こないだ、芦屋町に行ったのである。芦屋町といえば、航空自衛隊芦屋基地があり、毎年基地際に行っていたのだが、コロナ禍になって数年開催されていないのは残念である。芦屋町付近に行ったので、観光地を調べてみたら「堂山の石塔群」というのがヒットした。
カーナビで、だいたいの住所をセットしたところ、広い駐車場に着きました。
正面の小高い山があるので、その上にあるようです。堂山の石塔群の説明文があります。
明治30年(1897年)ごろ、柏原浦に住む佐野屋の老女が、この堂山に延命地蔵を建てようとしました。その工事中、地下から高さ50~60cmの五輪塔・板碑・石仏などが出土しました。材質は、主として石灰岩です。そこで、この石塔はなんだろう?ということになりましたが、以下の説があります。
①壇ノ浦の合戦後、平家一門の追悼のため落人たちがひそかに祀ったものだろう。
②山鹿兵藤次秀遠の部下として多くの犠牲を出した山鹿水軍の遺族が供養のため造立したのだろう。
正確なところは不明なようですが、現在はまとめられて展示されています。階段を上がっていくと、出土した石塔などを見ることができます。
アップで撮ってみると、いろいろな形がありますね。
柏原漁港にある「堂山」は、岬の奥の方は「胴山」といって、字が異なります。以前は、満潮時は島だった「胴山」は、今は陸続きになっているそうです。そのため、堂山・胴山とややこしいことになっています。
堂山⇒胴山へと海岸沿いに向かうことができ、奥に行くと岸壁に大きな穴があるということですが、そこまでは行きませんでした。観光客は他にいませんでしたが、釣り人は何人かいました。
福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿 Pあり
カーナビで、だいたいの住所をセットしたところ、広い駐車場に着きました。
正面の小高い山があるので、その上にあるようです。堂山の石塔群の説明文があります。
明治30年(1897年)ごろ、柏原浦に住む佐野屋の老女が、この堂山に延命地蔵を建てようとしました。その工事中、地下から高さ50~60cmの五輪塔・板碑・石仏などが出土しました。材質は、主として石灰岩です。そこで、この石塔はなんだろう?ということになりましたが、以下の説があります。
①壇ノ浦の合戦後、平家一門の追悼のため落人たちがひそかに祀ったものだろう。
②山鹿兵藤次秀遠の部下として多くの犠牲を出した山鹿水軍の遺族が供養のため造立したのだろう。
正確なところは不明なようですが、現在はまとめられて展示されています。階段を上がっていくと、出土した石塔などを見ることができます。
アップで撮ってみると、いろいろな形がありますね。
柏原漁港にある「堂山」は、岬の奥の方は「胴山」といって、字が異なります。以前は、満潮時は島だった「胴山」は、今は陸続きになっているそうです。そのため、堂山・胴山とややこしいことになっています。
堂山⇒胴山へと海岸沿いに向かうことができ、奥に行くと岸壁に大きな穴があるということですが、そこまでは行きませんでした。観光客は他にいませんでしたが、釣り人は何人かいました。
福岡県遠賀郡芦屋町大字山鹿 Pあり