自分を見失しない一族を自ら滅ぼしたバカな男
秀頼は、あなたの子ではないの、誰が夫だろうと死んでいくあなたには関係ないことね、ようやく私は自分の体を犠牲にして復讐を遂げた
私を得るなど伯父に引き立てられなければ決してありえなかった、夢を見ることができたことに満足して成仏して頂戴、供養だけは欠かさずするから安心して逝くがいいわ
私も、あなたの加齢臭を我慢して、ようやくここまでたどり着いたのだから、お互い様ね
いずれ朝廷に豊臣を返上して、織田を復活させる、それが当然でしょ、伯父が一時あなたに預けた天下を織田家に帰してもらうだけ、織田秀頼が生まれるわ、いいえいっそ浅井の父と、信長伯父を併せて織田信政にしましょう、あなたは消えてしまうのだから秀はもういらないわ」

秀吉の手がかすかに動いた、何かを話そうとしている
「聞いてあげるわ」淀は秀吉の口元に耳を近づけた
「て・ん・・・・・」声が途絶えた
「そうよ、天罰が下ったのよ」そう言って、秀吉の顔を見た
そこには息絶えた秀吉の顔があった

 淀はしばらくそのまま秀吉の顔を見つめた、死んだとも生きているともどうにでも見える寝顔は目を閉じていた
たくさんの皴が顔を覆っている痩せこけたただの老人、この顔が、この口が天下のあらゆる猛将たちを恐れさせた男かと思うと不思議な気がする
淀のか細い手でも、こづけば泣き出すのではないかと思えるような貧相の老人
淀は急におかしさがこみあげてきた、「くくく」と笑いをこらえながら、なぜか涙があふれてくる、いったい自分の感情がどこにあるのか・・・
淀は我に返った
「誰か全宗を 殿下が! 殿下が!」悲鳴のような声を上げた
駆け付けた全宗が脈をとった
「殿下は薨御(こうぎょ)なされました」と言った
淀は、激しい鳴き声を上げた 急を聞いて京極も、政所もかけつけた
慶長3年8月18日、(新暦9月18日)太閤秀吉は62歳の生涯を終えた




ウクライナ侵略戦争一年

2023年02月26日 10時15分12秒 | どうでもいいこと
この侵略戦争はまだまだ終わりそうもない
それは両国ともに決定的な最終打撃を与えることが不可能だからだ
80年前の日米戦争の時は、アメリカ軍が制空権、制海権を圧倒し、日本の60以上の都市を爆撃で焼き尽くし、原爆を2発落して広島、長崎で一瞬にして10万人の市民を殺した。
さらに3発目を落すスタンスを見せたから、もはや国民総玉砕の道しか選べない日本は降伏した。
今、ロシアがウクライナに決定的な敗北を与える方法は、こうした原爆以上の核兵器攻撃しかない、通常兵器戦では西側陣営が応援しているウクライナに勝てない。
ただし西側陣営の支援が終わればウクライナは敗北する。
ロシアが核兵器を使えばそれは世界大戦の引き金を引くことでもある
それは人類滅亡の引き金でもある、だからロシアも簡単には核を使えない
一方、ウクライナも国内のロシア兵としか戦うことが出来ない、ロシア領内に一発でも砲弾を落せば、ロシアの限定核兵器使用の口実を与えてしまうからだ
これではじりじりとした消耗戦が続いていくだけだ、ロシアはウクライナの国民に恐怖を与えて、ゼレンスキー大統領に間接的圧力を与えようとしている
逆方向から言えば、プーチンへのロシア国民からの不信任がおこることに期待したいところだが、国民支持はわが国の内閣支持率よりも高そうだ。
国連などの仲介でもし戦争が終結するなら、ロシアは最低でも占領地域のロシア領編入を条件とするだろう。
ウクライナはロシアの占領地域+クルミア半島の返還、戦争犯罪者の引き渡しを要求するだろう
落としどころは難しすぎる、どちらも納得しないだろう、そうなれば現状のまま、お互いが疲労と消耗で停戦となるしかないだろう
お互い疲れているのに上げた拳の我慢比べになる、それを同時におろさせる調停役はアメリカと中国と言うことになるだろう
残念ながら優柔不断で信用がない我が国は調停役にはなれないだろう
そして両国の状況は、現在の韓国、北朝鮮の休戦と同じことになる。



