犬神スケキヨ~さざれ石

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武士と騎士

2015-11-09 16:30:55 | 草莽崛起
今回はちょっと古事記をお休みしまして別の話しをします。

とあるお母さんの話です。


そこから見る日本と日本人を感じ、我々の振る舞いを考えるキッカケになればと思います。

母来たる

1968年(昭和43年)4月28日

一人の老女がオーストラリアの地を訪れました。

オーストラリアの新聞は一面トップでこの老女を取り上げました。
そして、それ以降この老女を連日のように報道するのです。
「勇者の母」として。

この老女の名前は松尾まつ枝さん。
そして勇者は松尾敬宇海軍大尉です。

松尾大尉はシドニー港を攻撃した事で後に「軍神」と称えられた人物です。

当初、松尾まつ枝さんのオーストラリア訪問に日本外務省は旅券発行を渋るのでした。
当時の日本はオーストラリアの交易をめぐる外交懸案がありました。
その状況でシドニーを攻撃した軍人の母が訪問すればオーストラリア国民の感情を逆撫でし外交問題化するかもしれないと外務省は恐れたのです。

外務省の答えは「オーストラリア訪問は、佐藤首相が外交懸案を解決してからにして頂けないか」と、言う事でした。

しかし、まつ枝さんはキッパリと「私は行きます」と言い放ちます。

まつ枝さんはオーストラリアの思いや、外交懸案がある状況だからこそ行くべきだ。
日本、オーストラリアの関係は好転する。
そんな思いがあったのかもしれません。

事実としてオーストラリアは松尾まつ枝さんを最大の歓迎をしています。

世界の戦死者のシンボル

その様に賞賛しました。

松尾まつ枝さんの息子、松尾敬宇海軍大尉は1919年(大正6年)熊本県山鹿市生まれ。
任官後は特殊潜航艇の任務につきました。
真珠湾攻撃の前には港の偵察も行なっています。
自らも真珠湾攻撃の第一攻撃隊参加を志願していますが叶えられませんでした。

真珠湾攻撃実施から半年後、第二次攻撃隊が編成されることになりました。
目的地はシドニー軍港。
松尾大尉もその攻撃隊に選ばれた。

出撃前の昭和17年3月29日
呉の旅館で家族を招いて最後の夜を過ごしました。

夜、就寝するときに旅館の女中さんが家族五人の布団を五つ敷きました。
しかし松尾大尉は「四つにして欲しい」と頼みます。

「今晩はお母さんと一緒に寝たい」と言ったのです。
松尾大尉はこの出撃で死を覚悟していました。
今生の思い出に母と寝る。
母を思う子の心。子を思う母の心。
いつの時代も決して変わることはありません。
松尾大尉は最後の夜を母と過ごし、最後の親孝行をしようと考えたのではないでしょうか。

松尾大尉の乗る特殊潜航艇は二人乗りです。
松尾大尉と同乗し戦死した都竹正雄兵曹も松尾大尉と同じ様に母と最後の夜を過ごしていました。
都竹兵曹は日記に残しています。

「俺が母のことを思うといつも自然に涙が出てくる。うれし涙、感謝の涙、次々に出てくる。他の母と何も別に異なったところはないと思う。学識もない、また教養も高いとはいえない。しかし立派な母である。俺には過ぎた母である。俺が今日ここにいるのも母のおかげだ。下宿で同じ床にて今は俺より小さい体、痩せた手で頭を撫でながら『正雄、最期までしっかりやってくれよ』ただこれを繰り返された。『ハイ』の一言、あとは俺も言葉が出なかった。母も後の言葉は出ぬらしく、ただ目を瞑っておられた。今、俺は南洋群島の南の果ての海上でペンを走らせている。今、ペンを走らせながら涙が出て仕方ない。母の追憶。一億の人に一億の母あれど、我が母に優る母あらめやも」

親から我が子に「死んで帰れ」と簡単に口に出来るものではありません。
子も我が親から「死んで帰れ」と言われ励みになるはずもなく。
しかし「生きて帰れ」と口にすれば、これから命懸けの出撃をする息子に笑われる。
ただ「しっかりやってこい」と励ます。
全ての思いをこの言葉に込めるしかないのです。

