神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

12月31日 それから

2024年12月31日 23時29分04秒 | yottin日記
朝も明けて7時半に保護団体のSさんにカートが亡くなったことを知らせた
それからペット葬儀のお寺に電話をして相談、新年の2日に葬儀をしてもらうことになった。
2日はカートの外にもう2件ペットの葬儀が入っているそうだ
カートも食事が出来なくなって2.5㎏まで痩せたが、この2件は500gと1.5㎏だということだから、カートよりもはるかに小さなペットだ。
ここの共同ペット墓地には、わが家先住犬、ボスとジョンも入っている
長男も同行すると言ってくれた。

9時からは次男と新川広域農道を走った
なんか無性に広くてまっすぐな道路を走りたい気分だった
今日も雨模様の予報だったが、走り出してすぐに青空が出てきて陽も差してきた、それで魚津まで足を延ばした





家に帰って、昼食を作って食べた
それからカートがいたペット部屋の片づけと掃除を行った

カートのこともあるけど大晦日のあれこれもしなくてはならない
それになかなか手続きがうまくいかないことがあって、それも解決しなければいけない
①paypayのコンビニチャージが急にできなくなって、方法をAIに聞きながらやっているが解決できない
②アマゾンプライムを先日スマホ買い替えの時にドコモで申し込んだのに、「手続きが終わっていません」とアマゾンからメール
しかも3か月無料が、「今月中に手続しなければ料金が発生します」だと、これはやらずぼったくりではないか、今月中とは今日までだ
これも何回かやったが全くうまくいかず、こんがらがるばかリ
③プリンターが故障したので安いのに買い替えようとアマゾンに注文したが
決済方法が今まではコンビニでバーコード決済だったが、プリンターが壊れてバーコードのプリントができない、それでプリンターを買うのだが印刷できないから買えない、卵が先か鶏が先かみたいな具合で堂々巡り
それでプライム会員になって電話料との合算支払いを選択したが、②のとおりだ
全てが絡み合って、すべてがうまくいかず、結局アマゾンでの買い物が出来なくなった

ところが、あれこれやっていたらなんと、プライムの手続きが完了してしまった、即プリンターの注文も出来た
うまくいけばこのようにスムーズに運ぶのだ、あとはPaypayだけだ

4時になったので、妹宅へ手作り料理を一品届けに行った
妹の長男が和歌山から帰ってきているのだ
それを置きに行く前に、途中のスーパーに寄って、明日寿司を握るのでネタを買いに寄った、スーパーは満員で魚ももう売り切れ寸前だった
5時に帰宅して、すぐに夕食のすき焼きを焼き始めた、すき焼きの焼き手は毎年私に決まっているし、大晦日はすき焼きなのも決まっている

久しぶりに缶ビールの350mlを一缶飲んだ、すごくおいしかった
食事が終わってから一休みして、お節料理を作り始めた
1時間ほどで終わり、紅白はまったく見る気は無いし、他の番組も同様
少し録画しておいた歴史ドキュメントを見ていたら、もうこんな時間だ
これから風呂に入って寝ます

明日の初詣は息子に任せて、私はカーとの葬儀委員長兼親なので初詣は止めることにした、日がずれているならここまでしないが、今日の今日、昨日の今日だからちょっと気分になれない
但し正月は普通にやります、年賀状も過ごし方変わらない。

さあて2025年になれば2025年だけ考えて前に進んでいく
道を作っていくのは自分なんだから。

サイモンとガーファンクル”S & G”/明日に架ける橋 Bridge over Troubled Water (1969年)

カートさん、虹の橋を渡りました

2024年12月31日 05時30分33秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
昨日、今日と二晩、私と一緒に部屋で寝ていたカートさん(別名 フーテンの寅ネコ)
今朝、私が4時に目を覚ましてトイレから戻り、猫の温熱シートの電源を切って、安否確認もしたら腹が少し息をしていて顔も少し動かしたから安心した。

それから1~2分後に急に手を伸ばして、シートを5回ほどかきむしったら、そのままぐったりした
急いで見たらもう息をしていなかった、12月31日早朝4時15分、カートさんは、お空に旅立っていきました、推定8~10歳 6年半の付き合いだった
まるで私が目を覚ますのを待ってたように目の前で苦しまず、安らかに逝きました。

