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詐欺被害チェック

 最近新聞やTVニュースでやたら目にしたり耳にしたりする「円天」、健康寝具販売会社「L&G」が出資者に支給する独自の電子マネーのことだ。年利36%と元金保証をうたい、円天を使えば「円天市場」で商品が購入できるなど、冷静に見ればいいこと尽くめで怪しい限りの儲け話だが、5万人もの人が出資したと言われるから驚いてしまう。欲の皮が突っ張っているからこんな詐欺に引っかかってしまうんだ、などと報道に接するたびに思っていたところ、18日付の毎日新聞朝刊に、こうした「詐欺被害を防ぐコツ」という特集が載っていた。マインドコントロールに詳しい静岡県立大学の西田公昭准教授の「人はそんなに強くない。目の前にニンジンをぶら下げられたら、誰でもだまされる可能性がある。自分のだまされやすい要素をチェックして」という談話とともに、著書の「まさか自分が・・そんな人ほど騙される」(日本文芸社)から引用した「だまされやすさ危険度チェック」が掲載されていたので、転載してみる。

■だまされやすさ危険度テスト (各設問とも、「大いに当てはまる」2点、「多少当てはまる」1点、「全く当てはまらない」0点)

1.私は詐欺師に狙われるようなタイプではない
2.運勢や性格の占いを信じるほうだ
3.苦情を言われるとすぐにへこんでしまう
4.肩書きのすごい人にはかなわないと思う
5. どんな時にも、人に嫌われないように振る舞う
6.周囲の人や知人など、みんなの一致した意見にはいつも合わせる
7.詐欺被害に遭った人は、正直いうと少し馬鹿(ばか)なのかと思う
8.意見が合わないときは、相手に譲ることが多い
9.人の愚痴を長時間聞くのは耐えられない
10.有名人やブランドものには弱い
11.かなりのお人好しだと言われる
12.大勢のなかでは、問い直したり意見を言ったりするのは苦手だ
13.家族や仲の良い友人にも話せないことが幾つかある
14.自分で見たり経験したことこそが真実である
15.甘いムードに浸ると、我を忘れやすい
16.自信たっぷりに話されると影響される
17.自分がどう思われているか、いつも気になる
18.なんでも気軽に相談できる友人は少ない
19.甘い話には気をつけてはいるが、一応話だけは聞いておく
20.知らない人の前でも見栄を張ってしまう
21.宴会で一気飲みをコールされると断れないだろう
22.店の人に褒められるとその気になって買ってしまう事が多い
23.待ち合わせの時間に遅れてくる人を待つのは苦手だ
24.知人が「効いた」「良かった」と思うとすぐにやってみようと思う
25. 詐欺に遭った人はとても運が悪いと思う

……………………………………………………
 テストは、
[1]自分はだまされないと思っているか(設問 1, 7, 13, 25)
[2]非科学的な思考か(2, 14, 19, 24)
[3]ストレスに強いか(3, 9, 15, 23)
[4]権威を信じやすいか( 4, 10, 16)
[5]誠実度(5, 8, 11, 17, 30, 22)
[6]集団に影響されやすいか(6, 12, 18, 21)の6種類。
[1][2][3][6]は4点以上、[4]は3点以上、[5]は6点以上なら「危険」信号だ。

試してみた。結果は、[1]が4点、[2]が1点、[3]が4点、[4]が1点、[5]が6点、[6]が2点だった。ということは、「自分はだまされないと思っているか」「ストレスに強いか」「誠実度」に危険信号がともっているということになる。これらから、「自分はだまされないと過信している割には、ストレスの弱いためちょっと圧力をかけられたら、人目を気にするあまり簡単にだまされてしまう」という私に関する分析ができ上がりそうだ。ちょっと危ない、気をつけなければ・・。

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光琳

 先日自室の床に散乱していた書物を整理していたら、2005年10月号の「芸術新潮」が出てきた。「大特集 光琳の七不思議」と題して、尾形光琳の遺した業績をさまざまな角度から検証してある。その冒頭の一節が光琳の生涯を端的に表しているように思われるので、引用してみる。

