神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

大江健三郎「奇妙な仕事」

2024年05月08日 19時16分15秒 | 読書
 大江健三郎の本は文学全集の中の一冊として、私の本棚にもう55年以上鎮座している。
それなのに開いたことが一度も無かった、聞くところによれば大江健三郎の作品は意味不明の難解風変わりなのが多いらしい。
それが先入観になっていて買ったまま放ってあったのだ、だがしかし百聞は一見にしかず
この目で読むのが正しい、それで今日のたったさっき本を開いた
文字の細かいのに辟易した(読めるのか?)
20歳前後には、これを普通に読んでいたのだから老眼とはひどいものだ
今は本や新聞を読むのは裸眼が一番だが、乱視もあるのですらすらとはいかない、ただ読書は入り込んでしまえばすべてを忘れて一気に読める、そこまで集中するのが大事なのだ。

とりあえず巻頭の長編は辞めて、短編から始めた
その短編の一番にあったのが「奇妙な仕事」だ。5ページほど読んでみて、これは読めると感じた。
150匹の「犬を学問の研究のために殺すのは残酷だ」と外国人女性から反対と抗議が起り、実験に使わず殺処分に(結局殺すのだが、殺し方で彼女は納得なのか?)
犬を棒で殴り殺して皮を剝ぐ、から処理までを行う屠殺人のプライドは「毒殺しない」、自らの手で撲殺することで犬との一体感を持てると
それを手伝うアルバイターの三人の学生の話、主人公はふぁ~とした無機質な感じの学生だが、それなりに悔いとかを持っている
なるほど、これが大江ワールドなのか。

文字の羅列の奥に潜むものを推理しながら読むのは楽しい、自分の拙い経験と知識に照らし合わせて答えを探していく
答えの正解は、大江の中にあるから私には正解はわからないが、自分なりの正解にたどり着ければ、この本を読んだ価値はある
価値というのは時間を浪費するのではなく、有意義であったということだ。






夏目漱石「こころ」 文学と本のこと

2024年03月09日 08時41分04秒 | 読書
ドラマ「舟を編む」だったと思うが、夏目漱石の「こころ」のことが語られた
キーワードは「三角関係」それで興味を持って読み始めた、文字が細かくて難儀している
調べたら漱石の「それから」「行人」などいくつか三角関係の小説があるらしい、「行人」も収録されているから読んでみよう、きっと漱石さんは体験をもとに書いたんだろうな。
私も22歳ころに三角どころか四角関係を体験したことがあるから、その頃の心境になるのか?
「甲越戦記」訳もまだ始めたばかりだし、しかもまた別の長編を書きたくなって、これは忙しくなるぞ。

実は「新潮日本文学」全60何巻かのうち「石原慎太郎」「夏目漱石」「大江健三郎」「安倍公房」「北杜夫」「遠藤周作」「三島由紀夫」「川端康成」「井上靖」の9冊だけ買って未だに持っている
夏目漱石は昭和44年(1969年)に買った本で、9冊の中では最も厚くて重い
1050ページほどあって、本の厚さは6cmある、定価は1000円(消費税なし)
一番薄いのは石原慎太郎で厚さ3cm、450ページほどで700円だ。


これは昭和38年初版で。重版を42年に買ったもの、約680ページと厚い「石坂洋次郎」しっかりしたケース入り、これがびっくりの「サービス価格390円(消費税なし)」



値段と厚さとページ数ばかり書いて、肝心の内容を書いてない、それもそのはずで、この中で完読したのは北杜夫だけで、井上靖は半分くらい、あとは買っただけでほとんど読んでいない。
本棚の中で55年間ずっと立ち続けているだけだったのだ、読まないと申し訳ないと思うが視力が落ちてきて細かすぎる文字はキツイ、ルーペが必要だな。
でも集中できるのだろうか?


