神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

2月22日 雪が降った

2025年02月22日 13時58分09秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 2月22日は父の祥月命日で住職を頼んで家で読経していただいた
妹夫婦と、私と女房殿の4人での法要
もう亡くなって8年がたつのか、本当に時の流れは速い

2月22日は「にゃんにゃんにゃん」の日で、ネコの日
今日はカートの49日+2日目で完全にカートは天国へと旅立った
読経が聞こえるところにカートの写真を置いて偲んだ

カートだけでなくサイドボードの上には歴代のわんにゃんの写真が並ぶ
ニャンのカート、ぴーちゃん、ワンのボス、ジョン、ごんた、そして新たに見つかったニャンのジョンソンの写真も増えた。

保護してきたころのカートは、まだ子猫だった


こんなところに入ってくつろいだり

そして35年くらい前に飼っていたジョンソン
なぜか魚屋だった私の店に入ってきて住み着いた

今日は朝まで薄日が差していたが、7時過ぎから急に降り始め、あっという間に周りが真っ白になり、住職がやってきた8時半には20㎝ほど積もった
急いでシャベルで除雪をした

それからも、どんどん降ってきた
住職は夕方から葬儀が入っているが、我が家で女房殿の手作りケーキを食べながら1時間ほどくつろいでいった
時には1時間半以上いることもあるが、雪が降っているのでいつもより早く帰った

午後になったら雪は止んだ、降雪量は30㎝くらいだったろうか
今はなんとなく明るく、雪も止んでいる、このまま明日まで降らなければよいが・・・
気温も今日は日中でも氷点下ぎりぎりで道路は凍っている
このあと、かっての商売の取引先の社長さんの通夜に行ってくる
寺が同じなので、読経もまた同じ住職
これ以上雪が降れば、式場の駐車場は大混雑するだろう

ああ、また細かな雪が降ってきた
どうか今日はもう降らんでくれ。





まだ続くのか猫騒ぎ

2025年01月05日 17時07分47秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 ようやくカートロスが収まってきたのに、今朝は100mほど離れた地区の女性がチラシを持って訪ねてきた。
最近ときどき宗教の勧誘が来るので、その類かと身構えたが、猫が逃げて探しているとのこと
誰かが、猫探しなら猫カフェかyottinさんだと言ったらしい
いつの間にか猫さがしのエキスパートにされたようだ。

初めて猫カフェへ行ってマスターに対面した、優しそうな静かな人だった
「カートは元気ですか」と先に言われて、「実は大晦日の早朝に死んだんですよ」と伝えたら驚いていた
それからはコーヒーを飲みながら猫談義
すると知らせずにここにきたのに、女房殿までやってきて、話をとられてしまった。
昼近くまで居て帰ったら、保護団体のSさんからラインがきて雪が降る前に喫茶に来る外猫を保護するお願いをしてほしい、とのこと
連絡だけなら言っておくよ、と言ったが事情が変わってハードルが高くなった
もう猫を飼うこともないし、期待されても困るから断るしかないな
さすがに年末年始の猫騒ぎはストレスもたまったはず、すこし休憩させてもらおう。

パソコンが入る10日ころまでは、皆様のブログ訪問になかなかいけませんが、ご勘弁ねがいます。

カートさん、虹の橋を渡りました

2024年12月31日 05時30分33秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
昨日、今日と二晩、私と一緒に部屋で寝ていたカートさん(別名 フーテンの寅ネコ)
今朝、私が4時に目を覚ましてトイレから戻り、猫の温熱シートの電源を切って、安否確認もしたら腹が少し息をしていて顔も少し動かしたから安心した。

それから1~2分後に急に手を伸ばして、シートを5回ほどかきむしったら、そのままぐったりした
急いで見たらもう息をしていなかった、12月31日早朝4時15分、カートさんは、お空に旅立っていきました、推定8~10歳 6年半の付き合いだった
まるで私が目を覚ますのを待ってたように目の前で苦しまず、安らかに逝きました。

やっぱり昨日病院に連れて行っておいてよかった、やるだけやって悔いはない
家猫になって、たった50日暮らしただけだが貴重な50日、思い出の50日となった
天国には友達もたくさんいるだろうから幸せに楽しく暮らしてください。

