神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

お寺にて、いろいろ思うこと

2024年03月01日 07時11分31秒 | 宗教
 2月中旬すぎには5月の温かさが続いていたのに、今は2月らしい灰色の空、寒い日々に戻った。
うるう年の今日は29日、4年に一度の2月29日、友引のこの日に伯母さんの葬送の儀式は行われた、まさかこの日に大谷選手の結婚します宣言を聞くとは、なんとも印象深い日になった。(記事は昨日書いた)

子供の頃は、お寺=お墓でずいぶん怖い場所だった
この年になってみて前職柄、住職とも親しく話すようになって
寺は博物館、美術館の要素が非常に高く、ご本尊もそれぞれ異なっていて、それを拝見するのもなかなかに楽しい。

若い人の葬儀は家族の顔をまともに見ることができないほど悲しいけれど、高齢者の葬儀は、なぜかみな思い出話をして穏やかな雰囲気のことが多い。
いろんな話の中で心に残ったのは、伯母さんの言葉
「こんな良い世の中になって、死んでなんかいられない、長生きする」という言葉だった、「こんな良い世の中」のフレーズがなんかほのぼのと爽やかだった
とかく、バブル時代を思い出して「今の時代は」とトーンダウンしてしまう自分が、伯母さんに「がつ~ん」と一発くらったような気がした。

伯母さんの一人息子である従兄は私と同期生で、妹の亭主とクラスメート、そして住職は一年先輩で、みな気心が知れている
この町では浄土真宗大谷派が圧倒的に多く、この寺は数少ない浄土宗、住職は19代目だとか、すでに20代目も40代半ばで、そろそろ代替わりか?
お御堂の正面の欄間が立派な彫り物になっているので見とれて、副住職に「いつごろのもの」かとお聞きしたら200年以上前のもので、狩野派の流れを組む職人の作品だと言っていた。
私は寺の中を見るのが好きだが、近年はセレモニーホールでの法事が多くなって、なかなか見られる機会がない。


コロナ以後、法事も大勢の人を集めることが無くなり、家族葬、近親者だけでというのが大部分だ
そんな時代だからこそ、寺院で葬式以外の法事をやっても良いのではないかと思う、寺院も昔と違って椅子を用意して正座ということもなくなった
暑さ、寒さ対策も気を使っている寺が多くなった、トイレだって最新式にしてあったり、寺の改革もずいぶん進んでいる。
改めて寺院での法事を見直すのも良いのではないだろうか。








親鸞の教え

2023年12月27日 09時09分30秒 | 宗教
 地元の人なのだろうけど知らない人から「歎異抄を学ぶ会」というチラシが送られてきた。
ほかにも半年前に神奈川の古い知人から「東京の日蓮正宗の寺で学んで今の苦しみから抜け出しませんか」というような手紙とパンフが送られてきた。
誰にせよ、私はあえて宗教の中に身を投じる気持ちは無いので無視という形、ただ後者は良く知っている人で何度も杯を交わし交流した仲だから、「自分は宗教が無くてもやって行けてます」と年賀状に書こうと思っている。

我が家の先祖には建長寺で学んだ臨済宗の高僧もいるのだが、それは遥か大昔の話で、75年前今の田舎に父が移り住んで先祖供養もできないのでは困るから親しい人が檀家になっている寺を紹介してもらったが、それが今の浄土真宗の寺である。
父母の祥月命日には来ていただいて読経してもらっているが、それ以外は寺の様々な行事に参加したこともない。

浄土真宗と言えば親鸞聖人が開祖である、浄土真宗が何であるかも知らなかったが友人が高校卒業記念にくれた「出家とその弟子」を読んでから親鸞さんの一風変わった宗教感に惹かれた。
私の外祖母は50年前に83歳で亡くなったが、寝込む前は毎日仏壇に手を合わせて「なんまんだぶ」と言っていたのを覚えている。
寝込んでから漫画「親鸞」で知ったことを枕元で話してあげたら手を合わせて「ありがたいありがたい」とつぶやいた。
母にも、私のこのことを言ったらしくて感謝された。

親鸞さんは、学歴も知恵も知識も少ない私にいかなる名僧よりも、わかりやすい言葉で現世の生き方を教えてくれる。
禅宗・臨済宗の名僧、夢窓国師と足利直義の禅問答「夢中問答集」のさわりを読んだが、現代訳でもほとんどちんぷんかんぷんで5ページほどでやめた。
「歎異抄」は親鸞さんの言葉を弟子が書き記した部分と、弟子の見解を記した部分で出来ているが、全体で短い。
だからわかりやすいかと言えば、わかるようで奥が深いから人それぞれ様々な解釈をするかもしれない。
そもそも宗教に正解と言える唯一の答えはあるだろうか? 数学や歴史は答えの数字は一つだろうが、国語の漢字は答えが一つだろうが、文学解釈は答える人の生きて来た経験や環境でずいぶんと多くの答えがあるだろう
同じことを言っても幾つもの言い回しもあるだろうし。
宗教も、そんな感じがする。

軒下で濡れて震えている野良猫を見ても、10人が10人様々な考え方をするだろう、親鸞さんはどう思い、どういう感想を述べ、猫に対してどのような行動をするだろうか?
仏教的に考えた場合、猫は人に救われるべきなのか? 自力で生きる道を探すべきなのか? すぐにも飢え死にして阿弥陀様に救われるのが幸せなのか?
人もまた、野良猫は生きている価値はない、とか、家に連れかえって飼ってあげよう、とか保健所に引き渡せとか、そのままにしておこうとか
様々な考えに至る、猫に石を投げる人間は死んでから地獄へ落ちるのか?
親鸞さんは天国も地獄もないという、では死ねば何があるのか、何が残るのか、何もないのか?