沢村貞子 「五黄の寅」

2023年12月12日 07時46分27秒 | 読書
 同級生友達のチコちゃんの旦那様が亡くなって、つーくんと通夜に言って来た。
旦那さまは病気がちで、彼女は20年以上もずっと面倒見やら看病やらを献身的に続けて来たのだった。
彼女も我々も昭和25年生まれの「五黄の寅」、36年に一度訪れる星だ。
五黄の寅と丙午(ひのえうま)の女は亭主を食い殺すと言われてきたが、周囲を見るに、たしかに気が強く前向きで活きが良く、辛抱強い女性が多いが、昔の女ながら、亭主の後ろで静かにしているようなタイプは少ない、バリバリと家庭の切り盛りをやっていく
けれども亭主を食い殺すどころか、とても大事にしている。

 沢村貞子さんの「私の浅草」を読んでいる、沢村さんは五黄の寅ではない
私の父よりも16歳も年上の明治41年生まれだから、このブログをご覧の皆さんの半分は知らないかもしれない。

私が子供の頃には、よくテレビに出ていた女優さんで、浅草生まれだから生きのいい江戸弁で話す人だった。
ネットによれば、父親の竹芝傳蔵(本名 加藤伝太郎)は歌舞伎作者、母は一般女性で、兄、國太郎は歌舞伎役者、弟は名俳優の加藤大介
俳優の長門裕之(妻は南田洋子)、津川雅彦(妻は朝丘雪路)は國太郎の息子で、貞子の甥になる。

父の伝太郎、兄の國太郎、甥の津川雅彦はいずれも花筋が通った美男子で女性にもてまくったそうだ。
そんな家系にあって、加藤大介さんは俗にいう小太りの「ずんぐりむっくり」で顔立ちはふっくらで目がパチリ、きれいな顔立ちだ
戦争中は南洋の島にいて部隊ごと孤立、日本軍は撤退、アメリカ軍は素通りしたから平和ではあったが、食糧不足、マラリアで命を落とす兵隊も少なくなかったと言う。
そんなみんなを元気づけるために、内地で役者だった加藤さんは軍隊劇団を作って毎日部隊内で公演したと言う
それが「南の島に雪が降る」という小説や映画になった
そういえば聞いたことがある、これを思い出したので、今度小説と映画を見てみたいと思うようになった。

沢村貞子さんは1996年に88歳で永眠されたが、俳優の他、随筆家でもあり、「私の浅草」はその中の一冊、少女時代の浅草生活の思い出が詰まっている。

私の父の叔母も明治生まれで、浅草に住んでいたので同年代かと思い興味を持った次第である。
そして知るにつれ、親しみを感じて来た、父の叔母さんは明治40年生まれ、沢村さんは41年生まれと1歳違い。
住まいは、叔母さんは浅草象潟町、沢村さんは浅草猿若町で距離にして400mあるかないかの近く、道すがら、あるいは浅草寺境内や仲見世で何度もすれちがったことくらいあるかもしれない。
叔母さんは浅草で昭和20年の大空襲で亡くなったが、沢村さん一家は京都に疎開していて助かった。
だが大正12年の関東大震災では、お互い酷い災難を被った。

沢村さんの姉は、幼いうちに伯母さん宅へ養女に出されたそうだが、名前はせい子さん、父の叔母もセイという名なので、ここにも意味のない共通を見つけて嬉しがっている。

本の中で「五黄の寅」という記事を見つけた、「父はそれは女性にモテモテで、そこらの役者より、よっぽど人気があった、浮気のお相手も粋筋の女性ばかりで競って父に熱を上げていた」と言う。
しかし齢を取って仕事が干上がってからは、金の切れ目が縁の切れ目で全くもてなくなった。
関東大震災では焼け出されて、すっかりしょげかえっていて気丈な母の世話になりっぱなしだったそうだ
「かあちゃんにゃあ敵わねぇよ、なにしろあいつは、五黄の寅だからな・・
俺は七赤の兎と来てやがる」
五黄の寅は相手を食い殺してしまうほどに強いのに、七赤の兎は、気が弱く優しい星だそうだ。(色男 金と力はなかりけり)を地で行っている。

なるほど、ここでも五黄の寅の女性の逞しさが描かれている
同じ五黄の寅でも、男どもは空威張りでからっきし意気地がない、七赤の兎とあまりかわらない、五黄の寅の特性は女性だけに当てはまるようだ。










青春小説

2023年01月11日 09時44分05秒 | 読書
年が明けても雪降りらしい「雪の日」はまだない
昨日は短い時間、忘れられない程度降って見せたが、それも地面を白くすることはなく。 午前は晴れ、午後は小雨のような日が続いている、もちろん町の中はどこも雪が無い。
今日は朝から関東並みの快晴で、青空が眩しい。 青春小説の書き出しに良いような気持のよい爽やかな朝。
この頃は戦争とか、社会問題とか殺伐とした本を読むことが多くなった、老後の生き方とか、時代資料、昭和戦争の背景とか、夢も希望もない本ばかり読んでいる。

