神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

健康維持がたいせつ

2024年11月17日 05時43分23秒 | 病気と健康
 今朝も、おきまりの4時15分目覚め、5時起床
室温は20度で寒くはないが、なんとなく肌寒さを感じるのは11月

左足のひざの痛みは慢性化の傾向、じっとしていても「いごじわるい」感覚は初めてのこと
旅行前5日に始まったので、今日で12日くらいになるか、今まではたいがい5日くらいで治ったが・・・
これも抗がん剤治療の副反応かと疑う、というのも副反応は終了後数か月後にも起こるとのこと、まさかと思うことにしている

数年前から、いっちょ前にサポーターを使用するようになった、やはり歳をとると関節が痛むのか
足膝が痛んでサポーターをしたら2日後に、お肌に痒みとひざ痛ではない痛みが出て来た、どうもサポーターがきついらしい
おそらく腕の肘サポーターをしていたらしいが、なにも書いてないので定かではない、でも冷静に状況分析すればたしかに腕サポーターのようだ

そこで15%引きというのでバンテリンの足膝サポーターを買って使ったら、やはり餅は餅屋で使い心地が良い「やっぱり」だったか。

これで腰ベルト、腕肘サポーター、手首、親指、足膝サポーターと5種類揃った
腰ベルトの効果は抜群で、腰に違和感を感じると同時にこれをすると、たいがい5日で治まる
だから未だに腰痛まで発達したことは無い、まあ腰にはある程度自信がある

外反母趾が進行して、どうやら足全体のバランスに狂いが生じているようだ
先日、同級生女子宅でお茶を呼ばれながら外反母趾を自慢したら、彼女も足を見せて「私も外反母趾なんだよ」と言ったので仲間が出来た気がして嬉しかった。

外反母趾に限らず、太りすぎだとか糖尿病だとか様々な体調悪化は知らぬ間に年月をかけて発達する、そのために最低でも年一の健康診断は必要だ

私は健康診断をしないのが自慢だったが、まさかの大腸がんで目が覚めた
お陰で3か月ごとの血液検査とCT検査、半年ごとの内視鏡検査がなかば強制的に行われるようになって、これに市の検診を受ければ、かなりチェック体制が充実する。

おかげさまで体重が手術前より多い67㎏に到達した、いささか太り気味で喜んではいられない、64~65㎏をキープしたいが口が美味くて、それがいけない
体を使わないといけない、いつの間にか歩けなくなるのが怖い
運動するにも筋力が落ちたり、肥満になると不可能になる
そうなる前に、そうならないための自覚が必要、まずは大掃除で汗ばむとするか。



あんたのバラード



検査結果&病院の景色

2024年11月06日 08時02分18秒 | 病気と健康
 検査が終わり、外科医と面談、「CTを見た限り転移は見られません、血液検査も特に問題はありません、ただ好中球の量が注意レベルなので、熱がでると急激に高熱になりますから、そういう時はすぐに病院に知らせてください」とのこと

それから質問をしてみた「食べ物はどうなんでしょうか?」「何を食べてもいいですよ、ただ柿は注意が必要、キノコなど繊維質のものは腸にたまりやすいので、ほどほどの量で」
「ラーメンとかステーキとか脂っこいものとかは?」「いいですよ食べてください、食べ過ぎなければいいですよ、よく噛んでくださいね、それと刺身など生魚は抗体がつくまでは控えた方がよいでしょう」
「酒はどうですか?」「飲んでもかまいませんよ、但し、たくさん飲むと大腸の他の部位でガンが生じることがあるので気を付けてください」
「それから次回の検査ですが、3か月に1回ずつ検査します、今日と同じく血液検査とCT検査です、次回は1月下旬です、術後半年に一回、内視鏡検査をします、ここでの検査は外科に関するもので、内科系の検査はしませんから、それは市の検診などを受けてください」とのことだった。

