神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

次から次へと

2025年02月28日 16時01分28秒 | 病気と健康
 2月末、ようやく春の香りがと思ったら、花粉の香りでした
くしゃみ連発、ハナミズ連発、テッシュボックス3日で一箱
喉もヒリヒリ、まだ目は大丈夫そうだけど、時間の問題かな
今日、このまま医者へ行って花粉症の薬をもらってこようかな。
春は一番好きだけど70過ぎて初めて花粉症になった。

昼になったら、くしゃみもハナミズも、ママ治まった
今度は喉がずっとイガイガしている、体温は36.5度
昨夜は鼻がぐずぐずして寝不足、そのせいなのか体も重い
こうなるとコロナを疑ってみたり
結局なんだかわからずじまい、今夜は早寝します。





人生と魂

2025年02月27日 07時26分35秒 | 宗教
 自分が生まれて来て、何をして、どこに行くのか
それは「人はなぜ生まれてきたのか」「人は何のために生きているのか」「死とは何か」の常套句
もっと細かく言えば「なぜ勉強しなくちゃいけないの」「なぜ法律があるの」「なぜ人は戦争をするのか(平和に生きようとしないのか)」「どうして男と女があるのか」なども人生の疑問

74年生きてきて、そんな疑問が若いころより、はっきりと見えてきた
「死」とは人間の体が機械と同じように年月を経てパーツが老化して壊れてしまうことだ
というより、人間のパーツは骨格と内臓と魂の三つでできている
骨格と内臓は見える、魂だけが見えない、そして骨格と内臓が壊れていくのも分かる
医者はそれを修繕したり、パーツを取り換えたりして長持ちさせる人々だ
魂は見えない、唯一厳しい修行を卒業した宗教家と呼ばれる人が、それに触れることができるとされている

魂とは何か? それは感情をつかさどり、内臓と骨格を動かせている見えない原動力、生そのものを支配している何か
魂には感情が含まれる、感情は脳の働きとされている、かといって脳の中に魂は見つかっていない
脳を働かせている(認識させている)のも魂の働き、魂は見えないが確かにあるのだ
我々が生きている認識された世界と、魂を結ぶのは唯一感情である
感情は脳の働きだから、脳は魂とつながっているともいえる
自分が魂に働きかけることができるのは、音楽、文学、見聞、瞑想など案外たくさんある
これらをうまく使えば、感情をコントロールできて生命力を伸ばすことさえ可能だ、但し逆作用に使えば寿命を縮めることにもなる

私的な考えだが、人の死は内臓の死でもあるが、内臓は侵されていなくても死ぬことはある
それは魂が体から抜け出して心肺が停止する場合だ、これを老衰死という
即ち、魂はあるのだ、そして魂は死なずに体から抜け出していく

生きているときでも魂が抜けだすことはあるようだ
だから「あの人は奥さんが亡くなって魂が抜けたようだ」なんていわれる
行者は魂を自由に世界中にあるいは宇宙に飛ばすことができるそうだ
瞑想だって、うまくやればそれに近いことはできそうだ
座禅はやったことがないが、瞑想の一種なんだろう

私のはるか遠い祖先には鎌倉建長寺に学び、一院を任された臨済宗の禅師がいた
臨済宗と言えば黄檗宗、曹洞宗と共に座禅を基本とする「禅」の宗教だ
世間では浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などの大衆宗教に対して、それ以外の奈良仏教や古仏教を禅宗と呼ぶことが多い
禅宗という宗教はないという、禅を行う宗教は黄檗宗、曹洞宗、臨済宗の三つだけなのだ

浄土宗、浄土真宗、日蓮宗は「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と仏様や宗教のもととなる経の名を繰り返し唱えれば極楽往生できると教えるのは、無学無産の哀れな大衆を救うという宗教
但し、日蓮宗の開祖、日蓮は他の宗教すべてを邪宗と批判している、「炎の人」と呼ばれる所以である
それに比べると、もっとも人間的で大衆とともに人であること、煩悩に苦しんだのが浄土真宗の親鸞である
我々、愚物は共に悩みもがいた親鸞に親近感を覚える
親鸞は人間的であるために、それを救ってやるべき僧侶でありながら、自ら煩悩に身を任せて戒律を破って妻帯し、子を成し、魚を食べた(魚を食べたは?)

