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5.CHUUK2024 - 思う事

2024年11月08日 16時24分34秒 | 海外運用

今回のCHUUK 2024振り返りの最終章である。14年前には無かった新しいヤシの木が芽吹き夕陽を眺めている。

 

今から14年前の2010年に初めてチュークを訪れた。その時も現地の対応をいろいろお願いした末永さん。

日本の政府(主に遺骨収集と慰霊)や民間放送局(バラエティ番組ロケ)などがチュークを訪れる時にいつも頼りにされる現地の日本人長老だ。

 

現在御年76歳で私と年齢が14年離れている。従って前回訪問した時の末永さんの年齢に、今回の私がなったわけだ。

写真を並べて眺めてみる。左が今回(2024年)で右が前回(2010年)。撮影場所は全く同じ空港で出国する直前。

お互いに歳とったなぁ、笑。自分は14年後どうなってるだろう?まだ生きてるかな。

宿泊したBlue Lagoon Resort Hotelは、かつては大日本帝国海軍の基地だった跡地にあるが(というより

島の至る所が海軍時代の跡だ)、ホテルの敷地には椰子の木が茂り、草地は綺麗に刈られていて美しい景観を保っている。

そんな景観を維持するために毎日人の手が入っている。

草刈りマンに「おーい、地面に這わせた電線切るなよ~」と叫んだら笑って手を振って返してくれた。

椰子の木の枯れた葉と熟れた実は人の手で積極的に落とす。腰に付けたU字ベルトだけで

するするっと登るテクニックは凄い。上から落としたのを下で拾い軽トラで運ぶを繰り返す。

30分働いたら30分日陰で休む、という感じのペースでたいへんゆとりのある労働環境だ、笑。

部屋から彼らの作業を眺めていたら、草刈りマンが獲れたての椰子の実をナイフでくり抜いて持ってきてくれた。

昨年もポナペで飲んだが、身体が綺麗になる様な爽やかな飲み物だ。実一個に1リットル程度は入っていてすごく美味い。

ホテルのレストランはメニュー豊富で、カツどん・焼きそば・すき焼き・刺身なんてものもある(頼んではいないが)。

ランチで食べたダイバーズチョイス。チキンをマヨネーズで和えたペーストと野菜のサンドイッチに

デカいフライドポテト。ボリュームたっぷりで腹いっぱいになる。アイスティーはお替りし放題。

別の日のランチ、ボロネーズにガーリックトースト。粗挽きの挽肉がゴロゴロ入っていて妙に美味かった。

コロナ禍で開店休業だった期間で全面リフォームしたことは前に書いたが、14年前と決定的に変わったのが自動車。

以前はスクラップ同然の車が多かったが、今はROVERのEVOQUEなんかがさりげなくと停まっていたりして

汚い車はほとんど見られなくなった。島が裕福になったわけでもなさそうなので世間の相場が変わったと言う事なんだろう。

日本でも40年前には携帯電話は限られた富裕層の贅沢品だったのが、今は誰でも当たり前に持つようになったのと同じだ。

ホテルのメイン棟入口。

空港の出発ロビーもすっかり綺麗になっていて、ビールやコーヒーなどを飲めるスタンドまで出来ていた。

日本の自販機だと130円のコカコーラもここでは380円($2.5)だ。

出発の30分ほど前になるとポナペからの便が到着し、歩いて搭乗。バイバイ チューク。

次はいつになるかはわからないけど生きている間にもう一回は来たいよ。

グアムに到着すると既に陽がとっぷりと暮れたあと。都会へ帰ってきて何かと便利で一安心する。

昨年はここでYDXCクルーとアイボールしたんだっけ、あっという間の1年だったな。

グアムのホテルは毎回違うところを選んでいて、今回は日航ホテル。いつもは安ホテルしか使わず

昨年のヒルトン含めてグアムでセキュリティデポジットを要求されたことは過去には無かった。

ここ日航は要求されたが、特に何も悪さはしないので(笑)カード引き落としは無かった。

シャワー浴びもせず、着くなりリグと小型アンテナを出してベランダに設営した。最初は6mFT8を覗いたが

BYくらいしか見えていなかったので12mFT8にアンテナを合わせてCQ出すと、50Wながら欧州からパイルを

浴びて、MSHVのMulti StreamをAUTOで運用し、その間に風呂で久々の湯船につかり、寝る前に400qほどをログインした。

 

昨年まではグアムから名古屋は夕方のフライトだったが、現在は朝のフライトに変わっており

4:00起きで空港へ向かいグッスリ寝ながらの帰国となった。

丁度昼時に中部国際空港に到着し、ついでなので矢場とんで昼ご飯を食べ、のんびり無事に帰宅となった。

 

 

さて今回のCHUUK2024を振り返っての総括であるが、はっきり言って何をどう書いても白々しいから

結構振り返りを的確に書くのは難しい。そもそもなんで備忘録を書いているかといえば何年か経ってから

自分で読み返すために書いている。今でも昔の備忘録を電車の中などで読むと苦笑する。

だから今回の内容から数年後の自分に何を伝えればいいんだろうか、とちょっとだけ悩む。

 

コンテストの最中に走り書きでメモ書きした言葉がある。

「我慢と辛抱、ちゃんとできないくらい弛緩している」

 

なぜ今回チュークを選択したのか。なぜ盆休みまで具体的に動かなかったのがやると決めたのか。

改まって思い返せば、ウヤムヤでダラダラっとしてる間になんとなく行くことにしたのが実際のところだった。

行くのがルーチンであるかの如く。二度目で勝手知ったるところであるかの如く。

仕事頭で考えれば、それが碌でもない仕事に関わって失敗する時の定石パターンであることくらいすぐに気づくはずだ。

 

コンテストがヘッポコな得点で終わったことが恥ずかしいんじゃない(ちょっとだけは恥ずかしいけど)。

緩んでいることにアラームを発していない自分が恥ずかしい。メモを書いた時点で頭では理解していても

リカバリが出来なかった自分が不甲斐ないのだ。(風邪ひいて身体がNGだったのも大きかったけど)

 

要するに「ダメじゃん俺。しゃんとせーよ」なのだ。

 

原因はさておき、そうなった背景は明確だ。本業の責務が一気に緩くなったことだ。

全力疾走から完全リタイヤまでの過渡期である今、全てが中途半端で、ビジネスマンでも無く好々爺でも無く

惰性で時間を浪費し、チャレンジするでもなく、過去の延長にただ乗りしているのが現状なのだ。

コンテストの結果だけを見れば、コンディションだの耳の悪さだの地域差だのスキル不足だの色々と理由付けは

できるのだろうが、落ち着いてから振り返ってみて一番感じたのはこの点だった。

 

今回はある意味で良い気づきの機会となった。追い込まれないと本気を出せないのは現役の頃からのことだ。

これまで隠れていて見え難くなっていた欠点が露呈しただけのことだ。今はそういう時期なのだ、ある意味しょうがない。

仕事で我武者羅だった時代のしがらみを振り切って、新しい自分に胸を張って自信持てるようになるために新たなスタートを

始めよう。具体的にそれをどうやるかは今後のお楽しみだ。

CQWWSSBに合わせて遠征する、というメソッド自体から見直した方が早いのかもしれない。

 

新たな課題感と目標ベクトルがぼんやり見えたところで、今回の振り返りを終えることにする。

毎度の駄文乱文ご容赦ください。

これにてCHUUK2024をお開きとします。

また来年!

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