このブログで、少しでもカートさんに触れていただいた皆様に感謝と御礼を申し上げます。
「ありがとうございました」







2024年 一年を振り返って

2024年12月27日 14時24分21秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
元日早々わが町は震度5強という大地震に見舞われて、数百戸が軽度の損壊、数十戸が深刻な損壊をした
幸いにも全壊、死者、負傷者はいなかったが初めて聞いた津波警報に驚き、これも初めての高台避難をした
我が家は標高10mほどだが海岸から1kmしかない、でもすぐ近くには6階建ての市役所があってそこに上がれば標高で30mくらいにはなる
もっともすぐ後ろが丘陵地帯になっていて、車なら2分くらいで標高20m以上になる、今回は標高50mの市の体育館まで逃げた
実際は我が町では津波は1mにも満たなかったようだが?
私たちは早くに逃げたが、普通に出た人たちはかなり道路が渋滞したらしい、実際に10mくらいの津波がくればどうなったか・・・・・。
逃げ方を考える良い機会にはなったが、地震や津波、火災にはであいたくないものだ。

去年の12月からカニ漁師の手伝いに行った
早朝3時に起きて食事や支度をして5時前に港へ入る
1㎏級のカニも毎回数匹獲れて万を超える値が付いた
ところが元日の地震でカニ網が全て流失不明に、それ以後は出ても出ても泥と枯れ枝ばかりでついにカニ漁をあきらめた。
12月またカニ漁を再開したらしい。

1月は善光寺参りをしてきた
秋まで信州牟礼の霊仙寺湖と新湊の海王丸パークへ交互に行っていた
2月には伯母さんが97歳で亡くなった
春からはカニを辞めて刺し網のメバル漁の手伝いに変わった
3月には人生初の花粉症に罹り、医者に行った
地震の影響で旧宅の水道管が破裂、修理に立ち会う
便秘がひどく、いろんな薬を飲んでみる、牛乳、ヨーグルトも
4月、ドジャースに移籍した大谷の快進撃が始まる、相撲でも大の里の活躍が始まる、これからずっとこの二人から目が離せなくなる。
奥歯が痛んで歯医者にかかる。
5月畑づくり開始、きゅーり、なす、とまと、苺、すいか、スナップエンドウ、おくら、Pまん
74歳の誕生日の翌日5月17日、突然の下腹不快感で夜緊急で病院へ、CT、レントゲンで即、腸閉塞と診断されて内科医二人で6時間、深夜2時半まで手術のための処置を行い、そのまま入院、便秘は腸閉塞が原因だった
翌日、大腸がんであることを告げられた、手術は腸内をきれいにするまでできないので2週間ほど毎日スローで腸内洗浄続く
何本もの管につながれて身動き取れず。
同日に魚屋仲間のO君が心臓の病気で入院、、道連れができて喜んだが数日後に大学病院へ転院した。