「老人は人に会いたくなったら病院へ行きなさい」という切ない笑い話があるが、まさに今日の病院はそれだった
自動ドアを入ったとたんに、かっての仕事場で私より二年後に入社して、30年くらい一緒に働いた20歳年下の女子が、病院の事務系で勤務していて、その人が今日は患者への案内係として働いていた
すぐに見つけて、忙しそうだから「今日は検査の日」と言って立ち止まらず放射線科へ向かった
そこで「最初は血液検査に言ってください」と言われて、検査室へ行ったら、もう30名以上居て、座る場所も無いほど
探したら、男性二人の真ん中が空いていたのでそこに向かったら、なんとそれは50代のボランティア仲間だった
ここでたまに登場する膵臓がんの80歳の先輩の長男さんだった、挨拶を交わして座ろうと思って、もう一人の方を見たら、それは先日一緒に飲んだばかりの同級生やっさんだった
「なんだ、知ってる人ばかりだ」「yottinさん顔広いからなあ」なんて苦笑い
待ち時間も退屈しなかった

15分くらいで番が来て、50歳前後の看護師の女性「血管細いですね」
「そうなんだよ、看護師泣かせだね」と言ったら彼女
「私もそうだったんですよ、年取ったら少し太くなりましたけどね、看護師泣かせでした」
「手の甲でもいいよ、前にもやったから」「そうですね、でも頑張って見ます」と言って腕に刺した
「血の勢いが無いので、少し時間がかかってごめんなさい」
「大丈夫もう慣れているから気にしないで」
「そうですか、助かります、私の指が冷たいのでごめんなさいね」
「かえってひんやりして気持ちいいから大丈夫」
なんて、とうとう最後までおしゃべりしながらの採血、こんな気さくな看護師さんは初めてで良かった。

帰りに支払いに行ったら、そこでまた鮮魚センターの時の仕事仲間の女性に会った、父の葬儀では過分な香典をいただいて気に留めていたので、ここで会って礼を言った
彼女は同級生の妹でもある、やはり田舎ということもあって、毎回知り合いに会う、これも楽しみではある。


蓮華・白池 新潟県





ちょっと不調

2024年10月19日 11時08分09秒 | 病気と健康
 昨日の夜はやたら暑くて、室温を見たら26度あった
蒸し暑くはないが、季節が代わってから日増しに寒さが身に染みてきたところだったから、この気持ち悪い暑さには参った。

そのせいか昨夜は深夜まで、抗がん剤の影響が出て苦しい夜になった
二度、風呂に入って体を温めて、それから一時間くらいで落ち着き、朝は珍しく7時まで寝ていた。

やはり抗がん剤は怖い薬である
それはそうだろう、血球を減らすくらいだから劇薬なのだ
私の場合は今の「ゼロックス治療法」が体にあっているのだろう、今までの3クールは多少の副反応はあったけれども、軽い症状だった
でも抗がん剤の先輩が何人も言っていたが、先に行くほど体がたいへんになっていくとのこと
今は、そこの入り口に来たのかもしれない
でも今回でおしまいになるので、ぎりぎりセーフというところか

なんか頭がボーっとする、眠い、とにかく今回の投薬が始まって5日目だが朝から夜までずっと眠い
目の周りが熱くてブログもちょっとな感じになっている
そんなこともあるさ、そんな巡りなのさ
こんな時は休むのが良いかな。

それでも今朝は買ってきた花の苗を5株植えた。

ついに最終投与が始まった

2024年10月16日 05時38分58秒 | 病気と健康

昨日は とうとう 最後の 抗がん剤 投与 が 始まりました 
5週間遅れた原因は抗がん剤によって、白血球、赤血球、好中菌数が維持下限数の8~9割になるからだ
これは抗体が弱まって通常よりも細菌などによる病気に罹る確率が大きくなるということで、最悪死に至る病気にもなるという
それでは今は存在していない(かもしれない)がん細胞を恐れて、免疫を下げて死に至る病を招き寄せることになる
先生は抗がん剤の中止を勧めた、これもステージ2だったからで、3以上だとどちも危険なので主である抗ガンを選択するという
但し、数多ある治療薬を交換しながらだと言った。

