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DXの地から届いた切手 Fiji(7)

2019年01月25日 00時00分42秒 | DX stamp

3D2 - Fijiの切手

南の楽園パラダイスのイメージがあるフィジーだが、国としては人口の半分を占めるインド人対フィジアンの問題や

経済不振に端を発する治安の悪化、などで近年やや不安定だ。


 歴史上の有名どころではクック船長(イギリス)やタスマニアの名づけの親タスマン(オランダ)などが大航海時代に

フィジーを訪れているが、一番縁が深いのはWilliam Bligh船長、クック船長の航海に何度も乗船した経歴ある海軍士官だが

一番は、バウンティ号の反乱で追い出されたことで有名な船長である。

バウンティ号の反乱をDXCCエンティティで追うと、我々ハムはVP6となるが、そもそも事件は3D2周辺で起こったものだ。

まず首謀のクリスチャンら造反組は、A3-Tonga付近の海上で反乱を実行し、Bligh船長他数名を小舟で追放した。

追放された小舟は長く漂流を続けるが、その時に初めてFiji周辺の地図情報が漂流中のBlighらによって作られたという。

ちなみに漂流は48日後に4W-Timorへ漂着して終わり、BlighらはそこからG-Englandへ帰任している。

一方、造反組の方は、バウンティ号ごとFO/A -Austral、FO-French Polynesiaを経て最後はまだ海図に載っていなかった

VP6-Pitcairnへ逃げ込んだ。その末裔が今のPitcairnのTom - VP6TC達クリスチャン一族で、子孫たちが増えるに連れて

現在はイギリス、オーストラリア、ニュージーランド等の協力で、末裔の多くをVK9/N-Norfolkへ移住させており

Norfolk島の住人2,000人強のうち半数以上はPitcairn島からの移住者の系統だという。


 そんな時代に開拓されたフィジーは今もイギリス連邦加盟国であり、ちょっと前までイギリス保護領時代にはVR2だった。

イギリスの影響に翻弄され続けてきた国だが、18世紀にイギリス人が大量に労働者として連れてきたインド人の問題が

近年最も深刻な問題になっている。現在のFiji人口の40%はインド人で、先住のフィジアンと比率はさほど変わらない。

加えて勤労意欲、経済感覚がフィジアンより優っているインド人が政治でも経済でも活躍しているにもかかわらず

フィジアンと差別されている。最大の差別と思われるのが土地所有に関する問題だが、それよりもやはり、頑張っても報われない

インド人の不満と、勝手に人のうちに上がり込んできて急かすだけのよそ者に不満なフィジアン、と言った

お互い頭では分かっても心情的にはちょっと許しがたい、の図式なのだろう。


 それに加えて、西欧が勝手に入ってきてズタズタにしておいてから独立を果たした太平洋の島々共通だが

政治も経済も不安定なため、左派軍部の力がどうしても強くなり、軍部によるクーデターも21世紀になってからも

複数回発生していて、結果治安は決して良いとは言えない(離島などの高級リゾートは別)。2014年までは軍事政権で

一時は憲法廃止発言やマスコミの検閲などが実施され、民政となった現在でもまだまだ安定したとは言えない様だ。


 南の島の水上コテージで「ブラ!」のイメージ強いところであり、南太平洋のハブ的な地理的位置づけでもあり

安心して訪れる場所であって欲しいが、小さな島国がそれを成し遂げるのは相当な困難が必要と思われる。
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