女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

自分の中の闇

2010-10-17 | インポート

 前2回のブログの内容を読み返して思った。

暗っ!暗すぎる!!!

久しぶりに見た父の夢がきっかけで思い出してしまった私の中の闇・・・。

さらけ出してすっきりした!

昨日部下と一緒に下田に出張した。

その車内で、学生時代に読んだ「子供が描いた絵が事件の真相を暴く推理小説」がきっかけで心理分析に興味を持ったこと。心理テストを分析する仕事(テスターと呼んでいた)につきたかったこと。神経内科のクリニックでアルバイトをしていたこと。など自分が大学でなぜ心理学を専攻しどんなことがやりたかったのかを話をした。

その当時の自分の気持ちや考えなど改めていろんなことを思い出した。

そこにも私の中の闇があった。

そして思った。

人間の心理、精神世界に興味を持って研究したいと自分を強く動かしたのは、自分の中の闇の原因をつきとめたい!という感情だったのではないか!!と。

それをつきとめたからと言って自分の中の闇はなくならない。でもそれがわかることによって、自己理解が深まり自己受容が可能になる。

そう言えば、ムッチャ明るいカウンセラーもいないなぁ・・・。

あかんあかん、またまた暗い方向に思考が向かっている

でもこれも自分。

こんな自分を受け入れて生きていく。

まっ、ええっか

↑これもまた自分。自分のいいとこでありあかんとこ・・・。


父の夢を見た・・・(続き)

2010-10-15 | インポート

父を亡くして以降、初めて夢に出てきた父は苦しそうに咳き込んでいた。

うなされて目が覚めた。その後しばしば苦しそうに咳き込む父の夢を見、そのたびにうなされて目を覚ました。

その頃から、「人の死」に関して異常な反応を示すようになった。

たとえば新聞の有名人の死亡記事欄を見るのが恐くて、新聞の頁をめくる時胸が異常にドキドキするようになった。たとえば帰省した際、母の起床がいつもより遅かったら「息をしてなかったらどうしよう・・・」と気になって胸が異常にドキドキした。

自分は異常??と不安になった。

それから7年ほどの月日が流れた。

当時私は、前職で月に一度のセミナーの企画担当をしていた。全5回の心理学セミナー。講師は杉田峰康先生。交流分析という心理療法の日本における第一人者で、独特の語り口調とわかりやすい説明が人気の大学教授。私は企画担当として毎月一度、打ち合わせのために九州にある先生の自宅を訪れていた。

セミナー最終回の打ち合わせの際(当然打ち合わせもこれが最終)、思い切って先生に自分の状況を打ち明けた。

父親が亡くなった事。それ以降夢に出てくる父が苦しそうだということ。人の死に異常に敏感で新聞の死亡記事欄を見ることができなくなったことなどなど・・・。

杉田先生は優しい目をしながら私の話を最後まで聞いてくれた。

そして、こう言った。

「中村さん、それは『悲哀の仕事』が完了していないんです」と・・・。

『悲哀の仕事』・・・。近親者の死や離婚など強度のストレスを体験した際、泣いたり懐かしんだりするプロセスを経てその悲しみから立ち直ることを言う。そのためには無理に感情を押さえ込んだりせずに泣きたいだけ泣き、後悔したいだけ後悔して「喪失の悲しみ」を体験しきること。そうすることで「喪失した(その人はもういないんだ)」事実を受け入れ「仕事を完了する」ということが必要ということ。

続けて

「中村さんは心の中でまだお父さんとお別れができてないんです。その根底にあるのは、お父さんが一番しんどかった時に近くにいられなかった。『逃げた』という後ろめたい気持ちがあるから、無意識の『お父さんごめんなさい』という気持ちが苦しんでいるお父さんの姿になって夢にでてくるんです。」と。

さらに続けて

「本当は大好きなお父さんが亡くなって悲しいのに、悲しい気持ちよりごめんなさいという気持ちが強いでしょ?」と聞かれ、私はほとんど泣かなかったことを思い出した。涙がでなかったのだ。当時私は京都の大学に通うため実家を出て1人暮らしをしていた。父も大学を休んで自分の側にいることをよしとしなかった。だから「逃げた」訳ではない。でも心のどこかで咳き込む父親の姿を見ないで済むことに「ホッと」していた。そしてそんな自分を心のどこかで責めていたのは(指摘されて気づいたとは言え)事実。

どうしたら、いいんですか?