 そうか「青春小説」とは、しばし忘れていたなあ、戦国時代にのめりこんだのは成人してからだから、高校生まではずっと青春小説にハマっていた。
石坂洋次郎の小説はテレビでもドラマ化されて、スグロホマレ、オオゾラマユミなんて俳優が出ていた記憶が。 「陽のあたる坂道」もあったたな、吉永小百合で映画化されたような気がする、裕次郎だったかな・・・忘れた。
あと石原慎太郎のラグビー小説「青春とはなんだ」なんて何回か読みかえしたなあ。 青春時代からはもう50年も過ぎたが、どこかにまだ青春は残っている。 そうだ高校生頃に買った本がまだあるはず、ようやく時間を好きなように使えるようになったんだから、もう一度読んでみようかな。
小説書いたり、日記の整理をしたり、小雪読んだり、散歩したり、DIY、あるようでない時間、こりゃ忙しくなるぞ。




暑い日 北杜夫のこと

2022年07月01日 08時01分36秒 | 読書
ときどきだけど妙にワクワクするときがあります。
誰にでも日によって躁鬱気分はあるようだ。 楽しくて楽しくて仕方ないとき、奮い立たせようとしてもマイナス思考から抜け出せないとき
高校生から20代にかけて読んだ「ドクトルマンボウ」シリーズ、北杜夫さんは、精神科の医師でもあり、自ら躁鬱症と公言していた。
父は歌人斎藤茂吉、兄は精神科医でエッセイストの斎藤茂太
マンボウシリーズの他にも好きなのがたくさんあるが
「牧神の午後」の間延びした怠い内容は今の私のままで
読み返して見たくなった。
数十冊あった彼の本も処分して今は、これと「木精」だけになった
繊細な心の内面をこれでもかとえぐり出し、なのに爽やかで、大草原のように空間が果てしなく広がっている
重いけれど軽快で読後感がスッキリする良書だ
私の青春時代を支えてくれたことは間違いない。



昨日は
「今日こそ富山市の美術館へ行くぞ」と電車の時刻表を調べて張り切っていたが、さすがに36度にはかなわず、テレビもコロナ同様の「不要な外出はしないように」というからくじけてしまった。
それでも大谷くんのリアル二刀流があったのでエアコンをかけたマイルームで退屈せずすごせた。
しかも無失点勝利7勝目、打撃ともども登り調子、気分よし!

夕方は餃子造りをして、食後少しは涼しくなった外を散歩した
わざと緩やかな高低差30mほどの登り道コースを30分歩いた。
帰ってすぐ、シャワーでさっぱり、やっぱり夏はいいなあ。
小さな庭でも借景の緑と青空をぼ~っと眺めている時間が幸せなひととき。
南と西が遠くまで開けているこの家が気に入っている、身分は居候だけど(笑)

片づけ前の写真で、お見苦しい
今は幼稚な花壇を造り、花の色が目に良い


時間つぶし

2022年06月11日 13時16分42秒 | 読書
無職になって(リタイア?)半年、暮らし方では日曜だけが「浜辺で一日」が定まった。
せっかく死ぬまで自由の身になったのだからライフワークを早く見つけなければ
でも基本はわかっている「旅」だ
月一でもいいから継続的にやり続ける事だ
それが、寺社巡り、ルーツ旅、城巡り、温泉、名物を食べ歩き、なのかはわからないが
インフルエンザ接種もそうだが、私は行動を起こすまでにかなり時間がかかる
いわゆる「愚図」なのだ
そのかわり一度やるとのめり込む
早く一回目をやることだ

浜辺で読書もパターン化した
「流転の海」宮本輝、全9巻を読み終えた
今は明治の政商たちの毒々しい生き様を書いた「明治の怪物経営者たち」を間もなく読み終える
企業メーカー渋沢栄一、三菱岩崎弥太郎、中上川彦次郎、大倉喜八郎などを描く
薩長新政府のトップと人脈を持ち、現代日本の大企業を築いた超人たち、なかなか面白い