座禅をしたところで誰もが人生を生死を悟るわけではない
今日を生きるためのヒントを得られたら上出来というものだ、ドロドロになってしまった心が、少しでも浄化されたらそれは瞑想の効能と言える
心を落ち着けて、現状分析できるなら、否 座禅は考えてはならないようだ
ただ心を無にすることに集中・・・それも違う集中しようと思うこと自体がすでに考えている
心を空っぽにする、魂を宇宙に遊ばせる らしい
だが1000人中1000人ができないだろう、「起きている」と「寝ている」の中間にたどり着ければずいぶん気持ちも休まるだろう

長々と考えながら書いたが、結局人生あれこれ、生死あれこれと言ってみても
平安な心持ちで毎日を生きていられたら幸福というものだ
要は短い人生を悔やまず楽しく生きれば良いということだ
何が起こるかわからない明日の心配をするより、今、この時間を有効に楽しく生きることを考えれば良い
昨日までの大失敗を毎日悔やんでも済んだことは元に戻らず、そんなことは忘れてしまえ、今日の今を楽しく生きろ、それだけを考えていればよいということだ
疲れたら瞑想すればよい、心を空っぽにすればよい
神仏の前に座って瞑想すれば、なお心が落ち着くだろう
ヒーリング曲を流しながらベッドに横たわっているだけでも十分心は休まるだろう

人生なんて神経質に考えたって、何も考えない人より劣る
70を過ぎたら何も考えずに楽しく生きるのが一番かもしれない。







2.26事件

2025年02月26日 20時09分58秒 | 昭和という時代
 今朝は久しぶりに雨らしい雨が降った
この冬は快晴と良い雨降りの日がほとんどなく、曇りか雪ばかりだった
雨が降ると良いこともある、温かいから雪でなく雨が降る
積もった雪は太陽で溶けるが、それは表面だけ、でも雨は表面を溶かして雪の中に流れ込んで、内側からも溶かしてスカスカにするから雪解けが早い
今日一日でだいぶ積雪が減った。

1936年2月26日は昭和11年、青年将校によるクーデター2.26事件が起きた日だった。
昭和11年の日本は、今の日本とは全く違う国であった
徳川幕府が滅んで明治時代となってから70年ほど、日本史上最大のクーデター明治維新を成功させた薩長の英雄たちはすべていなくなり
維新の第三世代が国家を運営する時代
東洋の「眠れる獅子」と言われた清国と1894年に戦争をして一方的な勝利をおさめ、これが元で満州族の清国は10年後には滅び、漢民族の中華民国が再生する
まさに今日の大国中国を、異民族の支配下から解放して生き返らせたのは日清戦争であった
10年後1904年には、日本の10倍の軍事力と経済力の世界の大国ロシアを相手に互角の戦いを行って勝利をおさめ
国家はボロボロになったが、満州権益、北方領土、千島列島、樺太の半分を得た
またまた10年後の1914年には第一次世界大戦で、日本は連合国に加わってドイツに宣戦布告
中国のドイツ占領地、青島要塞を攻撃して勝利した、連合国も勝利して日本は南太平洋一帯の統治を世界から任された
すでに1910年には朝鮮国を併合して日本国に組み入れ、それは台湾も同様であった

こうした破竹の勢いの日本であったが1910年ころの世界恐慌で、日本ももろに影響を受けて大不況となった
東北地方などがとっくに悲惨で飢えの苦しみを味わっていたが、政府は薩長財閥と組んで苦しむ国民を顧みず、わが世の春に浸っていたという。