空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 166 徳川父子

2023年02月25日 17時13分56秒 | 貧乏太閤記
 徳川家康の嫡男となった秀忠は数えで19歳になった
家康は55歳だから、36歳の子だ
順番で言えば三男だが、嫡男信康は遥か昔に切腹を申し付けて殺した
次男の秀康は、なぜか家康が馴染まず、秀吉の人質として大坂に送ったが、秀吉夫婦は養子の一人に加えて可愛がってくれた
今は結城家へ養子に入って、結城秀康と名乗っている

 秀忠は大坂城の主となった淀殿の末妹「江」を娶っているが、結婚生活を経験している6歳年上の妻には子ども扱いされて頭が上がらない
もともと温厚な青年で、果たして戦国の世にあって荒々しい三河武士団を統率できるか疑問とされている
しかし家康は55歳とはいえ、健康そのもので病気一つせず、気色の充実したること天下無双の大名であるから、まだまだ秀忠は学ぶ余裕がある
家康も、秀忠を学ばせるため本多正信に指導させることが多くなった
それで、秀忠はこの頃、政治や戦に対しても理解を深めだしている
「父上、なぜに太閤様は唐入りにこだわるのですか? 私が見るに大名の多くが迷惑がっているようにしか見えませぬが」
「それはのう、時代が大きく変化してきたからじゃ、もはや国内の政(まつりごと)だけでは太守の役目は果たせぬ」
「それは、どういうことでしょうか」
「南蛮人が、我が国にくるようになってからもう50年にもなる、最初は興味本位であったが、南蛮人が九州の諸大名に取り入って、キリスト教を広めるようになってから問題が出てきたのじゃ」
「はい」
「織田信長が南蛮人に興味を持ったのは、鉄砲をはじめとする進んだ機械と言うものを独占しようとしたからじゃ、その頃、交易の条件としてキリスト教の布教をポルトガルは要請した。 信長は、それに応じた、そして我が国で初めて大掛かりな組織化した鉄砲隊を作った、それで強敵武田を滅ぼし、日本統一まで進んだのだ」
「織田様を呼び捨てとは・・・」
「ははは、もはや織田様などと言うことはない、呼び捨てるがよいのだ、但しお前と儂だけの時に限るがな・・・信長はわが長男信康、おまえの兄を罪なき罪で腹を切らせた悪人じゃ、わしもあの頃は力がなく従わざるを得なかった、築山(家康の正室、信康の母)とて殺すことは無かったのだ、可愛そうなことをした」
「・・・・・」
「話を戻そう、信長と南蛮人の付き合いは、そこまでだった、ところが信長の後を継いだ太閤殿下は南蛮人のずるさに気が付いた」
「それは?」
「キリスト教信者を増やせばどうなる? 儂が岡崎に戻って間もなく、家臣団を二分した宗教戦争がおこって、儂も危ういところであった
一向宗門徒の反乱じゃ、あの本多正信、蜂屋までもが儂を襲ってきたのだぞ
わかるか? 宗教とはとてつもない力を持つのじゃ、そなたも気を付けて肝に命じるがよい、あの時、一揆に味方した儂の家来は『主従はこの世でだけでのこと、仏との縁は未来永劫、死んだ後も続く』と申したのじゃ
これを南蛮人のキリスト信者が同じことをやればどうなる、キリシタンは死んでデウスに会うことを喜びとする、しかも自害は禁じられているから、死ぬためにしゃにむに挑んでくる、これは恐ろしいことじゃ
既に九州の大名の多くが信者になっておる、中国、畿内、奥州でさえ広がっておるのじゃ」
「そうでありましたか、たしかに恐ろしいし油断なりませぬな」
「太閤殿下は、それに気づかれた、しかも交易の方も密かに、九州の日本人男女を奴隷として南蛮やユーロペ、メヒコまで売り飛ばしているそうじゃ
それに殿下が激怒したのだ、そして南蛮人の追放、キリスト教布教の禁止を始めたのだ、だが唐入りのこともあって、今一つ厳しくされぬから、まだまだ隠れて布教しておるのだ」
「南蛮とは、いかなる意味なのですか?」
「良いところに気が付いたのお、南蛮とは『南に住む、蛮族』という意味だ
もともとルソンより南には九州くらいの島が多くあって、そこには裸の蛮族が数多住んでおるそうじゃ、それを南蛮人と本来はいうのじゃが
そこにポルトガル、スペインの白人がやってきて、武力で南蛮族を従えて奴隷の如く扱っておるのだ
我が国では、今ではその蛮族ではなく、そこを占領しておる白人たちを南蛮人と呼ぶのだ」
「なるほど、そうでありましたか・・・しかし蛮族も気の毒でありますね」
「そうよ、だから殿下は南蛮人に対して並々ならぬ敵対心を持っている、南蛮人はルソンまで自分たちのものにした、そして次に我が国と、明国を狙っておるのだ」
「そうなのですか」
「そうじゃ、ところが我が国が一大武装国家であることに気づいて、メヒコや天竺、ルソンを支配したようにはいかぬことに気づいた、それで武力ではなくキリスト教を広めて、大名や領民を扇動して国内反乱をさせようと方針を変えたのだ、だがそれも殿下は気づいて阻止しようとしている、だがまだぬるい」
「でも、なぜ唐入りなのですか」
「それは、南蛮人も明国を狙っているからだ、明国は都の北京は守りが固く、人間も多いから兵も50万、100万はいるらしい
だが、国が広すぎてまとまりがつかず、南の方では人種もまるでちがうようで皇帝に従わぬ豪族が多いらしい
兵も多いばかりで、戦は決して上手ではないことは此度の戦でわかった
殿下は30万の兵が上陸すれば、北京を落すことが出来ると確信したのだ、南蛮人にとられる前に取ってしまおうと真剣に考えておるのだ
唐国を破れば、南蛮人はもはや我が国に手出しはできぬと考えるだろう
下手すれば、本国にまで攻め寄せると思うかもしれぬ
ユーロペは遠いから、こちらにいる南蛮人の軍隊などわが軍10万で攻め寄せれば、圧政に苦しむ蛮族も立ち上がって、わが軍に味方するであろう、簡単に追い出すことが出来よう
ユーロペの南蛮人から、真の南蛮人を解放して我が国に硝石や金属などの取引をさせるのだ、ポルトガル人から買うより何倍も安く入り、関税も取れる
そして軍船を大量に作って、大砲も作り、天竺へ攻め入ってポルトガル人を追い払う、そうすれば我が国は、朝鮮、唐国、天竺、南蛮、ルソンまで自由に往来できるようになる
そこまでせずとも、ルソン、ゴアなどの南蛮人が降伏して我が国に朝貢すれば許すと殿下は申しておるのだ」
「壮大な話ですね、実現できるのでしょうか」
「そうよのう、殿下の寿命次第じゃ」
「殿下はいつ頃亡くなりますか」
「それはわからぬ、だが儂の方が長生きするのは確かであろうよ」
「父上は本当にお元気ですから、薬の調合まで自らやっておられますしな」
「若いころから養生しておる、儂の父は体が弱く国をまとめることができなんだ、それで今川に国を取られて儂は苦労したのじゃ
そなたも儂を見習うがよい、長生きすれば良いこともあろう、健康ではつらつとした姿を見せておくだけでも家臣は安心して働くものじゃ、死ねば負けじゃよ」
「秀忠肝に命じます」