やっぱり昨日病院に連れて行っておいてよかった、やるだけやって悔いはない
家猫になって、たった50日暮らしただけだが貴重な50日、思い出の50日となった
天国には友達もたくさんいるだろうから幸せに楽しく暮らしてください。

このブログで、少しでもカートさんに触れていただいた皆様に感謝と御礼を申し上げます。
「ありがとうございました」







動き回った12月30日

2024年12月30日 19時15分24秒 | yottin日記
夜中に2回か3回(定かではない)起きて、猫の暖房をチェック
昨日からカートは私の部屋で見ることにした、もう一週間は飲まず食わずだから、いつ何時どうなるかわからないからだ。
もう動く元気もなく、ほとんど寝たままだ、老衰の人間に似ている
5時半に目が覚めたらもう寝る気が無くなって、さて何をしたかは忘れてしまった。

7時に台所へ行って、いつも通り神仏、それから自分の朝食を作って食べて(作ったとは言えない、卵かけご飯)
それから何をしたんだっけ? なんか今日の朝のことは忘れている
8時にカートを病院へ連れて行くか、辞めるべきか迷った
絶好の天気になったが、肝心のカートを往復100kmのドライブに連れ出しても大丈夫なのか?
それで保護猫会のいつものSさんに電話して相談した、話し合った結果は「衰弱しているので、遠出はどうか?だが、仮に家に置いたままにしてもしも今日明日に事があれば悔やむだろう、それだったら病院へ行って、ついたときに息を引き取っていたとしても、『やるだけやったから』悔いは残らないはず」
ということで9時前に家を出た

病院でも、一目見て危険な状態であることがわかって、そして腎臓、口内炎、貧血、強度の脱水症状など合併症だから手の施しようがないような雰囲気
それで私は口内炎の鎮痛剤注射をお願いした、病院では点滴と抗炎症剤の注射をした
点滴は栄養補給だと思って聞いてみたら、脱水症状改善の点滴だった
栄養剤点滴は、どうとか言ってできない(しない方が良いだったか?)これも忘れた
今日はネットに入れないで注射した、もう抗う元気もないから先生も「いいですよ」

帰り道、Sさん宅へ寄った、そして私が保護した母子猫3匹のうち、子猫2匹は同じ人が2匹一緒先日引き取ってくれたので、私が立て替えていた(保護人が手術代、検査代等を立替払いするシステムなのだ、知らなかった)
お金の清算が出来たとのことだった、これで明日の年取り料理の資金が出来た。

家に着いて、陽がさしているので猫ベランダにカートを置いて、それからカートの猫ベッドを洗って干して、ついでに残りの大根を抜いた
もう12時になったので、郵便局へ年賀状出しに行った、今年は15枚だけだ
あとはグループラインで一括あけおめだ
郵便局で中学の同級生友達にバッタリ出会ったので「年賀状出しにきた、あんたのもここにあるから今、渡そうか」なんて軽口を言った
友だちと言ったって一年に何度も会うことがないし、一緒に飲み歩くようなこともなくなった
そんな友達も多くなった、それから神社へお札をいただきに行った。

今住んでいる家の神飾りは息子が、旧宅は空き家だが神様だけは祀っているので私が飾る
それぞれの神社は別々、今の家は延喜式(西暦900年頃)にも名が乗っている由緒正しき、この町一番の神社
旧宅の神社は山裾にある奥まった神社で、ここは何百年か前に能登から移って来たのだという
初詣も息子は一番の神社、私は山の神社へ行く
この山の神社、25歳の厄年には女の神様(名前は忘れた)に扮して猿田彦神と祭りの行列を歩いた
42歳の厄年は獅子を被って祭りの先導、60歳で神輿行列の先頭を旗持役で歩いたから、この神社は私には切っても切れないお宮さんなのです。

お札や注連縄などをもって旧宅へ行き、神棚を飾り、お札を交換した
すると誰かが下で呼んでいる(2階にいたので)行ってみたら、向かいの家のHさん、私より2歳年上で子供の時から一緒に遊んだ仲
大根を持ってきてくれた、家でも大根を抜いたので大根日和、なかなか立派な大根だ
この地域は、お江戸で言えば下町、庶民ばかりが近所仲良く暮らす地域なのだ
私のようにここを離れても顔を見れば声をかけてくれる

