犬神スケキヨ~さざれ石

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あなたは祖国を知っていますか?

2015-04-17 12:44:05 | 草莽崛起
きみは祖国を知っているか。
あなたは祖国を知っていますか。
ぼくにもきみにも、あなたにも祖国はある。
ただ日本に生まれ、日本に住んでいるだけではなく、祖国としての日本がある。
青山繁晴著ぼくらの祖国

この言葉が自分にとって深く刻まれます。

それまでも独学ではありますが、勉強もし自分なりに考え深く掘り下げて来ました。

しかし、結論が曖昧になりがちだったり更に結論が見出せずに居ました。

その時にこの本に出会い、またこの一節に触れそれまで理解出来なかった事や問題、結論を導き出せずにいた事が霧が晴れるように理解することができました。

全ては"祖国"と言う言葉に帰結する。

たとえ道に迷うとも祖国を思えば帰る事が出来る。祖国を知っていれば迷子にはなりません。

祖国とはなんでしょう?

どんな人間にも祖国があります。
母なる国父なる国其れが祖国です。

自分の祖国は「日本」です。
そして愛国者です。

それはこの国に生まれ、この国に育まれたからです。例えば韓国に生まれたなら祖国は韓国であり韓国への愛国心を持つでしょう。

しかし自分の祖国は日本です。
そして愛国者ではありますが、何も日本が完璧な国家だから愛国心を持っている訳ではありません。
この日本に生まれ日本に育まれた母なる国。
父なる国だからです。
そして、その国を知れば世界に唯一の伝統と文化を持ち、世界一長い歴史を持つ。
そんな素晴らしい国に生まれたからです。

我々は知らなかった

我々は知らなかった。
敗戦後の教育の中でこの国の本来の姿を教えられませんでした。
今年、初めて小学校に上がる子供達も自分も、また自分よりも先輩であっても敗戦後教育は全く同じです。

この国の始まりを示した古事記も、中身に付いて学んだ記憶はありません。
其処にはこの国の始まりからこの国の未来をどうするのか?と、言う話しが詰まっています。
しかし、我々は教育の中で学びませんでした。

皇族や天皇陛下の御存在も、その意味を知らずに大人になってしまいました。
その御心など全く知らず、全く考えずに生きてきました。

更に国の理念などを教えられていない為に先の大戦の本当の意味を知らず、考えずに嘘と歪曲の中で生きてきました。

祖国とは我々を産み育ててくれただけではありません。
我々日本人の根幹を成すものです。
それを考えず、それを知らず一体何を後世に残すのか?
一体、我が子にどんな教育が出来るのか?
一体、何の為に生きて、死ぬのか?
全くわからない。わからないから自分のことだけになり、その自分だけの世界を全てと勘違いして論じる。

古事記に始まるこの国の理念、歴史、文化、伝統は祖国と呼ぶに相応しい中身です。

原理原則

意見は様々あるでしょう。他者の意見は尊重しなければなりません。
しかし、原理原則を抜きに論じる話しには到底同調や承服等できません。
しかし、他者の意見は違うからこそ議論する意味があります。

昨今、皇族方への批判をするマスメディア等の論調にはいい加減辟易とします。

特に皇太子や皇太子妃への批判記事、いやもう誹謗とも思える記事も目にします。
また、それを昰と肯定する一部世論に辟易する次第です。

原理原則を考えれば不毛な批判でしかありません。この国は自由です。此れ程に自由な国は世界にありません。皇族を批判、誹謗しようと逮捕されたりもしません。

しかし、以前みた記事には皇太子妃に向けて「貴女は本当に病気ですか?」とか「離婚する意思はありますか?」等と質問しているのです。全く狂った発想です。
大きなお世話です。

我々庶民ですら他人にこんな事を言われたらどう思うでしょうか?

更に、民間出身の皇太子妃のルーツに言及し誹謗もしています。

自分は特にそんな話しに対して例えば皇太子妃や皇太子を擁護するつもりはありません。
そもそも論だからです。

敗戦後GHQの施策により縮小された皇族方やその皇統をどう護持するのか?と言う提案や問題提起ならば看過しますが、ただの誹謗ならば看過できません。

この国は民主主義です。それは敗戦後にアメ公様から教えられた訳ではない。
古事記にある様に有史前からオリジナルの民主主義で生きて来たのです。
以前にもブログにアップしました。
例えばここここです。

日本オリジナルの民主主義とは「他者を生かす」事で自らも生かされる。
「あなたこそ大切」と言う生き方です。
その生き方を真っ先に示されるのが皇族方なのです。我々日本人はその皇族、天皇陛下の御心のもと生きているのです。
日本の象徴とは、そういう事です。

廃太子論まで主張する一部世論等、自分は一体何を考えているのか理解できません。
我々日本人の為の御存在である皇族方に廃太子や皇太子妃皇籍を排することを具申するのでしょうか?