 尾形光琳(1658~1716)はふしぎな画家です 都のぼんぼんで女たらしで借金まみれで、絵師の仕事もどこまで本気かわかりません けれどもそんな彼の絵が、日本絵画史を転回させた 大雅も応挙も若冲も、光琳がひらいた画境なくしてはありえなかった 天才という言葉ではかたづかない、ひとすじなわではいかない光琳の七色の謎に、多士済々の美術史家10人がせまる大特集です

 7つの謎と言われても、さほど光琳に詳しくない私にはよく分からないことも多かったが、2大傑作と言われる「燕子花図屏風」に関する「なぜかきつばただったのか」と、「紅白梅図屏風」に関する「金箔か金泥か?」という記事は読み応えがあった。
 そこで、この2つの屏風を探してきた。




 じっと見ていると、実物が見たくなってくる。「燕子花図屏風」は東京の根津美術館の所蔵であるが、現在根津美術館は改築中で2009年までは入場することができないそうだ。残念だ。HPにあった写真を貼ってみたのだが、なぜか背景の金色が鮮明ではない。片方しかないがこちらの方が実物に近いように思う。


 「紅白梅図屏風」は、熱海のMOA美術館が所蔵している。夏に若冲の「鳥獣花木図屏風」を見たときに感じたことだが、屏風というものは実際に立てられたものを鑑賞して初めてその素晴らしさが分かる。図録やTV画面で見ただけではその迫力は伝わってこない。熱海なら時間を作れば行けるかなと思ったが、この屏風は2月にしか展示されないのだそうだ。う~~ん、2月は受験期間でとても出かけられない、残念だ・・。
 しかし、MOA美術館の敷地内には、光琳自筆の間取り図に従って復元された「光琳屋敷」が建てられているのだそうだ。こちらはいつでも見学できそうなので、それを見に行くだけでも価値があるかもしれない。さらには、豊臣秀吉の「黄金の茶室」も復元されているそうなので、ますます興味が湧いてくる。成金趣味のこてこての茶室とバカにしていたけど、実際に復元されているなんて知らなかった。是非行ってみたい。
 いつ実現できるか分からないけれど、ひとつの目標としてがんばってみようか。
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父親

 梁石日著『超「暴力」的な父親』(ベスト新書)を読んだが、正直面白くなかった。感想文をここに記すのもやめようかと思ったのだが、それなりに考えたこともあったので、少しばかり書き留めておくことにした。作者の梁石日は、崔洋一監督の映画「月はどっちに出ている」の原作「タクシー狂躁曲」を書いた小説家であるのだが、この本を買ったときにはそんなことはまったく知らなかった。ただ「まえがき」に書かれた、
 
 「(家庭内暴力・家族崩壊の)当事者の父親たち母親たち子供たちにしてみれば、自分がこの世で一番不幸だと、一番悲惨だと思い込んでいるにちがいないが、まだまだ甘っちょろいよ、と言いたい。
 私の父親(オヤジ)を見ろ!私の父親の話を聞け!
そんな程度の不満がなんだ。私の目にはたいして悲惨に見えない。不幸のうちに入らない。私の体験に比べたら、ずっとましな方である」

という部分に興味を惹かれ、半ば怖いもの見たさで読み始めた。
 本書に描かれている作者の父親が、これもまた崔洋一監督によって映画化された「血と骨」のモデルであることを読み進めるうちに知った。2つの崔監督の映画はともに見ていないが、題名と簡単な内容は知っている。「血と肉」の方は、ビートたけしが父親役を演じて話題になった作品であり、見たいなと思いはしたが、暴力的なシーンが多そうなので途中でいやになるかもしれないという思いがして、結局見ずに終わってしまった。
 たしかに本書を読んだだけでも、作者の父親が「超」がつく暴力的な人間であったことが分かる。身長はゆうに185,6cmあり、体重は100kg近くの鍛え上げられた筋肉をまとった「巨漢」が、眼光鋭く周囲を威圧しながら、毎日酒ばかり飲んでは相手かまわず暴れまくる。やくざ者を10人あまり相手にしてもあっさり勝ってしまうほど、野獣のような獰猛さで家族を威圧するのだから、作者の少年時代が地獄絵図のようなものであったことは簡単に想像できる。
 父親のこの暴虐さを、作者は「オヤジは無口で、内へ内へとこもっていくタイプだった。知り合いはいても、心の底から気持ちの通じ合う友人はいなかった。そして、物事に対して執念深く、自分の気持ちをうまく言葉や態度で表現できないから暴力に訴えていたのではないかと今は思う」と分析しているのだが、そんな洞察力がある作者が、どうしてそんな父親と同じように家庭を顧みない父親になってしまったのだろう。

