30年くらい前、ソ連の局と交信した人は、この顔のカードや封筒を良く受け取ったのではないだろうか。当時は、「誰だこのおいちゃんは?」程度にしか思っていなかったが、2013年1月のCQ誌に、クレルケルの話が出ていた。ちなみに、CQ誌の表紙は仮面ライダー1号、本郷猛こと、藤岡氏(JQ1QFC)だ。
この人物、クレンケル(1903-1971)は、ソ連の極地探検家であった。RAEM ,RAEMとカードに書いてあったが、これは彼の使用していた呼び出し符号だったことは初めて知った。
また、ソ連のアマチュア無線連盟会長も務めたので、その功績をたたえてQSLになったり、封筒になったり、切手にもなったということだ。
昔のQSLを探したら、クレンケルのカードが何枚か出てきた。当時は、TRIOの310LINE(10W)を使って、アンテナは21MHzの自作HB9CVとか、28MHzの自作ZLスペシャルなどを使っていた。10Wの出力ではあまり飛ばなかったので、近場のソ連極東他方の局と良く交信した。ソ連の局は西側のメーカー製リグを使うわけにもいかず、みんな自作していた。あまり綺麗な電波ではない局が多かったが、自作でSSBトランシーバーを作ってしまう技術力はたいしたものだと思った。大出力の局が多く、強く聞こえたが耳が悪い局が多かった。呼んでも拾って貰えないことが多く、残念な思いをした。逆にW(米国)の局は耳が良く、こちらの弱い電波も良く拾ってくれた。
当時は太平洋を越えただけでも嬉しかったので、Wの西海岸の局ともCWで良く交信した。Wのビスクラス(初級)が21.100MHz以上にゆっくりとしたCWで出ていたので、練習代わりに呼んで交信してもらった。あちらも初級なので、日本との交信が珍しかったのか、良く相手をしてもらったことを思い出す。