もう、その5なんだが、現地に入って2日目なのである。初日に、ほとんど観光地をなめつくしたからな。今日の目玉は、なんといっても三原山だ。伊豆大島に来て、三原山に登らりゃ、なにしに来たものかと。カーナビに目的地をセットし、いざGO!
途中で、降雪のため通行止め・・やん。オーマイガー! いや、違う登り口があったぞと。神は見捨てなかった。なんとか、外輪山の駐車場に滑り込んだ。
やっと来たぜ、外輪山三原山展望所。ん、外輪山ということは、頂上はまだ先ということか。
あ、本体が遠くに見えました。途中はカルデラになって落ち込んでいます。
ま、その前に「展望避難休憩所」に立ち寄ってみましょう。土日は、ボランティアによる三原山の自然や、かつての噴火の様子のビデオ解説があります。
赤い部分が、何に見えるでしょうか? 一目瞭然ですが。
さ~て、火口を見るには、この雪道を行かなくてはならないのですが、積雪は10cm程度あり、通常の靴では滑ります。
ガイドさんに聞いてみましょう。
「普通の靴で行けますか?」
「う~ん、行けないことはないと思いますけど、びっちょびちょになるでしょうね」
「滑りますよね」
「まぁ、滑りますね」
「通行禁止ではないんですよね」
「行くなら、自己責任で」
「ですよね~」
N村、諦めました。ちょうど、火口から帰ってきた人がいたので、状況を聞いてみます。
「火口まで行きましたか?」
「行きましたよ」
「雪は、すごかったですか?」
「まぁ、すごいですね。それに頂上は風もすごいです」
「あら~、普通の靴では無理ですかね」
「ま、自己責任で」
「ですよね~」
N村諦めました。くっそ~、ここまで来て。
では、気を取り直して、駐車場の上の展望台へ行ってみましょう。
つるんつるん、滑るがな。ここにも、避難所兼展望所がありました。
さらに、航空機墜落の慰霊碑があるので、行ってみます。
むむ、なんの足跡じゃ? キョン?
坂道を、へっぴり腰になりながら登って行きました。
昭和27年4月9日 三原山に墜落した民間機(日航の、もく星号)の慰霊碑です。合掌
ということで、断腸の思いで三原山を後にした。さ、昼飯にするか。元町の食堂で、地元の「べっこう丼」を食すことにした。
べっこう丼とは、地元でとれた魚を「唐辛子+特製ダレ」に漬け込んだもの。魚の種類は、その日の仕入れ具合による。ちなみに、当日は「目鯛」であった。1,200円なり
次に行ったのは「火山博物館」である。
なんだこれは? 讀賣新聞の文字が見える。
なんでも、昭和初期は三原山で自殺する人が多く、また火口の状況を調べるため、人がこのゴンドラに乗り、吊り下げられた状況で火口を調査し、「自殺したら、悲惨やで~」ということを知らしめたとのこと。決死隊やな。ちなみに、館内は撮影禁止でした。入館料500円。映画別料金200円です。内容は、当然三原山の噴火についてが主たるものです。
しか~し、いろいろ見聞きすると、やっぱり火口まで行きたいがな。何とか方法はないものか? 地元のホームセンターに答えはあるのか? と、吟味に吟味を重ねてと。
長靴買ったがな。これを持って、再度外輪山駐車場まで行き、実地試験を行った。
ただの長靴とちゃいまっせ。スパイク付や。おぉ、がっつり雪や氷に食いつき、じぇんじぇん滑らない。行けるで。しか~し、日は西に傾きつつあり、これからの登山は危険と判断し、翌朝から登り始めることにした。
今日の最後は、観光マップに「ゴジラ岩」とあったので、探索に向かった。
↓あぁぁぁ、ゴジラだけどぉ、なんか違うぅ。なにかが・・
ホテル白岩、連泊です。二日目の晩御飯は、初日と違うメニューでした。周りは、椿油フォンデュで、じゅわじゅわ揚げまくっていました。
鯛の煮物でましたが、これは鯛の中の鯛。鯛に見えますでしょうか?