いろいろ生きることを考えて疑問に思えば、それは自分も「歎異抄」の中に加わっているのではないだろうか。
人の営みのささやかな疑問を一つ一つ明確に答えてもらえるなら、それは本当の宗教だろうか、否 僧侶は教師ではない
1+1は2です は普通の教師ならそれでよいし間違っていない
しかし宗教家なら1とは何か、なぜ1と1で2になるのか、それを問うた人が自ら考えるヒントを与えるにとどめるべきだろう。

「ああしなさい、こうすれば極楽に行ける、こうしないから地獄行き」そんな宗教家は宗教家ではない、交通整理係のようなものだ。
まして迷える人々に恐怖を与えて、「我こそがそれを救う唯一の宗教家だ」などと言って高額な布施を強要するのはまったくいかがわしい。

親鸞さんは弟子の疑問に対して「それは私もわからないのだよ」と素直に言う
それだけなら私でも親鸞さんの代わりが勤まる
しかし、親鸞さんは弟子が自ら道を開くためのヒントを与えてくれる
また親鸞さんの生きざまと、我々と同じような家族に対する苦悩、振り切れない様々な煩悩も、我々が生きていくための問題解決のヒントとなっている。
行動の一つ一つを理屈で正しい、正しくないと議論するのではなく、人が生きていく上に何が足りないのか、何が必要なのか、何が無駄なのかをしることこそ自分だけの正解にたどり着く学びなのだ。

答えが一つだけと思えば議論が起こり、正解から遠のくばかりだ
人100人に100通りの答えと生き方がある、それを戦わしても何の意味もない
ウクライナ戦争や、パレスチナ戦争と同じで答えが出るどころか傷が深まるばかりだ。

僧侶が修行するのは何のためなのか、何を修業するのか、そもそも僧侶の仕事とは何なのか。
大昔、初期の僧は他人を幸せにするために修業したのではない、己の苦しみ、煩悩を無くして平安を求めるために出家して人里を離れて山にこもったのだと思う。
だから生涯、一生修行で弟子を持つなどと言う考えはなかったはずだ
空海、最澄などは修学僧として死と隣り合う遣唐使船で大陸に渡り、本場の仏教を学び、名僧と交流して知識を吸収した。
官費と言うのが純粋ではないが、当時の天皇を始め大きな権力を持つ平安貴族たちは名僧を手中にして死後の世界でも栄華を保てるよう念仏させることを考える。
当然、名僧の元には金銀財宝が集まり、大伽藍が建立され、朝廷貴族の二男三男も出家して僧となり出世する。
名僧と言われるようになると迷える人々は近道として名僧に仕えるようになる
名僧にしても国家の後押しがあれば、より布教が拡大するし、ライバルの他宗教に差をつけることができる
こうして、自分の煩悩との戦いから始まった宗教は国家宗教となり、国家と貴族の永遠の安定のための宗教となった

こうした本来の目的から離れた宗教に対して、救われない貧しい大衆を救うと言う、いままでなかった遅れて来た宗教家が日蓮であり、親鸞だった。
親鸞の宗教は簡単で俗世にありながら修業もいらず、「南無阿弥陀仏」を唱えていれば、いかなる罪人でも阿弥陀様が救ってくれるという簡単なものだ。
権力を持った成功者が救われるのがこれまでの宗教、それなら力を持たない善人、業が深い罪人は尚更救われなければならないと親鸞は言う。
「悪人は死ねば地獄行き」というかっての宗教感とは正反対なのだ。

「悪人」とか「法」の始まりは権力者の命と財産を守るために作られたもの
貧しい人間を救うために作られたのではない。
明日食べる飯もない人間がひもじさから財ある者のそれを盗む、時には傷つけたり殺したりもする、それを防ぐために「悪人は地獄」と宗教的な解釈を加えたのだろう。
善人もわが子が目の前で飢え死にしていく様子を見れば、矢も楯もたまらず一本の大根を盗むだろう、それが人なのだ。
「れ・ミゼラブル」ジャンバルジャンも貧しさ故に罪を犯した、だがそれをかばってくれたのは神父であった。
宗教家とは「手を差し伸べる者」であるべきだ。
ジャンバルジャンにしろ、親鸞の時代の貧しい大衆にしろ、その時代の政治家は大衆を顧みず、飢えている民に冷えた粥の一杯も与えず、わが世の春を満喫していた。
それゆえにその後、フランス革命がおこり王族は怒る民衆によってギロチンにかけられ、日本では戦国乱世へと繋がっていく。