飾り付けが終わり、少しだけ掃除もしたら空が曇っていたので、猫が心配になって家にいったん戻った
ベランダから部屋に入れて、暖房をつけて、明日のすき焼き肉を買いにスーパーに向かった
駐車場は満杯、県外ナンバーもチラホラ見えるから、里帰りの連中だな
病院へ行った時、高速道も国道も渋滞ゼロ、高速は車もまばらで、今日がピークとテレビで言っていたのが空振りっぽい

帰って来てから気が付いた、なんというあほやねん
すき焼き用と、しゃぶしゃぶ用を間違えて買ってきてしまった
取り換えに行こうと思ったが、スーパーも今日は書き入れ時、まあ肉質が違うわけでもなく厚さが違うだけだから、その気になって食べればすき焼き肉の味になるだろう、早めに火が通るからかえって良いかも

家に帰ってみれば、もう4時、まだ昼飯を食べていない
スーパーで寿司を買ってきたので、それを食べ始めたらつー君が来た
いただき物をして、少し玄関で立ち話、つー君は帯状疱疹に罹って酷い目に遭っている、別の知人も同じなので結構身近な病気だ
私も一度ふくらはぎに少し出来たが、初診で処置してもらっただけで治った
顔に出来て眼に入ったとか、怖い話も聞く
そう言えば旧宅で会ったHさんも最近心筋梗塞になって入院したと言っていた
70代はなかなか危険な年ごろでもあるのだ。

御飯を食べて部屋に入ったら、カートが痙攣をおこした
15分ほどの間に5~6回あったので、これはいよいよ最後なのかと、手(足?)を握って背中をさすったりしたら、おさまって今は寝ている
少し安心した。
さて4時に昼食だから、夕飯は何時に食べようかな
女房殿と息子は6時に食べ終わった

そうそう。旧宅の郵便受けにハガキが届いてた
私の現住所を知らない人ということになる、差出人を見たら東京江戸川区で名前は聞いたこともない女性
これは怪しい、何かの勧誘か詐欺か・・でも文章を読んでみたら
母が(父の従妹が)96歳で亡くなりました、葬儀は長女と孫だけでしめやかにおこない、霊園に納骨しましたとのこと
「香典、お供物は辞退申し上げます、お知らせが遅れましたことをお詫び申し上げます」
そうだ、このおばあちゃんのことは父が生前たまに話してくれた
べらんめえ気質で、父とは気の合う従妹だったと
じゃあ名前を知らなかった長女というのは私のまた従妹と言うことになるが顔も知らない
でもお返事だけは出しておこうと思う。

一日中、飛び回り、猫の心配をして暮れた、夜はゆっくりできるかな?




2025年への祈り

2024年12月29日 11時47分23秒 | 心 思い
2025年は昭和100年、私にとっては75歳、4分の3世紀を生きた
まさに節目の年
世界はよくも好戦的な指導者がそろったものだ、記念すべき2025年をあんたたちの欲望で台無しにしてくれるなよ

イエス・キリストは人の罪を背負って自ら十字架を背負った
それでも罪人は少しも減らない、イエスは一体何千万回十字架を背負えば人間は愚かさから抜け出せるのだろうか。

「地球上に暮らすすべての動物、植物が平和に生きられますように、地球が楽園でありますように」
2025年に祈りを捧げます。

人の心に暖かな灯を燃やせ

WOMAN - John Lennon - Lyrics | 和訳ジョンレノン「ウーマン」Released: 1981

年末とは関係なく忙しい

2024年12月28日 17時51分50秒 | yottin日記
 この三日間は、カート猫中心で動いていて、しかもいよいよ体調が・・・
ということで私も心中穏やかではないのです
恨めしいのは今年の12月の天候
関東地方のように連日晴れ上がっているなら苦にもならないのですが、こちらはずっと悪天候が続き、一昨日からは雪、強風、雷、冷雨と外出もままならず
今日などは気温も午前中は1度で、この冬一番の「しばれる寒さ」暖房がある部屋以外は家の中でも骨身にしみわたる
まして病気で衰弱した猫には寒さは禁物で、こたつ、石油ストーブ、敷布団式の猫用暖房マットを交互に切らすことなくつけっぱなし
猫専用の部屋も4畳半あるので灯油もバカにならないが、それを言ってはいられない
夜中にも2~3回起きて、猫の位置を確認、こたつに入っていればストーブを切り
こたつから出て猫ベッドに入ればこたつを切って、ストーブをつけるから、だいたい2~3時間おきに起きている。