19日は新潟へ行って、昔の仲間の旦那が亡くなったお参りに行き、新潟の板前仲間と飲む予定だったが入院でだめになり、ホテル共々キャンセルした。
歯医者の最終回もキャンセル、市の健康診断もキャンセル
27日手術、9時間かかった。
6月4日退院 7日歯医者へ行って最後の治療終わる
18日術後の検査結果を聞く、すべては順調と聞いて安心する
ついでに外科担当医に頼んで歯科と皮膚科の予約も取ってもらった。
妹が白内障の手術
24日大腸内視鏡検査、本来は手術前にするが、私は肛門に近いS字結腸が閉塞したのでカメラが大腸に入れられず、手術後に検査と言うおかしなことになった。
これで大腸がんが見つかればまた手術となるので心配した、しかし小さなポリープ3つあったが、転移は無くまずは安心。
25日人生初のMRI検査
27日厄年の次男坊と神社で厄払いしてもらう
30日同級生旅行会の仲間の旦那が亡くなる
7月2日MRI検査結果を担当医から説明を受ける、ステージ2だがステージ3に相当する危険性があるので一応抗がん剤投与はどうかと言われて、受けることにした。
ただステージ3なら12回のクールだが、私は4回で終わることに
9日抗がん剤投与開始、最初の日に2時間半の抗ガン剤点滴、それから2週間飲み薬の抗ガン剤、1週間薬を休んで1クール終わる。
その日から抗がん剤の副反応が出る(腕や血管の痛み、ピリピリ感、冷水や冷たいものに触れない、水を飲むと喉がピリピりする)
一週間で治まる。
23日PayPayを使い始める、歯科、皮膚科の治療開始
30日 2回目の抗ガン剤開始 暑い夏なので終了後フラフラして目も良く見えず、貧血気味になってたいへんな思いをした
1回目は点滴後一晩入院したから楽だったが、2回目以後は通いなのでこんな目に遭った。
8月14日、父母の法要
20日、3回目の抗がん剤は白血球と好中球が基準以下なので中止になった
31日大谷メジャー初 43ホームラン43盗塁達成
カート5月4日以来約4か月ぶりに来た
9月17日
カートは暑い間2週間我が家周辺にへばりついていたが、またいなくなった
20日、大谷6打数6安打10打点3ホームラン(49.50.51号)50-50 51-51を達成。50号記念ボールは騒動を誘発した。
21日、幕内優勝 大の里(大関昇進決定) 十両優勝 尊富士 大相撲新時代到来の予感
母の従弟の奥さんが亡くなって葬儀に参列した
22日 能登の地震災害地域が今度は大雨で土砂災害にあっている
27日 ドジャース地区優勝 自民党総裁選、石破が高市に逆転勝利
28日 大谷54ホームラン、57盗塁達成 イチローのシーズン盗塁記録を抜く
10月1日 4回目の抗ガン剤治療、血球不足で延期となる
24日 母子の外猫三匹保護した
27日 衆院選で自民、公明の与党大敗 国民民主が大躍進。 新潟県は立憲民主が自民党に5選挙区全勝 大阪は維新が全ての議席を独占
ドジャース、ワールドシリーズでヤンキースと43年ぶりの対決
31日 ドジャースが4勝1敗でワールドシリーズチャンピオンになった、大谷移籍一年目、山本由伸メジャー1年目でのワールドシリーズチャンピオンを体験
11月1日 カートが我が家の廊下や階段に上がって家に入りたい様子が見える
3日 家の玄関に用意した段ボールの中でカートが初めて入って寝ている
夕方になると外に出ていく
7日 カートを保護した、ムーミン病院で去勢手術、検査、腎臓機能が最悪、口内炎もあるらしい今日から我が家で飼う。
10日 仲間6人で信州一泊旅行、諏訪湖で宿泊
11日 帰宅したらカートがゲージから脱走して隠れた
13日 隠れていたカートを発見したが、捕まえるのは難しいので廊下に段ボール小屋とトイレを置いたら、そこに入った
20日 初めてカートが頭を撫でさせた
カートは2階の物置が気に入って、そこに寝床やトイレ、食事を用意したら1階にに行かず、そこに住み着いた、猫ベランダもあって日当たりが良く気に入ったようだ。
24日 大の里に先を越される危機感を持ったのか、豊昇龍と琴櫻が13勝1敗同士の楽日決戦となった、琴櫻が14勝1敗で優勝、二人共来場所の成績次第で横綱昇進の可能性が出て来た、大の里は横綱昇進の足掛かりとなる今場所は8勝7敗と駄目だった、また振り出しに戻り先輩大関2に後れを取った。
25日 口内炎注射の日だが、逃げ回って捕まらず中止に

12月17日 カートの警戒心が薄れているが、食欲が無くなった
19日 もう体を撫でても少しも嫌がらなくなった、但し家族でも私だけ
24日 抗がん剤を一緒に受けていた同級生が亡くなった
26日 2日間カートは食事をとらなく寝てばかりいて衰弱しているようなので、なんとかネットに入れて片道1時間かけて病院(カートが保護された日に検査等をした病院)へ連れて行き、腎臓の点滴、注射を打った。 
毎日点滴するのが良いと言われたが、毎日往復2時間雨風雪の中を行けるかは現実的でない
既に食べることを辞めているから、カート自身自分のことがわかっているような気がする
足取りもふらついているし・・・・
今年の一年は、それなりに楽しみもしたが、病気と別れの多い年だった気がする。






















カート家猫の第一歩

2024年12月21日 19時37分37秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 カート(またはフーテンの寅ネコ、ある時は銀ちゃん)がついに頭や体を撫でさせた。
ちょっと「びくっ」としたが逃げもせずされるがままにしていた、場所によっては満足そうな表情も
外猫生活推定8年で初めて人間に撫でられたと思われる

尾が短かったおかげで死ぬ寸前だったところを救われたカート、5年くらい前の事

カートはまだ完全に気を許したわけではないだろう
ただ最近は私の気配を感じても全く意識しなくなった、それでも5回に一回は逃げ腰になることもあるが、11月7日に我が家に来て20日から私の部屋の隣の部屋で住み込んで面倒を私が見ることになった
一か月ほど、お隣さん的に面倒見て来たのがカートもわかったのだろう
この間、家族でも私としか会っていない、女房殿も息子も警戒されているから顔を見ると隠れる
正月過ぎに、階下にも下りられるようになるので、いよいよ本当の家猫の2ステップめが始まる