政治家は善政をもって、できる限り人間の平等性を保つ努力をしなくければ国家は不安定になっていく(格差の縮小、最低限の幸福度を持たせる)
宗教家は不安な暮らしの大衆の心の平安を保つために努力する
心と食が安定していれば暮らしも安定して人も国も豊かになるだろう。






輪廻転生「月の満ち欠け」を見て

2023年12月02日 17時25分37秒 | 宗教
 2022年の映画「月の満ち欠け」をテレビで見た
キャスト 大泉洋、柴咲コウ、有村架純、菊池日菜子、田中圭、目黒連
直木賞受賞、佐藤正午の長編小説が原作だと言うことだ
今度、小説でも読んでみたい。
以前、映画1997年の映画「うなぎ」を見てから、吉村昭の原作を読んだが
表現や微妙なニュアンスの相違が面白かった
だが映画を見てから小説を読むのと、小説を読んでから映画を見るのでは、どちらが面白いだろうか?
小説は想像力を掻き立て、読者は十人十色の主人公の姿を空想して作り出す
だから映画が後だと、自分の主人公像との違いにがっかりすることがある。
だが映画を先に見て小説を読むと、おそらく小説の中の出演者と、映画の出演者は一致して見える、それだけ小説を読んでも楽だと思う。

予備知識を持たずに見た1回目は、目まぐるしく年代の変化でわけがわからなくなった、ただ最後には輪廻転生がテーマだとわかった。
わかったけれど登場人物がごちゃごちゃになって整理できなかった。

それで日を改めてもう一度見直した、メモとペンを持って
一人の女性が映画の中で4度転生していることがわかった
小山内瑠璃の親友緑坂ゆいの娘、小山内瑠璃、正木瑠璃、正木瑠璃の前世(姿は出ないが、三角に「ずっと私に気づくのを待っていたのよ、あなたは気づいてくれなかった」というセリフで正木瑠璃と三角は前世からの因縁があるのがわかる)

「赤ちゃんは生まれる前に、雲に乗って空から誰の子供に生まれようか見ている」というセリフは、そこだけが漫画チックで笑えたが、あとは結構共感できた。

「人間は誰でも生まれ変わっている、ただ多くの人はそれに気が付かないだけ
私のように前世で深い無念をもったまま死んだ人だけが、その記憶をもって生まれ変わる」
主役の瑠璃(るり)という女性が生まれ変わり、生まれた新たな瑠璃が7歳の時に高熱が続いて治ったとき、人格が変わる。
実は、それまでは前世の記憶がない瑠璃で、高熱の後の瑠璃には前世の大人の瑠璃が蘇っている。

こう書くとホラーみたいだが、これはホラーではなく悲しい純愛の映画である
ある年代から、前世の自分が蘇って体を支配するストーリーは私が何度も読み返している愛読書「リプレイ」そのものだ。



「リプレイ」では体は毎回別人になるが、心は同一人物である、だが心が体に戻ってくるのは生まれた時からではなく、ある年数を経てからだ。
それまでは生まれた時からの別人格が体の中に住んでいる、そこに前世の人格が戻ってくると最初の人格は消えてしまう。

何度目かに彼女が生まれ変わって戻って来た時、そこには既に先に戻って来た彼が別人格の彼女の体と住んでいた。
戻って来た前世の彼女は、自分ではない人格の自分と同棲していた彼に対して怒り別れてしまう。
体は同じでも、人格の違う彼女と10数年暮らしていたことに我慢が出来なかったのだ
彼は、いつ前世で愛し合っていた彼女が戻ってくるかと待ちわびていただけなのに。
でも戻ってきた彼女は許すことができなかったのだ
この部分が「リプレイ」の中でもっとも深くて、気に入った場面である
心(魂)は永遠で消え去ることはなく、体は一世代で滅んでしまう

一人だけの記憶を魂が持ち続けるかどうかは怪しいが、魂が永遠であることには賛成である。
姿かたちのない魂があっても不思議ではないし、現実的に今わたしがここにいる。
そして体が滅んだ時、魂(心)も滅ぶだろうか? それはわからない
体から抜けた魂が現世の記憶を持ち続けるのは否定する。
形の無い物には何の思いも考えもないはずだ、もちろん人間が思いついた時間などもあるはずがない。
だからこその永遠、永遠の長さは人間が作った1秒かもしれないし、数百億年かもしれない、そもそも時の長さで考えることがナンセンス
体というものを得た時に新たな人生、人格が始まる、そして滅ぶのは「月の満ち欠け」の通りである。

この世の中で同じ自分の人生を繰り返したい人がどのくらいいるだろうか?
自分はそうしたいと思っても、妻や子供がお父さんとまた暮らすなんて耐えられないと言えば、あなたの夢は実現しない。

宇宙と魂とが一体化しているなら、それは永遠なのだ
魂が無である限り、無は永遠であり、無の状態こそ安らぎの世界なのだ
最大級に磨かれた魂だけが天の国で永遠の幸福を得るとは、このことだ
それは地球だとか天国だとかという限定的な狭い範囲ではない、果てしない永遠の空間での話である。

無の安らぎは、母の胎内での安らぎに似ているのではないかと思うことがある

この映画を見て、「リプレイ」を思い出し、とりとめもない文を書いたのである、唯一心残りは2人の瑠璃と小山内の妻の3人を間接的に殺した正木竜之介のその後がわからないこと・・小説では描かれているのだろうか?





