神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

甲越軍記~列戦功記序 信玄、謙信 川中島の大会戦 最終回

2024年12月19日 11時49分47秒 | 甲越軍記
通算278話

すでに上杉方の敗北は定かなり、大将上杉謙信も高梨山の方に逃れていくのを、いよいよ勢い増して武田の精兵は逃げ遅れる越兵を討ち取り、なおも「謙信は高梨山へ逃れていくなり、どこまでも追って謙信の首を得て手柄とせよ」などと言いながら犀川を越えるところに
後の方に一流の旗を川風になびかせて、其の勢およそ一千騎、上杉相伝の龍の丸の備えに押し立てて一隊きぜんと現れる。

遮る武田勢をものともせず、筑摩川のむこうに備えたる信玄の本陣に向かって押し來る
武田の諸兵あっけにとられ「すは高梨山へ逃れし謙信はおとりであったか、謙信は稀代の謀将なり、賢くも後陣に留まり、御旗本に不意を打ち最後の勝負をつけると見たり、御大将の備えこそ危うきなり」と
犀川を越えて謙信を追っていた武田勢は一斉に馬を返し、筑摩川の信玄本陣へとかけ寄せる。

信玄は本陣にあって少しも騒がず、これらの一部始終を見ていたが「今朝、わが几前に打ち込んだ者こそ、まぎれもなき謙信なり、原大隅に打たれて逃げ帰った謙信が敗兵を集めて再び攻め寄せてくるなどあり得ぬ
今、予の陣に向かってくるは謙信にあらず、あの軍勢には必死の勇威は見えるけれど、大将の気配見えず
察するに、あれこそは上杉が秘するところの丸龍の備えであろう、味方の眼を迷わせて謙信を無事に落とさんとする上杉忠義の者の仕業なり
甘粕近江か宇佐美駿河のいずれかであろう
彼らは忠義一徹、命を投げ出して主謙信を助けんと欲すなり、勇士は誰もがかくのごとくありたいもの
敵ながら感ずるに余りあり、我らは既に十分の勝を得た、なんぞ心残りあろうや、かの勢、帰らば帰らせよ」と言って、ただちに太郎義信の陣へ使いをおくり「急ぎ広瀬を渡り、備えを立てるべし」
しかし義信は血気にはやり「敵を眼前に置きながら、むざむざとこれを見送る法のあるべきや」と信玄の命を承服せず
信玄、ふたたび、みたび使者を送るが義信は納得せず、これまた使者を本陣に送る、丸備えの次第に近づくのを見て、信玄は筑摩川を渡って三丁ほど下がって陣を敷く
すでに丸備えの主将が、上杉勢随一の剛将甘粕近江守であることがわかった
群がる敵の中を打ち払い、追い払いながら信玄にむかえども、すでに信玄は川を越えて堅い陣形で備えているのを見て甘粕もこれまでと思い、筑摩川にそって北へと下がりゆく。

静々とそして堂々と引き行く姿は傍らに敵を置くとも見えず
この時、高坂弾正、内藤修理、原昌勝らは信玄から兵をまとめよの命を受けて、散った味方を集めていたが、甘粕の傍若無人の形勢を見て「それ逃すな」と一斉に甘粕勢めがけて駆けだした
我先にと迫り来る敵に、甘粕は少しも慌てず兵を左右に分かち、受けて立つ
甘粕勢より白き陣羽織の騎馬武者三騎現れ、追い來る武田勢を突き伏せ突き伏せて殿の働き、まことに見事なリ
甲兵からさえも「天晴」の声揚るほどの働き、ここに小幡織部正の嫡子、又兵衛尉、今年二十八歳、武勇絶倫の若武者、一騎にて三騎に突きかかり、三方から突きかかる敵に二丁ばかりの間に二騎を突き伏せたり
されども敵も手練れの者なれば、又兵衛も三か所の手傷を負う
敵の残る一騎ははや三丁ほど逃れて行くのを、又兵衛槍を杖としてなおも追いかけるが甚だ危うき
そこに又兵衛の郎党熊井孫四郎がやって来て、「御手こそ大事なれ、某が行って彼の武者を討ち取なり」と駆け出して追いつき
「我主人の名代なり、汝が首を受けにまいった」と言えば、武者は大いに怒り「出過ぎたる小者かな」と槍を繰り出す
熊井はこれを受けて、ねじりまわして突き伏せ、敵の首を獲り又兵衛に首を差し出した。
小幡は大いに喜び、首を持って本陣にはいり信玄これを見聞する
馬場、飫冨、甘利これらの一切を見届けており、詳しく信玄に言上する
信玄は感心して、父虎盛同様に采配を許す、感状に太刀を添えて与える