担当医が代わった、たぶん執刀医だったA先生が、新任で来たばかりのB先生になった
B先生は無表情の若い先生だ、ぜんぜん話もしない、高校のクラスに一人は居る、同級生に無関心でクールで近寄りがたいタイプ
私の半年をペーパーでのみ知った先生、私への質問は全然ない、もう今回で退院となるからそれも必要ないかもっとも問題が見つかればまた外科ということになるだろうけど、できればガンはいりません。

今後は外科を離れて、手術後半年でCT、レントゲン検査、一年でMRI、内視鏡検査をすることになる、それだけ説明した。

薬の 副反応で 右腕と指が 痛くて漢文調で 古い言い回しと漢字変換が難しい「 甲越 軍記」 は 2、 3日 お休みします。


Sailing [日本語訳・英詞付き] ロッド・スチュワート

2度目の失敗

2024年10月01日 13時43分14秒 | 病気と健康
 病院から帰って来た、いよいよ抗がん剤のラストクールと思いきや、またしても赤血球、白血球、好中球の数が、基準の最低値を下回って中止になりました。
恐るべし抗がん剤の威力、がん細胞だけでなく友軍の筈の、わが抗体ともバトルしてしまう
こんな抗がん剤にも負けないがん細胞もあるのだから、ガン細胞も恐るべしだ。

と言うことで、また2週間先延ばしになった、これで立てておいた10月の月間予定もまた書き直し
1週間後にしますか、2週間後にしますか、それとも1クールの3週間後にしますか? と聞かれたが、3週間は一度経験したが、さすがに気がめいってくるし
1週間後が早すぎて、また失敗なら採血という難関をまた1回余計にやらなければならないので、2週間後に決着した。

とにかく血管が細くて、曲がっているので採決では看護師泣かせなのだ
もちろん私も、できれば採血はしたくない
今日は、いよいよ適当な血管が無くなって、ついに手から採血することになった、やはりちょっとだけ今までより痛い時間が長かった

右手には、そこそこのまっすぐな血管があるので、これは点滴用にしている
あと1クールで自由の身になるのだが、なかなか進まない
2週間後で決着をつけたいな

私の左右のベッドの同年代の人たちも抗がん剤治療だが、みなさん元気が良い
でも話を聞くと、糖尿病も持っていたり、ダブルで病気を持っている人たちで、薬も相反して使用方法がたいへんだったりと、苦労されているようだ。






75歳まじかの現実

2024年09月17日 06時06分11秒 | 病気と健康
 夕べ22時半に寝て、今朝も体内時計で4時半ピッタリに目が開いた、夜中も一度も起きることがなく、グッスリだった
ベッドの中で、あれこれ思いを巡らせて5時に起きあがる。

最近では、暦も日付以外は気にすることが少なくなった、特に国民の休日はほとんど何の日かわからないし、知る気も無い
だが昨日は、新聞で「敬老の日」だと知った、来週も月曜日が赤い日だが何だかわからない。

高齢者の定義を65歳から75歳に引き上げようと言う動きがあると書いてあった
こうなったからと言って、高齢者が若返るわけでもないが、今の時代たしかに65歳が高齢者は現実的ではない
自分の65歳を思い返しても現役バリバリだった、何の制限もなく自由に関東甲信越を飛び回っていたし、いろいろなことを楽しんでいた
その65歳以上の比率が世界一で、3600万人日本人の3割を越えているとか書いてあった、これは確かに高齢化時代だ、75歳以上に定義を変えないと老人大国から脱却できない
その75歳以上だって、1900万人を軽く超えていて、20歳未満よりも多いと言うことだから日本の人口が修復不可能なほど尻すぼみなのがわかる。