どれだけ持てば「しあわせ」になれるか 歎異抄ききかじり

2023年06月02日 11時15分15秒 | 宗教
一昨年、持ち続けた何もかも手放した
良いもの、悪いもの、軒並み断捨離した感がある、今までの人生の大部分を捨て去った。
形あるものは当然ながら、形のない数々の欲、事業欲、名誉欲、金銭欲、物欲も
これ捨ててしまったら、まさに「肩の荷が下りた」のか「スーっ」と軽くなった。
貧乏神にまで見捨てられると心まで軽くなる
こうなると息子や女房殿に対する小言や意見、怒り、これもぜんぜんする気が無くなった、これによって腹も立たず、血圧も上がることがなくなった。

市議会議長の息子があんなことになる、国家のトップの息子が、愚かなことをしでかして袋叩きに会って失職する
いくら名誉や財産があっても、不幸はやってくる、欲のある所には必ず不幸が多かれ少なかれやってくる
それは身を持って体験したからよくわかる。

なるほど「あれくらいは残しておいてよいだろう」なんて未練があるうちは駄目だ、最初からなかったくらいに思えないと、私の今の心境にはなれまい。

いくら捨て去ると言っても、家族を捨ててはいけない、そこまで捨てるとは言ってない、絶対捨ててはいけないものは捨てない
人生の邪魔になるもの、その多くはやはり「欲」だ、物も金も生きていくだけあれば、それ以上欲しがってはいけない
ただ、空から降ってきたものまで捨てることはない、それは神様からの贈り物だ、だからといって天に向かって催促するのも宜しくない。
あくまでも、無欲で生きていることが本当の幸せをえることにつながる。

何もしなくても、去っていくものは去っていくし、残るものは残る

「無い」ということは結構良いことなのです、「無い袖は振れないのだから」
そこまであきらめれば、あとは自然体で生きていればよい
余計な心配はご無用、心配するから悩みが出てくる
「ケセラセラ」なるようになると割り切れば、なるものだ
毎日、仏壇に向かって「南寿阿弥陀仏」と経を10遍唱えればなおよい。
文化的に生きる方が、戦場で生きるより遥かに良い

親鸞聖人の偉いのは、90何歳かで入寂されるまで、弟子は持ったけれど教団と言うものを持とうとしなかったこと。
そのかわり公に持つことを禁じられていた妻や子を隠すことなく持ったし、それも複数、肉はともかく魚も食べた
最後まで念仏三昧で、それ以上の欲は持たなかったのだ、托鉢さえも嫌ったと言う。
念仏は阿弥陀様に物をねだるのでもなければ、親の冥福を祈るのでもないと言う、ただただ自分の福の為に唱えるそうだ
でも、そんな親鸞さまでも息子との確執は避けられなかった、それは「出家とその弟子」を読むとわかる。
だけど親鸞さまには、それも含めて飲み込んでしまうだけの大きな信心があったのだろう、日輪の大きな光は何もかも飲み込むだけの慈悲がある
飲み込む、飲み込んでしまえば、それは無くなってしまう、飲み込むだけの大きな心もまた無心から生まれる

欲を捨て、それでも生きられたのは、天からごはんや銭がたまに降って来たからだろう
無欲無心でいれば、天からお宝が時々降ってくる、正しい行いを続ければなおのこと、天はあなたを見ている

但し贅沢するほどは降ってこない、僅かな稀な小さな贅沢ができれば上等
あとは、今日一日、生きていれば「ありがとうございます」
それでいいのだ、それが幸せなのだ、但し家族を飢えさせるようではだめだ
飢えさせないだけの信心が必要だ、信心・・自分の為にだけ祈る
何を信じる、それは神仏を信じるだけではない、自分自身を信じることだ
自分は正しいと信じることが出来れば、もう大丈夫だ

手放したわけではないが、自然とへっていったものに「酒」がある
あれほど「酔いどれの酔っ払い」だったyottin
この頃は、一週間に2回ほど飲むだけで、それも缶ビールなら1本、日本酒や焼酎なら写真のグラス位を一杯、ウィスキーならWで一杯
そんな程度だ、さすがに仲間と集まる時は飲めるだけ飲む、それが月一くらいのささやかな楽しみだ。
良い酒があれば、それに越したことはない
たまに天から降ってくる、良い酒は買ってまで飲まない。


そんなくらい、腹5分目くらいの幸せで結構、それで幸せを感じれば「しあわせ」と言うものさ。


仏心

2023年05月21日 16時12分48秒 | 宗教
高校生の頃、父はすでに私を自分の後継ぎとし魚屋にすることを決めていた
そのとおりの人生を送ってきたわけだが、そんな高校生の時に、ふと言った。
「おまえは学校の先生か坊さんが似合っている」
その言葉を聞いて思ったのは(小学校の先生ならともかく、中高の生意気盛りを教えるのは性に合わない、研究者として仲間や個人でやる学者ならよいが、教壇に立つのは向きではないと、だが坊さんはまんざら見当違いではない)