今日の朝、見たら猫ベッドの中で腹がかすかに動いて息をしているだけだったので、いよいよかと思って指に水をつけて口に当てたら、びくっと頭を持ち上げて身震い、せめて抱いてやろうと持ち上げたら、急に動き出して立ち上がったので床に置いたら、よたよたと歩いてこたつにもぐりこんだ
そのまま座り込んだが、けっこう堂々として威厳あるように見える
「うろたえるな馬鹿者」と言われた気がした

明日は日曜で医者が休みなので、生きるか死ぬかわからないが、気持ち的にもう一度医者へ行って点滴をして、少しでも体を楽にさせてやろうと思い行く事に決めた。
雪がやんで曇りになったので思い切りがついた
今日はネットに入れないで、そのままキャリーに入れて助手席の足元に於いて私の方を向けた
雪道を高速と国道で1時間の道のり、天気は悪いし気温は低いし、本当は今日は行きたくないが仕方ない
ところがインターチェンジに近づいたら「事故交通止め」の表示、高速から続々と車が下りてくる
そりゃそうだ年末年始連休の最初の土曜日だものなあ、一斉に里帰りや旅行に出てきたようだ
これじゃ国道など一寸ずりだろうと思って今日はあきらめて家に戻った
調べたら、50kmの間に高速道で横転事故、衝突事故など三件、こりゃ動き出しても50kmのノロノロ運転渋滞だろう
温度も低いから高速道がシャーベット状か凍結のところもあるだろう
また事故が起こる可能性がある、こっちが万全でも雪道に慣れないドライバーが怖い

往復3時間分暇が空いたので最近バッテリー状態が悪いスマホ、バッテリーとアダプター交換するつもりでドコモへ行った
駐車場はかなり空いている、玄関に行ったがカギがかかっている9時半
?と車に戻ったら、先に居た車に人が乗っている、もしかしたら10時開店?
調べたらまさにそうだった、今どき10時開店なんて商売があるんだと驚いたが相手は大企業、それで莫大な収益が出ているのだから部外者がとやかく言うまい

結局、スマホを交換するのが最も早いとなって買い替えた、同じ機種の3世代後継、値段はアダプター、ガラスのシール、30GのミニSD、諸経費、アマゾンプライム会費などを入れて3万円少々、簡単スマホではない。
店内を見たが1台28万、30万という機種もある、10万なんか安い方らしい
担当者に質問した、「20万、30万と言うのがあるし、安くても10数万なのに、この機種が22000円なのはどうして? もちろん性能が各段に差があるのはわかる、それにしても22000円がどうしてあるの?」
担当者は簡単に言った「需要があるということですね」それから「今日お買い上げの機種だって、今までお使いの機種が出た当時の性能に比べれば10万円くらいの性能アップしているんです、アプリの容量がどんどん大きくなっているので、これまでお使いのスマホの容量で対処できなくなって、その分バッテリーの減りが早くなっているかと思われます、お使いのSDも2Gしかないのでこれは画像などが消える恐れもありますし、アプリに良くないです、たぶんお買い上げの時についていたのをそのままお使いなのでしょう」「まさにそのとおり」

しかしパソコンが型落ちで3万、4万で買える時代にスマホが30万とは
ものの価値観がわからなくなってきた
だけど車に興味がない若い人が多くなったと聞く、その分をスマホにつぎ込む、楽しむということなのか、我々の青年時代と比べると夢のスケールが小さいと思うが時代時代で若者の思考は変わる、逆に海外へ簡単に出て行くからね

日本人は鉄砲を持って戦場で命のやり取りをしている外国の若者に比べたら、文句なしに幸せと言うものだ
北朝鮮の若者は外国の戦争の為に命を失っている、国家のトップの意地や権力と富のために虫けらのように名も無く死んでいく若者たちが可愛そうで仕方ない
日本人は猫や犬の病気や葬式、挙句は法要までして数十万、数百万使うという
独裁国家の若者の命の方が、我が国の犬や猫より安いとは、日本に生まれたことを幸せと思わなければなるまい
これだって80年前に戦争で亡くなった350万人以上の日本人の犠牲の上に授かった平和だということを忘れてはなるまい。








