神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(255) 甲越 川中島血戦 82

2024年11月21日 18時17分23秒 | 甲越軍記
 上杉謙信は上洛を遂げ、足利将軍義輝公に謁見して、諱を賜り、数々の特権も得て得意満面で越後に帰って来たが、
武田信玄が約定を破り、越後まで攻め入って鰐が岳城を攻め落として去ったと聞き大いに怒る。

十四ケ年にわたって信玄に出し抜かれたことは数え切れず、「信玄に似合わぬ表裏の挙動」言葉を失う
こうなれば、いよいよ急ぎ信州に出馬して、信玄と手詰めの一戦を行うべし
無二無三に攻め立てて、信玄入道の首を獲るべしと唇を噛んで罵る
このとき、宇佐美駿河守が「仰せもっともなれど、まずは使者を送って信玄の罪状を詰問すべし、信玄は責められて怒れば、これ味方の有利となりましょう」と言えば
謙信悦び「尤もなり」と答えて、直ちに使者を甲州に送る

「謙信、上洛の間、信玄は越後に出張ることなしとの約定、義を守り快く承ったのに心を変じて、我の上洛の留守をよいことに太田切まで乱入して、あげく鰐が岳の城を攻め滅ぼした
これ表裏の振る舞い、偽りを良策とするのはどれほど謙信を恐れているのか
、そうであるなら早々にわが軍門に降るべし
降参するならば、信玄と違い我は信義を守って、そなたを許そう」

これを聞いた信玄は怒り、「憎き謙信の言い分であるか、そのように言うのなら直ちに出陣して謙信めを一揉みにしてやろう」と云うのを、飫冨兵部少輔、山本入道が諌めて「これは公を怒らせて、有無の決戦をしようという謙信の策であります、ただ相応の返事を与えて返せばよろしいまでのこと」と言えば
信玄も気を取り直して怒りを収めた。

「謙信が申したことに其の理あらず、足下我を恐れて、留守に侵入無きようとの願い、我は情けをもって聞いてやったにも関わらず
足下の軍勢が上武の軍と共に関東に乱入して、北條を攻めて狼藉を働いた
このとき氏康は重い病に侵されて我に加勢を頼んできたが、二度三度、足下との約定を守って、これを断った
されども日増しに越、上、武の狼藉は勢いを増したので、ついに我も氏康の頼みを聞き入れて威嚇のために太田切まで兵を出したところ、鰐が岳の者どもが我らの退路を断つ所業に出たので、仕方なく戦い、これを討ったまでの事
信玄、一つも不義など犯してはおらぬ、もし我に不義あるとすれば、あのまま春日山まで攻め落とすのも安きことなれど、それをせずに兵を信州に還したのである
いったい謙信、と我は、いずれが不義を犯したか言うまでも無いことである
それなのに我を恨むなど、いったいどういうことであるか
それほどまでに我を恐れているのに、なにゆえ北條に兵を出したのか
その罪の元は我ではなく足下にあろう」

使者が春日山に戻り、これを謙信に申せば、謙信怒り
「信玄め、その儀であるならば、もはや一戦に及ぶべし」と急ぎ戦支度を始めた。



手紙のこと

2024年11月21日 15時30分35秒 | 昭和という時代
 急に寒さが増して、新潟市では初雪が観測されたとのこと
今朝は寒さのせいかどうか知らないが、4時15分に目が覚めてパッチリだ
もう眠れないから、ネコの世話をした、それから手紙を書いた。

 信州安曇野の親戚からいつもの通り、大きく新鮮なリンゴが送られてきた
いつもは電話でお礼を言うのだが、先方は高校の校長を務めた人だが、いつも互いにぎこちなく終わるので、今回は手紙を書いた、因みに先方様はいつも達筆の手紙で来る。

手紙を書いていると、あれこれ互いの亡父母との事まで思い出して、思ったより長い手紙になった
言葉は一瞬で消え去るが、文章はいつまでも残り、何度でも繰り返し読むことができる。