坊さんといっても厳しい修業を生涯続けて仏に仕えるなどというのは、とてもじゃないが無理である
それでは坊さんになんかなれない、だが世間の坊さんを見渡せば、尊敬に値する立派な坊さんもいれば、ゴルフ三昧だ、女狂いだ、ヤクザまがいの坊さんもいる
それならば私でもなれないことはあるまい、但し後者の坊さん並みではなっても意味がない。

さて歎異抄を読んでいて時々心に入ってくる言葉がある
例えば「親鸞さまの正しい教えは、没後わずか30年ほどで教団という集団組織の中で、その真意が曲解されている
『お釈迦様(阿弥陀仏)の教えは、唯一この世界で親鸞だけの為の教えである』と親鸞さまはおっしゃった。らしき言葉が出て来た。

そもそも仏教の始まりは個の深い悩みに人が陥ったとき、絶対的な安心、導きにすがる人間の心の作用がつくりだしたもの
お釈迦様にしても、聖徳太子にしてもこの世の無常と、人の力では変えることのできない死や病、様々な欲心(煩悩)に対して、どのように理解するかの問いである。
ならば私にも、それはある 真剣にこれらの無常や自分の非力、あまりの小ささに思い悩むならば、そこには宗教があり仏様と出会っている。
まさに「お釈迦様は私だけの為に教えをくださったのだ」
ならばお釈迦様の教えを理解しなくてはなるまい、それが修行だ

お釈迦様の教えは、口伝を受けた直弟子たちによって、数万の経典として編纂されたが、お釈迦様の教えの年代や、弟子の資質によって内容は微妙に違ってもいる

開祖と呼ばれる宗派の長は、それぞれが自分の心に合う経典を選んで、**経を開山した。
だから元はお釈迦様の教えでありながら、対立を繰り返している
親鸞さまが作った浄土真宗さえ、東と西に分裂したではないか
またお釈迦様の教えもアジアに広まる中で大乗仏教、小乗仏教などの対立もあった、こうしたものを見ると立派な宗教と言っても人間臭さから抜け出ていない
まさに「群盲 象をなでる」であって、とてつもない大きな教えの中からわが意に沿った部分を取り出して「我が宗派」を名乗っている
もちろん、大きな幹となる法華経など特に重要な骨の部分は共通してはいるが
それは教団という大きな組織になって、経営が主たる目的になったことで残念ながら雑念が若干紛れ込んでしまった。

親鸞さまが申された通り、宗教は個人の中にあって、個人個人の悩みが違うだけの数だけあると言うことだ
だから宗教は個人でもできると言うことではないか、宗教にルールがあるのか
縛りがあるのか? それは宗教と言えるのか
ルールは集団を統一統率するためにある、個だけであればルールは必要ない
全て自分に帰ってくるからだ。

もちろんルールをガイドラインにすれば理解するには楽である、でもそれは本当に求めるものの答えであるのか?
己の苦しみの質や量は自分にしかわからない、それをグループに分けて考えるのは占いと同じではないだろうか
この苦しみは個が解決するしかない、それが出来なければ教団に救いを求めるしかあるまい、その中には問題の教団もあるのだ
教団を選ぶにも個の責任が生じることを承知しなければ泣きを見る。

私は今さら宗教家になる気もないし、なる力もない、だが心の中に宗教観を持つことはいつでもできる、今でもできる
寝る前に寝るまで一人宗教を実践できる、仏心を持ちながら眠りに落ちるのは座禅に通じるのではないか? 

浄土真宗は理屈が簡単で、宗教を面倒だと考える悩める人には向いている
「南無阿弥陀仏」を十篇唱える、それを一日何度か繰り返すだけで阿弥陀様が救ってくださると言う
宗教家でもない、忙しい庶民にはまことに都合よい宗派なのだ
キリスト教であれ仏教であれ、信じる者は救われる、信じるところから始めるしかあるまい

私が仕事をやめたのはその力が及ばなかったからだが、別の部分でもいやなことがあったのも一つの原因だ
それは、生きた魚を調理すると言う殺生に耐えられなくなったからだ
新鮮野菜の中から出てくる虫さえ殺せない、こうなると調理人失格だ、仏心をもったらお終いだ、そんなことで仕事に嫌気がさしていた

今は野菜を育てる、生命を作る方に回った、いずれはその命をいただくことになるが、リアルな魚よりは罪の意識は少ない
それも勝手な解釈かもしれないが、それさえ嫌気がさせば、もはや飢え死にするしかあるまい。




