チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

多元的全体食の動機

2016-05-13 08:28:26 | 選択

 多元的全体食のすすめ(一)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 今回から15回くらいの予定で書いていきます。

 1. 多元的全体食の動機

 なぜ、多元的全体食なのかといいますと、私は全体食主義者(経験的に良いと信じている)ですが、単に全体食と言えば、玄米を食べる人(私は胚芽米主義者)のように、受け取られるのではないかと思われます。(第一の点)

 私が気づいた第二の点は、現代の私たちは、食べ物について非常に多くの選択肢を持っていながら、その選択肢を有効に使いきっておらず、むしろ流され迷っているように感じられます。

 第三の点は、私たちは人類の食べ物についての全体像をどのように捉えているのでしょうか。むしろ、日本人としての食べ物についての全体像を、見失ているのではなかろうか。昭和の三十年代くらいまで、日本人は食べ物の全体像を、持っていたと考えられます。

 第四の点は、体と心のための食べ物と病気を誘発する食べ物、美味しい食べ物と健康のもとになる食べ物についての基本的、経験的哲学(選択基準)をもって、日常を生活しているのだろうか。

 第五の点は、食事は家庭でつくられるものか、工場や企業体でつくられるべきものか。昭和の三十年くらいまでは、料理は基本的に母親がつくって、家族で食べる、身土不二(シンドフニ、地産地消)という大前提がありました。しかし、昭和の三十年以降、工場で食べ物が調理されることが多くなり、さらに世界中からさまざまな食べ物が運ばてきます。

 第六点は、未来を担う子どもたちが、食べ物について、健康について、病気の予防の食事、食べ物についての哲学をどのように学ぶべきか。昭和三十年くらいまでは、家庭で経験的に学んでいた。

 一つの例として、満州で獣医をしていた父のもとで、少年時代を過ごしたムツゴロウ少年(畑正憲)は、近所の馬を大変かわいがっていた、あるとき馬が怪我をして、働けなくなったので、と殺してその馬肉を食べることになった。ムツゴロウ少年は自分が可愛がった馬なので、食べないといった。しかし、獣医である父親は、食べなさいといいました。(私も食べなさいといいます)

 第七点は、食べ物についての雑多な情報、肥満や糖尿病、アルツファィマー、アトピーに関する雑多な情報をどのように体系づけて、理解するべきか。

 第八点は、健康な水や簡素な食べ物さえも、十分でない世界の子供たちの問題と私たちは、どのように向き合えばよいのだろうか。

 これから、15の元(糸口)で、食べ物についての全体像を整理していきたいと考えてます。(第一回)


 多元的全体食のすすめ  (目次)

 1. 多元的全体食の動機

 2. 食べ物と栽培作物

 3. 人類の雑食性の獲得と地理的拡散

 4. 食べるということ

 5. 食べることの精神的意味

 6. 魚と貝と海藻と全体食について

 7. 日本人としての食事の基本形とは

 8. 食べること、学ぶこと

 9. 好き嫌いと味覚の偏向

10. 人はどのように形成されるか

11. 植物分類による野菜、果物、穀物について

12. 調理器具と調味料について

13. 食物の危険性について

14. 理想の食べ物

15. 世界の子供たちが水と食べ物を得るために  以上