さて本題だが、65歳と75歳ではこれほど生活に差が出るとは考えもしなかった
体力が衰えるのは当然だが、まず病気が身近になった
昨日は同年代の、自営業の職人の父君が一か月前に亡くなられたと聞いて、自宅に香典を届けて来た
そして立ち話をしてきたが、彼もどれくらい前だかに大腸がんの手術をしたと聞いた、今は尿道結石で病院通いだと言っていた、最悪手術になるとか
同世代以上のガン患者の多いことは何度も書いたが、本当に多い、犬も歩けば棒に当たる以上の確率だ
大腸がんを患ってから、食べる楽しみが制限されてきた、食欲はあいかわらずあるが、気持ち的に無理できないと思うし、好物の数々がほとんど控えた方が良い食品なのでがっかりである
それに腸自体が満腹を拒否して、食べすぎるとストライキを起こすようになった
これでは心行くまで食べられない
とろろ飯、ラーメン、納豆ご飯、お茶漬けなどを、胃の中に注ぎ込むからうまいので、少しずつ30回噛めと言われてもがっかりだ
また、餃子や枝豆などは食べたいだけ食べるし、ステーキや肉厚のトンカツはがっつり食べたいし、いかの天ぷら、キノコの天ぷら、かき揚げなども心行くまで食べたい
蕎麦もだめ、キムチもだめ、腹にたまるものは全てダメでは楽しみも半減だ
だけど、体か気持ちかと言われればどうにもならない

それと気づいたことは、生命保険に新たに入ることができない
テレビで80歳を越えても入れますとか言っているが、掛け金が多くて受取額が少ないのは明白だろう
信じられないほどの安い掛け金と、多額の受け取りをうたっているが、世の中そんな投資みたいなうまい保険があるわけがない
あとでいろいろな条件、制限を言ってくるのだろう。

それから自動車免許の書き換えも、だんだん厳しくなっていく、認知症試験と言うのもあるし(割と緩いみたいだが)、実際に反射神経や、集中力が衰えていくことは実感としてある
80歳になった頃はどうなっているかわからない、レンタカーを借りるには年齢制限があるのだろうか。

旅行や映画鑑賞、舞台やコンサートもそうだ、日によってトイレが近いことがある、果たして2時間半座ったままでいられる自信が無い
ドライブなら都度、トイレに立ち寄れるが、鈍行列車や静まりかえったコンサート会場では思い通りにできない
こんなわけで趣味の範囲も大幅に減少せざるを得ないことになった
もしかしたら本当は大丈夫なのに、気持ちが落ち込んでいるのかもしれない。

75歳って老人なのだろうか、まだまだやれることがいっぱいあるのではないだろうか?
やはり手術したことが知らず知らずに尾を引いているのか、少し気弱になった気もする
早く抗がん剤治療が終われば、気持ちも改善するかもしれない、80代、90代でも旅行にスポーツに畑仕事にボランティアに励んでいる人は多い
引き籠るには、まだまだ早いかもしれない、気を取り直して病気前の自分に戻ろう。






暑い中を抗がん剤治療

2024年09月10日 21時07分43秒 | 病気と健康
 今日は朝6時半には外の温度計は26度くらいで涼しかった、それでいつものルーティンをやってから、畑に水を撒いた。
種をまいてから、まだ3日くらいなのに一斉に発芽した、それも日陰が多いところが早い、日中ずっと陽があたっているところより温度が低いのだろう。

8時半には病院へ行って抗がん剤治療だ
三回目なのだが、三週間前には白血球、好中球が正常の最低ラインを20%も割っていたので抗がん剤治療は中止された。

待合の廊下に座っていたら、ベレー帽をかぶった小柄なおばあさんがいた
前回の時は、少し年上の高齢者だと思ったのが同級生女子だったことは書いてが、今回は完全なおばあさんだった。
「あんたは何ガンかね」と聞くから「大腸がんのS字結腸ガン」と答えたら
「切ったんかね」とまた聞いた「切りましたよ」
それとなく話の中でどうやら、おばあさんは手術しないで、抗がん剤治療だけでやっているようだ
だから回数も薬の量も多いのだろう。

時間が来て、治療室の中に入った、先におばあさんが受付した
なんと、おばあさんはまた例の同級生だった、三週間前なのに前回よりずっと齢をとったではないか
腰も曲がって、両手を大きく開いて歩いている、頭のベレー帽は抗がん剤で毛が薄くなったからだろう、前回かつらの話をしていたから
顔も一回り小さくなったし、どうみても90近い老人に見えた、ただ声だけは大きくて張りがあるから、声だけ聴けば同級生だ。