歎異抄

2023年03月04日 07時31分08秒 | 宗教
今は空き家になった義父の家の玄関に入ったら、いらなくなった雑誌類の間に「歎異抄」の訳本と五木寛之の「仏教への旅」があった
さっそく数ページを呼んでみたが、親鸞上人の人間臭さがいきなり出てきて(これは読みやすい)と思った。
去年から急に宗教に興味が出てきて、いろいろ関係本も読んでみた、「空海と最澄」の物語も読んだし、主要仏教10宗派くらいのそれぞれも読んで見た。
やはり歴史がある仏教は読んでいても読みがいがある
著者の唯円は親鸞の直弟子で、親鸞没後に親鸞の教えが各地で曲がった解釈で広められていることに嘆いて、自分が直に聞いた親鸞の言葉を広めるために書いたものが「歎異抄」
釈迦と、その言葉を経典にまとめた弟子たちの話に似ている、もっとも釈迦の方は教えが数十年にわたって膨大な量になっているから逆に様々な宗派が起こるきっかけになった
親鸞の浄土真宗は、その中の一つであるから単純明快、死後のありさまも単純明快、さっぱりしすぎて気持ちが良いくらいだ。
庶人が「なぜ」と問うと、「私は知らない」、さらに食い下がると「高野山や比叡山へ行きなさい、そこには立派な学問を積んだ学僧が数多おられるから、難しいことは、そこでお聞きなさい」と言う
「私は師である法然上人の教えを信じて、その通りに伝えるのみ、法然上人もその師である善導大師の教えを信じて、私に教えてくださった、善導大師はその師である釈迦の教えをそのまま伝えたのだから、私の信心には間違いはないと信じています」
キリストの「信じる者は救われる」と同じではありませぬか・・・ぜんぜん基本が違うと思うけど。
「難行、苦行などしなくても『南無阿弥陀仏』の十篇を唱えてさえいれば極悪人であっても、いや!極悪人故なおさら阿弥陀様が救ってくれる」
いささか身に覚えがある私には、とてもありがたい教えです。

さてゆっくり読んでみます。



父の法要

2023年02月22日 11時16分10秒 | 宗教
父が亡くなって今日が5年目、お寺さんに読経してもらって、今帰られたところ
読経のあと、こたつに入って1時間ほど、ゆっくり世間話をしていきました
私より20歳くらいは若いでしょうか、それだけ私が歳を取ったということです
今は真宗大谷派の寺院ですが、我が家は一代ごとに寺が変わる渡り鳥一家
転勤族でもないのに、そういった運命の一族なんでしょう
祖父祖母は墓も遺骨もなく、浅草の時宗(じしゅう)の寺で葬儀を行いました
祖祖父、祖祖母は茨城の真宗大谷派、その前は代々、栃木県の臨済宗寺院に墓があります。
私の代でようやく、この地で父からバトンタッチで2代目です。息子もこの地で3代目になるでしょう、世間で言う「安住の地」というものですかね
まだこの先、わかりませんが、この土地の自然は好きです、ただどんどん不便になって行く医療問題や娯楽施設、文化教養施設が無いのが残念です。

浅草浅草寺


年賀欠礼

2022年12月14日 09時09分16秒 | 宗教
 人生の中で最悪の3年間を実感している
何度か書いたが、過去に「70歳頃、大きな波乱がある、それを乗り越えればうまくいく」と手相看に言われたことがある。
最近5年の間に「年賀欠礼」の年が4年もあった
今年も女房殿の親父さんが亡くなり、我が家も年賀欠礼
今年は、そのほか妹の亭主の母、その母の娘の旦那(元関取)も亡くなり、妹の嫁ぎ先も年賀欠礼
同列にできないが友達のY子の突然死、今朝には愛犬も亡くなった
去年は弟の妻が亡くなり、3年前、4年前には両親も亡くなった

 今が人生の氷河期、運勢ではもう一年辛抱が必要らしい
運勢なんてナンセンスだが、この歳になってやはり天命によって人間は生かされているのだとつくずく思うようになった
そしてなにより「因果応報」は確かにあるのだと身をもって体験した
良き行いは良き結果を産み、悪しき行いは悪しき結果を産む、これは確かであることがわかった。
それでも生かされていることに感謝しなければならない
人間になるためには苦しみの期間も必要なのだ、苦しみ覚悟の非行も、時には魂を慰めるために必要な時期がある、それが必要ない人は「幸いな人」と言える、私は「幸いな人」になりたかったが、なり切れなかったようだ。

人生においても60歳までの一巡りは因果の「因」であり、それが60歳(還暦)から「結果」となって表れてくる。
今書いている「貧乏太閤記」にそれを何とか盛り込もうと、書きながら思っているが・・・。




仏教の歴史 な~~ンちゃって

2022年09月02日 13時35分00秒 | 宗教
釈尊(お釈迦様)にしても、聖徳太子にしても仏の道を歩むようになったきっかけは世の中の無常
(生と死と病、冨と貧困、弱肉強食、権力と戦争)をより強く思ったからだという。
行きついたところは、「この世こそ地獄であり、死後こそ真の世界である」
釈尊以前の原始仏教は限定的、
そこかしこの小集団の中に個々の考え方であったようだ
釈尊は紀元前600年ころのインドの人で正確な生没年はわからない
世の様々な無常に疑問を持ち、切なくててどうしようもない
自分の正義の魂を納得させるため難行にその答えを求めた。
しかし答えを得られず、ある日、突然天啓ありて問いも答えも求めず
心を無にして座禅を続けた。 
ただひたすら座り続けてついに悟りを得た。
以後、釈尊のもとに悩める多くの弟子が集まり、
釈尊の時、どきの言葉に耳を傾けた
釈尊が入寂されるとき高弟たちが釈尊の葬儀について問うと
「それは修行僧が行うことではない、お前たちは私のことなど構わず
今この時も惜しんで修行に励みなさい」とおっしゃったそうだ。
釈尊はその教えを書物に残さず口伝で弟子一人一人、
あるいは大勢への講義で伝えた、その年数は40数年に及んだ、
だから弟子も直弟子、孫弟子、そのまた弟子くらいまで幅広く、
教えの内容も変化している。