これを読み終えたら7世紀の日、中、朝(三国時代)の戦争の歴史を読む「白村江の戦」異説である




久しぶりに書店で本を買った

2022年05月11日 09時03分31秒 | 読書
夕方思い立って「蔦や」へ行って本を4冊買ってきた。
通販の便利さを知ってからは本は送料無料のアマゾンで買っているが、地元でも買えるなら地元でいいわけだ。
買う本のジャンルは決めていたので、すんなりと見つけることが出来たがそれでも目移りして30分くらい居た。
小説とかの類いではなくてHow toばかり買った、生活が180度変わって仕事人間から家庭人間に変身したからには、とことんそれをつき詰めてみるよう。
「あした死んでもいい暮らしかた」寂しくなるようなタイトルだが、昨日、女房どのの友達が72歳で急死した、それを思うと命に保証はないと言うことが身に浸みた。 この本は覚悟を決めて生きる粮になるかも知れない。
それだからこそ逆に長生きするぞ!という気持ちも起きてくる
「腸日記」はまさに「ぴったしどん!」の本だと思った、なかなか面白そうだ。最近の体調は完璧と言えない、特に消化器系と目の症状は健康ではない
さらっと内容を見たら、けっこうその辺りに詳しい、それはコロナ渦の我慢とか、私のように人生転換期、セカンドライフの始まりのストレスから起こることがあるらしい・
この本の付録についている日記を書くことで改善すると書かれているから、まずは興味深いのだ。

「リフォーム本」は年季の入った我が家を徹底的にリフォームというより見た目きれいにしたいという気持ちだ。
とにかく71年の人生で家に力を入れるのは始めてのこと、最近家をかまうのが楽しくなってきた。
隅々のホコリをハンディ刷毛で書き出したり、フローリングのワックス掛け、汚れていたガラス磨きなどで、寝たきり老人世帯で出来なかった事をこの1ヶ月で、徐々に始めている。
昨日はアマゾンで「はじめての水彩色鉛筆」という本を買って、趣味の範囲も広げようと思っている、また小さな庭の整頓もこれからの楽しみだ。

今日は買ってから20年、ほとんど手つかずのクラシック全集からハイドンのセレナード、フェラーリのマドンナの宝石、など収録のアルバムを聴きながら本を読んでいた。
こんなゆとりある時間を過ごす贅沢は人生初である、このような生活をこれからも続けられるなら幸せである。



なぜか波長が合いすぎる小説

2021年12月26日 19時22分31秒 | 読書
今朝起きて(どれだけ積もったんだろう?)と窓を開けたら気が抜けるほど少ない積雪だった
真夜中に帰宅したときのママだからあれから朝まで降らなかったのかもしれない
それでも朝の冷え方は尋常でなく、北風がまともで強いからタクシーで店に行った
海は大荒れで5m以上の波が押し寄せ、10m以上の強風が潮を巻き上げて飛んでくる、おかげでここには全く雪がない
雪は風に飛ばされて山の方で大雪になるが、海岸部には落ちることがないのだ

宮本輝の長編も第六部に到達した

主人公は荒々しい男で、その才覚に任せて起業に突進していく男だ
だが激情家でありながら人情家でもあるから人に欺されたり、裏切られたり
大きな事業をやってきたのに貧乏暮らしの日々、それも歳を重ねる毎に運が悪くなっていくばかりだ
50歳で出来た息子は昭和22年生まれの(作者宮本輝)がモデルだという
これがまた虚弱体質でありながら幼年期から無頼者たちに混じって麻雀をするようなとらえどころがない少年だ
主人公はなかなかの物知りで中国の古典やらも読破したらしい、その言動の一つ一つが説得力がある
おもしろいことに私の父の言動と一致することもしばしばあるので、飲み込まれて行くのだ

この6部でまた一致する場面が出てきたので驚いた
中古車販売を始めようと作戦を立てている主人公の協力者の一人に社員40名ほどの自動車部品会社の経営者が居る
しかし大手メーカーとの取引で大苦戦し将来に見切りをつけようとしている社長だ、主人公は彼を元気づけようと1日を共にする
琵琶湖を見たいというので大阪から列車に乗って向かう、その中で社長は17歳の時、そこへ行ったのだと言う
「私の17歳は死への憧れから始まりました」照れくさそうな笑みで言った
「ノートの隅に『美しい死』なんて事を書きまして、道でときおりすれちがう女学生に片思いをしてリルケ詩集を...」