甘粕近江は、なおも追い來る敵と渡り合い千騎の味方も今や従う者十三騎となり、ようやく犀川を越える
ここで落ち來る臣下を集めて三百騎となる
近江守はその三百騎で川岸に陣を敷き「武田勢来たらばこい、信玄の首掻き切って持ち帰ろうぞ」とうそぶき、近隣の村を放火して回る
甘粕はここに単独で僅か三百の勢で居座っていたが、武田勢が引き上げたので、ようやく善光寺目指して甘粕も引き上げた
越後勢は敗兵をまとめて龍の丸の陣を敷いて越後へと軍旗をあげ、威風堂々と引き上げた
甘粕近江守の見事なる殿軍の姿を、上杉も武田も「萬夫無富の兵とはまさに是を言う」と褒め称えた。

武田勢が討ち取った上杉方の首は三千百余級なれど、上杉方が得た武田方の首も二千八百余級と言う、その数については諸説あり定かではない。

                           終わり

*列戦功記は、川中島の終盤戦からはじまりであるから、物語としてはまだ前編の巻一が終わったばかりである
列戦功記は前編十二巻、後編十二巻で編成されている。

おまけ
甘粕近江守は昭和の戦争前、満州で暗躍して「満州の黒幕」とも言われた甘粕正彦憲兵大尉の祖先です(大杉事件に関わったという)
甘粕大尉の子孫もまた、日本の経済界や政界に名を残しました。
                    
                      






「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(4) 甲越 川中島血戦 103

2024年12月18日 05時15分49秒 | 甲越軍記
甲越軍記より277話

今や上杉勢は倍する敵に前後から追いまくられて、心は勇猛に働けども今暁よりの苦戦に疲れた身、一方は新手の正兵一万二千を加えた二万の兵
太刀は折れ、槍はたわみ、大川駿河ら名だたる勇士、七転八倒して討ち死にする
 
上杉の無双の勇士も痛手を受けて引くともなしに跡下がれば、勢いに乗った武田兵は当たるを幸いに殺しまわる、越兵は散々に乱れて総敗軍となり、犀川のほうに雪崩うって逃げてゆく
水に溺れる兵士も数知れず、謙信は馬上にキッと見定めて「戦ももはやこれまで」と迫る敵十三騎を斬り落とし、この早業は人とは思えず敵は恐れて近寄る者なし

謙信、犀川に馬を乗り入れたるを見て、謙信の神業知らぬ新たなる甲兵は一斉に「あれなるは敵の大将上杉謙信に間違いなし、討ち取って手柄とすべし」と一斉にあとを追う
これを見て「スワ御大将の危急なり」と宇野左馬助、和田貴兵衛、打ち合う敵を捨てて謙信の方に馬を走らせる
岸辺に至りて敵を防ぐ間に、謙信ははや対岸に上がって味方の次々に渡り来るを待つ

これを見て長坂入道釣閑の手勢、そこかしこから川を渡って謙信らを取り囲む
謙信は少しも騒がず、三尺六寸の小豆長光の太刀を振りかざし、四方八面に切り伏せて近寄る者は蹴倒し、荒れに荒れて猛勇を振るえば、またもや敵は恐れて近寄る者なし
されど謙信の愛馬放生月毛も朝からの戦に傷を負い、疲れ果てついに立ちすくんで動かざれば、これを見て宇野左馬助、自分の馬に謙信を乗せ、自分は徒歩となって和田貴兵衛とただ二人で謙信の左右に従い高梨山へと引き下がるところ、長坂の兵はなおも追いかけてくるのを宇野左馬助は取って返し、小高き丘にてこれを遮り、奮闘の末に討死する
その隙に謙信は和田喜兵衛を伴って高梨山にかかり静々と引き取られる

