7時前まで曇っていて涼しかったが、8時には何もしないでも顔から汗がふきだして来た。
廊下からは実ったキューリが2本見えているから、知らぬ顔をしていられない
結局3本収穫があって、冷蔵庫の中がますますいっぱいになって来た。
油断すると、すぐに30cmにもなる巨大キューリ、こうなると手に負えない。
ようやくその処分方法がわかった。
妹の息子、すなわち甥だが、その甥が5羽ほどアヒルを飼っている
全て卵を買って、自分でふ化させて育てた、ほかにウズラを50羽ほど飼っているが、今はどうなっているかわからない。
そのアヒルの餌に太りすぎたキューリを使てくれるのだ。
最初の4羽は同時に生まれて、兄弟の絆が固く、中の一羽がリーダーになった
そして甥からは餌をもらうだけで少しもなつかなかった。
それで、新たに一羽だけ育てたら、それは甥を親と思ってどこに行くにもついて歩くようになった。
足が遅いから、差が開くと飛んで甥を追い越して前を歩く、それの繰り返しだ
他の人間にも警戒心が薄く、私の足元にも寄ってくる、こうなるとアヒルも犬も同じだ。
さて
7月に入って体の調子が急激に落ちて、追い討ちのように連日33度越えの日がずっと続いている。
そうでなくても70過ぎてから明らかな老化現象を感じて来たのだった。
一回り若い超人気女性歌手と結婚した(その後、離婚)当時人気テレビ俳優Kは同年齢だが、病気をしたのか最近テレビを見て老化した姿に愕然とした。
私の外見はKのようではないが、疲れやすい、目の見え方が衰えた、体調が戻るのが遅い、水分を多くとるとトイレが近くなる、気が長くなった、腹が立たない、安全運転になった、2日続きの飲み会はキツイ、夜の街に出る気持ちが無くなった
などなど老化現象が現れている。
私は時々書くが、人間は地球や月、惑星の動きを研究して時間と暦を作った
それは12,24、60などの数字が基礎になっていて天体の動きと連動している。
だから12の倍数で世代の区切りとすれば、6巡目の始まり72歳からの12年間で
男の一生は基本的に終わり、7巡目が始まる84歳からの12年間で女の一生は終わる。
そう思えば、いよいよ私の人生も最終章に突入したのだ
そういえば変わったことの一つに、ある意味の覚悟が定まったともいえる
「明日死んでもいい暮らし方(ごんおばちゃま)」なんて本を買って3分の1読んで放ってあるが、そんな覚悟はできつつある。
何しろ、最近はあらゆる場面でかっこ悪くなってきた
体調に関することだからどうにもならない、こんな姿も受け入れて生きていくしかないのか
それとも、このかっこ悪い生き方は一時的であって、またかっこよさを自負できる状況に戻れるのか
でも、どっちにしても「どうでもいいや」と思う気持ちにもなりかけている。
「死ぬ時はかっこ悪いもカッコいいもないや」
死に方にリクエストがあるとしたら、苦しまず楽に息を引き取りたい
母を見送ることが出来たが、母は静かに息を引き取った、あんな最後でありたいと願うのだが、こればっかりはリクエストできないからどうなるか神様に任せるしかない。
まだまだ元気は残っているが体力と気力は別物だ
気力がなくなるのは周りからの期待が無くなったからだ、周りから見て(どうでもいい人間)になったとき、絶望するか、自分の為にだけ生きられるかで
老後は変わる。
田舎の老人は自分の為に生きることが旨い、畑を楽しみ、老人が集まってグランドゴルフを楽しんでいる。
私も畑を楽しめるようになった、だが欲深い部分が未だに残っていて、それは私の煩悩であり、「断捨離」の中でもっとも未練がましく捨てきれないものでもある。
これを捨てられたら気持ちが楽になるのか、より未練がましくなるのか
私は人生の終盤まで60年間持ち続けた同じ煩悩に悩まされ続けるのだろうか。
これを解決するのは、私がどこで老いを本気で認識するかにかかっている気がする。
先日の焼肉納涼会#