歩いた歩いた・・・なのに

2023年02月25日 08時55分53秒 | yottin日記
*この記事は24日に書いたもの

 昨日やってしまいたいことがあったが、昨日は天皇誕生日、明日は土曜だから役所などが休み、今日がめっぽう忙しくなってしまった。
やるべき仕事は、すぐにやってしまう方なので、今日はたまった仕事を散歩がてら一度にやった。
余計な話だが2月22日は父の命日、23日は天皇誕生日、24日は母の誕生日

まずは市役所へ行って、市民課、福祉課をまわって用事を済ませ
それから銀行へ行って公共料金分を下ろして、その足で「町の電気屋さん」で支払い、1月末の寒波で洗濯機が故障して修理してもらったのだった。
それからKs電気でプリンターインクを買って
その足でガス水道局へ行って、ガス水道代を支払った、電気もガス水道もたしかに去年より上がっている
公共料金は口座引き落としもできるが、窓口支払いをするとなにかしら職員と会話できるので、それを楽しみに窓口払いにしている、散歩にもなるし
板前兼営業職だったから現役時は毎日最低でも10人以上と会っていた、それが今は家から出なければ家族以外誰にも会うこともない

 午後からは市役所で住民税の申告をしてきた。 毎年パソコンで確定申告書を作って税務署のポストにポン、とられてばかりいた。
ところが今年からは年金収入だけになり税額ゼロ(嬉しい?悲しい?)
「申告はしなくてよいです」とパソコンに言われた。
だけど市役所から来たハガキが気になるので行ってきた、これがまた運よく優しそうな一番ベッピンさんの女性職員にあたり「ラッキー!」
すでに税務署様に作っておいたプリント申告書をだして説明、簡単に終わった
結局わかったのは、税務署は所得税徴収であり、市役所は住民税徴収の確定申告なのだ。税務署には提出はいらないそうだ。
来年からは税務署は気にしないで良いらしい、年金だけだし、来年もまた同じように終わりそう。
家に戻ったら手紙が来ていた、事業を辞めて1年2か月過ぎたが未だに、ネットサーバーの年払い請求が届いたり、保険や證券の住所変更やらが届く
必要ないものは切るが、必要なものは継続、だがその証明書類が面倒なんだ
今日は動きすぎたし、これはさすがに後回ししよう
もう面倒なものは全部やめてしまうのが良い
電気店の事務員が「だんなさん、また仕事するんでしょ?」というから
「もうしませんよ、やっと自由になれたんでささやかに生きていきますわ」
と答えた、少なくとも、時間に縛られる仕事、肉体労働はすることはない。

 ショックだったのは、歩き回って「今日は1万歩いっただろう」と見た歩数計は6500歩! いったい1万歩ってどれだけ歩くんじゃい?
坂本さん、教えてくりょうま!
「おまんのことは 知らんぜよ・・」



空想歴史ドラマ 貧乏太閤記 165 秀吉 病に伏す

2023年02月24日 17時38分44秒 | 貧乏太閤記
 しかし、そんなことを言った翌月六月になると秀吉は、食あたりしたかのような激しい嘔吐と下痢が続き、すっかりやせ衰えてしまった
今までは三日もあれば全快したのに、ずっと寝たきりになった、諸大名が次々に見舞いに訪れたが誰もが「もしや・・・」と思うのであった。
 ここで秀吉が死んでしまえばこの国はどうなるのか、朝鮮はどうなるのか、豊臣家は? 誰もが混乱した。
秀吉も(まさか・・・もしや・・・)と思うようになった
そうなれば一番に気になるのが秀頼のことであった、まだ五歳の子供である