2024年 一年を振り返って

2024年12月27日 14時24分21秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
元日早々わが町は震度5強という大地震に見舞われて、数百戸が軽度の損壊、数十戸が深刻な損壊をした
幸いにも全壊、死者、負傷者はいなかったが初めて聞いた津波警報に驚き、これも初めての高台避難をした
我が家は標高10mほどだが海岸から1kmしかない、でもすぐ近くには6階建ての市役所があってそこに上がれば標高で30mくらいにはなる
もっともすぐ後ろが丘陵地帯になっていて、車なら2分くらいで標高20m以上になる、今回は標高50mの市の体育館まで逃げた
実際は我が町では津波は1mにも満たなかったようだが?
私たちは早くに逃げたが、普通に出た人たちはかなり道路が渋滞したらしい、実際に10mくらいの津波がくればどうなったか・・・・・。
逃げ方を考える良い機会にはなったが、地震や津波、火災にはであいたくないものだ。

去年の12月からカニ漁師の手伝いに行った
早朝3時に起きて食事や支度をして5時前に港へ入る
1㎏級のカニも毎回数匹獲れて万を超える値が付いた
ところが元日の地震でカニ網が全て流失不明に、それ以後は出ても出ても泥と枯れ枝ばかりでついにカニ漁をあきらめた。
12月またカニ漁を再開したらしい。

1月は善光寺参りをしてきた
秋まで信州牟礼の霊仙寺湖と新湊の海王丸パークへ交互に行っていた
2月には伯母さんが97歳で亡くなった
春からはカニを辞めて刺し網のメバル漁の手伝いに変わった
3月には人生初の花粉症に罹り、医者に行った
地震の影響で旧宅の水道管が破裂、修理に立ち会う
便秘がひどく、いろんな薬を飲んでみる、牛乳、ヨーグルトも
4月、ドジャースに移籍した大谷の快進撃が始まる、相撲でも大の里の活躍が始まる、これからずっとこの二人から目が離せなくなる。
奥歯が痛んで歯医者にかかる。
5月畑づくり開始、きゅーり、なす、とまと、苺、すいか、スナップエンドウ、おくら、Pまん
74歳の誕生日の翌日5月17日、突然の下腹不快感で夜緊急で病院へ、CT、レントゲンで即、腸閉塞と診断されて内科医二人で6時間、深夜2時半まで手術のための処置を行い、そのまま入院、便秘は腸閉塞が原因だった
翌日、大腸がんであることを告げられた、手術は腸内をきれいにするまでできないので2週間ほど毎日スローで腸内洗浄続く
何本もの管につながれて身動き取れず。
同日に魚屋仲間のO君が心臓の病気で入院、、道連れができて喜んだが数日後に大学病院へ転院した。