釈尊亡き後、その膨大な教えを高弟が書物(経典)としてまとめようと
活動を始めて、各々が釈尊から伝えられた教えをもちより語った。
それらの中から正誤を検討しあい、正しいと認めた教えを年代別に
編纂していった、それらの一巻一巻が**経の経典となる、
その数は膨大であった。
やがて中国に仏教が伝わり、真の教えを知りたいと中国僧がインドへ
冒険的な旅をして経典を中国に運んだ(西遊記は、それを誇張した
空想物語にしたもの)

インドでは釈尊の教えとして統一されていたものが、中国へ渡ると
個々の僧侶は膨大な経典の中から自分が影響を特に受けたものを選び、
その経典をもとに宗派ができた。
禅、密教、一般的な宗教などにわかれその教えの方法も変わっていった、
例えば禅にしてもいくつもの宗派に分かれて微妙に解釈や目的、
修行の方法が異なっている。
さらにインド仏教の本来の姿(自分自身を修行で磨き上げて悟りを得る)を
守る保守派に飽き足らず、迷える人をより多く救うべきだという
改革派が現れた
そして広く教えを広めることから大乗仏教と呼び、保守派を
己だけを救えばよいという狭義の宗派だと罵って、保守派を
小乗仏教と呼んだ。
それは蔑称なので今は大乗仏教に対し、小乗仏教を上座仏教と呼んでいる。

天皇につながる日本固有の神道がある我が国に仏教が伝わったのは、
朝鮮の百済からでそれは釈尊が悟りを開いてから1000年近くたっている
朝鮮は百済、新羅、高句麗が相争う三国時代で中国では
隋から唐の時代だ
日本(倭国)は百済と交易をおこない友好国であった、
一方日本海側に面している新羅は百済と敵対した関係で
倭国とも敵対関係であった
一番不利な新羅は大国唐に追従して支援してもらい、
北部朝鮮から満州にかけての最大の強国、高句麗を滅ぼした。
次に百済も新羅に滅ぼされて、高句麗や百済から政治家、
文化人、僧侶、技術者などが難民となって日本に逃れてきた。
そのため日本にも一気に仏教が広まった、用明天皇の子、
聖徳太子は日本仏教講釈の第一人者で釈尊同様貴族階級にありながら、
世の中の無常を嘆き仏教により深く帰依した人である。

日本は隋、唐とは友好を結び、交易のほか僧侶や官僚を送り込んで
先進大国の政治や仏教を勉強させた
日本仏教の開祖となった空海、最澄の二人も危険極まりない
黄海を修行僧として中国にわたり密教などを学んだ。
空海は高野山で真言宗を開き、最澄は比叡山で天台宗を開いた。
中国仏教の影響が強い日本ではやはり多くの宗派が派生した、
中国でも日本でも大乗仏教が主流であり、上座仏教のインドや
東南アジアと違い、とかく権力志向、商業的になりがちであった。
権力者との結びつきをもつ僧侶も当然出てくる、貴族社会が
武家階級に政権を奪われた鎌倉末期から室町時代以降日本は
戦乱の時代に突入する
武士は領土争いで血を流し、町を焼き尽くし、農民を兵士として
強制的に戦場に引き立てていった。
田畑が荒れ、飢饉が起き餓死者があふれ、都は無残な姿となり
貴族でさえ食うものに困る有様となった
この時代を背景に日本では日蓮宗、浄土宗、やがて浄土真宗という
平民のための大衆仏教が現れた、日蓮、法然、親鸞、いずれも権力者や
既存の伝統仏教界から迫害を受けて島流しの憂き目にあっているが、
今日まで発展している。
神道を護り、キリスト教布教を許し仏教を否定した革命的武将、
織田信長は室町幕府を消滅させ、比叡山を焼き討ち、伊勢長島の宗徒を
皆殺し、本願寺と10年戦争を行った
加賀、能登(石川県)では一向宗が武士を追い払って宗教国を成立させた、
若き徳川家康も本多正信など家臣の半分が一向一揆に味方して
内戦となって苦労した。
それほどに戦国時代に武装化した宗教勢力が現れた、
それは戦乱の被害者である被災民が宗教に救いを求めて
集まった結果ではないかと思う。
古代仏教の聖地奈良でも興福寺など奈良仏教界は僧兵をもって
弱小な地域大名に圧力を与えていた。
明治維新の後、天皇を頂く新政府は神道を国教とすべく仏教は排除され
城同様に破壊された寺院が数多くあり、仏教受難の時代を迎えた。
逆に昭和の戦争でアメリカに日本が負けると、天皇と関係深い
日本人の魂とされる神道は占領軍によって警戒され、
仏教の地位は回復された。