長坂の兵士は謙信を討ち漏らしたが、放生月毛の名馬を引き連れて、「これぞ越後の大将、謙信の乗馬なり、追い打ちして奪い取ったり」と声高々に叫んで味方の陣に引き入る。

「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(3) 甲越 川中島血戦 102

2024年12月16日 19時15分35秒 | 甲越軍記
甲越軍記より276話

武田義信の縦横無尽の戦ぶりを見て、大将謙信は「憎き小冠者め、いざ謙信が一手の下に冥土へ送ってやろう」と上杉重代の波の平行安の薙刀を追い取り、近寄る敵を薙ぎ切り、刎ね散らす形勢は火雷神の荒れたるが如し
怖れて寄り付く者なし、太郎義信これを見止めて「得たり謙信、我行くまでそこを引くことなかれ」と喚いて血に染みたる太刀を真向にかざして、馬を飛ばして乗りつける。

越後方の勇士、千坂内膳、市川主鈴、和田式部、永井源四郎、大川駿河、荒川伊豆、宇野左馬助、中條越前、竹俣三河、稲葉彦六、「大将の御大事このときなり、義を知り、忠を思う者は、ここを墳土と定めよ」と進み寄る武田勢を左右に引き受けて四角八面に打ち据える
近寄る者はすべてねじり首に投げ捨てれば、義信勢は遮られて少し退くを、宇佐美駿河、加地安芸、義信の横合いより穂先を揃えて突きいれば、元来小勢の義信勢はこらえきれずに崩れたつ
増城源八をはじめ家之子郎党痛手を負う、山田、川井、石田、矢ケ崎らも三か所、四か所と痛手を負う
義信も上杉の大軍に押し包まれて危うきとなり、もはや討死と見えたるところに馬場民部少輔、小幡尾張守、小山田信茂、相木市兵衛、真田一徳斎、真っ黒になって駆け付け。宇佐美、加地の背後よりまっしぐらに切って入る

宇佐美定行、これをものともせず、備えをさっと引き回し、小山田、相木の攻勢に立ち向かってかえって敵勢を押し返す
須田右衛門尉、安田上総介、山吉玄蕃、古志駿河も武田勢の真ん中にわき目も振らず切って入る
続いて荒川伊豆、鬼小島弥太郎、鐵上野介、山本宮千代、大国平馬、上条弥五郎、甘粕備後、斉藤下野、岩井藤四郎らの勇士、一歩も引かず血戦する

名におう武田、上杉の剛兵、一世の勇を振るい撃てども突けどもものともせず、東西に攻め寄せ、南北に別れて組み敷かれて討たれる者、手負いながら敵の足にかじりついて働かせぬ者、背から切りつける者、振り返り様に切り倒し、骨くだけ肉は散り、互いに討ちつ討たれつ、戦いは今暁に始まり、既に午の上刻となる
されども両者の息つぐ間もなく、ここに屍晒し、討った首は投げ捨てられ、喚き叫ぶ声は果てしなく続き、しのぎを削る音絶え間なく、山谷に響き渡り、木霊となって帰る
屍の山、血の川の流れ、川のはざまに折り重なる屍
殺気は天まで届き、苦戦はいつまで続くのか、もはや人形であれども人ではなく、みなみな殺気の鬼となって、ただただ殺し合うのみに集中する浅ましき

武田の正兵は次々に追いついて、越兵の真ん中にどっと攻め入る
中にも飫冨三郎兵衛、高坂弾正、小山田備中真っ先に入り、乗り回し、「謙信公を討ち取るはこの一戦也」と鞍つぼに立ち上がり大音にて下知すれば
広瀬、曲淵、三科、猪子、米倉、早川、辻、飯島、菅沼、孕石などの名だたる勇士は謙信を求めて切って回る。







「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(2) 甲越 川中島血戦 101

2024年12月15日 21時17分06秒 | 甲越軍記
甲越軍記より275話

その先、上杉謙信は武田の旗本に乗り入れ、信玄、義信の父子と一騎打ちを行い両人に手傷を負わせて自陣に帰って、しばし休息をしていたが
遠くに西條山より戻った敵の正兵の大軍が押し寄せて、直江、甘粕の備えを破り
味方の後ろに回り、柿崎、本庄らを前後より取り囲むを見る