封をしたが、新しい切手の金額がわからずネットで調べる始末
自分の高齢化のせいか、相次ぐ値上げブームのせいかわからぬが・・

時代、私の若いころは何につけても手紙だった
新年は年賀状、夏は暑中見舞い状、誕生日にはバースディカード
そのほか文通が流行して、子供向けの雑誌には「文通コーナー」があって、全国の子供たちが「・・・が趣味です、同じ趣味の人と文通したい」などと書いて出す
中学生の時、私の同級生で友達のT(市の課長60歳で急逝)とR(フーテン40代で行方不明)が文通希望に投稿したら、手に余るほどの文通希望の手紙が届いた
いずれも、「ダメならお友達を紹介してください」ということで、私に二人からお鉢が回って来た
*この話は前にも書いた気がするが再掲

Rの方は東京の西日暮里からで(ああ、たいていは男子には女子から、女子には男子からが相場、思春期の始まりですからね)
親のどちらかが私の町の隣町出身だそうで、Tの方は岐阜県の平田町(現海津市)の人だった
Rの方は2年くらいで終わったが、Tの方は20代前半、社会人になっても続いていた
60歳になったら会いに行こうなんて思ったこともあったが、結局行かずに74歳になった(友達が名古屋に居るので、何度も名古屋は行ったのだが、岐阜も長良川温泉に何度か行っているが)
今さら会うことも無いが、輪中の町を一度は訪れてみたい
そんなに遠いわけではないのだから。

この歳になるとなんでも懐かしく感じる
二人からの手紙は今も本棚の引き出しのどこかにある、ラブレターではないから見られてもかまわないが、たぶん息子がゴミとして処分してくれるだろう
断捨離べたな私はいつまでも思い出の品を捨てることができない
困ったことだ。

今年もまた年賀状書きの季節になった
同級生たちの大部分から年賀状じまいの手紙が相次ぐこの頃
私も仕事関係の年賀状は数年前にやめた、友達の8割が年賀状終い
一時は200通以上の年賀状が来ていたが、友達の多くはLINEで一瞬で挨拶が終わる
それでも親戚やお世話になった方々には年賀状は欠かせない、それも年々減っていくから出せる限りは出そうと思う
今年は20通くらいかな。


高校時代、友と歌った歌

若者たち~空にまた陽が昇るとき ザ・ブロードサイド・フォー

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(254) 甲越 川中島血戦 81

2024年11月20日 20時50分47秒 | 甲越軍記
 武田信玄は、鰐が岳の敵にくい止められて、海野、仁科、高坂の三将が越後に加担の恐れを感じて、挟みうたれれば大事なりと、甘利左衛門尉、相木市兵衛尉、安間三郎右衛門を脇備えとして三将を押さえさせ
先陣を持って、鰐が岳城に押しかかり、ただ一息に攻め落すと揉みに揉んで攻め立てたが
勇猛の越後勢は、恐れることなく城門を開いて馳せ出て防げば、武田勢の死亡多く乱れて下がる
越後勢は勝ちに乗じてなおも攻め寄せれば、原美濃守、加藤駿河守が新手として越後勢に攻めかかる
越後勢は新手の出現にも恐れることなく戦えば、城に戻る道も在れど、義を励み、名を惜しんで「死ねや死ね」と勇敢に戦う
こうなると、さしもの武田勢もしどろに乱れて打ち立てられる

この劣勢を挽回しようと原、加藤自身は槍を振り回して敵に当たる
その時、武田方にて無双の勇士と言われる辻六郎兵衛も踏みとどまり、敵六人を討って落とし、八人に手傷を負わせる
物の具も太刀もしどろに真っ赤な血を滴らせてなおも、打ち回れば、その姿は
鬼神のごとく見えたり

