戦後間もない、海辺の田舎の貧しい行商の子供だったから音楽とは縁がなかった と言いたいところだが、父は東京暮らしから田舎へ来たばかりのアラ30、なかなかおしゃれにうるさい、粋なハイカラさんで、モテていたのだ
だから田舎庶民では珍しい、カメラや手作りの蓄音機を持っていた
だから私も一桁の幼児時代から78回転のSPレコードで三橋美智也、島倉千代子、神戸一郎、灰田勝彦、春日八郎などを聞いて育った。
小学校6年生の時、音楽の時間にクラシックのレコードを聴かされて驚いた
子供なりに自分が住む世界には縁がないハイグレードの音楽だと感じた
同級生女子にピアノを弾く子が居た
会社経営者の一人娘だった、近づける人ではないと子供ながら思った
中学生の時にはバレーを習っている同級生女子がいた、教師の娘だったが、眩しかった。
その頃、ビートルズに触れて夢中になり、高校では禁止のバンドを結成して何度か同級生を集めて公民館でコンサートを開いた
いつも10人くらいしか来なかっから
先生をだまして運動会で2000人を前にグラウンドで二曲演奏した
あれが高校時代の三大思い出の一つだ
あとの二つはHD子、HR子との思い出
音楽にもどる
社会に出て、すぐに吉田拓郎のイメージの詩に衝撃を受け、それからサザンの勝手にシンドバットに衝撃を受けた
それから当時若者のメッカとなった新宿、そこのピットインで500円のコーラを買って生ジャズを聞き、俄ジャズファンになり、新潟の古町の路地にあるジャズ喫茶スワンに毎週一人で通ったが、田舎に戻るとジャズは縁遠くなった。
1980年、ビリージョエル、マイケルジャクソン、ドナサマー、ビージース、オリビアニュートンジョンなどに少しなびいたものの、なぜか加山雄三が好きになって聴くようになった
90年代は、毎週次男とドライブをして聴いていたのがキャロル
同じCDを聞き潰して3枚買ったほど
そのあとは世界の矢沢にシフトした
21世紀のはやり歌は知らない
覚える前に消えていく。
この頃、やたら寂しい
冬の悪天候の毎日が寂しさを増幅させる、なにもする気にならず毎日コタツに入ってテレビを7時間見ている
晴れ間を見ての散歩が唯一の運動
朝も8時頃まで寝ている、おきても寒いし、やることもないし、レコードやCDを聴いても気持ちは沈んだまま
昨日の夜、次男の部屋からCDを適当に持ってきてわからぬまま聴いたら、それはバイオリンのクラシック曲だった
バイオリンは、ひまりちゃんのyoutubeを見て唯一受け入れたクラシック
偶然聴いたのはアルビノーニのアダージョだった
渇水していた心が潤っていく
いま荒みかけていた心を洗われていく
求めていたものがわかった気がした
それからバッヘルベル、バッハ、ヘンデル、ビバルディ、マルティニ、などの曲が続く
リチャードカップ指揮のニューヨークフィルハーモニーア室内管弦楽団のCDだった
今朝も目覚めて、これを聴きながら身支度した
75歳、もうクラシックを聴いても良い年齢だろう、それだけの経験も重ねたはずだ
老いていく身にクラシックは似つかわしい
若き日を思い出すのではなく、重ねてきた傷を忘れさせてくれるのではないだろうか。