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ジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

「口語」と「文語」

2011-07-01 08:47:42 | 日記
前回は「知層」に関するネタを書かせていただきました。
今回はそれに少々繋がるかもしれない「口語」と「文語」について書きたいと思います。
(前回はやや堅め(?)の文章表現だったので今回から柔らかめで書きたいと思います(苦笑))

人が操る言語には「口語」と「文語」があると言われています。

それぞれの定義は簡単に言うと、

口語=”話す言葉”
文語=”記す言葉”

と言えます。

私たちが普段話している言語は、殆どが「口語」です。
相手にわかりやすく伝える意識があるので、非常に意図を理解してくれやすいる言語であると。

対して「文語」は書物や文献に書かれている言語表現を指します。
内容を直接的に伝えようと文章を意識をもって記述するので、注釈的で短い表現が多くなる言語であると。

日本の場合は過去の書物から現代の書籍や教科書に至るまで殆どが文語で記述されています。
理由は簡単で、本には限られたスペースしかない事と、加えて漢字自体が極論的な文語の象徴であるためであると言えます。
(なにせ漢字は一文字だけで意味や臨場感を表現してしまうのですから、ある意味凄いですよね)

しかし文語には致命的な欠陥がある気がします。
それは、

”文語で書かれた文章は主語的表現を明示する事を意識して書かれる”

という性質があると。

しかし、その直接的な主張そのものが間違ったものだったとしたらどうなるでしょうか。
間違った主張でも、わかりやすい表現であればすんなり受け入れてしまう事って多いですよね。
直接的で万人にわかりやすい文章は無条件で良い事だと思いがちです。

いつのまにか、

わかりやすい=”受け入れやすく、正しい主張”
わかりにくい=”受け入れがたく、間違った主張”

勘違いしてる事が多い気がするんです。

最近は歴史学者の研究に基づいて色々と事実が違うことがわかり、結構な頻度で歴史の教科書が修正さています。
修正すること自体は間違いを正す意味で必要だし良いのですが、一見それは学者が文語で書かれた文献の解釈力が足りないんじゃないかと思いがちです。
しかし、これは決して文献に書かれた文語表現を解釈する能力を高めれば良いというレベルの話だけじゃない気がします。

本当に大事な事を伝えたい時は、人は必ず実際に会って伝えようとするものですよね。
それは、大事なことは”口語”で表現した方が相手に意図を伝えられる事を裏付けてる気がします。

誤解しないでほしいのですが決して、

”大事な事は直接会って話を伝えるべきではないか”

を主張したいわけではありません。

私が思ったのは、

”文章表現も、なるべく口語(ないし、同等)に近い文章を書くべきではないか”

という事です。

私が読みたくなる本は、著者がさも自分に直接話して伝えている事を文章からイメージがしやすい表現をされているもの(ないし、人)を選んで読んでいます。
こういう本は直接その人と会って話さなくても、会って話をしている事と同じ効果が得られる気がします。

こういう表現が文章で出来てしまう人は、本当に凄い事だなと思うわけです。
我々の仕事でも仕様書を人にわかりやすく伝えるものが書けるようになるかもしれません。

会話であっても、文章であっても、自分の考える意図や主張を相手に確実に伝えられるようになりたいですね。(城)


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