病床10で看護師さんが2~3人で担当する
看護師は一人一人に体の具合や、生活状態を聞き、血圧などチェックする
その会話は嫌でも聞こえてくるので、一人一人の病状などがわかる
今日は6人で、男5人、女1人だった、2人は軽いらしく簡単な点滴と、薬だけでチェックが終わったら帰っていった。

同級生女子も遠慮のない漁場言葉で看護師さんに「風呂に入ってびっくりしたわ、しわくちゃ、顔も何もみんなしわくちゃになって90ばあさんと同じだよ
どうしたもんだろ」
たしかに私にもそう見えた、かなりきつい治療をしているんだろうなと同情した、だけど港へ賄い仕事に行っていると言うし、声もハリがあるし、元気そうだ、さすがに五黄寅の女は強いと思った
彼女は今日は風邪気味と言うことで治療が中止になって帰って行った。

隣のおじさんは「これをやると毎日体がだるくて、何もやる気が起きない」と言った
看護師は「そうだよね、毒を体に入れるんだから」と衝撃的な事を言ったので、ちょっとびっくりした
でもたしかにその通りだ、抗がん剤は体を丈夫にするのではなく、結果的には弱らせる薬なのだから正しい
ガン細胞を攻撃するだけでなく、体の味方である赤血球、白血球をも攻撃する、だから戦死した血球は減るのだ
但し、毎日億単位で増えて、億単位で消滅していくのが血球だ、だから抗がん剤を中止すれば自然に増えていく、食べ物やビタミン剤などを摂取しても増えない。

9時45分に採血が終わり、検査に回って11時に担当外科医がやって来て
「問題ないですよ、順調です、今日はやりましょう」と明るく言った
そして今日は血液検査の結果、標準値に比べて少なめであはあるが、標準範囲の中に戻ったので、やることが決まった
但し、注意が必要なので今回は点滴の量と、抗ガン薬の量を2割減らした
CTの結果も心配していたが、特に問題がないと言うことだった。

点滴が全て(4種類)終わったら13時半になっていた
今回は抗がん剤点滴の後半から、今までより早く痛みがやって来た
今までは、抗がん剤点滴が終わって、次の生理食塩水投与の時に痛くなるのだが、今回は早い、そして今までは無かった右腕上腕筋肉まで痛みとピリピリ感が出て来た、21時の今も変わらず痛い
看護師さんが「終わりましたよ、痛みとかありませんか」といったので
右腕の痛みを言ったら、「我慢せずに途中でも言ってください、温めるとか方法がありますから」と言ってくれた
皆さんもそうだろうけど、私は戦中派の父や親方に「痛いくらい我慢しろ」と言われて育ったから、どうしても我慢してしまう
そのうちに、痛みが痛みと捉えられなくなって、(なに?この熱い感じは)とか(凍える感じは?)(ずーんと来た感覚は?)
という、感覚に置き換えてしまう癖がある。
「我慢して日常生活に支障が起きては困りますからね、それと抗がん剤で血管が細くなるんですよ」
腕の痛みや、ピリピリ感は血管に沿って起きている、触るとピリピリ、少し面白いが、そうも言ってられない。

女房殿に迎えを頼んだ、來るまでの間に近くのスーパーで安い牛肉を買いに行った、オーストラリア産のすき焼き用が安かったので買ってきたが、夕食にプチすき焼きを作った
体がだるい、頭ももやッとしているが、野菜を切って炒め、豆腐と肉を焼き、タレもオリジナルで少し甘口に作って煮込んだ、牛肉は外国産だが一人前で350円だから贅沢は言えない
和牛とは天と穴ぼこくらいの差があるが、ごく普通の晩飯は是で充分、脂身は無いし、口の中で溶けて無くならないが、割と柔らかく肉のうまみもあった。