こうしたの猫生活しかしらない猫を手なづけるには根気が必要だ、無視しながら注意ぶかく見守る、そして家族の看病をするみたいに小まめに面倒を見るしかない、物を持って近づけば、大きな音を立てれば、大声を出せば、手を振り上げれば、これですべてが一から出直し
優しそうなふりをして近づいてもだめ、誠心誠意をもって無視する
ちょっと矛盾しているが、それが正しい、猫に(こいつは、もしかして安全なのかなあ)と思わせれば最初の成功だ
向こうから近づいてくるようになれば最終形、その日がいつになるかまだ分からない。

腎臓病のカート 保護されなければ今年の冬を外で越えられたかどうか?




猫も予定が狂って

2024年11月29日 20時19分29秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
  最近の4~5日は地震に強風、冷たい時雨、雷とうんざりする
いくら冬の入り口だと言っても、こんなのは滅多にない、そこに来てカートは病院へ連れて行くための確保に失敗して、あれ以来人間不信、私も危険人物に指定されたようで、近づくと隠れ家に逃げ込むようになった
それも少しストレスになっている、なによりカートは腎臓病からくる口内炎で食欲も細くなり始め、そのためにも2週間に一度注射が必要だが、捕まらないのでどうしようもない
無理やり追い掛け回せば、ますます人間不信がつのるだろう、どうにも手詰まり

野良生活が7~8年(推定)続いて、なかなか家猫にはなれない、これは長期戦になりそうだが、そこまで命が持つかも危うい
保護するのが遅すぎたか・・・
前のぴーちゃんも腎臓病だったし、どうもそんな猫が我が家に集まってくるのも神様の悪戯なのか、それとも神様に託されているのか
しかたあるまい・・・やるところまでやるだけだ。



そうそう順調ばかり続きはしない ネコのこと

2024年11月26日 13時39分22秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 私が誕生して74年間で我が家で飼った猫はタケ、タマ、ミー、ミー(2)、ジョンソン、チー坊、ぴーちゃん、そして今度のカート
最初の4匹は親が飼った猫で素性は知らない
ジョンソンは魚屋をやっていた時に、店の中に入って来た若い外ねこ、チー坊も同じ、どちらもすぐに慣れて家猫になった

ぴーちゃんは土砂降りの朝、我が料理店の庭先の築山の意思のくぼみで泣いていた生後間もない赤ちゃん猫で、尻尾が骨折していた
家に連れ帰って、ネコ用ミルクを飲ませたりして苦労して育てた猫だった
私に一番なついていたが2~3年目に、私が留守だった夜に家出して、それっきり帰ってこない
そして、ぴーちゃん捜索のチラシを見て連絡来たのがカート
ぴーちゃんは骨折した尻尾を切断したので、尻尾が無いネコということでカートが引っ掛かかってゴルフ場から連絡が来たのだ
似ても似つかぬ野ネコで、警戒心が強かったが空腹で餓死寸前だったから、簡単に籠に入った。

それから家に連れてきたが、すぐに脱走して数年、野ネコのまま過ごしていたが、餌だけは食べにくる
そしてこの度、3匹の母子ネコを保護したついでに、カートもとうとう保護したのである
それから18日、家で飼っていたが、5日目にゲージから脱走して、以後二階の私の部屋の前でゲージ無しで猫ソファーの中で暮らしている
そして咽喉や背中も少しだけ撫でさせるまでになったが、25日に口内炎注射に病院へ連れて行くためキャリーに入れようとしたが失敗
それ以来、二階の物置の隙間に隠れて出てこない
ちゃっかり餌とトイレは指定場所で利用しているし、夜は知らん顔で猫ソファで寝ている
昼間になると隠れる、病院も連れて行きたいが焦っても結果は良くならないので、しばらくはカートの気が落ち着くまでほおっておくしかない
今まで飼った外猫と違い、カートは7年くらい野ネコだったから、一筋縄ではいかない、警戒心が強く、ビビリだから面倒くさい
かなり警戒心を解かせたが、また一から出直し、膝に抱く日はまだまだ遠い気がする
猫なんてのは犬と違って自分の都合で動く動物、ベタベタされるのと束縛されるのが嫌いだから、知らん顔が良い
そのうち、すり寄ってくるかもしれない。