このころ軍も相次ぐ勝ち戦で絶頂期にあったが、軍部は皇道派と統制派に割れて勢力争いをしていた
軍はこのころには政治にも関与する大きな力をもって圧力さえかけることができる立場になっていた、海軍、陸軍それぞれに大臣ポストを得ていた
その中の皇道派に属する青年将校が2.26事件を指導した
皇道派は政治家を排除して天皇陛下を中心に仰ぎ、軍部による政権をもって日本を動かそうという考えであったと言われる
一方の統制派は軍部と政財界が組んで日本を動かそうという考え方だったといわれる
第一仮想敵国をソ連か中国かという点でも意見の相違があった
これとは別に朝鮮半島から中国満州地方に進出して、すでに中国軍と戦争を行っていた強大な満州軍もまた、この地で本国の軍から独立するという噂もあった。
すでに昭和16年からの戦争へのルートはできつつあったのだ。

青年将校らは約1500~1600名の兵を率いて東京の中心部永田町界隈に分散して、首相官邸、国会、警視庁など襲い、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣らが殺され、鈴木侍従長も重傷を負た
青年将校は、東北出身者もいて、多くの国民が娘を身売りしてその日の食料を得るという窮状を訴えるべく立ち上がり、政商と政治家がつながって国益を独占していると怒り、これを誅罰して天皇陛下の親政国家をつくり軍がそれを支えるという考えだったという。
しかし鈴木侍従長が襲われたことに天皇陛下が激怒してクーデター軍の討伐を命じた
天皇陛下を中心にいただくという理想を掲げていた青年将校は、まさかの天皇陛下の激怒に朝敵とされて落胆して投降した
そして彼ら責任者は銃殺刑となった。

父は、この事件の時に神田で働いていた、12歳
飛行機からビラを撒いているのを見たと言っていました
有名な「兵に告ぐ」のビラなのでしょう。











75歳まで二か月半か

2025年02月25日 12時00分51秒 | 心 思い
 まもなく人生の4分の3に差し掛かろうとしている

仕事を離れて3年、初年度は頭から仕事が離れなかった、2年目はようやく仕事を忘れて趣味やボランティア活動に戻ったが思いがけず入院、手術となってしまい
検査と養生の暮らしで終わった
3年目の今年は雪に閉ざされて、いまのところ動けずにいる
もうすぐ雪が解けて春が来る、三度目の春は動こうと思っている
車を手放したのが痛い、行動範囲が狭まり、迅速な行動ができなくなった
だから引退初年度にはそれまでやらなかった散歩を覚えた
しかし1時間歩いたところで5㎞しか動けない、気分転換にはなるが旅ができない
女房殿の車を借りて、毎月長野と高岡、新湊へは通ったが、泊りがけのライブは皆無だった
なんのかんの言い訳しても、実のところは自分が奮い立たないだけなのだ
その気があれば、たった今だって北海道に飛び立つことはできるはず
金はともかく、毎日毎日暇だけはたっぷりあるのだから
やる気がない根性無しが現実なのだ
今年はどうなんだい? と私が私に問う。

今日は朝から気持ち良い晴天が広がっている
隣の家の屋根にはスズメが数十羽並んでこっちを見ている
やつらにも春の訪れはわかるんだろうな きっと。






日本のマラソンも層が厚くなってきた

2025年02月24日 14時28分04秒 | マラソン/駅伝
 午前中は大阪マラソンを見ていた
最近のマラソンは大学生や初マラソン選手の活躍が目立つ
今日も青学のエース、黒田朝日が2.06.05で6位に、そしてこれは学生新記録だった
学生新記録もわずかな間に次々と塗り替えられている、箱根駅伝で20㎞ほど走るためにキツイ練習を続けるうちに、マラソンを走りぬく力も養われたのか。

三菱重工の近藤亮太が2.05.39の初マラソン新記録で2位、日本人1位だった
優勝のケニアのアダンに2秒差だった
ゴール直前まで1位だったがあと50mほどで抜かれてしまった
それでも東京の世界陸上出場に大きなアピールとなった
それにしても日本の男子マラソンは層が厚くなっている
タイムも2時間6分台をコンスタントに出せるようになってきた
このマラソンでも近藤、細谷が5分台、日本選手4人が6分台でゴールした
世界のトップ10は2時間1分、2分台に突入しているが全員ケニアとエチオピア
今日の大阪マラソンではエチオピア選手が3人出場したが近藤選手は2人に勝ち、負けた相手にも2秒差だった
マラソンの勝敗は持ちタイムは重要だが、自己記録を2~3分くらい縮めることなど珍しくない
42㎞の長丁場、その日の体調、気候に大きく左右されるのがマラソンだ
そろそろ日本人選手が表彰台に立つ日が近づいた気がする。