謙信は馬上よりこれらをキッと見て「すわ敵はうるさきハエの如く集まりたり、これ戦の大事なり、我は十分の勝とならずとも、年来のうっぷん少しは晴れたり
今は素早く帰国すべきぞ
あれを追い散らして味方を無事に引き上げさせるべし、日頃の神策はこの一戦に施すべし」と采配振って下知すれば、宇佐美駿河守、「かしこみ候」と答えつつ手勢を備えて駆け出でて、勝ち誇る武田勢の横合いより一同に槍を投げ入れ、雄を振るって突き破れば
続いて唐崎孫次郎、鐵上野介、大貫五郎兵衛、柏崎弥七郎を始め、名を得た剛将駆けつけて雲霞の如き武田勢に割って入り
騎馬、徒歩の区別なく当たるを幸いに斬りまくれば、甲兵すなわちしどろとなる

本庄、柿崎、村上、柴田もこれに呼応して自ら粉骨砕身の働きで血戦して難なく一方に血路を開き、謙信を守護して引き上げようと旗本と一つに固まれども
敵の追撃の激しさに隊と隊、相交じり合って人馬共に騒ぎ立てる

これを危うきと見て宇佐美駿河守は井の字に味方の中を走り、諸軍を分かち、備えを立て直させて、自らは陣頭にたって、乱れた味方の息を休ませるは、これ天晴れ美々しく見えたりける。

ここに武田太郎信義、先の戦いでは謙信に手玉にとられて傷を負う屈辱
血気盛んな大将なれば、先の汚名そそがんと怒りを心中の燃え盛らせて、手傷に屈せず、手兵八百余騎を一路に続けて、ひた冑となって上杉の大根の折掛けの旗印を目当てに越後勢の如く見せて謙信の旗本に近づく
そして謙信の旗本に近づくやいなや一斉に鬨をあげて攻めかかれば、旗本勢ふいを突かれて二町ほども退く
太郎義信大いに勇み、鞍高になりて乗りつけ、上杉の勇士、志田源四郎を馬より切って落とし、羊の群れを襲う猛虎の如く暴れまわる。

「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(2) 甲越 川中島血戦 101

2024年12月14日 19時16分30秒 | 甲越軍記
甲越軍記より通算274話

越後勢直江、甘粕は武田正兵一万二千の襲来にも少しも慌てず、先手を左右にさっと分かち、迫りくる武田勢を左右から挟撃すれば、大軍の武田勢と言えども、これを破りがたし

馬場民部少輔は味方の脇をササと駆け抜けて、越兵の弓手に回り込み、小荷駄隊をめがけて皆、徒歩立ちとなって馬の足を切って落とせば
数百の荷馬跳ね上がり、直江、甘粕の兵の中に狂ったように駆け巡る
越兵これに混乱を生じて右往左往となるところへ、小幡、高坂、飫冨、真田、芦田、相木の勇兵ら無二無三に攻め入り、中にも小幡尾張守定信、大太刀を振り回し、これが為に越後に名をはせる勇士を十六騎討死となる。

直江、甘粕必死になり右に左に駆け巡ってこれを支えんとするが、敵は大軍、味方は僅かなれば、敵はいよいよ雲霞が押し寄せる如く、さらに下の渡しからも川を乗り越えて、凄まじい勢なればもはや遮ることもならず、ただ死族となって目の前の敵と戦うなり

この時、目の前の先手に於いては、謙信、信玄の血戦が繰り広げられていて危急の時なり、互いに存亡の一戦を争う。

馬場、小幡、真田、小山田の諸隊は甘粕、直江の軍を打ち破り、さらに勢いを増して敵の後方より須田右衛門尉、安田上総介の勢に襲い掛かる
須田、安田勢は突然の大軍の出現に驚き乱れたつを、大将の須田右衛門尉、安田上総介は大いに怒り「汚き味方の形勢かな、ここを破られて誰に面を見せられようか、味方の勝敗は、この一陣にあり、前なる敵は早くも乱れたぞ、進め進め」と喚いて真っ先に敵に突きいる