やはり初日は暑さもあって体は参っているのだろう、これでPCやめて、22時前には寝ます。






夏とも言えず、秋とも言えず

2024年09月04日 19時18分11秒 | 病気と健康
 台風10号が消滅してから気候が変わった
一気に秋が来たようで、夜には一斉に虫の声が聞こえてくる、それも何種類かのオーケストラ
我が家は南北は我が家の庭と隣家の庭がつながって、遮るものがなく、西は一面の草むら(廃田)なので虫にとっては良いねぐらになっている
だが安心はしていられない、スズメやカラスなども草むらにもぐりこんで、虫探しをするからだ。

夜はこのように秋めいて、それでもまだ晩夏と初秋がせめぎ合っているが、夜中から早朝にかけては、もはや寒い
当然ながらエアコンも扇風機もいらず、うす掛けをかけて寝る
しかし日中は相変わらず30度超えだから蒸し暑い不快さは継続している
こんな風に、日中と深夜ではまったく季節が違うので、体がついていくのがたいへんだ。

今日もまた病院で、歯科に行って来た
なんせ抗がん剤治療との兼ね合いがあるから、一か月に一回くらいしか行けないので時間がかかる
今日は歯の型取りだった、10時20分に受付して診療室に入ったのが11時10分くらい、それから型取りが終わったのは12時すぎだった
診察台に1時間くらいいたわけだが、なぜか治療というか型取りと言うか・・をやっていた時間は30分も無かった気がする
あとは、ただ診察台に寝たままだったが、マジ寝てしまった。

結局やったのは歯の型取りを最初仮でやって、それから治療の歯の根元を「糸を・・」どうとか言って、細い金属の棒で歯茎に押し込む、これがチクチクと言うか鈍痛と言うか、一押しごとにズクっとするのだ
痛いことは痛いが、痛い時間が瞬間なので、逆にここ落ち良いというか、かゆいところに手が届くというか、私が変わり者なのだからか結構気持ちが良い
ただ、終わった後はズキズキと、脈と同じサイクルで痛んだ
そこにゴムのようなものをかぶせて本番の型取りだが、10分くらいかかる
被せた下で「ズキズキ」と脈打つ
結局、今日は先生は一度も私の所には来ないで、別の患者にかかりっきりだった、私は女の看護士さんが、ずっとやってくれた。
治療の領域は越えて、型取りだから、それで良かったんだろう

次回は10月2日予約だったが、あまりにも間が空くので、抗がん剤の3回目が終わる9月の最終週に早めてもらった
今までの開業医のところだと、待ち時間10分、治療20分くらいで終わったが、今日の病院は待ち時間を入れて2時間、どうせ暇な身だから気にもならないが、現役なら半日休んでこなければならないと思った。

廊下のベンチに座って待っている患者数を見れば、それも仕方ないと思う
病院不足、医師不足の地方病院、医師の疲労度もそうとうなものだと思う
待たされたと文句言うより、「ご苦労様、ありがとう」と言いたい。







抗がん剤治療 緊急 中止

2024年08月20日 17時35分56秒 | 病気と健康
 今日から 第3回目の 抗がん剤治療が始まる、 治療室に入ったら 私よりちょっと年上に見える色の 黒い おばちゃんが いた、 そして 独り言のように「 この部屋に来るようになればもうおしまいだ な」などと言っている
ベッドが10台横並びだ、時間がかかるからテレビがそれぞれにあって、無料で見られるがイヤホンは持参しなければならない
今日は私と、彼女と、年配のおじいさんの3人だけだ