それにしても折り返し地点での上位選手のコース間違いで10秒ほどロスした
世界記録、日本記録を秒差で逃すレースではなかったから問題にはならなかったが、コース案内の担当者を折り返し地点に置いておくべきだった
先導車についていったという見方もある
トップ集団10名ほど全員がまちがえたから、順位には不公平はなかったのがせめてもの救いだった。

これを見終わって、昼食を食べた後、腹ごなしに散歩しようと外出装備をして玄関戸を開けたら、なんと雪が降っている
外は明るいので、てっきり晴れだと思ったが、風も吹いていてあきらめて戻り
ブログを書いている次第だ
南を見たら、どんよりした空に太陽の輪郭が白く映っている

今は雪が降っているというより、風にふわふわと乗って舞っているという状況
散歩に行こうかどうか迷っている

ああ~、また本格的な雪になってきた、散歩はだめだな
雪かきか!

あらら、雪がやんで日が差してきた・・・どうなってんだろう
急いで散歩してきます。



















2月23日 そろそろ雪も納め時かな

2025年02月23日 20時55分29秒 | 料理を作る・食べる
 相変わらず北陸、新潟は大雪との天気予報が流れ、今日も明日も当地は雪マークの連続だ
だけど今日は朝から晴天で空いっぱい青空で、関東かと思うほど
こんな風に予報が外れるのはありがたい
結局、一時は少し降ってみたものの、昨夜に5㎝ほど積もった以外は積雪はなかった
そして気温もさほど寒くないので散歩にも出かけた
道路もきれいに除雪されていて歩くのに難儀しない、晴れた日の雪景色はきれいだ。

我が家から南西方向を見る


 今夜のおかずは、先日雪を掘り起こして、残っていた小さな大根4本すべて抜いた
凍みているかと思ったが4本とも無事で、今日は大根煮を作った(今日はすべて女房殿担当)

スーパーで10尾300円だった地物の新鮮イワシを私が開いて、女房殿がかば焼きに

安売りしていたエノキを「えのき茶漬け」風に

明日は私が、切り落としの国産牛肉で牛丼と鳥団子+餃子の中華スープを作ることになっている
昨日は私担当でキムチ鍋を作った。




音楽と歩いてきた人生

2025年02月23日 07時50分24秒 | 音楽
 人生に欠かせないものはいくつもあるが、生まれてまもなくの頃からそばにあったのが音楽と78回転シングル両面アナログレコード+父の手作りの蓄音機
そしてラジオ
父は50枚くらいレコードを持っていて、春日八郎、島倉千代子、若山一郎、三橋美智也、神戸一郎、美空ひばり、灰田勝彦などを私も聞いていたのだ
だから人生の始まりは、これらの曲だった。

このころラジオから聞こえる音楽は、ラジオドラマのテーマ曲で「笛吹き童子」「紅孔雀」「コロの物語」などが、昭和の戦争で生き別れた家族を探す番組「尋ね人」とともに印象に残っている
私が5歳から7歳までの記憶、1955年から1957年の頃。

小学校に入ったころはエルビスプレスリーの全盛時代で、私でさえ「恋に破れた若者たちが いつも飲んでるハートブレィクホテル」なんて歌っていた
きかん坊の同級生は、ほうきをギター代わりに机に飛び乗って歌ったっけ
そしてポールアンカ、ニールセダカ、パットブーン、コニーフランシスなどアメリカンポップスを日本でも飯田久彦、ミッキーカーチス、平尾昌晃、山下敬二郎、小坂一也、中尾ミエ、ザ・ピーナツ、パラダイスキング、坂本九など日本のロックシンガーが日本語でカバーして大ヒット
小学校5年生が「ジェニジェニ おまえの名前だぜ いぇージェニジェニ」
だとか「恋をした女の子 だれとでも・・・wooo  甘いレモンのキッスよ~~~」なんて歌ってたんだなあ・・・なつかしいなあ