政治どころか、大名を制するなど淀がついていてもできるわけがない
秀吉は石田三成を呼んだ、何といっても豊臣家のことを第一に思っている男はこの三成であると秀吉は思っている
「三成よ、儂にもしものことがあれば秀頼を託せるのは、そなたしかいない
さりとて、そなたはようやく17万石の大名になったばかりじゃ、力が無さすぎる、せめて50万石与えておけばよかった」
「そのような、お気をたしかになさりませ」
「もはや気休めを言って居る時ではない、儂が死ぬかどうかは天が決めることじゃ、儂は死んでも何でもないが、残す淀と秀頼の先が心配なのじゃ
よいか、そなたは儂が亡き後でも秀頼を守り通し、豊臣家を盛り立ててくれる確かな同志を集めよ、そして皆を取りまとめる者を決めよ、そなたは忠臣であるが個が強すぎて皆を束ねるには無理がある、前田大納言のような男に頼むのが良い、だが利家殿も儂と似た歳じゃ、先は知れておる
倅の利長殿、前田の婿である宇喜多中納言、毛利輝元、秀元。小早川、上杉景勝はとるに足る正義の漢(おとこ)、このあたりがまずは同志として信頼に足るであろう
奉行たちもみな信頼できるものばかりじゃ、清正も正則も長政も嘉明も秀頼を守ってくれるであろう、徳川大納言にはくれぐれも気を配ることじゃ
徳川殿が後ろ盾になれば日本も太平じゃ、秀頼も安心できる
儂が死ねば、もはや朝鮮や唐は気にせずとも良い、この国が平和であればそれで良い、儂は欲張りすぎた
母者の言うことも、上皇様の言うことも、おかか(北政所)の言うことも聞かずに無理やり朝鮮に攻め込んだ、だが儂には戦しか思いつかなかったのじゃ
貧乏人とは悲しい者よ、己の貧しい環境から脱したい、足蹴にした奴らを足蹴にしてやりたい、腹いっぱい食べたい、儂を鼻先でせせら笑った女どもを儂にひざまずかせたい
そんなことばかり考えて走って来たのよ、貧しくなければこんなことは考えもせなんだろうよ」
茶を一口すすると、すぐに咳き込んだが
「秀長に先に死なれてしまったのが一生の不覚よ、秀長が生きてさえいてくれたら秀次兄弟を殺すこともなかったに
三蔵兄いも、前野の兄貴も儂が殺してしもうた、官兵衛も遠ざけて今になってみれば儂は何を考えていたのじゃろうか・・・秀頼を豊臣を疑わなかった者たちをみな去らせてしまった、そうじゃ浅野幸長・・・すぐに流刑を解いて家に戻すがよい、三好吉房もじゃ、細川忠興も罪には問わぬ、蟄居を解除せよ」
秀吉は病の床にありながら次々と命令を発した
「そうじゃ、いまいちど秀頼への奉公の誓詞を全ての大名からとるのじゃ
ああ・・・明日、前田利家様をここに呼んでくれ、明後日は徳川殿じゃ
話しておきたいことがある、おおそうじゃ徳川殿の次は、おかかを呼んでくれ」
地震で半壊した伏見城も天守の再建はなさなかったが、あらかた修理が終わり秀吉は再び伏見城で寝起きしている
淀と秀頼、それに北政所は大坂城に住んでいる、側室たちは大坂城と伏見城、両方に屋敷をもらい、秀吉の言うがままに往来しているのだった
大坂城には隠居した前田利家が、秀頼のおもり役として常駐している
秀吉にとって前田利家は、竹馬の友と言ってもよい程の信頼できる間柄だ、石田三成でさえこの二人に割って入ることはできない
秀頼を利家に預けたことで、秀吉は肩の荷が一つ下りた気持ちなのだ、自分が亡くなっても、利家がいれば誰も秀頼をないがしろにはできない
利家に90万石をやっておいてよかったと思う、利家には70、80までも生きていてもらいたい、そうすれば自分が死んでも安心できる
そう思うのだった。

