上杉謙信は上洛を遂げ、足利将軍義輝公に謁見して、諱を賜り、数々の特権も得て得意満面で越後に帰って来たが、
武田信玄が約定を破り、越後まで攻め入って鰐が岳城を攻め落として去ったと聞き大いに怒る。
十四ケ年にわたって信玄に出し抜かれたことは数え切れず、「信玄に似合わぬ表裏の挙動」言葉を失う
こうなれば、いよいよ急ぎ信州に出馬して、信玄と手詰めの一戦を行うべし
無二無三に攻め立てて、信玄入道の首を獲るべしと唇を噛んで罵る
このとき、宇佐美駿河守が「仰せもっともなれど、まずは使者を送って信玄の罪状を詰問すべし、信玄は責められて怒れば、これ味方の有利となりましょう」と言えば
謙信悦び「尤もなり」と答えて、直ちに使者を甲州に送る
「謙信、上洛の間、信玄は越後に出張ることなしとの約定、義を守り快く承ったのに心を変じて、我の上洛の留守をよいことに太田切まで乱入して、あげく鰐が岳の城を攻め滅ぼした
これ表裏の振る舞い、偽りを良策とするのはどれほど謙信を恐れているのか
、そうであるなら早々にわが軍門に降るべし
降参するならば、信玄と違い我は信義を守って、そなたを許そう」
これを聞いた信玄は怒り、「憎き謙信の言い分であるか、そのように言うのなら直ちに出陣して謙信めを一揉みにしてやろう」と云うのを、飫冨兵部少輔、山本入道が諌めて「これは公を怒らせて、有無の決戦をしようという謙信の策であります、ただ相応の返事を与えて返せばよろしいまでのこと」と言えば
信玄も気を取り直して怒りを収めた。
「謙信が申したことに其の理あらず、足下我を恐れて、留守に侵入無きようとの願い、我は情けをもって聞いてやったにも関わらず
足下の軍勢が上武の軍と共に関東に乱入して、北條を攻めて狼藉を働いた
このとき氏康は重い病に侵されて我に加勢を頼んできたが、二度三度、足下との約定を守って、これを断った
されども日増しに越、上、武の狼藉は勢いを増したので、ついに我も氏康の頼みを聞き入れて威嚇のために太田切まで兵を出したところ、鰐が岳の者どもが我らの退路を断つ所業に出たので、仕方なく戦い、これを討ったまでの事
信玄、一つも不義など犯してはおらぬ、もし我に不義あるとすれば、あのまま春日山まで攻め落とすのも安きことなれど、それをせずに兵を信州に還したのである
いったい謙信、と我は、いずれが不義を犯したか言うまでも無いことである
それなのに我を恨むなど、いったいどういうことであるか
それほどまでに我を恐れているのに、なにゆえ北條に兵を出したのか
その罪の元は我ではなく足下にあろう」
使者が春日山に戻り、これを謙信に申せば、謙信怒り
「信玄め、その儀であるならば、もはや一戦に及ぶべし」と急ぎ戦支度を始めた。