この日は、無事終了・・ではなく。
「夜祭行きますか? 行くなら、ホテルで送迎します」
「あ、行きます、行きます」
ということで、食後に元町港で行っていた夜祭会場に移動します。
入場料などはいりません。伊豆の踊子の朗読とか
フラダンス
御神火太鼓
スーパーあんこ娘に達による、踊り。なかなか切れがあって、すばらしい演技です。
やるな、スーパーあんこ娘
ところで、会場では出店もあるのだ゛が、その中の1軒で「唐辛子」を売っていた。人気商品らしく、早々に売り切れ御礼なのだが。
「ん、白井さんの唐辛子ですか」
「そうです、売り切れました」
「これ、美味しいですよね。辛いけど、コクがあるというか」
「出荷前に挽くんですよ」
「あれ、もしかして、白井さん」
「そうです」
あ~、この人が元議員の、白井さんだぁ。
つづく
途中で、降雪のため通行止め・・やん。オーマイガー! いや、違う登り口があったぞと。神は見捨てなかった。なんとか、外輪山の駐車場に滑り込んだ。
やっと来たぜ、外輪山三原山展望所。ん、外輪山ということは、頂上はまだ先ということか。
あ、本体が遠くに見えました。途中はカルデラになって落ち込んでいます。
ま、その前に「展望避難休憩所」に立ち寄ってみましょう。土日は、ボランティアによる三原山の自然や、かつての噴火の様子のビデオ解説があります。
赤い部分が、何に見えるでしょうか? 一目瞭然ですが。
さ~て、火口を見るには、この雪道を行かなくてはならないのですが、積雪は10cm程度あり、通常の靴では滑ります。
ガイドさんに聞いてみましょう。
「普通の靴で行けますか?」
「う~ん、行けないことはないと思いますけど、びっちょびちょになるでしょうね」
「滑りますよね」
「まぁ、滑りますね」
「通行禁止ではないんですよね」
「行くなら、自己責任で」
「ですよね~」
N村、諦めました。ちょうど、火口から帰ってきた人がいたので、状況を聞いてみます。
「火口まで行きましたか?」
「行きましたよ」
「雪は、すごかったですか?」
「まぁ、すごいですね。それに頂上は風もすごいです」
「あら~、普通の靴では無理ですかね」
「ま、自己責任で」
「ですよね~」
N村諦めました。くっそ~、ここまで来て。
では、気を取り直して、駐車場の上の展望台へ行ってみましょう。
つるんつるん、滑るがな。ここにも、避難所兼展望所がありました。
さらに、航空機墜落の慰霊碑があるので、行ってみます。
むむ、なんの足跡じゃ? キョン?
坂道を、へっぴり腰になりながら登って行きました。
昭和27年4月9日 三原山に墜落した民間機(日航の、もく星号)の慰霊碑です。合掌
ということで、断腸の思いで三原山を後にした。さ、昼飯にするか。元町の食堂で、地元の「べっこう丼」を食すことにした。
べっこう丼とは、地元でとれた魚を「唐辛子+特製ダレ」に漬け込んだもの。魚の種類は、その日の仕入れ具合による。ちなみに、当日は「目鯛」であった。1,200円なり
次に行ったのは「火山博物館」である。
なんだこれは? 讀賣新聞の文字が見える。
なんでも、昭和初期は三原山で自殺する人が多く、また火口の状況を調べるため、人がこのゴンドラに乗り、吊り下げられた状況で火口を調査し、「自殺したら、悲惨やで~」ということを知らしめたとのこと。決死隊やな。ちなみに、館内は撮影禁止でした。入館料500円。映画別料金200円です。内容は、当然三原山の噴火についてが主たるものです。
しか~し、いろいろ見聞きすると、やっぱり火口まで行きたいがな。何とか方法はないものか? 地元のホームセンターに答えはあるのか? と、吟味に吟味を重ねてと。
長靴買ったがな。これを持って、再度外輪山駐車場まで行き、実地試験を行った。
ただの長靴とちゃいまっせ。スパイク付や。おぉ、がっつり雪や氷に食いつき、じぇんじぇん滑らない。行けるで。しか~し、日は西に傾きつつあり、これからの登山は危険と判断し、翌朝から登り始めることにした。
今日の最後は、観光マップに「ゴジラ岩」とあったので、探索に向かった。
↓あぁぁぁ、ゴジラだけどぉ、なんか違うぅ。なにかが・・
ホテル白岩、連泊です。二日目の晩御飯は、初日と違うメニューでした。周りは、椿油フォンデュで、じゅわじゅわ揚げまくっていました。
鯛の煮物でましたが、これは鯛の中の鯛。鯛に見えますでしょうか?
この日は、無事終了・・ではなく。
「夜祭行きますか? 行くなら、ホテルで送迎します」
「あ、行きます、行きます」
ということで、食後に元町港で行っていた夜祭会場に移動します。
入場料などはいりません。伊豆の踊子の朗読とか
フラダンス
御神火太鼓
スーパーあんこ娘に達による、踊り。なかなか切れがあって、すばらしい演技です。
やるな、スーパーあんこ娘
ところで、会場では出店もあるのだ゛が、その中の1軒で「唐辛子」を売っていた。人気商品らしく、早々に売り切れ御礼なのだが。
「ん、白井さんの唐辛子ですか」
「そうです、売り切れました」
「これ、美味しいですよね。辛いけど、コクがあるというか」
「出荷前に挽くんですよ」
「あれ、もしかして、白井さん」
「そうです」
あ~、この人が元議員の、白井さんだぁ。
つづく