諏訪部次郎右衛門、須賀但馬、唐崎左馬助、土岐田五右衛門、加賀井土佐等の勇士も大将に連なり槍衾を作って敵を遮れば、その勢にさしもの馬場、真田の兵も進みかねる

ここに武田軍奇兵の中央で穴山勢とただ二備え、乱れもせず鉄壁の備えで整然と兵を温存していた飫冨三郎兵衛昌景、攻め寄せる柿崎景家勢を追いまくり、三千余騎の本庄越前守と渡り合う
その時、向こうを見れば、武田の正兵の先陣、敵の背後に迫り来るを見届けて
「戦は味方の勝利なるぞ、西條山の味方すぐそこに迫ったり、挟み撃ちにして敵を討ち取るべし」と大声で下知して自ら真っ先に進み、大太刀を振り回して越勢に切りまわる
広瀬郷右衛門、曲淵庄左衛門、猪子才蔵、辻弥兵衛、三科肥前守、猛勇益々いきり立ち、槍ためなおして狂って暴れまわれば、本庄越前、山吉玄蕃ら死族となって戦えども、この太刀先に当たりがたく、ついに備えを切り崩されてさんざんになって敗走する
次に備えていた柴田因幡守、北條安芸、上田修理進、古志駿河守らは粉骨砕身、四方に兵を励まして戦えども、敵は新手の大軍、大波の如く次々と新手が押しよせれば、初めに負けた武田の九備えも兵をまとめ息を吹き返し、前方より越後勢を押し包んで攻め立てる

前後に敵を受けて、上田修理進など名だたる勇士討死して、越後勢は総崩れとなって敗走を始める。

「列戦功記」を現代仕様で書いてみた(1) 甲越 川中島血戦 100

2024年12月13日 18時45分40秒 | 甲越軍記
 武田信玄と上杉謙信は、これまで信州川中島にて数度のにらみ合いを行ったが
信玄は逸る謙信に一度も対抗せず、ただただ備えを堅くしていかなる謙信の挑発にも乗らずにいた
謙信は何度も信玄の陣に攻め寄せようと様子を見るが、鉄壁の守りに隙は無く、無為に攻めれば返り討ちに会う陣形なれば、ついに攻めることならず越後に引き上げるばかりであった。

されども此度は謙信が自らを死地に追いやり、信玄が攻めざるを得ない陣形を先に作った
越後勢は一万三千、甲州勢は二万、数を数えても明らかに甲州勢が有利、信玄は二万を二手に分けて自らは八千で川中島に奇兵を備え、正兵一万二千が謙信が籠る西條山に奇襲をかけて川中島に追い落とし、挟撃する策をとった
山本勘助は二万を一万ずつにするように進言したが、信玄は拒んだ

謙信は名将なれば、海津城の炊煙の盛んなるを見て、武田勢が今夜挟の策をとるを知り、裏をかいて敵が山に攻め寄せるより早く、川中島に密かに下りて
信玄本隊を奇襲した
武田の兵は恐れおののいたが、信玄は少しも慌てず、勘助に命じて鉄壁の陣が前を命じた
勘助は備えを十二段に変化させて先を蓑手に備えて上杉勢を待ち受けた
しかし上杉勢は車懸かりの陣形で、切っ先鋭く神出鬼没に襲い掛かれば、武田の十二段の備えの内、九段まで打ち破られて、信玄の次弟、武田典厩信繁、諸角豊後守、山本勘助、初鹿源五郎はじめ歴戦の勇士らが次々と討ち取られた。

これに勢いを増した上杉勢は、謙信の旗本が信玄の旗本に打ちかかり、其の間に謙信単騎にて信玄を求めて本陣深くまで攻め入った
逃げる信玄は犀川に入り、謙信もまた犀川に追う
謙信は大太刀にて信玄に三太刀、七太刀と打てば、信玄は軍配扇でこれをかわすが傷を負い危うきところに、旗本原大隅守駆け寄り謙信の馬を叩けば、名馬も驚いて深みにはまり謙信は流れに振り落とされる
されど信玄の馬も驚き同じく深みに流されて信玄も流れに落ちる
双方、それぞれに家臣に救い出されて双方に別れるが、怒る謙信はなおも立て直して今度は信玄の嫡子、武田太郎信義に打ちかかり、手傷を負わせるが自らもかすり傷を負う
その後、乱戦のなか謙信は陣中に戻る。
武田勢の残る備えは飫冨三郎兵衛、穴山伊豆守、信玄の旗本本陣の三備えのみとなり風前の灯となる。