出撃

1942年5月31日

満月が照らす夜、松尾大尉と都竹兵曹は特殊潜航艇にて出撃します。
シドニー港は奥に細く長い港湾です。

その為に特殊潜航艇での任務は至難の業。
この天然の要害に更に磁気探知機や防潜網、機雷。鉄壁の守りをオーストラリア軍は固めていました。

一番に出撃した中馬大尉と大森二等兵曹の潜航艇は網に引っかかり身動きが取れず、敵の接収を恐れて自爆。

二番目に出撃した、伴中尉、芦辺一等兵曹艇は湾内で重巡シカゴを追いかけ回す。
一発目の魚雷は外れて岸壁へ。
二発目はシカゴを外れたが、軍艦クタバルに命中。
激しい音と水しぶきを上げ轟沈。
伴、芦辺艇は「撤退の時」と母艦を目指すも攻撃を受け、そのまま深海へ沈みました。

三番目が松尾大尉と都竹兵曹艇。
既にシドニー港はサイレンが鳴り響いており、索敵のライトが回っていたのです。
「未知の敵」に大混乱しています。

この混乱の間隙をぬって重巡シカゴに肉薄します。しかし艇の前方を岸壁に接触させてしまい魚雷が発射出来ない。
「最早、艇もろともシカゴに体当たりしあの世に道づれだ!」

その瞬間、敵哨戒機の爆雷攻撃の直撃を受けます。

「無念」と自爆。それと共に二人は拳銃で自決。

松尾大尉享年二十四歳。

攻撃の成果としては大したものではなかった。
しかし、不意を突き鉄壁のシドニー湾に潜り込み攻撃をした勇猛さはオーストラリア軍、オーストラリア国民を寒からしめるに充分なものでした。
この特殊潜航艇の攻撃はオーストラリア国民に恐怖を植え付けた。
それだけではなく「敵ながら天晴れ」な攻撃に尊敬の念を芽生えさせたのです。

日本軍は特殊潜航艇が全滅した事を確認するとオーストラリア東海岸に攻撃を開始します。

この時、シドニー地区海軍司令官グルード少将は二隻の特殊潜航艇を引き上げ、四人の日本海軍人の遺体を「海軍葬」の礼をもって弔う様に指示しました。
日本がシドニー市街を攻撃している最中にです。

もちろん反対する者もいました。
日本軍がシドニーを攻撃している最中に敵軍人を海軍葬をするとは何ごとか?
しかしグルード少将は一切耳を傾けず「海軍葬」を命令したのです。

オーストラリアはその後、戦争中にもかかわらず四人の遺骨を日本の中壕大使に託し帰国させています。

武士と母

オーストラリアの日本軍人への礼節は正に騎士道精神と言うものでしょう。
松尾大尉の母、松尾まつ枝さんの訪問はこの騎士道に対する武士道での答礼と言うことです。

この訪問の発起人は九州大学教授などを歴任した松本唯一博士でした。
当初人々は趣旨に賛同しても、まつ枝さんが83歳と高齢であること、資金集めの目処がないと難色を示していました。
しかし、結局は地道な活動もあり松本博士の教え子や旧海軍関係者から当初の予定額170万円を大きく超える408万円が集まりました。

「伴さーん!芦辺さーん!」
オーストラリアに到着し、タスマン海を見渡す場所で、まつ枝さんは叫びます。
涙雨が降る中、老女が此れ程の声が出せるのかと驚くほどの声で叫びました。

まつ枝さんは我が子だけではなく、一緒に散華した英霊全員と対面する為に訪れたのです。

因みに2006年シドニー北海岸から5.5km離れた地点でフジツボに覆われた特殊潜航艇が発見されました。
伴、芦辺艇でした。
これに対し文化遺産担当大臣キャンベル上院議員は「特殊潜航艇の発見は日豪両国にとって重要な意義があり、文化遺産として最大限の敬意と名誉をもって扱う」と述べています。

まつ枝さんはジョン・ゴードン首相と会見します。
「オーストラリア海軍が戦争の中に我が戦士にしめされた行為はイギリス騎士道の発露であり心から感謝いたします」と挨拶しました。
現代日本ならば「我が子が攻撃をして迷惑をかけました」とくだらぬ謝罪をするのでしょう。
しかし、そうは言わなかった。
その母をオーストラリア国民は「勇者の母」と称えたのです。
くだらぬ謝罪をする母ならば称えはしなかったでしょう。
オーストラリア国民は決死の攻撃を敢行した日本海軍人に敬意を払っていたのですからね。