やっとの思いで口に出した私に、杉田先生はまたまた優しい目をして、きっぱりと言い切った。

「お父さんとお別れしたらいいんです」

どうすれば?

思いっきり感情を出しなさい。出し切りなさい。

かくして私は、その日杉田先生宅で父に対する感情や思いのたけをぶつけた。自分でもびっくりするぐらい涙が出た。自分のどこにこんなにたくさんの水分が溜まっていたのか?と思うくらい・・・・。帰りの飛行機の中でも涙が止まらなかった。泣き疲れて寝たことを記憶している。

そのあと憑き物がおちたようにすっきりした気持ちになった。

この体験以降、初めて夢に出てきた父は私の大好きな笑顔だった。笑顔で私の頭をよしよししてくれた。それ以降今まで苦しんでいる父が夢に出てきたことはない。

と同時に人の死に対する過剰反応もなくなった。

私にとっての「悲哀の仕事」が完了した。


父の夢を見た・・・

2010-10-09 | インポート

 久しぶりに父の夢を見た。笑顔だった。

朝コーヒーを飲みながら「父」にまつわるいろんなことを思い出した。                                                                  

 私は電話が苦手。苦手というより嫌い・・・。いやっ、「恐い」のだ。随分マシにはなったが、今でも正直あまり電話は好きではない。

 電話を「恐い」と感じるようになったある体験。

父は末期の肺がんで私が大学2回生の時この世を去っている。病院嫌いの父は、病院で過ごすことを嫌がり、癌が発覚し緊急手術をした際の数週間以外は自宅に戻り、通院治療をしていた。

 末期がんが発覚してから8年。ウソのように止まっていた進行が、亡くなる半年ほど前から急激に早まりみるみるうちに容態が悪化していった。

入院することを勧める主治医に首をたてに振らなかった父。

母は主治医から、

「(心臓が破裂して)大量の吐血をするか、息ができなくなって発作をおこすか・・・。いずれにしてもそうなったら最期だと覚悟をして下さい」と言われていた。

 京都で下宿をしていた私は実家に帰る事も考えたが、「その時」がいつになるかわからないということ。そして何よりもそうすることを父が嫌がった。

 私はいつか来る「その時」を怯えながら京都で学生生活を送り、季節は冬から春に変わった。

 そして、4月のある日曜日。

その日は、当時所属していたクラブの試合の日だった。試合を終えて、近くのパン屋で野菜サンドとコーヒー牛乳を買って自分の部屋の前にたどり着いた瞬間。

 部屋の中から、けたたましい電話音が鳴り響いた。その音はいつものそれとは明らかに違い、私が恐れていた「ある出来事」が起きたことを知らせていた。

 電話をとる前から、その内容は充分すぎるぐらいに理解できた。電話を取るのが恐かった。取りたくないと思った。

長い長い葛藤の時間があったように思うが、実際にはすぐに鍵を開け、部屋に入り電話に出た(のだと思う)。

 電話口にはコトを知らせる母の声。

私は、すぐに部屋を出て父が救急車で運ばれた三重大学付属病院に向かった。その後部屋に戻った時、部屋の入口に野菜サンドとコーヒー牛乳の入った袋が放置されていたので、よほど急いで部屋を出たのだろう。ということは想像がついた。しかしながら、その瞬間から京都駅で電車に乗るまでの記憶はない。

  行楽日和の日曜日の夕方。私が乗り込んだ近鉄特急は、行楽客でいっぱい。家族の笑顔や楽しそうな話声が車内をつつんでいた。当然満席。

 私はデッキにしゃがみこんで、「ひと目でいいから息をしている父に会いたい。会わせてくれ!!」と祈りながら見慣れたはずの風景をぼんやり眺めていた。長い長~い時間だった。

 この体験以降、私は電話の音を聞くと、びくっとするようになった。

   それは、受信音のバリエーションが増えるようになった今も変わらない。

(次回に続く・・・)

 


ブーメランの法則

2010-10-07 | インポート

 2月からある大手美容室チェーンの店長を対象に接客力向上の研修を担当している。

「研修受講レポート」を受講後の課題として研修実施後1週間を期限に与えているが、回を重ねるごとに未提出者が増える。

で、はたと考えた。どうすれば未提出者をなくし、その内容を濃くできるか?