城方の佐野数馬は、これを見て「あっぱれなる敵なり、そこを去るな」と声をかけて近づき、討ってかかる
六郎兵衛尉も金石ならざれば、ついに佐野によって討たれる

原美濃守も乱戦の中で数か所の傷を負い、松木内匠と打ちあい、危うきところを原の郎党が駆け寄って、主の危急を救い陣所に駆け戻る
加藤駿河守もまた手傷多くして、引き下がる
されども信玄は数の優位をもって総攻めに攻め寄せれば、小人数の城方はついに力尽きて落城となる
城から逃げ出した兵も力なく、越後に向けて落ちて行けば、信玄もこれを追って後ろを討たれるを恐れて、追うことをせず
急ぎ川中島に軍を戻して、海野、仁科、高坂入道の反心を責めて三将の首を刎ねた。

海野の名跡を信玄の第二子、盲目の御曹司隆宝(りゅうほう)十八歳に与える
これに付けられた海野の老臣、奥座若狭守は元は百貫の所領であったが、信玄はこれに千貫の所領を与えて隆宝の後見とする。
仁科の名跡は第五の御曹司、油川殿の腹、五郎五歳に与えて五十騎の士を付けられた、仁科五郎信盛と名乗らせる。



大相撲福岡11月場所 ズバリ優勝予想

2024年11月20日 05時26分53秒 | 大相撲
 ズバリ優勝本命は、阿炎でしょう
二番手は豊昇龍、三番手は若隆景でしょう 四番手に琴櫻
そして大穴は尊富士、終盤戦の組み合わせが優勝の行方を大きく左右します
豊昇龍が単独優勝なら13勝2敗、それ以外なら12勝3敗だろう(豊昇龍が決定戦優勝なら12勝)

ここまでで相撲内容が良いのは、一番は豊昇龍 二番は隆の勝 
三番は尊富士、琴櫻、大の里 次いで阿炎
大関陣は、これからの5日間は強い者同士の対戦が続きつぶし合いの可能性大
ここで抜ければ優勝の芽が花になる
隆の勝と尊富士も内容が良いが、相手は平幕ばかり、これから大関、関脇にぶつけられた時が正念場だが、尊富士は幕尻なので有利
阿炎は大関三役との対戦が終わり、これからは平幕の好成績力士と当たるだろう、尊富士、隆の勝、若隆景戦を制すれば優勝するだろう、これが阿炎を優勝候補ナンバーワンにした理由、優勝経験者でもある
また相撲内容が良いと言えないのは、大関、関脇戦が続いたからで一方的に勝てる相手ではないからだ、その中で泥臭く勝ち抜いたのは強い証拠だ

二番手の豊昇龍は今までとは取り口が全然違って、前に出て完璧な投げで圧倒している、大の里、琴櫻が注目される中で本当の闘争心、モンゴル魂に火がついたらしい。
千秋楽で同点優勝決定戦となれば優勝確率は一番になるだろう、阿炎はもう豊昇龍との対戦は無いので、決定戦にならぬよう勝ち抜いて逃げ切ることが大事だ。

三番手の若隆景は優勝して若元春とともに兄弟関脇を狙っている筈
兄弟の相乗効果は大きい、もともと関脇だったのだからプレッシャーはない
阿炎との対決が逆転のチャンス、これに勝てば優勝の確率もあがる。

尊富士の馬力は健在、はたして上位の誰と対戦するのか、それによってチャンスが出てくる
今場所の相撲を見る限り、三大関には1勝2敗か3敗だと思う
だが大関戦が無ければ優勝のチャンスもある、若手ながらすでに優勝経験があるのだから

大の里はほぼ消えた、今場所は11勝して来場所14勝の優勝で横綱を射止める計画書作り
琴櫻はやはり初優勝がプレッシャー、終盤の取りこぼしが多いのが玉に瑕だ
負ける時はあっけなく負けるのが、精神面の弱さかな。