6年生の冬、だるまストーブの前で歌手志望のTくんが衝撃デビューをした橋幸夫の「潮来笠」をコピーして歌って同級生の多くが囲んで聞いていた
高校を中退して?東京に出て演歌の門をくぐった
けれど23歳ころ夢破れてボロボロになって田舎に帰ってきて、酒浸りになって数年内に亡くなった・・・って思い出もある。

中学校に入学した1963年ビートルズ旋風が日本に上陸して、すぐに私はとりこになり「Meet the Beatles」のJPを買って毎日毎日何回も聞いていた
1962年イギリスデビューして全英ランキングを独走したヒット曲ばかりが収まっている日本だけのベスト盤ともいえるLP
「抱きしめたい」「シーラブズユー」「ツィスト&シャウト」「オールマイラビング」「Love me do」「アイソーハースタンディングゼア」「プリーズミスターポストマン」「PS I love you」
ビートルズはマネージャーのB・エプスタインの死、公演活動をやめた1966年ころからスタジオにこもっての作曲活動一辺倒になりアップルレーベルを興して独立、音楽スタイルが大きく変化した
1950年代のロックンロールをベースにしたデビュー期、ジョン、ポールの才能が開花したオリジナルのポップロックの中期からクラシック調、サイケデリック調などを取り入れた複雑な曲が増えていき、私は67年以降もうついていけなくなったが、世間はそうした後期の曲を名曲と称賛した
そして解散

私はやはり初期のビートルズが一番好きだ、もっと70年以降のジョンレノンの曲は心に響くものが多くて、それはビートルズジャンルとは別に好きなレノンジャンルとして記憶する。

日本では1965年ころ洋楽ポップスは、ビートルズとベンチャーズが人気を二分していた
ベンチャーズの「テケテケ」にあこがれて日本中で中学生、高校生バンドが雨後のタケノコのように現れた
私のような田舎坊主さえバンドに加わって遊び呆けたのだから
そしてちょっとインテリジェンスな子供はジョンバエズ、ボブディラン、PPM、ブラザースフォーなどのフォークソングに親しんでフォークグループを結成して楽しんでいた

洋楽はかくのごとくだが、日本ではグループサウンズが大人気で沢田研二のタイガース、萩原健一のテンプターズ、堺正章、井上順が属するスパイダース、そしてワイルドワンズがすごい人気だった
私はこのころの歌謡曲には全く興味がなくどんな曲があったかも記憶にない。

そして20歳ころから吉田拓郎、南こうせつ、そして海援隊、長渕などニューフォーク
そして小柳ルミ子、中森明菜、西城秀樹、郷ひろみ、松田聖子、近藤真彦、田原俊彦など新しい歌謡界のスターが出てくる
こういうジャンルはなんというのだろう、演歌、歌謡曲、ニューミュージック、ロック?
演歌は違うな。

私の人生のバックボーンとしていつでも頭の中に音楽が流れていた
胃カメラ、大腸カメラなどを受けているときはいつも頭の中で歌っている

なぜだか時々私の頭の中には坂本九の「見上げてごらん夜の星を」ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」守屋ひろしの「ありがたや節」クレージーキャッツの「スーダラ節」が流れてくる。



 




2月22日 雪が降った

2025年02月22日 13時58分09秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 2月22日は父の祥月命日で住職を頼んで家で読経していただいた
妹夫婦と、私と女房殿の4人での法要
もう亡くなって8年がたつのか、本当に時の流れは速い

2月22日は「にゃんにゃんにゃん」の日で、ネコの日
今日はカートの49日+2日目で完全にカートは天国へと旅立った
読経が聞こえるところにカートの写真を置いて偲んだ

