5,300万体。
この数字はあのリカちゃん人形の累計出荷数です。
旧タカラが1967年(昭和42年)に着せ替え人形としてリカちゃんを誕生させてから48年。実に多くの少女達の手元に届いたことになります。(当然、私もその1人です。)
先日、福島県田村郡小野町にある「リカちゃんキャッスル」を初めて訪れました。
既にこのブログ(「小野の小町とリカちゃん」http://blog.goo.ne.jp/jinzaiikuseisha/d/20150426)でもリカちゃんキャッスルを紹介したことがありますが、リカちゃんキャッスルとは、リカちゃん人形の製造を行っている工場です。工場といっても外観はお城の形をしていて、中は工場(お人形ファクトリー)以外にもリカちゃんミュージアムやなりきりドレスレンタル、なりきり世界旅行などがあり、さながらリカちゃんのテーマパークのようでもあります。
私が訪れたのはお盆休みの真っ最中でしたので、小さな女の子連れの家族で大賑わいで、なりきりドレスレンタルでは少女たちが本当にうれしそうにリカちゃんのドレスを着ていたのが印象的でした。
リカちゃんの生みの親である佐藤安太さんによると、リカちゃんは「お人形の基本であるままごとや着せ替えおしゃれなどの遊びを通じて、楽しみながらやさしさや思いやり、美意識、そして、家族の絆や社会の仕組みなど、人間として生きてゆくのに必要なさまざまな事を学ぶことができるよう願いを込めて作られている」とのことです。
さらに、「IT化や国際化が急速に進み社会が大きく変化する中で、今後ますます学校やコンピュータでは学べないとても大切なものになると感じています」ともおっしゃっています。
リカちゃんは単なる着せ替え人形という枠を超え、様々な役割を全うしていることになりますが、最近ではリカちゃんキャッスルがある小野町からリカちゃんファミリーに特別住民票が交付され、地域活性化にも貢献しているようです。
実際に館内を見学してみると、様々な企業とコラボしたリカちゃんを見ることができます。ダイヤやスワロフスキーを身に付けた大人っぽい雰囲気のリカちゃんや、横浜の元町の商店街にあるお店とタイアップしたハマトラ(懐かしい!)の格好をしたリカちゃんもいます。またのBTO(Build To Order)注文生産方式も行っていて、希望する自分の好みにあったオリジナルのリカちゃんを手に入れることもできます。
現在のリカちゃんは4代目だそうですが、初代リカちゃんで遊んだ私が驚いたのは、何とリカちゃんのプロフィールが変っていたことです!
当時、お父さんの職業はパイロットだったと記憶していたのですが、現在はピエールという名前の音楽家で、由緒正しいフランスのミラモンド家の出身ということになっています。
さらに、リカちゃんには双子の妹とその下には3つ子の弟妹がいて、驚いたことに飼っている犬までが双子という設定なのです。今の時代には珍しい子だくさんの家ということになりますが、少子化対策にも貢献しているということなのでしょうか。
館内には2階にお人形ファクトリー見学ゾーンがあり、1階のお人形ファクトリーでリカちゃんの顔を作る工程や髪の毛をつける工程などを見ることができ、リカちゃん達が作られていく様子を見学することができます。あのリカちゃんはこうして誕生しているのかと、とても興味深く見学しました。
冒頭の写真は、リカちゃんの頭部が作られる前の状態です。卵のような形をした頭部が、かご一杯に敷き詰められている状態はややシュールな感じもあり、それを見たリカちゃんファンの少女達の夢が壊れてしまわないか、ちょっとだけ心配になりました。
それにしても、こんなにも多くの役割を担っているリカちゃん、今後の活躍がますます楽しみです。
因みにこのリカちゃん、今も小学校5年生の11歳とのことですが、1967年に11歳だったのであれば、現在の年齢は59歳ということになりますから、実に長い間活躍していることになります。ぜひ、若さと抜群のプロポーションを保つ秘訣を聞いてみたいものですね。
(人材育成社)