この零細会社の社長はロマンチストである、ロマンチストは線が細くて人を欺してでものし上がろうという野獣の心がない
だから企業家として大成するのはなかなか難しい、だから小説の中でも苦戦しているのだ
で..おかしかったのはこの社長が私そっくりだったからだ
私の55年前のノートを引っ張り出してみたら、やはりそうだった

ここにもリルケが居た 死も意識していた  16歳~17歳の頃


他にもこんなのが


山も愛していた時期が

ははは! 今もそうだけど純粋だった

小説と映画を比べてみた

2021年11月24日 14時37分22秒 | 読書
先日、録画した映画の中から「うなぎ」を見た
主人公(役所広司)は妻の不倫現場に乗り込んで男を傷つけ、妻を執拗に刺して殺し、自首して8年後仮出所した
保護司である寺の住職に身柄を預けて、ボロボロの店舗を改装して床屋を開業したが、不愛想である
個性的な地元の住民が少しずつやってくるようになった、その中にうなぎ取りを趣味にしている男が主人公をうなぎ取りに誘った
主人公は刑務所内で唯一の話し相手としてうなぎを一匹飼っていた、出所の時それを一緒に連れてきて水槽で飼っていたのを見たからだ

ある日、主人公は睡眠薬自殺して倒れている女を発見して警察に知らせる
しかし命を取り留めた、彼女は不倫の末、疲れて自殺に至ったのだ
彼女は保護司の寺に泊まりながら主人公の床屋で働き始めた
そして彼女は主人公をひそかに想うようになるが、殺人者である男は受け入れようとしない
それから主人公や彼女を巡ってドタバタがいくつか起きる、そして仮釈放を取り消されて主人公は刑務所に戻される
不倫相手の子を身ごもった彼女に出所したら子供の父親になるから一緒になろうと主人公は去っていく
というあらすじ

これの原作が吉村昭著であることを知って、映画との違いに興味をもって買って読んでみた
映画と原作はかなりの部分で同じだが、かなりの部分で違っている
そして何よりも焦点が違っていたので驚いた
映画は鰻にしか心を許せない妻殺しの男が不倫に疲れた自殺未遂の女と様々な困難を乗り越えて結ばれるドラマ
なぜ妻の不倫を知ったのかというミステリーもちりばめてある
しかも妻を殺したことには少しも悔いも反省もしていない、あっけらかんと妻を殺して、口笛を吹きながら警察に自首する
ただ桂子を受け入れる段階で、この前科が障害となって大きく迫る

小説では主に鰻漁と鰻の生態についてかなり深く掘り下げている
主人公と桂子が結ばれるまでの経緯はさらりと書かれているだけで、主人公の犯罪にも深くは触れていない

映画では自殺未遂の都会の女(桂子)と主人公のほのかなラブロマンス
小説の桂子は首に痣があるためか婚期を逃した女で、主人公が見つけた不倫原因の自殺未遂の女は別に登場する

映画の主人公はうなぎをヤスで突く漁法を嫌い、竹筒での漁法で獲って楽しむが鰻はすべて男に渡して自分は飼っている鰻で充分という

小説の主人公は床屋でなく、自分が獲った鰻をかば焼きにして食べさせる鰻専門食堂を経営している、
妻を刺して刑務所に入ったのは同じだが妻は生きている
けれど、また妻に会ったならもう一度、刺すだろうという棄てきれない憎しみを未だに秘めている

鰻とりも映画は趣味でしかないが、小説では生活の糧で一日に50も60もヤスで突いて取る、ここが一番の違いだ
映画に出てくる変わった地元住民は小説には出てこない、保護司の住職も登場せず、保護司の代わりに主人公の恩師が登場する

映画で主人公を困らせた殺人犯で一緒に刑務所にいた男は小説には出てこない
映画では自殺未遂彼女に主人公の殺人の過去を告げ口するが、小説では主人公自らが彼女に伝える、刑務所に戻ることも無い
筋としては同じ流れだが内容はまったく別物に仕上げてある、脚本家が似て異なる物語を作ったのだ


小説を読んだ限りでは、あのような映画に変身することは想像できない
もし先に原作を読んで映画を後から見れば、どんな感覚だったろうかと思う
小説「八甲田山死の彷徨」と映画「八甲田山」はほぼ同じ展開で進んでいた
原作に忠実な映画、今回のような原作からあらすじを抜き取って新しい肉付けをした映画、どちらが面白いのだろうか?
見て、読んで不思議な感覚に彷徨っている