さて武田の正兵一万二千は謙信を西條山から追い落とそうと密かに向かったが、陣城はもぬけの殻となっていた
「これはいったいいかに」唖然としてしているところに、川中島の方より、
鯨波の声、鉄砲のうちあう音が山河に響き渡り聞こえれば
「さては謙信めに謀られた、本隊の危機也、急ぎ山を下りよ」と慌て色めき立つ
正兵の諸隊、隊列もなさず大将は元より、騎馬の勇士は一騎駆に山を脱兎のごとく走り下りる
やがて雨宮の渡しに至り、浅瀬を渡り向こう岸をみれば、上杉勢の直江山城守、甘粕近江守の二隊、鉄砲をつるべ打ちに武田勢に向けて放つ
兵は的になって次々と討ち倒され進み兼ねれば、小幡尾張守、大いに怒り
「鉄砲玉など恐れていれば本陣旗本危うからん、当たるも当たらぬもこれ運命なり、死を恐れるな我に続け」と真っ先に川に乗り入れて、低い姿勢で馬を駆けさせれば難なく向こう岸にたどり着き、たちまち上杉の兵、七騎を斬って落とす
これに勢いを得て、真田、馬場、小山田らも真一文字に川を押し渡る



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(272) 甲越 川中島血戦 99

2024年12月12日 10時08分04秒 | 甲越軍記
 謙信、信玄ともに深みにはまり馬より投げ出されるに、上杉方では和田喜兵衛尉が馬を乗り入れて、大隅守の槍を払って謙信を救い、己の馬に乗せ、自らは川を泳いで陸に上がる
武田方には馬の口取りが信玄を助けて、馬を引き上げて信玄を乗せ、双方に引き離れる。

かくて謙信は犀川から上がって見渡せば、日の丸に武田菱の旗を立てたるもとに、大将とおぼしく卯の花縅の鎧に、白星の兜を着し、黒き馬の逞しきに金の馬鎧を着せて、敗軍を集める体を見つけて、太郎か左馬助であろうと思い、たちまち駆けだして「それに控えし大将は誰ぞ」と問えば
彼の大将も「我は信玄が嫡子、太郎義信なり」と名乗って、二尺八寸の太刀を抜き合わせ、互いに馬上の太刀打ち二合、三合と打ちあう
双方、名誉の大将なれども太郎の馬は思うにまかせず、謙信は思いのままに馬を馳せ合わせれば、打ちものの寸伸びに、義信の鎧わたがみの外れ、冠板、弦走りの板、兜の吹き返し、都合十一か所までも謙信の鋭き太刀先で傷つけられ、鎧の隙間に二か所の薄手の手傷を負う
されども謙信もまた草刷り外れに二か所血を引く、されど傷は深からず

すでに組打ちにならんとするところへ、武田方の曽根周防守、梁田弥太夫をはじめ馬回り三十騎ほど駆け付けて謙信に向かえば、謙信もこれまでと近づく敵を三騎切り倒して、雑兵六人に手傷を負わせる
つきそう和田喜兵衛も騎馬の士、二騎を斬って落とせば、これに恐れて敵近寄らざるうちに謙信は静々と馬を返して味方の中に入り給う
まことに鬼神をも取りひしぐべき大将なりと見えたる。

このとき既に武田軍は大敗北となり、これ川中島合戦の半ばにして、これより以下先に、西條山にある高坂、飫冨、馬場、小山田、甘利、真田、相木、芦田ら一万二千の正兵いよいよ川中島の主戦場にまかり出る。

                        甲越軍記 完

*「甲越軍記」は、ここまで三編終了して四編で川中島後半戦に続く予定だったが、選者、速水春暁斎死亡の為ここで終わってしまった
その続編として、選者小沢東陽によって「列戦功記」として続く
その出処原本は何か不明である。
私、yottinは「列戦功記」の序章の川中島決戦後半までを書いて終わろうと思う、それ以後は上杉謙信の養子、上杉景勝と武田信玄の四男、武田勝頼が和睦するまで書かれているが、そこまで書くかどうかはわからない。

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(271) 甲越 川中島血戦 98

2024年12月10日 08時23分49秒 | 甲越軍記
 原大隅守は謙信めがけて三度まで槍にて突きかかれども、乱軍の中なれば心はやって突き損ねるばかり
そこに上杉の近習井地峰貫太郎、主人の大事と馳せ来たり、大隅守の鎧に二度槍をつけるも。気が苛立って鎧を突きとおすことならず
大隅守もよもや謙信とは思っていないので、それをあきらめて新手の井地峰に挑みかかる

