父を亡くして以降、初めて夢に出てきた父は苦しそうに咳き込んでいた。
うなされて目が覚めた。その後しばしば苦しそうに咳き込む父の夢を見、そのたびにうなされて目を覚ました。
その頃から、「人の死」に関して異常な反応を示すようになった。
たとえば新聞の有名人の死亡記事欄を見るのが恐くて、新聞の頁をめくる時胸が異常にドキドキするようになった。たとえば帰省した際、母の起床がいつもより遅かったら「息をしてなかったらどうしよう・・・」と気になって胸が異常にドキドキした。
自分は異常??と不安になった。
それから7年ほどの月日が流れた。
当時私は、前職で月に一度のセミナーの企画担当をしていた。全5回の心理学セミナー。講師は杉田峰康先生。交流分析という心理療法の日本における第一人者で、独特の語り口調とわかりやすい説明が人気の大学教授。私は企画担当として毎月一度、打ち合わせのために九州にある先生の自宅を訪れていた。
セミナー最終回の打ち合わせの際(当然打ち合わせもこれが最終)、思い切って先生に自分の状況を打ち明けた。
父親が亡くなった事。それ以降夢に出てくる父が苦しそうだということ。人の死に異常に敏感で新聞の死亡記事欄を見ることができなくなったことなどなど・・・。
杉田先生は優しい目をしながら私の話を最後まで聞いてくれた。
そして、こう言った。
「中村さん、それは『悲哀の仕事』が完了していないんです」と・・・。
『悲哀の仕事』・・・。近親者の死や離婚など強度のストレスを体験した際、泣いたり懐かしんだりするプロセスを経てその悲しみから立ち直ることを言う。そのためには無理に感情を押さえ込んだりせずに泣きたいだけ泣き、後悔したいだけ後悔して「喪失の悲しみ」を体験しきること。そうすることで「喪失した(その人はもういないんだ)」事実を受け入れ「仕事を完了する」ということが必要ということ。
続けて
「中村さんは心の中でまだお父さんとお別れができてないんです。その根底にあるのは、お父さんが一番しんどかった時に近くにいられなかった。『逃げた』という後ろめたい気持ちがあるから、無意識の『お父さんごめんなさい』という気持ちが苦しんでいるお父さんの姿になって夢にでてくるんです。」と。
さらに続けて
「本当は大好きなお父さんが亡くなって悲しいのに、悲しい気持ちよりごめんなさいという気持ちが強いでしょ?」と聞かれ、私はほとんど泣かなかったことを思い出した。涙がでなかったのだ。当時私は京都の大学に通うため実家を出て1人暮らしをしていた。父も大学を休んで自分の側にいることをよしとしなかった。だから「逃げた」訳ではない。でも心のどこかで咳き込む父親の姿を見ないで済むことに「ホッと」していた。そしてそんな自分を心のどこかで責めていたのは(指摘されて気づいたとは言え)事実。
どうしたら、いいんですか?
やっとの思いで口に出した私に、杉田先生はまたまた優しい目をして、きっぱりと言い切った。
「お父さんとお別れしたらいいんです」
どうすれば?
思いっきり感情を出しなさい。出し切りなさい。
かくして私は、その日杉田先生宅で父に対する感情や思いのたけをぶつけた。自分でもびっくりするぐらい涙が出た。自分のどこにこんなにたくさんの水分が溜まっていたのか?と思うくらい・・・・。帰りの飛行機の中でも涙が止まらなかった。泣き疲れて寝たことを記憶している。
そのあと憑き物がおちたようにすっきりした気持ちになった。
この体験以降、初めて夢に出てきた父は私の大好きな笑顔だった。笑顔で私の頭をよしよししてくれた。それ以降今まで苦しんでいる父が夢に出てきたことはない。
と同時に人の死に対する過剰反応もなくなった。
私にとっての「悲哀の仕事」が完了した。