ある記者が会見で訪ねます。
「お母さん、最愛の息子を失いさぞ寂しいでしょう?」
まつ枝さんはこう返します。
「日本では国に忠義を尽くすことが本当の親孝行です。私の子供は大きな親孝行をしてくれました。少しも寂しくありません。心から満足しています」

しかしまつ枝さんはこんな歌を残しています。
君がため 散れと育てし 花なれど 嵐のあとの 庭さびしけれ

我が子を亡くし寂しくない母はいないのです。
しかし、武士の母は涙など見せぬのです。

オーストラリア国民は世界の戦士者の母のシンボルと称え、オーストラリア政府は「名誉市民」の称号をまつ枝さんに与えました。
更に佐藤栄作総理の積み残した外交懸案事項はことごとく解決しました。

まつ枝さんは後に松尾家の床の間に飾ってあった「教育勅語」を指差して「あの精神で行ってきましたよ!」と仰っています。

母の真実

日本に帰国したまつ枝さんに、このオーストラリアでの事を知ったテレビが取材しています。

事前の打ち合わせで局側からは「お母さん、最後は戦争は嫌だという言葉で結んで下さい」と言いました。

これに対し、まつ枝さんはこう返します。
「戦争が好きな人はいません。しかし、外国から無理難題を言われれば、やらねばならない場合もあります」
まつ枝さんは「戦争が嫌だ」と言う言葉を拒否したのです。

「戦争が嫌だというのは、暑いのは嫌だ、腹が減るのは嫌だと言うのと同じようなもので、一種の駄々っ子みたいなものではないでしょうか。戦争が嫌だと言うだけで日本が守れましょうか?」
と仰っる。

現代の我々に響く言葉です。

安藤てる子と言う戦争未亡人の歌があります。
「かくばかり みにくき国と なりたるか 捧げたる人の ただ惜しまる」

決して戦争など礼賛するものではありません。
しかし、この母を守る為に息子は散華したのです。

母もまた手塩にかけて育てた息子は忠義の孝行をする。死出の旅に行く。
この息子が一億の民を救うのだと、最大限の親孝行をするのだと。

我が子が死んで喜ぶ母などいない。
生まれて乳を与え、我が身より子供の成長を願い育て、その息子が自分より早く死ぬのです。

息子はその恩に報い、忠義を尽くす。

忠とは心の中と書きます。

それは心の真ん中、心の中心。
その真ん中に何を置くのか?と言う事です。

それが忠義なのです。

人には必ず母がいる。
母のいない人はいません。

その母が我が身を脱して自分を育て、立派な人間として生きていく事を願い教えるのです。

例えば、マンション建設偽装の当事者が母にメールをしたとか。
その母は取材に対し息子の過ちを謝罪する。

これは立派な人間になれ!と育ててくれた母の教えに対する裏切りなのです。
我が身を惜しみ、保身に走る。
過ちを認めず、今上手くやって罪から逃れる。

これは全て母への裏切り、母の教えに背くこと。

「戦争が嫌だと言って国が守れるのか?」と問う母の言葉。

日本の政治家は母の言葉、母の教え、母の願いを裏切ってはいませんか?

我々の生き方は母に胸を張って誇れるのでしょうか?

幾ら自分が凄い業績を成しても、その話しを聞いた母は必ず最後には「元気にしてるのかい?」と我が子の体を気遣う母に胸を張って誇れるのでしょうか?