 受付が終わって 血液検査に向かった 、順番が おばちゃんが一番 私が2番 隣同士になった 
病院では 名前 と 生年月日をいわせる それで気がついた、 このおばちゃんは 高校の時の同級生だった 、だけど 2時間の点滴中に色々話しかけられるのも嫌だから 知らん顔していた 
採血が始まったが 若い看護婦は 下手くそで 1回目は 失敗して 2回目は 2本取るところを 1本半で 血が入らなくなったと言って 中止した 
これで間に合うかどうか聞いてきますと言って 奥へ行った 、20分 待たされて 結果は もう1回 1本分だけ取る ということになった 
今度は ベテランの看護婦に 代わって あっという間に終わった 1回で済むところ 3箇所も 針を刺された
点滴治療室に戻って 血液検査の結果が 分かるまで 点滴ができないので 本を読んで 待っていた
 小1時間くらい 待っていたら ようやく結果が出て 担当の外科医が 説明に来た 白血球 赤血球などが 少なく、 白血球は 下限値の 75% 、赤血球は 下限値の 95%、 最も大切な 好中球実数 は 必要数量の 75% ということで 、前回よりも数値が明らかに下がっていた
今回 抗がん剤投与すると 危険な 状態だという 、yottinさんは がん治療ではなくて 予防治療だから 今回は やめても 問題はないということで、 ワンクール 3週間 お休みになった
 予防のために やっている 抗がん剤で 、 命を失うようなことがあっては 本末転倒 だから ということだ、僅かな何でもないような細菌に感染しても敗血症 などの 恐れがあるので 、私も 快諾した
 ある意味 ちょっと ほっとしたところもある この蒸し暑さの中で 抗がん剤治療するのは 少し きついところもあるのだ 
次回は 9月の 上旬 だから 少しは涼しくなるだろう 、ただ このまま帰してもらえなかった 
手術後 まだ 一度も検査をしてないので 次回のことも 含めて CT 検査 してから帰るように言われた 
CT も もう慣れたけれど 今回も 結局 造影剤 を 血管に 1分半 流すので また 注射だ、 ところが またこの看護師も下手くそで 2回 失敗して 3回目で ようやく うまくいった 、ここでも3か所針を刺されて、両手共に絆創膏3つずつだ
造影剤は 副作用ある 結構きつい 薬で 、体が 一気に 熱くなる、 1回目に 失敗したところに 少し 造影剤が 流れたので しばらく そのあたりは 熱かった、 結局 採血と合わせて 6回も 針を刺された 、2回で済むところを6回 だから 「これじゃあ ハリネズミ だ」と 皮肉を言ってやった
気の短い人間だったら 相当なこと言っただろう 、私は平和主義者だから ハリネズミ くらいにしか言わなかった 



これで 抗がん剤治療は 先送りになったので、抗がん剤の 終了も 順調に行っても 3週間 先延ばしだ 、10月まで かかる ことになった 
次回も 検査結果では 中止か 薬の量を減らして やるか あるいは 赤血球などの 数値はが基準値に戻れば 普通にやることになる
やはり ガン治療は 一筋縄ではいかない 、部屋を出る時に 同級生に「おい、Yさん、俺たち高校の同級生だよ」と言って顔を見せた、 向こうはマスクしている私を「 わからない」と言ったが 名前を言ったら「 あー 板前さんやってた人だね 」と思い出してくれた
 彼女も 癌のようで 私よりも 厳しそうだ 、抗がん剤も私より1週間長い3週間やって、1週間休みだと言う
頭の毛が だんだん 抜けてきて もう カツラを 発注したと言っていた、たぶん抗がん剤の種類も量も違うようで3時間くらいかかるらしい(私は2時間)
 まあ元気そうに大きな声で話していたのが 安心材料だが 同級生も かなりの数は 癌に かかっている 
10年以上 元気でやってるのもいるし 亡くなった人もいる「 そんな年頃ですね」 と 打ち解けた 担当看護婦 も 言っていた 全くその通りだ 、70代だからと言って 安心していられない




「舟唄」八代亜紀 高音質 1981年  私と同世代、昨年年末に亡くなってしまった、まことに残念だった

今日は病院の歯科を受診

2024年08月19日 17時32分51秒 | 病気と健康
 今日もまた朝から暑い日差しだった
第二クールも今日で終わり、明日から第三クールに入り、明日は抗がん剤点滴の日になる
今日までの一週間は抗がん剤の休養日だったので、まだ一回しか行っていない歯科に行って、二回目の治療を受けた
一回目は前に書いたが、レントゲンを撮って治療の方針を決めただけで、何もしなかった
今日は、これまでの詰め物を外して、虫歯の部分を削り新しい詰め物で仮処置までやった