19日は新潟へ行って、昔の仲間の旦那が亡くなったお参りに行き、新潟の板前仲間と飲む予定だったが入院でだめになり、ホテル共々キャンセルした。
歯医者の最終回もキャンセル、市の健康診断もキャンセル
27日手術、9時間かかった。
6月4日退院 7日歯医者へ行って最後の治療終わる
18日術後の検査結果を聞く、すべては順調と聞いて安心する
ついでに外科担当医に頼んで歯科と皮膚科の予約も取ってもらった。
妹が白内障の手術
24日大腸内視鏡検査、本来は手術前にするが、私は肛門に近いS字結腸が閉塞したのでカメラが大腸に入れられず、手術後に検査と言うおかしなことになった。
これで大腸がんが見つかればまた手術となるので心配した、しかし小さなポリープ3つあったが、転移は無くまずは安心。
25日人生初のMRI検査
27日厄年の次男坊と神社で厄払いしてもらう
30日同級生旅行会の仲間の旦那が亡くなる
7月2日MRI検査結果を担当医から説明を受ける、ステージ2だがステージ3に相当する危険性があるので一応抗がん剤投与はどうかと言われて、受けることにした。
ただステージ3なら12回のクールだが、私は4回で終わることに
9日抗がん剤投与開始、最初の日に2時間半の抗ガン剤点滴、それから2週間飲み薬の抗ガン剤、1週間薬を休んで1クール終わる。
その日から抗がん剤の副反応が出る(腕や血管の痛み、ピリピリ感、冷水や冷たいものに触れない、水を飲むと喉がピリピりする)
一週間で治まる。
23日PayPayを使い始める、歯科、皮膚科の治療開始
30日 2回目の抗ガン剤開始 暑い夏なので終了後フラフラして目も良く見えず、貧血気味になってたいへんな思いをした
1回目は点滴後一晩入院したから楽だったが、2回目以後は通いなのでこんな目に遭った。
8月14日、父母の法要
20日、3回目の抗がん剤は白血球と好中球が基準以下なので中止になった
31日大谷メジャー初 43ホームラン43盗塁達成
カート5月4日以来約4か月ぶりに来た
9月17日
カートは暑い間2週間我が家周辺にへばりついていたが、またいなくなった
20日、大谷6打数6安打10打点3ホームラン(49.50.51号)50-50 51-51を達成。50号記念ボールは騒動を誘発した。
21日、幕内優勝 大の里(大関昇進決定) 十両優勝 尊富士 大相撲新時代到来の予感
母の従弟の奥さんが亡くなって葬儀に参列した
22日 能登の地震災害地域が今度は大雨で土砂災害にあっている
27日 ドジャース地区優勝 自民党総裁選、石破が高市に逆転勝利
28日 大谷54ホームラン、57盗塁達成 イチローのシーズン盗塁記録を抜く
10月1日 4回目の抗ガン剤治療、血球不足で延期となる
24日 母子の外猫三匹保護した
27日 衆院選で自民、公明の与党大敗 国民民主が大躍進。 新潟県は立憲民主が自民党に5選挙区全勝 大阪は維新が全ての議席を独占
ドジャース、ワールドシリーズでヤンキースと43年ぶりの対決
31日 ドジャースが4勝1敗でワールドシリーズチャンピオンになった、大谷移籍一年目、山本由伸メジャー1年目でのワールドシリーズチャンピオンを体験
11月1日 カートが我が家の廊下や階段に上がって家に入りたい様子が見える
3日 家の玄関に用意した段ボールの中でカートが初めて入って寝ている
夕方になると外に出ていく
7日 カートを保護した、ムーミン病院で去勢手術、検査、腎臓機能が最悪、口内炎もあるらしい今日から我が家で飼う。
10日 仲間6人で信州一泊旅行、諏訪湖で宿泊
11日 帰宅したらカートがゲージから脱走して隠れた
13日 隠れていたカートを発見したが、捕まえるのは難しいので廊下に段ボール小屋とトイレを置いたら、そこに入った
20日 初めてカートが頭を撫でさせた
カートは2階の物置が気に入って、そこに寝床やトイレ、食事を用意したら1階にに行かず、そこに住み着いた、猫ベランダもあって日当たりが良く気に入ったようだ。
24日 大の里に先を越される危機感を持ったのか、豊昇龍と琴櫻が13勝1敗同士の楽日決戦となった、琴櫻が14勝1敗で優勝、二人共来場所の成績次第で横綱昇進の可能性が出て来た、大の里は横綱昇進の足掛かりとなる今場所は8勝7敗と駄目だった、また振り出しに戻り先輩大関2に後れを取った。
25日 口内炎注射の日だが、逃げ回って捕まらず中止に

12月17日 カートの警戒心が薄れているが、食欲が無くなった
19日 もう体を撫でても少しも嫌がらなくなった、但し家族でも私だけ
24日 抗がん剤を一緒に受けていた同級生が亡くなった
26日 2日間カートは食事をとらなく寝てばかりいて衰弱しているようなので、なんとかネットに入れて片道1時間かけて病院(カートが保護された日に検査等をした病院)へ連れて行き、腎臓の点滴、注射を打った。 
毎日点滴するのが良いと言われたが、毎日往復2時間雨風雪の中を行けるかは現実的でない
既に食べることを辞めているから、カート自身自分のことがわかっているような気がする
足取りもふらついているし・・・・
今年の一年は、それなりに楽しみもしたが、病気と別れの多い年だった気がする。






















第三の人生が始まる2025年

2024年12月26日 06時18分47秒 | ライフスタイル
 クリスマス、大晦日、正月と何かと酒がついて回る10日間が始まった
私は今年初めから、どうしたわけか酒を飲みたいという気持ちが無くなって、毎日一合程度の酒量に減っていたのだが、5月17日に下腹が急に病んで救急で病院へ行き、大腸がんが発見されて、そのまま入院そして9時間の手術となったわけで、6月の退院以後は11月まで一口も酒を飲まなかった
11月になって信州旅行で焼酎水割り一杯だけ飲んで、その後は先輩との食事会で水割り一杯、同級生との集いで二杯、先日の忘年会で三杯と少しずつ量が増えて来た。 でも家では相変わらず一杯も飲んでいない。