2675年125代続く皇統を次の126代の御代で変えてしまうのか?
世界は目まぐるし変わって行きます。
しかし、変えてはならないものがこの国にはあります。

国民主権国家である日本ではありますが、しかし皇統を如何にかして良い権利などあるのでしょうか?
その振る舞いを我々が決めてしまうならば最早皇族は我々国民支配の存在なのではありませんか?

この国はシラスの国です。我々国民は神の大御宝です。その末裔であられる天皇陛下の大御宝です。それは「民こそ大切」、「民こそが宝」と言う皇室の御心です。
ですから明治憲法ですら天皇陛下に統帥権を持たせてはいましたが指揮権などはなかった。
現憲法においても同じです。
天皇陛下は民を支配するのではない。

そのシラス国であることを今も示しているのが天皇陛下の国事行為です。
日本政府とて天皇陛下の大御宝をお預かりし政をしているのです。
ですから国事行為にて天皇陛下から「あなたに民を預けます」という裏打ちがあり、総理大臣や閣僚が成り内閣が発足するのです。

ですから議会開会においても天皇陛下がお出ましになりお言葉を述べられます。

支配するのはウシハクでそれは日本以外の、例えば支那や朝鮮が行って来た事です。

例え皇太子が即位を辞され、次の皇位に譲ろうともそれが世論によるものならば、それは国民支配の皇族でありウシハクです。

国歌

国歌「君が代」は、本当の中身は今で言うならばラブソングです。

"君"とはあなたと言う意味であり男女を指すものなのです。
「き」は男、「み」は女。どちらが欠けても世は続かずやがて民族は死に絶えます。
男女が居て子が産まれ、そしてまた受け継がれていく、その繰り返しで我々の世界は栄える。

そんな世が千代に八千代に続きます様にと願う歌であり此れ程に平和を唱える歌詞はありません。
そして、男から女へ、女から男へ「君」とそうやって続きます様にと願っているのです。
また、伊邪那岐、伊邪那美を現し、そして生まれた天照大神、その末裔である天皇陛下に繋がります。我々は天皇陛下を含め伊邪那岐伊邪那岐から産まれた神の末裔であるのです。

その象徴が天皇陛下であり皇族であるのです。
我々日本人はすべからく皆、神の末裔であるのです。だから先の大戦に於いて戦った先達は神の軍、皇軍なのです。
その伝統と文化その自存自衛の為に戦ったのです。

ウシハクの文化には理解出来ないのです。
ウシハク文化の「君」は支配者です。民は冷遇され隷属となり収奪され自由がない。
だからそんな事をする支配者「君」の世が千代に八千代に続くなどまさか肯定できません。

しかし我々日本人は神の宝です。「民」は宝として扱われているのです。

これが理解出来ないからこそウシハク文化の国ははっきり言うなら支那朝鮮は「君が代」は軍国支配の歌だ!と宣うのです。
アホの左翼にナンチャッテリベラルも全く理解出来ないし、全く知らないのです。

戦後政策により解体され縮小した皇族の皇統を続けるには現実として妃は民間からしか望めません。
そしてその根幹である御存在が選ばれた妃をご病気ならば見守り、お支えする。
そんな事すら戦後の日本人は捨ててしまうのでしょうか?
我々の意に沿わないと排除してしまうつもりでしょうか?
この妃を受け入れたのは皇族であり、延いては天皇皇后両陛下であります。
その御心をも無視するのでしょうか?
僅か70年前にもその御心を蔑ろにし悲惨な敗戦を迎えました。ブログにも書いています。
例えばここです。

敗戦後マッカーサーに「私の命は要らぬ」と自らの命と引き換えに民を救おうとされた昭和天皇。その御心に感動したからこそマッカーサーは皇統を残したのではありませんか?

そのアメ公すらやらなかった事を我々国民がこの御代でやるのでしょうか?
その御心を継がれ平和をこよなく望まれている今上陛下。だからこその先のパラオ行幸ではありませんでしたか?
パラオは天皇陛下行幸に合わせ街中を掃除し、隅々まで綺麗にして迎えました。
そのパラオの国の振る舞いさえ変えてしまう天皇陛下。
皇族方はこのオリジナルの民主主義を、民こそが宝との帝王学を幼い時から学ばれます。

それは現在の皇太子も同じです。しかし我々はそんな帝王学は学びません。
民間出身の皇太子妃も学んだことはありません。その民間出身の皇太子妃が皇室に入られこの帝王学を学ばれてやがて立派な皇后となられる。
それを見守りお支えし、どうすれば天皇陛下を含め皇族方がお健やかに過ごされるのか?を、考えるのが臣民たる日本国民の本分ではないかと考えます。

我々帝王学は疎か、知らねばならない歴史や本当の日本を学んで来なかった者がとやかく言えるのか?
それが本当の日本独自の民主主義なのか?

意見は様々でしょうが一度しっかりと学び考える事をしませんか。