しばし大隅の横槍で隙を得た信玄は、この時とばかりに馬を川へざんぶと乗り込んで謙信を罵って逃げ出す
謙信は、これを目早く見つけて、「これこそまさしく信玄」と叫び
素早く放生月毛の名馬に一鞭あてて一躍りさせて信玄に続いて川にかけ入れる
馬は逸物、龍の天に登るがごとく川をやすやすと泳ぎ、謙信は大いに声を発し
「逃げるか卑怯者、謙信参上、潔く雌雄をここに決すべし、帰せ」
馬を急がせ信玄の馬近くまで近づけば、馬上より切っ先外しに見た三太刀まで切りつける
信玄は振り返り「いかに汝に後ろを見せようか」と言って、軍配扇にて「はっしはっし」と受け止める
二の太刀は団扇の柄を切り折り、三の太刀は信玄の肩先に当たる
謙信は苛立って、畳みかけ畳かけて切りつけるを、信玄は団扇でこれを受け流し給う
信玄、すでに危うく見えれば、武田方の旗本三十騎、川端にてこれを見て、「これはこれは」と救いに行こうとすれども、川は深く、ことに八月十日頃より雨降りが続き、川水は満ち満ちて速きこと滝の如し
足元定まらず、ただただ焦るばかりなり
心ばかりがはやり、みなみな手に汗を握りしめ、牙を噛んでいるところに、原大隅守、真田源五郎、金丸平八郎(後に土屋右衛門と号す)、これを見て大いに驚き、生死も問わず川に馬を躍らせて乗り入れる
一番に原大隅守、謙信に近づけば青貝の柄の持ち槍で、謙信の背後を見当付けて突けば、槍先は謙信の鎧の背に当たれども、謙信の鎧は稀代の名器であれば、少しも通さず
大隅、これに苛立って今一度、大上段に振り下ろせば、これも僅かに反れて、放生月毛馬を叩く
馬はこれに驚いて棹立ちに飛び上がり、川の深みに飛び込み流れ早く、謙信は鞍つぼに堪りえず、馬からさかさまに川に落ちる
信玄の馬もこれに驚いて、これまた深みにはまれば、信玄も耐えられず、ざんぶと川に落ちる。

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(270) 甲越 川中島血戦 97

2024年12月09日 10時18分40秒 | 甲越軍記
 宇佐美勢一千余騎、勝ち急ぐ武田の旗本の横合いより突き入れて形勢は一転して、上杉勢の有利となる
謙信は宇佐美の与力に大いに勇み立ち、旗本をまとめて盛り返せば、武田勢は総崩れとなる
ここに上杉方の渡邊越中守の勢、宇佐美勢をも乗り越えて山も崩れよの勢いで、武田勢に突き入れればいよいよ武田勢危うし
崩れたつ武田勢を追いつめ、ここかしこに討ち果たせば武田勢の死傷数知れず
御幣川まで追いまくられて川にはまって人馬ともども流されて沈むも少なからず

大将、上杉謙信は紺糸縅の鎧を着け、金の星兜を着賜い、萌黄緞子の胴着衣を着し、放生月毛の虎の面の如くなる逸物の馬に乗り、鞭を充て「後は総がかりにせよ」と言い捨てて、ただ一騎三尺六寸の太刀を抜き外し、真っ先に駆け出れば備備えの旗本らも「御大将真っ先にあらばなんぞためらうべきや、急げ急げ」と我先に駆けだす
謙信以下上杉勢は、今なおこらえる武田太郎義信の備えにまっしぐらに突き入れれば、さしもの武田太郎の備えも木端みじんに打ち砕かれて、右往左往に散乱する。

ここに上杉謙信は今日こそ雌雄を決すべしと心を定めて、金の兜の忍びの緒を切って犀川の深みに投げ込み、白練の絹をもって鉢巻きしたまう
信玄の床几備えめがけて、ただ一騎にて崩れたる武田の旗本を尻目に、中へ中へと突き進む
旗本の軍兵らは謙信を見届けると我先に討ち取らんと競って突き寄せるを、勇猛の謙信は三尺六寸の大太刀抜き放って近づく敵を打ち払う
謙信の従者も名を得た人々なれば、ここを死に場と定めて大将の眼前で潔く討ち死にせよと奮起する
その間に謙信はさっと走り抜けて信玄が床几近くに駆けいれば、信玄はかねてより同じいでたちの老人、七、八騎を並べ立て、いずれが信玄なるや知れず
迷ったが、先年信玄と対面して、その面を見止めていたので三度までここかしこの老人に近づいてみるがいずれも影武者なり
そこへ武田の武者、原大隅守が駆けつけて「信玄公が何でここにいるものか狼狽者め」と槍を繰り出す
原大隅守、目の前の一騎駆けの武者が敵の大将とは知らず。