古事記を摘んで日本を知る!その26

2015-11-03 21:55:15 | 古事記
古事記シリーズです。

本日は「文化の日」で祝日です。

これに因んで話をしたいと思います。

なので一旦「国譲り」は置きまして。
違う話しをしようと思います。

祝日

日本には祝日があります。

当然です。

日本だけではなく世界各国にも祝日はあります。
日本も世界も祝日には根拠があるのです。

これについては以前にも、この古事記シリーズの中でアップしたのですが新ためてアップします。

日本の祝日、この祝日の根拠の殆どが日本書紀宮中祭祀古事記が根拠です。

どの国にも祝日はあります。

祝日の表を見れば、その国の国柄が見えるものなんですね。

アメリカなんかはキリストに因んだ祝日がズラリと並びます。

支那ならば労働者関係の祝日。

ムスリム、イスラム教の国ならばイスラム関係の祭りが並びます。

祝日とは、その国の国民にとって大切な日が並ぶ訳です。

実はこの祝日を見ることで、日本人の性質なども見えるのです。
祝日の意味を知ることでも日本を知ることが出来るのです。

見てみましょう

では見ていきましょう。

皇室や宮中祭祀に関わらない根拠で成立した祝日は二つしかありません。
「体育の日」と「敬老の日」です。

しかし、体育の日も敬老の日も、日本人にとってそれは意味のあるものです。
ただ直接、皇室や史書に関係ないという事です。

一月一日
これは「元旦」です。
何故、元旦が祝日かと言うと四方拝歳旦祭という重要な祭祀が宮中で行われます。
根拠は「日本書紀」です。
もっと踏み込んで正解に言うならば国民にとって大切な日だから宮中祭祀が行なわれるのです。
前日の晦日から天皇陛下は冷水で身を清め祭祀に臨まれます。
国民の安寧を一心に希われるのです。
国民の平和、安心、繁栄を願うのですね。
そして全ての厄災が自らの身に降りかかる様に、民の厄災を全て負う為に希われます。

成人の日
現在は一月の第二日曜日です。
これは、昔は15日の小正月でしたね。
成人の日は「元服の儀」です。
立派な神事ですよ!
これをご都合で、ハッピーマンデーとか…アホか!
こうやって日本の根幹が崩されてしまうのですよ!
成人の日の意味が訳がわからんじゃないか!
自分の誕生日にハッピーマンデーとか入れますか?
「君の誕生日は来年ハッピーマンデーやから二日ずらしてね」とか。もう誕生日ちゃうがな!
ここら辺りも古事記などを子供達にしっかり教えないから「成人だー!」とか言って暴れたり、飲めもしない酒で他人に迷惑をかけるんですよ!
本来は大人として、一人の人間としての生き方を考える日でなければなりませんよ。

建国記念の日
二月十一日です。
これは神武天皇が即位された日です。
紀元節です。
神武天皇が即位された日はいつか?と、言うとこれは古事記ではなく「日本書紀」に書かれていて、西暦で言えば紀元前660年元旦とあります。
旧暦で見ますから新暦の二月十一日と定めました。
敗戦後、天皇戦犯論やら軍国主義のなんちゃらやだのと一時期廃止されていました。
しかし、志ある日本人の尽力で国会にて成立した訳ですが「紀元節」とはならず「建国記念の日」と悩ましい事になりました。
前から言ってますが、日本と言う国は実はいつからあったのかよくわからない。
わからないのに「建国」とか、そもそもおかしな話しです。
が、どうにか祝日として残す為に紆余曲折して出来た祝日です。
これも「紀元節」に戻さなければ、日本の根幹をいずれ喪う事になります。

春分の日
三月二十一日です。
これは春季皇霊祭という宮中祭祀が行われます。
これも重要な祭祀ですから、国民は休み。

昭和の日
四月二十九日です。
これは昭和天皇のお誕生日です。

憲法記念日
五月三日です。
日本国憲法が施行された日です。
祝日となってますが、これには思うところがあります。
現在の日本国憲法、皆さんも思うところがあるでしょうからね。
たった一回戦争に負けただけで、国の理念を捨ててしまった屈辱の記念日です。
たった1週間でド素人みたいなアメリカ人が作った草案を、これまたたった2日で翻訳。
そんな憲法を敗戦後70年近く有り難がる。
作ったアメリカでさえ「まだ使ってるのか?」と驚く憲法。
アメリカ人がコピペで作った憲法。
これまた有難がって祝日ですからね。
何が祝いですか?屈辱を忘れぬ日ですよ!

みどりの日
五月四日です。
昭和天皇のお誕生日をみどりの日と定め、それを後ろに移動させたものです。

子供の日
五月五日です。
「端午の節句」ですね。
これも神事なんですよ。「続日本書紀」や「日本後記」が根拠ですから、正史が根拠です。

海の日
七月の第三土曜日です。
皇室と関係なさそうですね。
これが違うんですよ。
明治天皇が汽船で行幸された事を記念した祝日なんですね。
こういう事をしっかりと子供達に教えていかねばなりませんよ。

