中村です。
このブログで何回かとりあげたが、私にとって父は厳しい
人だった。
父に怒られた記憶は、その場面での「強烈な感情」を
伴って今も残っている。
1.小学生の時ピアノのレッスンを無断ですっぽかし、
門を閉められ家に入れなかった。しかたなく同じ敷地
内に住んでいた祖父母に泣きついて一緒に謝りに行
ってもらった怖かった
2.中学生の時クラブをさぼって帰ってきたところをた
またま自宅に戻っていた父に見つかった。「チームに
迷惑かけてなんとも思わんやつは俺の娘ではない。
戻れ~!」と激怒され戻らされた恥ずかしかった
3.高校生の時「進研ゼミ」の課題を提出せずに放っ
たらかしていたのを見つかって勉強部屋の窓から
教材類を投げ捨てられた。冬空の下、懐中電灯で
照らしながら教材を拾い集めた。寒かった
父が激怒するのは以下の①②いずれか。
①自分の言動で誰かが迷惑を被る
上記の例では、レッスンのために自宅に来てくれてい
た先生に無駄な時間を過ごさせてしまった。チーム競
技(バスケット)なので自分がさぼることでフォーメーシ
ョンの練習ができなかった。
②自分の言葉に責任をとらない=約束を守らない
(進研ゼミは)自分から「絶対にきちんと課題を出すか
らやらせてほしい」と頼み込んでやらせてもらったのに
やらない。
人様に迷惑かけるな!自分の言動に責任とれ!
というのが父の教え。でも当時の私はそんなことわか
るはずもない。
大学進学のため実家を出る前日のこと。父に呼ばれた。
「何やろ??」
と思いながらリビングに行くと、いつになく改まった父
がいた。
前に座ると、おもむろに口を開いた。
「君を信じて京都に出す以上、何をしようとお父さんは
文句は言わない。大学生活を思いっきり楽しみなさい」
この後、自分が勤勉な大学生ではなかったことに触れ、
「大学は、学問だけでなく社会勉強する場でもあるから
いろんなことにチャレンジして友達をたくさん作りなさい」
ここまでは、穏やかだった父が急に口調を変えてこう続
けた。
「ただし、好き勝手やってトラブルが起きた時に
『助けて』と泣きついてきても『お父さんは知らん』 」
その時の父の厳しい(怖い)表情は今でも覚えている。
以前にこっぴどく怒られたあの時の顔と同じだ。
と同時に
『お前を信じている』という言葉の重み
何をやってもいい
≠ 無責任に何をやってもいい
= 責任とられへんことすんな
= 自分の言葉に責任取れ
無言のプレッシャー
を感じて身が引き締まった。
都会での1人暮らしは、田舎もんの私にとって開放的で
目新しく刺激的なことばかり。誘惑が一杯だった。
流されそうになる場面で、頭に浮かぶ父の厳しい顔
そして自分に問う「このままいってお前は自分で
責任がとれるのか?」「YES」なら進む。「NO」ある
いは「?」ならとどまる。いつの間にか自分の中での評価
基準になっていた。
父親との関係性やその教えは働く価値観のベースになる。
「父親」は子供にとって最も身近な「社会との接点」。働き方
や職業人としてこうありたい姿をこの接点から感じ、影響を
受ける(受け入れる場合もあれば排除する場合もある)。
当時の自分はそんなことちぃ~とも意識していなかったが・・・。
少なくとも私にとって「人様に迷惑をかけるな」「約束を守れ」
というメッセージが、自分や人を見る際の価値基準になって
いる。
とは言え、まだまだこの教えが充分実践できているとは言い
難い。
お前は口だけかぁ~
親父が怒って出てきそう。
お~っ怖あかんあかん!身を引き締めてがんばろう!