「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(269) 甲越 川中島血戦 96

2024年12月08日 10時15分25秒 | 甲越軍記
 川中島の河原のいたるところで甲越の軍勢激しいい戦いを繰り広げている中
越後の大将、上杉謙信の旗本勢は信玄の旗本めがけてまっしぐらに押し出した
信玄の旗本も負けじと鉄砲を放ってこれを真っ向から受け止める
鉄砲の轟音のあと槍衾を作って鬨をあげて迫りくる越後勢に突いて懸かる

信玄、謙信の旗本同士の戦いであるから激しさは烈火の盛んなる如く、火花を散らし切れども突けども互いに一歩も引かず、ここを限りと命を捨てて打ちあう勇士の激しき事

この乱戦の中にあって、謙信は勇み立って敵陣深くまで攻め入る味方の背後を襲われることを案じて、すぐに使い番を呼んで後備えの直江山城守、甘粕近江守の陣に走らせた
「後備えの両将は軽々しく動くことならず、こらえにこらえて味方まことに危うきとなった時にこそ打ち出すべし、それまでは先陣の戦の成り行きを見定めて警固の怠り無きようにすべし」と五度までも使い番を送った。

信玄を討ち取るは此度の一戦以外になし、今日こそ信玄の生首を打ち落とさんと勇んで、自ら馬を駆け巡らせ前戦に進み行き
「これしきの小勢の敵に手間取るとは臆したか、頼みがい無き者どもめ、討死を心掛けて勇み出でよ」と大音声にて叱咤すれば
高梨播磨守、同原二郎、新発田尾張守、宇野佐馬助、岩井弥次郎、鬼小島弥太郎、城織部、長尾七郎、小田切治部少輔、上杉弥五郎、小室平九郎、和田喜兵衛、長尾新九郎をはじめ謙信の旗本諸大将、手練れの勇士ら勇に勇んで得物を手に手に勇み立って武田の旗本に攻め入る

武田の旗本もまた、「いまこそ君恩に報いる時なり、ここを破られればお味方の敗北必至なり、命惜しむな死んで御屋形に報いよ」と一歩もその場を下がらず屍を乗り越えて上杉勢に挑みかかる。
中にも金丸平六郎、横田駿河守、諸我入道、奥美作守、土屋平八郎、栗原藤三郎、窪田助の丞、小山田弥五郎、諏訪越中守、諸角助七郎、山田弥助、吉田左近らをはじめ、強雄無双の勇士ら勇を振るい喚き叫んで討って懸かる
このすさまじき火焔を吐いて襲い来る武田の旗本に、さしもの謙信旗本もこの切っ先に攻め立てられて、しばしひきさがれば、武田勢ますます勢いを増して、越後勢は乱れたつ

本庄源五郎、五百川縫殿助、宇野左馬助踏みとどまり、槍をとって攻め来る敵を七騎突いて落し、穂先も尽き折れれば太刀を抜いて切って回る
鬼小島弥太郎は味方の乱れるを見て討ち死にを志し、武田勢武者二十余人を切り倒しさらに打倒した雑兵は数知れず
その身も手傷を数か所負えども引き下がる様子さらさらなく、なおも信玄を求めて敵中深く入り込めば、武田の旗本、原与左衛門が二十余人に取り囲まれてすでに危うく見えたところに荒川伊豆守、馳せ来て敵を追い立てて、弥太郎を救い出して引き返す

武田勢の勢い、いよいよ激しく越後勢は乱れに乱れて切り崩され、半町ほども引き下がり敗北する
武田勢は勝ちに乗じて大波の如く攻めかかれば、上杉の死者数知れず
ここに越後の参謀、宇佐美駿河守が一千余騎を率いて大塚村に備えしが、旗本勢の崩れるを見て士卒を下知して勝ち誇る武田勢の横合いより騎馬を突き入れる。