敬老の日
九月第三月曜日。
皇室とは直接関係ありません。
しかし、民全ての幸せを願ってお年寄りを敬うのは皇室が常に願っている事ですね。
まぁ、最近は訳の解らぬ「左翼」かぶれの老人が既得権に塗れて若者を苦しめる…なんてことよく見かけます。
沖縄の反対運動に日当目当ての小遣い稼ぎにくる年寄りを見れば正に「老害」です。
敬うに値しない年寄りは当てはまりませんね。

秋分の日
九月二十三日です。
これも春と同じく秋季皇霊祭という重要な祭祀ですから国民は休みです。

体育の日
十月第二月曜日。
東京オリンピックの開会の日でした。
これは明らかに皇室とは関係ありませんね。

文化の日
十一月三日です。
これは明治天皇のお誕生日です。
「明治節」です。
昭和23年に公布され「文化の日」となりました。それまでは「明治節」とされていたのです。
屈辱の日本国憲法により文化の日とされたのです。
ここにも現在の日本が如何におかしな国なのかを読み取れますね。

勤労感謝の日
十一月二十三日です。
勤労感謝?
これは新嘗祭ですよ!新嘗祭!
何が勤労感謝やねん!意味わかる人いるんですか?
これは天皇陛下が五穀豊穣を大御神様に感謝申し上げる日ですよ!
そして、この日に新米を頂くんですよ!
勤労感謝てなんですか?
誰に感謝するんです?何に感謝するんです?
働くお父さんですか?「はい!勤労感謝だからね!お父さんありがとう」てビールでも出すんかい!そんなもん毎日感謝したれや!
そんなもんは父の日にすればいいのですよ!
新嘗祭の根拠も「日本書紀」ですよ。
日本人なら新嘗祭!
何がハロウィンや!バカタレが!
新嘗祭やらんかい!

天皇誕生日
十二月二十三日です。
これは今上陛下のお誕生日です。
昔は「天長節」と言ったんです。
これも「天長節」に戻さなければならない。
天皇誕生日は解りやすいですよ、しかしですねちゃんと「天長節」て言葉があるんですよ!
だから天長節!
歴代天皇のお誕生日を、今上陛下も含めたお誕生日を祝日にした日本て国は年間125日も休みが取れます。
これ、何気なく凄い!
年の内の三分の一休みが来る程に続く万世一系の皇統を戴く国なんです!
そんな歴史を持つ国なんですよ!
日本国民は何て幸せな国民ですか!
世界にそんな国はありませんよ。

この意味凄いですよ。
神武天皇が即位されて2675年。
これは日本という国が、そんな昔から先見性を持って運営されていたということです。
近視的ビジョンしかない国なら、とっくの昔に日本は滅亡してたでしょう。
だって目先の事しか見ていなければ「こんな国ダメだ」とかなって「新しい国を作るぞ!」となって皇族は抹殺されて皇統は途絶えたでしょうからね。
しかし、途絶えずにいる。
もう、天皇陛下の御存在そのものが先の先を見ていたと言うことなんです。
その御存在の意味を日本国民は理解していたのですね。だから時代が変わろうが、政権が変わろうが天皇陛下は天皇陛下として御存在しているのです。

これを否定する左翼は祝日を休んではいけません。
だってそうでしょ?
共産党なんて天皇陛下を否定してますよ。
天皇陛下を否定するなら古事記や日本書紀も否定することになります。
ご覧の通り、日本の祝日は根拠が日本書紀や古事記や宮中祭祀です。
否定するなら休まず働け!
死ぬまで働け!

左翼が祝日に休んでいたら、強烈な非難と共に強く指摘してやりましょう!

左翼が祝日の話しをしていたら「左翼の貴様には関係ない!祝日を口にするな!」と思いっきり涙目になる迄言ってやりましょう!

反日左翼は祝日を休むな!

古事記を摘んで日本を知る!その25

2015-11-02 21:26:19 | 古事記
またまた間が空いてしまいましたが古事記の続きです。

前回は「何やら地上は騒がしい」て話しでしたね。

それで天菩比神(あめのほひのかみ)を派遣することになりました。

それでは素晴らしき古事記の世界に参りましょう!

魅力的な地上

天菩比神を遣わしました。
最初の遣いは天菩比神でした。

ところがなんと大国主神に媚びへつらってしまいました。
なんてことでしょうか。

ミイラ取りがミイラになるということです。

そして丸三年全く報告がありません。

これは注目ポイントですよ!