急展開 ネコ騒動はまだ終わらない

2024年11月08日 09時30分53秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 親子ネコの保護に成功、フーテンの寅ネコも保護の方向で話は進んでいた
問題はこれらの今後、親子ネコはSさんがしばらく面倒を見て、その後譲渡会までの間、別の方が面倒を見る
寅ネコは、かなり衰弱しているらしい、そして野良生活が長いので(推定7~8年)譲渡会まで行ってもおそらく貰い手はつかないだろう
最近、私と女房殿にようやく心を開きかけているが、相変わらず警戒心が強く、そしてビビリだ
Sさんとは綿密に話し合ていたが、この3日間は、ほとんど玄関に置いた毛布を敷いた段ボールの中で寝ている
朝6時過ぎに来て、餌を食べて箱の中に、夕方5時にはまた外の小屋に入って行く生活、急激に寒さが増しているので、弱った体ではこの冬は持たないだろう

ネコを飼うとなれば、外に逃げ出さない対策と、なれる間までのゲージでの生活が必要、その前に保護、検査の手順
親子ネコは寄生虫以外すべてセーフな健康体だったが、寅さんは様子から病気っぽい

私の考えは最悪親子ネコ全部、引き取るつもりだった
ところが寅ネコの保護の話も出てきて、寅ネコは保護しても面倒を見る人が無くて、(病気があれば尚更)そうなると私が飼うか、桜ネコにして放すかの二択
桜ネコでは、結局お金をかけて処置しても冬は越せない、そうなれば野垂れ死に、それは私の心情的には無理なので、私が飼うことになる
だが、そうなると親子ネコプラスでは負担が大きすぎる

Sさんと話した結論は、子猫は譲渡会で里親ができる可能性が高い、だから母ネコと寅ネコをyottinさんが里親になるのが良いのでは
そうこう言っているうちに5日に子猫2匹まとめて買いたいという人が現れた、ネコカフェのマスターの親族だった、まずは一課題クリア―

私の考えではまずは脱走対策をしたあと、母ネコを12月初めに引き取り、その後、寅ネコを保護して年内には2匹とも飼うことに・・・だった
ところがSさんから思いがけない話が、「明日寅ネコを保護します」とのことに
予定が大幅に狂ったが、寅ネコの状況を思えば仕方ない
更に、保護のあと検査と去勢する、去勢後はしばらくSさんに面倒を見てもらう予定だったが、Sさんの家庭の事情で面倒を見れれないとのことで、手術後直接我が家に来ることになった
何も準備ができていないが、ゲージは貸与してくれるというので、急遽トイレ砂や給水器を用意し、ゲージ設置場所を用意した

7日朝、寅ネコは5時過ぎにやって来た、食事も水も与えないでということなので与えないから、いつもと違って寅ネコは空腹で戸惑っている
物欲しげに顔を見るので可哀そうになったが、全身麻酔の手術や病院までの往復2時間のドライブを考えると心を鬼にして、ただ声をかけるだけ
「今日から家族になるから我慢しろ、手術頑張るんだぞ」と

夜6時に戻って来た、ネットの中で大人しく神妙に声も出さずにうずくまっていた、耳は脱走した時の為に桜ネコになっていた。
急いでゲージを組み立てて、6時過ぎについにゲージの中で解放された
寅ネコは、まだ麻酔が切れないせいかまるまったままじっとしている



検査結果を聞いたら、やはり腎臓の数値が異常に悪い、そこからさまざまな症状が出ているとのこと、腎臓と言えばP子も腎臓が悪くて2回3回と点滴を受けていた、P子の入れ替わりと言え、どちらも腎臓が悪いとは・・・
早ければ、この冬を越せないかもとも言った、それでも外で野垂れ死にしないだけ幸いと考えた
それよりも愛情をもって接して、栄養をつけてやれば免疫力があがって数年生き延びることも十分考えられる
ともあれ家猫に収まったことは進展である、寅ネコも心なしか安心したように見える、すくなくとも外の寒風からは逃れた

麻酔で寝ている間に、汚れていた体もきれいにしてもらい、ダニの駆除も終わった、不思議なことに寄生虫はいなかったそうだ、可愛いネコに変身した

私の夢は、寅ネコを胡坐の中に入れて撫でてやることだ
そして、もうフーテン生活が終わったので、元の「カート」という呼び名に戻す、母ネコは18日にやってくる、子猫がもらわれていく日だ
母ネコの名前は「マミィ」と女房殿が名付けた、忙しくなる。