カートだけでなくサイドボードの上には歴代のわんにゃんの写真が並ぶ
ニャンのカート、ぴーちゃん、ワンのボス、ジョン、ごんた、そして新たに見つかったニャンのジョンソンの写真も増えた。

保護してきたころのカートは、まだ子猫だった


こんなところに入ってくつろいだり

そして35年くらい前に飼っていたジョンソン
なぜか魚屋だった私の店に入ってきて住み着いた

今日は朝まで薄日が差していたが、7時過ぎから急に降り始め、あっという間に周りが真っ白になり、住職がやってきた8時半には20㎝ほど積もった
急いでシャベルで除雪をした

それからも、どんどん降ってきた
住職は夕方から葬儀が入っているが、我が家で女房殿の手作りケーキを食べながら1時間ほどくつろいでいった
時には1時間半以上いることもあるが、雪が降っているのでいつもより早く帰った

午後になったら雪は止んだ、降雪量は30㎝くらいだったろうか
今はなんとなく明るく、雪も止んでいる、このまま明日まで降らなければよいが・・・
気温も今日は日中でも氷点下ぎりぎりで道路は凍っている
このあと、かっての商売の取引先の社長さんの通夜に行ってくる
寺が同じなので、読経もまた同じ住職
これ以上雪が降れば、式場の駐車場は大混雑するだろう

ああ、また細かな雪が降ってきた
どうか今日はもう降らんでくれ。





トランプ津波発生!

2025年02月21日 21時29分34秒 | ニュースネタ
 第二次トランプ政権が始まってから、世界は一変して不穏な状況になってきましたね。
未だ19世紀、20世紀、21世紀を通して対外戦争で負けたことがなく、国内で起こった戦争は「独立戦争」と「南北戦争(内戦)」だけである
独立戦争はアメリカの戦争というより、イギリス王国領アメリカでの戦いであり、紛争地域も主に東海岸地域で限定的である
南北戦争はかなりの範囲で行われたが、外国からの侵略戦争ではない
ゆえに悪意ある他国に国土を蹂躙されたことは一度もない。

アメリカ以外の大国及びかっての大国で外国軍隊に国土を攻撃されなかった国はない、イギリスはドイツからロンドン空爆を受けたが、陸軍の上陸は許していない
日本も本土と九州、四国、北海道への上陸は受けなかったが、沖縄は悲惨な地上戦が行われた
しかし空爆によっておもな都市は壊滅的な被害を受けて、国土の多くが焼け野原となった
中国、ソ連、ドイツ、フランスも国土を蹂躙されて多くの国民の死者を出している。

一度も攻撃を受けていないアメリカは日本に原子爆弾を2発落とした
その後も世界の警察を自認して
朝鮮半島、ベトナム、アフガン、イラクなど世界の紛争地域に兵力を送って戦いを続けた
20世紀はまさにアメリカは世界のリーダーであり、その富も他国の追従を許さなかった。

しかし21世紀に入って中国の追い上げはすさまじい、かってはアメリカに次ぐ経済大国になった日本はすでに30年にわたる経済ロスで世界の中で一等国の地位を滑り落ちかけている
かわりに世界の人口の20%を占める中国が一党独裁国家の強みを発揮して、世界第二位の経済大国になり、近い将来に軍事、経済でアメリカに肩を並べるという
経済成長の伸び率が中国に劣るアメリカに焦りが見えてきた、今までのような余裕が見えない
トランプ大統領になって急速にロシアのプーチンに近寄ったのは、焦りの表れか? かっては仮想敵国であったロシアへの対応は親しげになり
その逆に隣接するカナダとメキシコには厳しい対応を電光石火のごとくとった
カナダ首相には「カナダはアメリカの州になるべき」といい、メキシコとともに高い関税をかけると脅した
それからデンマークにはデンマーク領のグリーンランドを譲るように言って、拒めば軍隊派遣をちらつかせた
同盟国の重大拠点のEUにも喧嘩を売ったような発言が相次ぎ、日本にも関税引き上げをちらつかせてきた
中東イスラエル、アラブでもパレスチナの人々を追い出して、アメリカがその地を支配するとも言った
ロシアにラブコールを送る一方で、ウクライナには脅しともいえるような不安を煽り立てている
トランプ大統領は北朝鮮のキム首領にも友人のようなジャスチャーを送ったが、キムは無視している。