全身にアルコールが回るほど毎日のように飲んでいたのが嘘みたいだ
飲まなくなったのは年齢のせいもあるが、やはり病気をして精神的なものが一番大きいだろう。
食べ物も先生は「何を食べてもいいよ」と言うが、やはり手術をした大腸を思うと何でもという気が起きない
根性悪いことに、食べられないという食材の大部分が私の好物なのだからたまらない
先生からは「大丈夫」と言われたので、ある程度のものは食べるようになった
だけど好物でもほとんど食べないものもある、コンニャク、イカ、ごぼう、サツマイモ、激辛食品、巻貝、イカ塩辛、生野菜など

この頃、寒くなって来て家でも薄い焼酎のお湯割りを飲みたいという気持ちが起きて来た
眠ったままの黒霧島、神津島の盛若、中国の白酒(50度)が「早く飲め」と誘ってくる、シャンペンも「クリスマスだぞ、正月だぞ」と流し目をする
今は養命酒を一日20ミリ2~3杯、それが唯一のアルコールだ
薄い焼酎から少しずつ慣らしていこうと思っている
念願の温泉にも、ようやく入ることが出来たし、マッサージも5年ぶりに受けた
来年は節目の75歳、予定通り四分の三世紀は生き抜いた、平均寿命にはまだ5~6年あるが健康寿命は過ぎた
私も含めて同級生の多くは病んでいる、どれもこれも満身創痍だ
数少ない何もなく過ごしていた私とつー君も今年ついに病を得た、嘆いてみたところで、これが順調な人生街道なのだからあきらめて生きるしかない
これからは病気も道連れ、それでいいのだ!

2025年三度目の人生を始めるには絶好の歳になりそうだ
自分の運勢がようやく大殺界から抜ける頃ではないかと思う、思えばコロナ流行拡大の5年前からずっと酷い毎日が続いた、父母が相次いで亡くなり、兄弟の連れ合いも亡くなり、友人のY子も急死、愛猫も家出、仕事を離れ引っ越しをして、今度はガンを患って手術
たった5年の間にいろんなことがありすぎた、だが全てが悪いこととは思わない
こうした出来事で、逆に良くなったこともいくつかある、これがあったからこそ4匹の野ネコの命も救われて家猫になれたし
仕事を離れて、ようやく体と心を休めることもできた、商売を離れて無職になって見て人生初めて人間らしい生活を味わうこともできている
来年は高嶋暦の厚いのを買ってきて、これからの人生設計を立ててみようと思う。

















今年もあと一週間

2024年12月25日 15時51分31秒 | yottin日記
 今日は今月2日目のほぼ一日晴天でしたが、この先も正月4日まで雨、雪のオンパレード、これほどまでにお日様が顔を出さないと気持ちも沈みがちになります
病院で一緒に抗がん剤治療をしていた人が亡くなった報せも入り、ますます憂鬱です。

少しでも気分転換しようと、昨日はいつもの大姐さん、と中姐さんを誘ってクリスマス・ランチをしました
実に3時間、お店で話をしていました。 大姐さんは来年は87歳に、中姐さんは77歳になります
大姐さんはわが家より雪深い地区で一人暮らしなので、年末に娘さんが住んでいる東京へ行って、春3月までいるそうです
我が家の近所の奥さんも80代後半ですが、こちらも東京の娘さんのアパートへ行って3月まで居るそうですから全く同じパターン。

雪国の暮らしは80歳を超えた高齢者には厳しい環境です、何もできずに雪に埋もれているというのは何ともむなしいですね
同級生旅行で箱根伊豆方面に行った時、「冬の間だけこういう雪のないところで過ごしたいね」などと話したものでした。
結局は話しだけで終わってしまうのがほとんどですが、高齢の一人暮らしだと都会に住む子供が心配して、前出のように親を自分のところに呼ぶことが増えている気がします
雪国でも家族がいれば、そんな心配はいらないですが。