ネコ騒動の顛末

2024年11月04日 05時18分17秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 母子のネコ三匹も保護が完了して、検査も終わり、しばしSさん宅で預かりとなった。

土曜日に隣町のSさん宅を尋ねた、この三匹のこれからを相談するためである
家の中の、かって店舗だった部分、約三部屋分を保護猫の為に使っている
この三匹を含めて、現在11匹保護中
この中に、何と我が家の前ネコ、家出をした、おてんばP子の兄弟がいた
P子は、わが店の玄関付近で大雨の朝、か細く鳴いていたのを見つけて保護して育てたのだが、その前の夜にも、来客が雨の中で(同じ場所)泣いていた子猫を保護してSさんに育ててほしいと預けていったのだという
大雨といい、日と言い、場所と言いまったく同じで、一匹と思ったのが二匹いたのだ、他にもいたかもしれない
P子はカラスに襲われたらしくて尻尾が折れていて、後日切除したのだった。

そんな因縁があったのだ、その猫を見たが顔つきはやはり似ていた、こちらはP子と違って元気に育っていた。

さて、わが夫婦とSさんと、ネコカフェのマスターとの話し合いで、三匹の猫は母ネコを我が家で飼うことに決めて、子猫二匹はマスターの親族が飼うことに決まった

ところがである、やきもちを焼いたわけではないのだろうが、フーテンの寅ネコが急に里心がついて、わが家にべったりとなったのだ
玄関先からじっと家に入りたそうにずっと見ている、そしてついに毛布を入れた段ボールを玄関に置いていたのだが、そこに入って寝るようになった
もっとも玄関が開いているうちだけで、家に閉じ込められるのはまっぴらなので、夜になれば我が家の倉庫かネコカフェに行って寝る

Sさん曰く、寅ネコはかなり衰弱しているようで、この冬を外で越すのは難しいのではとなった
それで、いよいよ今週、捕獲することに決まった
捕獲したら犬猫病院で検査と衛生処理をして、そのあと去勢の検討、ワクチン接種などしたあと、放浪生活が長いので家庭向きにするために専門家から(教育)してもらうことに
それがうまくいったら、わが家で飼うことになった、結局二匹ということだが、猫同士の相性もあるから、確定的なことは言えない
ただ寅ネコは、近頃私には心を許すようになって、チュールを舐めるようになった

先の事はわからないが、とりあえず4匹の行く末が決まって、ホッとしている。
母ネコは、そろそろ子猫にまとわりつかれるのが嫌みたいで、敷物の下にもぐったままで、とうとう顔を見せなかった

                  この子が、P子の姉妹 10歳
 こっちがP子 3歳ころ

この子はSさんの保護猫

お兄ちゃんは眠そう 兄ちゃん1㎏、妹三毛800gになった
三毛はいっちょ前に「シャー」をするが頭撫では平気


この子は17歳、一番人懐っこくて、私の胡坐の中で1時間半ずっと居た



ネコ騒動 終わりのつづき

2024年10月26日 08時12分45秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん
 ネコの親子も大騒ぎの割にはあっさりと捕獲されて一件落着
今日になって実感がわいてきた、ほっとした気持ちが断然強い
こうしてかけがいのない命が三つ救われた
おそらく4~5匹は産んだに違いない、でも母親とここまでいたのは二匹だけ
命強い子猫だけが生き延びた、そしてこれからは家の中で天寿全うできる
こうしたことが何だか誇らしく思える、命を救ったことが嬉しくてしょうがない
ハッピーな気分だ、検査の結果、いずれもエイズ、白血病、感染症なし、母ネコだけワクチンを打った、子猫は体力を見てからだからもっと後になる

子猫を守り続けた母ネコ、少しホッとしたかな


母ネコ似のたくましいお兄ちゃんと、シャイな妹の三毛猫

もう蜘蛛の巣や埃だらけの、真っ暗な冷たい無人の小屋や縁の下でひもじい思いをすることも無いんだよ

長生きしてくれよ!
我が家の猫になる確率はゼロに等しいが一応名前は考えたのです、
母ネコは「サン」サンキュウのサン、太陽のサン、お兄ちゃんはラッキー、妹はハッピーって考えたんだけどね。
もし、この子らが保護に失敗してどこかに隠れてしまったら、哀れな野良猫になっていたのだ、薄汚れて痩せこけて、寿命も家猫の半分以下だろう、助けることが出来て本当に良かった、嬉しい。