今日からは、3敗以内同士の取り組みが多くなってつぶし合いが始まるでしょう、もう優勝からは脱落したがキーになる力士は大栄翔
この力士に敗れる力士が脱落していく可能性が高い、そして思いがけない刺客になりそうなのが霧島だ、序盤戦5連敗、中盤戦4勝1敗と調子を上げて来た
これから三大関に当たるだろう。

10日まで3敗以内は10人、1敗は隆の勝、豊昇龍、琴櫻の三人、
2敗が尊富士、阿炎の二人 3敗が6人
豊昇龍と琴櫻は直接対決で、どちらかが負ける

今日の取り組み(太字は3敗以内)
琴桜ー若元春  豊昇龍ー大栄翔  大の里隆の勝  若隆景宝富士
阿炎阿武剋  豪ノ山尊富士  湘南の海ー一山本 

12日目以降の予想取り組み
豊昇龍=隆の勝 大の里 霧島 琴櫻
琴 櫻=霧島 大栄翔 大の里 豊昇龍
大の里=大栄翔 豊昇龍 琴櫻 霧島 

今日から目が離せませんね

Alice - 冬の稲妻



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(253) 甲越 川中島血戦 80

2024年11月19日 21時18分14秒 | 甲越軍記
 武州岩槻の城主、太田美濃守入道三楽は、北條氏康が病に罹ったと聞き、これぞ良き機会であると関東諸将に語り掛けて、上杉憲政を大将として、軍勢は相州酒匂まで攻め寄せる
同じく房州里見の城主、正木大膳亮は北條幕下の千葉新介がl籠る佐倉の城を攻める
正木左近進は里見の老臣、坂倉大隅と共に、相州金沢の城を乗っ取り、そのほか忍の成田下総、河越の城にも越後勢、上野勢が攻め寄せて昼夜かまわず攻め立てればたまらず、諸城から小田原へ援軍の要請がひっきりなしにやって来た。

北條父子はいかにしたものかと思えども、病の上敵は大軍で各所を同時に攻めるので、いかんともしがたく出陣をためらった
そこで氏康は一案を謀る、我は病重く、敵は各所に攻め寄せ、我らもまた勢を分けて救援に行けば、本城が手薄となる
故に甲州の武田信玄を頼み、越後に向けて兵を出してもらえば、謙信上洛で留守の越後勢は急ぎ関東より越後に戻るは必定なりと
ただちに一宮隋巴を使者として甲府に使わせた

しかし信玄はかねてより謙信の留守の間は越後と戦をせぬ誓いを立てているので、氏康のたのみなれども、謙信との義をかくことを恐れて、これを断った
だが氏康は危機の危機であれば、二度三度と重ねて懇願の使者を走らせた

信玄の心は揺れるが、馬場、飫冨、日向、山本、原の諸将は「いかに氏康が乞うとも決して承諾なさりませぬように、謙信との約束を破れば怨恨はますます深くなり、天下にも不義の名が広まるでしょう、後日の大志の妨げともなりましょう」と言えば、信玄もこれに賛同して北條の使者を送り返す。

だが必死の氏康はそれでも諦めず、またしても使者をおくれば、さすがに信玄も根負けして、ついに氏康の願いを聞き入れて、武藤甚右ヱ門尉をまず海津の城に送る
これにて高坂弾正忠昌信が陣触れを行い、三月十七日甲州を討ち立つ
川中島に着陣して、これより高坂をもって、越後の太田切まで進出させた
信玄は鰐が岳城を巡検して引き返そうとしたところへ。鰐が岳の守兵が「憎きは信玄なり」と城を討ち出て、背後から攻めかかれば両軍混戦となり双方ともに多数の死者を出す
こうなると甲州勢は兵を引くことが出来ず、鰐が岳の城に押しかかる
これを聞いて関東に出張した越後勢は急ぎ越後へ引き上げた
氏康はこれを知って大いに喜び、使者を信州に送って武田家の労苦に感謝した。