釈尊が悟りを開いた仏教は、個人の迷い、悩みのもとを
とことんつきつめて真理を得るための修行、
あるい空と無の禅の世界であった
それが中国、日本と渡り、次第に権力との結びつき、商業主義、
俗化と変身していくものも出てきた
さらに金儲けのために神にすがる苦しみを持つ庶民を不幸に追い込む
悪徳エセ宗教まで出てくる始末だ。

古代から人や家畜が死ぬと一緒に暮らした人たちが集まって
弔いをしたそうだ
そこに僧侶の姿はない、ほんとうに悲しく、故人や愛馬、
愛犬の冥福を祈るものだけが集う。
女房殿と結婚した年に、女房殿の祖父が亡くなった
市街地から10kmほど入った山間部の農村地帯が実家で、
私も行くと隣近所の親父さんたち、奥さんたちが変わりばんこに
出入りして台所で夕食、夜食を作る
男たちは白い厚紙で仏壇にあげる紙の花を作っている、
市街地の葬式では見られない風景だった
農村部では「やうち」という親戚グループがある、
これは遠い親戚より近くの他人、あるいは祖先が一緒だった
近くの人たちの助け合い組織だ
田植えも稲刈りもこうして集団で各家の仕事を片付けていくのだ、
自由主義、個人主義の日本にあってこれは社会主義だと思う
我々世代になり、農業離れした今は、この「やうち」制度も有名無実になった

コロナが流行して葬儀も家族葬が主流だ、まちなかで並ぶものがない
力を持つ人にとって小人数の葬儀は残念であろう
葬儀は力を誇示する場として絶好である、またそれを受け継ぐ次世代に
関係者がアピールする場としても最適である。
しかし一般庶民にとってこうした家族葬は最初はとまどったものの、
普段の付き合いがない多くの人に気を使うより楽であり、
故人に集中することができてありがたい。 
ほんとうに心を寄せる人だけにお別れに来てもらえる今の姿が
本当の葬儀かもしれない。
戦後、なんでもかんでも右肩上がりで進んできた、
なんか不便なこの頃に感じるかもしれないが、絶望の淵で
落下する前に緩やかに下ったほうが良い

僧侶にしても托鉢と自らの労働で得た野菜などを糧に
コメ一粒のありがたみをかみしめて修行に励むのが
僧侶の姿だったという、1000年以上前の話だ
この豊かな時代にそれを言うのは無理難題であろう、
われら庶民がゴルフを楽しめば僧侶だってゴルフをしたい、
そういう時代なのだ
われらのレベルも時代同様に変化しているのだから、
僧侶だけ固い戒律で生きよなどというのはナンセンスだ
威張らない友達感覚で長い付き合いができる僧侶に安心感を覚える、
長い付き合いの医者と似ている。 庶民が求めているのは
安心と気軽に相談できる僧侶なのだ。

親鸞はそれまで僧侶に許されなかった妻帯、飲酒、魚食など
タブーの数々を自由にしてよいのだと言った。
出家などせず、難行もせず、ただ「南無阿弥陀仏」を10篇唱えれば
極悪人も救われると言った。
僧侶は今でもわれら庶民に葬儀、法要で説教を行う、
だが高学歴社会で人々をなるほどとうならせる説教に出会うことは少ない、
だがたまに尊敬に値する説教を聞くことがある
やはり勉強している僧侶もいるのだと安心する。

*間違った解釈 言葉 ご無礼はお許しください




















お盆になります おせわになります

2022年08月11日 14時52分55秒 | 宗教
昨日は遅い昼食後、なんだか眠くなって久しぶりに昼寝をした
昼寝なんてもんじゃなくて、目が覚めたら、もう夕方4時半
何か目的ある生活でなくなったせいで時間に対する緊張感がなくなった
昨日までよりは蒸し暑さが和らぎ、2週間ぶりくらいで散歩に出た
思ったより足取り軽やかで走っても良いくらい調子が良い
建築現場で仲間だった大工の棟梁に会った、立ち話をして愛想に、奥さんは元気でいる?
すると、おかげで少しは良いみたいで落ち着いてきたが元には戻らないだろう
なんて言うから藪を突いたみたいになって話しを合わせるのに苦心した
これこそ藪から棒、ってやつだ。

父が先祖供養に目覚めたのは40過ぎてからで、父の祖父母の墓は茨城県だし、代々の墓は栃木県にあるだろう程度、父の両親は空襲で遺体も見つからず墓もない
浅草の日輪寺が縁がある寺なので葬儀(私が産まれる前)と33回忌はそこでやった。
父は先祖供養は金銭かまわずやったが、宗教だとか坊さんに奉仕するなどは真っ平な人で
逆に坊さんに説教する人だった、今の住職もやられた一人で、私にその話しを毎回する
東京空襲の時の出来事がトラウマになっているのだ

自宅の仏前や檀家になっている寺で法事をするのは私が最初なのだ
だから墓参りだとか盆の仏壇飾りの仕方を知らない
親に習っていない
嫁に行った妹にすべて頼んで花から供物まで用意してもらう。
母の命日が8月16日なので盆の延長で住職にきてもらって読経してもらう
墓は合碑廟なので会で12日に別の住職を頼んで合同で行う
葬儀や回忌法要はセレモニーホール経営の仲間に丸投げ
幾つになっても法要ルールを覚えない私である。