10時半からの予約だったので10時に受付に行ったが、家を出る前に小トラブルがあった、それは保険証が7月31日で切れていたのを気づいたのである
それで新しい保険証が来ていたはずなので探したが見当たらない、時間はもう9時半、ちょっと焦ったがマイナンバーカードがあるのに気づいて、これが今後の保険証代わりになるのを思い出して、受付の仕方をネットで見たら、暗証番号(なんでもかんでもこれでノイローゼになりそう)が必要
そんなのとっくに忘れているから、またピンチ、保険証が無ければ10割支払いだから、場合によっては今日は中止まで考えた。
どこかに暗証番号を書いたはずだと、思い当たるところを探し回ったらあった
ホッとした。 
暗証番号は個別に変えてあるから覚えられるものではない、いつもこれで手続きが停まってしまう、今日はなんとか見つけて安心した。

病院へ行くと、昨日まで病院はお盆休みと週末でずっと休みだったので、k評は超満員、すでに支払いの窓口には20人くらい並んでいる始末
待合所も、どの科も人であふれている
歯科の前も10人くらい待っていた、受付に行って保険証が見当たらないからマイナカードを使いたいがどんな手続きが必要か聞いた
すると「それは一階の支払い窓口でやってください」というので「じゃあ治療が終わってから手続します、ここでは保険証必要?」と聞いたら、歯科専用の診察券だけで良いと言ったので助かった。
どうせ30分以上は待ち時間があるからと、小説持参で行き、読み始めた
するとすぐに受付嬢が私を呼んで「今、支払い受付にyottinさんの保険証とマイナンバーの事を連絡しておきましたから、そっちに行ってから『歯科から連絡あった』と言ってもらえばスムーズに受付できますよ」とありがたいお言葉
本当に病院の心遣いが良くなって感心している

この病院も全国の過疎地同様大赤字で、近年中にも閉鎖して中核都市の病院との合併話もチラホラ出ている
中核都市までは50kmも離れているから緊急や妊婦はたいへんなことになる
市の議会の様子を見たが、議員の中にはこれを取り上げる者も何人かいて質問したが、関係課長はお決まりの答弁、市長も「今はまだ・・」みたいな呑気な答弁だったので、これから本当にどうなるか心配である。
こうなれば地方は富山も新潟も長野もなく互いに助け合うようにしなければ、どちらも消滅する危険がある。
金沢、富山、長岡、新潟、松本には大学病院も日赤もあるから田舎の人間がもっと使いやすいようなシステムにしてもらいたいものだ。

順番が来て、レントゲン写真で再確認、私の目の前にあるからよく見える
抜歯した歯は一本もなく見た目は一応28本揃っている
だがレントゲンを見ると深めの虫歯が5本、中くらいが2本、浅いのが2本ある
いずれも治療済みだが、4本がボルトを埋め込んであったのを始めて知った
これは全て町医者で治療したものである、病院の医師は今回の治療に際して、このボルトを抜くかどうかで悩んでいたが、いざふたを開けてみたら、ボルトのねじ山は切断されていて抜くことが難しいことがわかってあきらめた

町医者ではだいたい20分くらいの治療で毎週1回、4回くらい通って終了だが、病院は小一時間かけて治療する、もっとも今まで別の医院で行われた治療の修正だから慎重になるのだろう
本当は町医者でやれば良いのだが、抗がん剤治療中なので町医者では日程が難しい、それに外科との薬や治療の兼ね合いもあるから、同じ病院内でやった方が安心なのだ。
この治療があるために、治療も3週間に一度くらいのペースである、回数は4回らしい

町医者との違いは、歯の詰め物を詰めなおしたとき、町医者は消毒しながらピンセットでいろいろ詰めるが、病院はなにかの機械でセメントを流し込むような感じで埋めていくらしい(目隠しされていて見えない)
これは新しい感触で面白かった。
さて明日からはまた抗ガン剤か・・・皮膚科ももう一回行く必要があるし、まだまだ病院とはおさらばできない。



街の灯り/堺正章