今日はクリスマスですね、今年も残すところ一週間だけ
クリスマス、年賀状、掃除、神飾り、年取り肴、おせちつくり、忙しくなります。






全国高校駅伝2024

2024年12月24日 10時07分11秒 | マラソン/駅伝
 京都市で行われた今年の高校駅伝は各県の優勝校と地区代表(北海道地区、東北地区などの規模)の合計58校が出場
男子は7区間42.195km、佐久長聖高校が優勝、女子は5区間21.0975km長野東高校が初優勝で長野県勢がアベック優勝となった
新潟は男子は中越高校が38位、女子は新潟明訓高校が25位、地区代表の新潟第一高校が53位
富山は男子が高岡向陵が53位、女子は富山が58位
佐久長聖は2年連続4回目の優勝、いまや高校駅伝の強豪の地位を完全に築き上げた
レースは目まぐるしくトップが変わる激戦、1区は八千代松陰、2区も八千代松陰、3区は佐久長聖がトップに、4区は仙台育英が、5区は大牟田があがり、6区も大牟田、そしてアンカー7区は同時にタスキを受けた秒差なしの佐久と大牟田の一騎打ちとなったが佐久長聖の石川選手が24秒差で勝ち切った。
2位大牟田、3位仙台育英、4位八千代松陰、5位学法石川、6位九州学院、7位鳥栖工業、8位小林が入賞
佐久長聖は3、6,7区で区間賞、大牟田も4区、5区で区間賞を取り強い選手がいる学校が上位1.2位を占めた。

女子は予想された優勝候補3強(育英、神村、薫英)から外れていた長野東が、5区間すべて一位でリレーする完全優勝だった
だが最後まで仙台育英、薫英女子とは10~20秒くらいの差で争う息詰まるレースだった
2位は仙台育英、3位は大阪薫英女子、4位は立命館宇治、5位は神村学園
6位は東大阪大敬愛、7位は筑紫女子学園、8位は銀河学院だった

新潟は新潟明訓が26位、北信越代表で出場の新潟第一が52位
富山は富山中部が58位だった。
明訓の1区橋本は各県の1区ランナー予選記録ではトップだったが、本戦では10位だった
圧巻だったのは日本選手権陸上800mで日本のトップスター田中希実に勝って優勝した東大阪大敬愛の久保凛選手が2区4kmで16人抜きで5位に押し上げて、学校の6位入賞に貢献した
彼女は800m日本人初の2分切りで19年ぶりに日本記録を塗り替えた
今16歳の久保選手、これからの日本中距離界のトップ選手への期待が高まる、サッカーの久保建英選手と従妹だそうです。
専門は800mだが今回の走りで1500m、3000m、5000mにも期待できるのではないだろうか。


ぶり文化 鮭文化

2024年12月23日 15時51分37秒 | 時代検証
太平洋岸にぶり文化、鮭文化があるのかどうか知らない
日本海では富山のぶり文化、新潟の鮭文化とはっきり二分している
ただフォッサマグナ(静岡、糸魚川構造線)付近では、はっきりしているわけではなく、交じり合っているようにも見える

この辺りでは、昭和時代はお歳暮に新巻鮭を地方の親戚や知人に贈るのが年末の風物詩だったが塩ぶりを送ることはない(平成のころから、そのような習慣は薄れた)しかしお正月の焼き物、さしみには富山湾や佐渡の寒ブリを食べる。

富山も新潟も共通するのは正月魚として長野県、岐阜県に売り込むことだった
富山からは岩瀬浜から飛騨地方に南下して高山へ、峠を越えて信州松本や、信州大町方面に
新潟からは現在の松本街道(糸魚川街道)を山道、峠道を越えて松本方面へ
これは上杉謙信が静岡の今川、小田原の北條によって塩止めされて困っていた宿敵の武田家に塩を送った(義塩)塩の道と同じである
あるいは直江津から北国街道で善光寺平(長野)へというルート
いずれも車などの交通手段がない時代は、塩ぶり、塩鮭にして運ぶしかなかった。

ここ数年は寒ブリも鮭も富山、新潟は水揚げががったり減った、とくに佐渡のぶりの水揚げが少ない
これは鮭、ぶりばかりでなく、イカやスケトウたらなどの魚にも言える、これも原因は温暖化と言われている
魚屋の店頭でも新巻鮭がズラッと並んでいる風景は見られなくなったし、贈答品としての利用もなくなった
代わりに外国産のサーモンの切り身がスーパーのショーケースに所狭しと並んでいる。