中世、スペインとポルトガルは大国であったが、両者が話し合って世界を東西二分統治を決めたことがある
アメリカがロシアに近づくのは、両国で世界を二分するつもりなのか?
いや、中世とは時代が違う、トランプ大統領の思いもかけぬ次々の提案(命令)をウクライナ、中国、EU、中東はしもべのように無条件に受け入れるとは思えない
トランプ大統領が「ごめん、冗談冗談」と言えば世界は安心するだろうが言いそうもない
本気で言っているのか、脅しで言っているのか、気まぐれなのかわからないが、世界は振り回されている
ただアメリカ国民の半数、共和党支持者には絶大な支持を受けている
トランプ大統領の発言は、アメリカ国民の半数の意見でもあるから自滅を待っても実現はしそうもない。
アメリカ国民の半分にとっては、トランプは偉大な強い大統領なのである
プーチンもキムも習近平もみな、表面上は国民から圧倒的に支持されている強い国家指導者である
日本は平和国家で、安心、安全の国と言われれる、日本人のやさしさ、親切、礼儀正しいさも世界から称賛されているらしい
だが、それは「お人よし」でもある、「いい人は」「扱いやすいいい人」でもある
厳しい世の中を生き抜くには、人の裏をかくような狡猾さも必要だ
なんでもイエスマンの日本はトランプ大統領が起こした大津波を乗り切ることができるのか?
政権与党に津波を乗り越える狡猾なかじ取りはいるのか???
その点では良し悪しは別に、したたかで、育ちも良い安倍晋三は今更ながら、トランプ津波を乗り切る上手なサーファーだったと思うのである。






天気予報ははずれたのかい? そいつぁラッキー

2025年02月20日 11時04分31秒 | yottin日記
 相変わらずテレビもラジオも「北陸、越後は70㎝の大雪」と言っている
今朝は6時前から、町内除雪隊3機のうち2機が出動
わが息子は今日は仕事休みで6時過ぎに除雪を開始した
わたしも外を見たが夜中の降雪量は10㎝ほど大したことはない。

息子が除雪を終えて玄関に除雪機をしまうとき、玄関ドアのレールをはがしてしまい、レールが曲がってドアの開閉ができなくなった
金づちで「カンコン」やっているから、「それは、とおちゃんが治すから心配するな」とバトンタッチ
外仕事になるのでもう少し暖かくなってからすることにして、今日は金物の大型ごみの日だから、米びつ、掃除機などを集積場まで運んだ
戻ってから、ビスのサイズを調べたりしたら買わずに間に合うので、はじめた

レールがねじれて歪んでいるので、ビスが効かないから道具で曲げたりしながらやってみた
そうしたらなんと太陽と青空が出て晴れてきた、明るい日差しがさして雪を照らし出す


外仕事するには絶好、ただ寒いので応急処置にしておいた
もう少し暖かい日にコンクリートボンドで固定しようと思っている
2枚ドアなので、反対側から出入りすれば当面は問題ない。

賞味期限今日までの塩サバを焼いたり、朝ごはんの支度、トイレ掃除、なんか慌ただしい朝だった
いつものルーティンから少し外れてしまって、これからの動き方も変わってくる、さて何をしようかな?
このまま一日晴れなら誰かを訪ねるのも良いかも
今日の高島暦の運勢は「仕事以外の友達をつくりましょう」
もう仕事はやめて3年過ぎたので、仕事つながりの友達というのはいない
友達の顔ぶれも随分変わったし、広く浅くから、狭く選別に変わった
必要なのは①飲み友達(酒はほぼやめたから趣味仲間)②旅行仲間 ③ドライブ友達 ④お茶飲み友達、こんなところかな
もう75歳になる、中期高齢者の仲間入りだ、できることがどんどん減ってくるから、友達ももうたくさんはいらない
いままであまり気にしなかった家族、兄弟の絆を大事にしたいと思う。