 7月になると、いよいよ秀吉の病状はただならぬものとなって来た
苦しい息の下で秀吉は糟糠の妻ねね(政所)を枕元に呼んだ
「わしもこのざまじゃ、そなたにとって良い夫ではなかったかのう
何を言われても仕方ない」
「そんなことはありませんよ、おまえさまは昔と少しもかわっておりませぬ
短気でせっかちで、言い出したら聞かなくて」
「ははは、それは褒めておるのか? けなしておるのか?」
「ほほほ、自分の胸に手を当てて考えればよろしいこと」
「そうじゃ、儂ももう長いことはあるまい、しゃべれるうちに伝えておく
まずは、そなたにとっては気に入らぬことかもしれぬが、淀と秀頼を助けてもらいたい、そなたが多くの家臣や大名から慕われておることは儂は知っておる
その力を豊臣家存続のために貸してもらいたいのじゃ
そうしてもらえれば、儂は地獄に落ちても構わぬ」
「大丈夫です、秀頼のことは私が見ましょう、それにおまえ様は地獄に行っても閻魔様と大戦争をするに違いありませぬ」
「そうか、わしは地獄の王になるのか、だがもう戦はせぬ、死んでまで休まらぬのではたまらぬ、閻魔大王とは地獄の平和について話し合いをしよう、
まずは、そなたが秀頼を前田様と後見してくれるなら儂も安心じゃ
それだけじゃ、そなたに頼むことは、他は何も言わずともわかるであろう」
「わかりますとも、残された時間を幸せな心持で過ごしてください、私もこの城に居ますから、毎日顔を出しますよ」
「おお、それはありがたい・・・・・うむ、また眠うなってきた、しばし休むとしよう」



雪国へ川を見に行く 山間部を行く千曲川

2023年02月24日 07時50分29秒 | ドライブ
海が好きだけど 川の流れを見るのも好きだ
きっちりと整備された都会の大河もいいけれど
真っ白な雪原の中に一筋の流れを見るのも良い
信州飯山から飯綱、豊野、信濃町、川の流れに沿って
走ってみた

















カラフルな屋根なのか? それとも雪止めの段差が作り出した芸術?


この鉄路は飯山線 長野から飯山に向かう鉄路










廃校なのだろうか? レトロで重厚な立派な庁舎に出会った
初めて通ってみた道で

廃校にしてはきれいだ 小学校みたいだが、収まるだけの生徒は居るのだろうか? いらない心配!