今まで時間の長さを表す具体的な数字は記述がありませんでした。
「長い時間」とか、そんな記述はありましたが具体的に「3年」とか言う記述はこれが初めてですね。

それで派遣した天照大御神と高御産巣日神は困ってしまいます。
ですが、天照大御神や高御産巣日神が独断で決めません。
日本の神々は必ず話し合う。
コレ、基本です。

再び八百万の神々を集めて、みんなで相談します。
そこで「じゃあ次の遣いを出そう」となりました。
そこで思金神が「天若日子(あめのわかひこ)がいいだろう」と言い出します。

今度は天之麻迦古弓(あめのまかこゆみ)天之波波矢(あめのははや)を持たせます。
これは武器です。
弓と矢ですね、これを持たせます。

どうやら最初の遣いには武器を持たせなかったみたいですね。

もしかしたら、天菩比神は荒ぶる神に殺されたのかも知れない!
何せ報告はなく音信不通ですから、一体どうなってるのか解りません。
ですから今回は武器を持たせましたよ。

ところがなんと!

天若日子は大国主神の娘と結婚してしまいました。なんじゃそりゃ!
そして天若日子は地上界を自分の物にしようと企むのです。
そしてなんと八年も経ってしまいました。

どうやら地上界は

行ってみたら「なんだここ!いいとこだな!」

「なんとか、ここ自分の物になんねぇかね」

みたいな事になっちゃいました。

先に遣わした天菩比神は大国主神に媚びへつらいました。
手下みたいな事になってしまいました。

ですが、天若日子はさらにやってしまいます。
何せ大国主神の娘を嫁にしてしまったのですからね。
「これで、将来はこの地上界はオレのものだぜ!ヒッヒッヒッ…」
そういう企てをしてですね、八年も音信不通ですから「そちも悪よのう」て話しです。

どうやら地上界は相当良いとこですよ!

神々が懐柔されちゃう訳ですからね。

高天原、つまりは天上界は八年も待ってますよ。
前は三年でシビレを切らしたんです。
しかし、武器も持たせてますから「もうちょっと待ってみよう」みたいな感じですかね。

しかし、八年も経ってさすがに「おい!どうなってんだ!」て事になりますよ。

思金神だって立場ありませんよ!

天照大御神の天の石戸じゃ、かなりの策士振りを発揮してですね、見事なプランでミッションを成功しましたからね。
それが、今回は一度ならず二度も失敗。
これは自信喪失ですよ。
プライドはズタズタですよ。
普通なら安酒あおって大暴れですよ。

初めからやりゃよかった

だからってまた使者を送ることは出来ません。

三人目を送って、帰ってこなかったらどうすんねん!て話しですよ。

そこでとにかく事情が全くわかりませんから、思金神が「鳴女(なきめ)を遣わすべきだ」と。
鳴女とは雉です。
雉は鳥ですから、鳥は飛びますね。
飛ぶこてで、地上界と天上界を行き来する動物だと考えられていました。

まぁ、偵察機を飛ばした様なもんですかね。

天上界ではとにかく何が起きてるか把握出来ません。よくわからんのです。
武器まで持たせたのに、なんで八年も音信不通なんだ!
で、ちょっと事情知りたいね!
じゃ、雉飛ばそうか?

思金神は雉に「こう言えよ」と教えます。
雉はお使いもするんですね。

それで雉は天上界から地上界に向かいます。

鳥は三歩歩くと忘れる!とか言うのですが、この雉は大丈夫なんですね。
しかし、雉は教えられた事しか言えませんけど。

天若日子の家の門の辺りにあった木に止まります。

「あなたを地上界に遣わせたのは荒ぶる神を
説得するためだ。何故八年も音信不通で戻らないんだ?」

そうすると天佐具売(あめのさぐめ)という巫女がなんか危ないと思った様で「これは鳴き方が変だから殺した方が良い」と天若日子を扇動するんですね。

そうすると天若日子は天佐具売の言う通りに天つ神々から授かった弓矢で雉を射抜いて殺します。

これは天若日子にとっては正解ですね。

自分を偵察に来たのですから、このまま帰したら情報が流れてしまいます。
戦争でも同じ。偵察機は撃ち落としとかないと、こちらの情報が筒抜けです。

まぁ、そんな偵察機を情報が漏れる前に「殺せ」と言った天佐具売の考え方は、軍事的には正解と言うことですね。
そこまでは良かったんですがねぇ…

次回へ続く…