①きつく言う

②罰則を設ける

③事務局の人に回収してもらう

④出したくなる・いっぱい書きたくなるレポートにする

選択したのは④。もともと私自身が受講者の研修の理解度と自サロンでの落とし込み状況を確認したいというのがこのレポートの目的。

 この私にとってのメリットを受講者のメリットにするために2つのことを実践した。

①提出されたレポートの内容を次月の研修で名指しで積極的に取り上げる

②レポートの内容からテーマを選んで次月の研修で必ず取り上げる。その際誰のレポートから選んだかを伝える

ともかく「誰々がこんなんでした」「誰々の○○と言う考え方が・・・・」「○○店長の店では・・・」と具体的に名前を挙げて、その人に積極的にストローク(投げかけ)をするようにした。

その結果どんな変化が起きたか?

受講レポートの内容が急激に詳しくなった。具体的な状況、具体的な悩み・・・などなど

フォーマットいっぱい(枠外に書かれているものまで)書く人が圧倒的に増えた。

認めた分だけ認められる。この原理原則が「ほんまにそうやなぁ・・・」と感じた

研修でよく話すことの一つに「対人関係におけるブーメランの法則」がある。

笑顔で人に接したら笑顔が返ってくる

元気に挨拶したら元気な挨拶が返ってくる

人を認めた分だけ認められる

相手を受け入れた分だけ心を開いてもらえる

いいことだけではない。

無愛想に接したら無愛想に扱われる

相手を信用しなければ信用されない

手を抜いたら相手にも適当にあしらわれる

人を踏み台にしたら、しっぺ返しにあう

対人関係において相手の反応は、全て自らの投げかけ(ストローク)の結果なのだと思う。

これは、対人関係だけではなく、「一生懸命努力すれば、その努力が『何か』で実を結ぶ」「要領よく振る舞って手を抜けば年をとってから苦労する」など生き方そのものに関しても当てはまる。


元気の効用

2010-10-02 | インポート

 いろんな研修を担当しているが、研修の中で自分自身が「好きなワーク」に『元気のイメージワーク』がある。

何をするにしてもまずは心身の元気から!ということを体験的に理解してもらうための導入に使っているものだが、

「元気な人と言えば誰?」・・・パッと頭に浮かんだ人とその理由を聞く

「あなたが元気になるのはどんな時?」・・・1分間でできるだけたくさん自分がどんな時に元気になるかを書き出す

「元気になると、あなたはどうなる?」・・・1分間でできるだけたくさん自分が元気になるととる言動を書き出す

この流れで行う簡単なワーク。

なぜ、このワークが好きか?

このワークに取り組む受講者を見ていると、本当に楽しそう!活き活きした表情でワークに取り組んでいるからこちらまで自然に笑顔になってくるというのが一つ目の理由。

さらに、「元気になるとあなたはどうなる?」という問に対する答えには、

「声が大きくなる」「むっちゃ笑う」「おしゃべりになる」という類のものから、

「積極的になれる」「苦手なことチャレンジしようという気になる」「なんでもできそうな気がする」というポジティブな姿勢になるという自分にとってプラスになるもの

はたまた

「人に対してやさしくなれる」「周りの人に何かをしてあげたくなる」など自分だけではなく周りにまで幸せにするもの

まで、いろんな聞いていて「うれしいこと」「元気になること」が出てくる。

先日のある会社の内定者研修もそうだった・・・。

元気があれば何でもできる!

某スポーツマンの言葉はその通りだと実感する