TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)など・・・最近やたら略語を目にする。
11月10日の日本経済新聞の一面にもフィリピンのアキノ大統領が、「日本は少子高齢化問題を抱えており看護師や介護士の需要は高いため日本とのEPAによる受入れ拡大を要請した」という記事が掲載されていた。記事には「現在国家試験は日本語で実施され合格が困難なので言語の条件緩和を求める」とのコメントもあった。
普段ならなんとなくその記事を読み、「ふ~ん」で済ませていたであろうその記事。その日はちょっと違った。
その日私はある社会福祉法人を訪れ、待合でしばし打ち合わせすべき人を待っていた。部屋の外ではその法人が昨年の11月から介護スタッフとして受入れたフィリピンの女性が地元のボランティアの先生(元教師の女性)から日本語の個人レッスンを受けていた。
「あらっ、久しぶり」
以前受入れ直後の彼女に会った時、にっこり笑った可愛らしい「笑顔」とは裏腹に、手に持っていた日本語の資料にびっしりと自分で書き込みをし相手の言うことを一言たりとも聞き漏らすまいとする気迫を感じたことを思い出した。
打ちあわせの相手を待つ間、彼女と先生とのやりとりを眺めていた。
漢字の読み書き中心のレッスンであることがわかる。「ちょぞう」⇒「貯蔵」、「せいざ」⇒「正座」などなど。
「ちょぞう」なんて大学生でも書けないかも?正座に至っては生活習慣の違うフィリピン出身者には理解し難いだろうなぁ・・・。これらを先生は実演しながら熱心に教える。本人は熱心に質問しながら学ぼうとする・・・。まさに真剣な「学びの場」がそこにはあった。
あとで聞いたところによると、彼女は2年後に控えた介護福祉士の資格取得に向けて猛特訓中とのこと。介護福祉士の資格取得には(専門の学校出身でない限り)3年以上の介護などの業務に従事しないと受験資格が得られない。(受験資格が得られても)試験は日本人と同じ日本語の問題(※ごく一部専門的な用語に関してはフリガナがつけられるようになったようだが・・・)に挑まないといけない。しかもチャンスは一度きり。ダメなら母国に帰るしかない。人生をかけて海を渡ってきている彼女が必死になるのは理解できる。朝読んだ日経新聞の記事が頭によみがえった。
優しい気持ちで親切に一生懸命に介護する彼女は利用者も人気があると聞いた。外国の人にケアしてもらうなんて日本の若者はどうなっとんじゃという議論もあろうかとは思うが、
なんとなく福祉の学校をでたから「福祉の仕事でも・・・」と就職し、「お年寄りのことが好きになれない」「優しい気持ちで接することができない」けど仕事と割り切ってケアする日本の若者とどちらがこの仕事に向いているのだろうか?
「自分」や「自分の仕事」の意義や存在価値を改めて再考させられる一件。