聚楽第での天皇に対する接待の数々に天皇はすべて満足された、誰も体験したことが無いほどの贅が尽くされ、調度品、襖絵まで天下第一の物が用意されていた
十四夜の月を愛でながらの祝宴に謡曲も催され、帝も琴の曲を公家らと披露なされるほど上機嫌であった
その御気分は唐の玄宗皇帝が絶世の美女、楊貴妃を伴っての月見を思い浮かべたほどであった。 帝は聚楽第で3日間逗留の予定であったが、気分の良さは格別だと見えて5日間に延長された。
そして最後の日に、帝に対して秀吉より誓詞が渡された
京都市中の土地税、銀5530両を宮中費用として毎年治める
米800石、内300石を正親町上皇に、500石を六宮関白に
近江の国、高島郡の8000石を諸皇族、公家に差し上げる
後陽成天皇の聚楽第行幸がつつがなく終わると、さすがの秀吉も疲れが一気に出てきて1週間ほど床から起き上がることができなかった
政所ねねをはじめ、愛妾たちも次々と見舞いに来たが、秀吉は口をきく元気もなかった
ようやく疲れも取れて、床から起き上がれるようになったころ、茶々が見舞いにやって来た
「もうそろそろお元気になられるかと思いやってまいりました」
「おお、さすがは茶々様じゃ、利発であられる、実は寝込んで苦しい時に、次から次へと見舞いが来るで、ますます具合が悪うなって困ったのじゃ」
秀吉は布団の中で起き上がってにこやかに茶々と歓談した
そして茶々の顔を見ているうちに、ふと思い立った
「茶々殿、妹の姫が相次いで嫁いで寂しくなったのお、許してくれ
儂もようやく暇ができたゆえ、今度は茶々殿の天下一の婿殿を探すとしよう、どのような男が茶々殿は好みかの?」
「ふふふ まえに申したではありませぬか」間もなく19になる茶々姫の顔には、大人の色気が見え隠れしている
「さて? どんな男であったろうか」
「お忘れですか、私は伯父上(信長)のように強い男が好きだと申したではありませぬか」
「おお、そういえば、そのように聞いたような気がする、さてそうなれば誰じゃ」
「さあ? 私にはわかりませぬ」
「おお、徳川殿の跡取り秀忠殿は・・・うん? まてまて、まだ童であるな」
「・・・」
「蒲生氏郷はどうじゃ、今や松ヶ島12万石の主じゃ、いやいやもう30にもなる、奥方もおったわ、さて、これはゆっくり考えねばならぬのう」
「私は、10万石や20万石の殿方では満足できませぬ、50万石、100万石であらずば嫁ぎませぬ」
「おお、さすがは信長様の姪御じゃ、大きく出たのう、さて50万石といえば、そうそうおらぬ」
「それから草深い田舎、雪深い北国、畿内や尾州、濃州から遠いところも大大名であっても嫌です、北条家、上杉家、毛利家などはなりませぬ」
「ほほう、これは難問じゃ、畿内や伊勢、尾張、美濃、摂津あたりで50万石とは織田信雄、いやいや、これは叔父であるし奥もおるしのう」
「わかりませぬか殿下」
「なに? だれぞ心当たりがあるのか、申してみよ、儂が必ず嫁がせてやろう」
「本当に嫁がせてくれますか」
「もちろんじゃ、お市様に託された姫であるからには儂が責任をもって、幸せになってもらわねばならぬ」
「それでは申します、武士に二言はありませぬな」
「ははは、怖いのう茶々殿は、申してみよ驚かぬ」
「では申します、私の目の前におられるではありませぬか」
茶々が秀吉の目をまっすぐに見た、真顔になっている
秀吉は一瞬、冷や汗が出るような気持がした、そして茶々の目を見返した
その眼には炎と突き刺すような熱がこもっている、秀吉も真顔になった
「茶々殿、それはなるまい」
「二言は無いと、申されました」
「それとこれとは違う、儂には、ねねがおる」
「正室になるとは申しておりませぬ」
「だが、主の姪御を側室にもできぬ」
「正室でもない、側室でもない、茶々のままで良いではありませぬか」
「なんと」
「私は申しました、強い男でなければ嫌だと、昨年よりそう申しております
なぜ気が付きませなんだ」
「それは・・・儂は50になるのじゃ、親子より孫ほども茶々殿と齢が違う」
「ほほほ、そのような例はいくらでもあることは殿下がご存じでありましょう
私が聞いただけでも、松永弾正様、宇喜多直家さま、徳川大納言様も」
「茶々殿、本当によろしいのか」
「私は北の庄を出る時から殿下のことが気にかかっておりました、なぜなら母は,ことあるごとに『羽柴秀吉様こそ、誠実で頼りがいのあるお方だ』と申しておりました、また北の庄を出るときも『羽柴秀吉様を頼りなさい』と申しました」
「なんと、お市さまは、それほどまで儂を信じて下されていたのか」
「殿下、どうか私をお守りください、もはや天下に私を守れる殿方は、殿下だけでございます、私が必ず殿下のお世継ぎを産んで見せまする」
「世継ぎじゃと! まことか、まことに産んでくれると申すのか」
「きっと、きっと産みまする、愛情深ければ必ず産めまする」
秀吉は、茶々のかたくなさ、市の面影に負けた、その夜、茶々と秀吉は激しく結ばれたのである。
そして秀吉は、それを隠そうともしなかったし、むしろ人々に見せつけるような感じであった、かって「ふじ」を懐妊させてどのように隠し通すかと処置に困って、信長の知恵を借りた頃の恐妻家ではなかった
もはや日本中、誰一人として怖いものが居ない天下人なのだ
ねねも、そのあたりはとっくに承知していた、今更、悋気(りんき=焼きもち)を起こしても始まらないことはわかっている
しかし茶々は今までの側室とは全く違う、信長の姪をすでに側室にしているが、それは信長さえ会ったこともないような庶子弟の娘で、身分や実績から言っても、秀吉より遥かに劣る家格であった
しかし茶々は違う、近江の大名、浅井長政と、信長がもっとも愛した同腹の妹、市姫の娘、しかも長女である
その気位の高さは、他の側室たちを寄せ付けないものがある、もし彼女が男であれば織田信雄などより遥かに立派な武将となったであろう
そう思わせるほどの気品と迫力をもつ茶々である
彼女が言った通り「正室でもなく、側室でもない茶々」そのものであった。
ねねでさえ、他の側室には遠慮なく「**殿」と目下の呼び方をしたが、茶々には「お茶々様」と敬語を使うのであった。
もちろん、茶々も心得ていて、ねねには「政所様」と敬称で呼ぶが、他の側室には、ねねと同じく「**殿」と呼び捨てた。
ある側室が「茶々殿」と言った時など「無礼者!」と𠮟りつけた
秀吉も、側室たちには「茶々に対しては信長公同様に敬うように」と申し渡した、但し京極の局だけは別扱いである
京極の局は、格式で言えば織田家より上であり、しかも茶々とは従姉であったからだ、それは茶々も一緒に暮らしたこともあるので承知していて、姉のように親しんだ。