曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その11(無事転院)

2022年11月15日 | 医療

Bこさん、早朝の転倒からの騒ぎ その10 の続きです。

オット母95才、もう、この年齢だと高齢よりグレードアップし「超高齢」となるようです。

健康保険だと、前期高齢者後期高齢者で言うと後期高齢者ですが、今に健康保険でも超高齢者なんて区分が出るかもしれないですね。

転倒した後の様子がおかしいと、軽く?診察だけしてもらってと思ったら、要するに拒否とまでは行かないかもしれないですが、うちでは診れない、総合病院へ。それも救急車を呼ぶようにとの指示で、(まだその時は診察だけですぐ帰られてしまうだろうと思っていた)思いがけず入院。

すぐ退院だろうと思ったら、もう治ることのない所謂「超高齢」の為の様々な機能不全?、ほんとに?ってなっているんですよ。原因不明、しいて言うなら「超高齢」まあ、老衰と言う事なんですねえ。

で、施設では無理、医療的ケアがある療養型病院へ入院。となったのですが、オットもBこさんも実はそこへは行きたくない、行かせたくないと思っている。ヨメの私は、その辺往生してくれと思う訳ですが、たぶん2人ともいろんな思いがあっての転院だったかと想像しています。

転院にはオット曰く、ひとりしか付き添えないと言うので(あとでこれはオットのついた嘘だったとわかります。)私は家で待機してました。まあまず呼び出されることはないだろうと思っていたので、自身の体調不良もあり、横になっていました。

思った以上に時間が掛かり心配しましたが、転院先でも何にものスタッフから説明を受けながら、またまた様々な書類にサインをしてきた模様です。Bこさんは相変わらず人使い荒く、ああしろこうしろと口うるさく言っていたとの事ではありましたが、家に帰りたいとか言ってごねる事は無かったようです。

療養型とはいえ、外泊もあるのではないか(例えばお正月など)と思っていたのですが、全く外に出ることは出来ない状態だとの事です。

オットが持ち帰ってきたのは大量の洗濯物と、持って行った服(寝間着類)も箸、コップなども全て返されてきました。着るものも衛生用品も全て向こうにあるものを使用し、備品は病院で買って使用。当然それは料金が掛かりますが、紙おむつやパットも必要なく(転院前は全て買って届けなくてはならなかった)身一つでの入院生活。

もしもTVを見たいときは病室に自分用のTVを持ち込んで接続してもらうことが出来るとの事で、その説明を受けたオットは早速一番小さなTVを買って持ち込みました。と言っても届けただけで接続も向こうでやってくれたそうです。 

契約の一つに「コロナにり患した時」と言うのがあり、コロナに掛かってしまったら感染病棟に移動。面会は勿論、死亡した場合対面も出来ないと言う事を承諾するようにとの契約書がありました。

面会が出来ないのは、コロナにり患していなくてもなんですが。

面会が許可されるのが危篤になった時と言うのは何とも辛いものがありますよね。Bこさんの場合発熱解熱を繰り返していることからコロナだけでなく感染症が一番命取りになる。また誤嚥性肺炎のリスクが高いため、食事がとれなくなった時に経管栄養は出来ない。手術なども出来ないので、胃ろうも出来ないので、食事がとれなくなったら、それから数日で死に至ると書かれていました。また、辻褄の合わないことを言うなど認知症も進行している為意思の疎通が取れない。体を起こすことが出来ず、入浴も出来ないため褥瘡がひどくなっているのでその手当もしていくとありました。

オットが一番堪えたのは「認知症の進行」と言う事だったようです。

オットから様子を聞いたり、書類を見ると、「もうBこさんはここへ帰ってくることは出来ないんだ。」と言う事がひしひしと感じられ、さすがにオットも私も数日落ち込んで過ごしました。

オットの心臓の検査は1週遅らせて実施。

結果は「定期的に検査を継続し経過観察」となり、ちょっと一段落。

私もどうしてもの仕事だけにして、ほかは皆仕事はお断りしていたので、しばらく自由になって時間が出来たはずなのに、ほおけたようになってしばらく過ごしていました。

でもそれも長くは続かなかったのです。この顛末はまた次回に。

しつこくよし子がお送りしました(@^^)/~~~

 

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