 「あのころのことを振り返ってみれば、私は、あれほど憎み、嫌っていたオヤジのようにエゴイストで、自己中心的な生き方しかできない人間だったのだ」

などと書かれているのを読んだときには、「かえるの子はかえる」というか、「親の因果が子に報い」というか、いたたまれない気持ちになり、読むのをしばらくやめてしまったほどだ。なぜ自分が味わった苦しみを自分の子供たちにも味あわせてしまうのか、私にはまったく理解できないし、どんな理屈をつけても許されるものではないと思う。ただ、自身が子供の頃に虐待を受けた親は、自分の子供を虐待してしまう割合が高いという統計があるように、負の連鎖を自分のところで断ち切れない弱さを持つ人間が多いのかもしれない。愛情を注がれずに育った者は、愛情を注ぐことが苦手になってしまう、そうした悲しい現実があるように思う。
 私自身、たいした父親ではないから偉そうなことは何も言えない。父親たる自覚などいまだ希薄な気がするのも、20年以上父親でありながら情けない話ではある。しかし、自分なりに子供たちには真剣に向き合ってきたつもりであり、愛情を注いできたと思っている。それが傍から見ればいい加減だと見られるかもしれないところに私の弱みがあるのは、否めないのだけれど・・。
 「親はなくとも子は育つ」のか、「子は親の背中を見て育つ」のか、色んなケースがあるだろうが、私の場合は、とりあえず何とか育ってくれた子供たちのおかげで父親面ができているだけのような気がしなくもない。
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金木犀から

 今頃になると、金木犀も盛りを過ぎたようで花弁が落ち始めている。近くに行ってもあの独特な芳香は漂ってこない。


 ブログ上でに写真を貼り付ければ色んな物のあるがままの姿を伝えることはできる。ビデオクリップさえも貼れるようになったから、音声を伝達することも可能である。しかし、金木犀の香りをコンピュータを通して伝えることは現在の科学ではできない。五感のうち、視覚・聴覚を伝達することは可能だが、触覚・味覚・嗅覚はこれから先も伝えるのは難しいように思う。物質そのものを電送できたりする時代が来るかもしれないが、私の生きている間にはとても無理だろう。
 したがって、香りを伝えるには今のところ、言葉という手段しかない。だが、これがなかなか難しい。辞書で金木犀を引いてみたら、「秋に赤黄色の花をひらくモクセイ。あまいかおりが強くただよう」とあった。たしかに金木犀に「甘い香り」という表現はよく使われる。しかし、「甘い香り」っていったいどんなものなのだろう。金木犀の香りを十分に表している表現なのだろうか。さらに辞書で「あまい」を調べてみた。すると、「におい、音などの感じが砂糖や蜜の味を思わせるようで、気持ちがいい。(例)あまいかおり、あまい声」とあった。なんだかしっくりこない。金木犀の香りから、砂糖や蜜の甘さを思い浮かべる人はあまりいないだろうし、どちらかといえば濃い香りだろう。さほど気持ちがいいかおりとも思えない。だからといって、「甘い香り」という表現以外にぴったりくる形容は見つからない・・。なんだか混乱してくる。
 などと思い悩んでいると、辞書には「白い花のモクセイは、ギンモクセイといい、かおりがうすい」と追記されていた。金だから銀か・・、とちょっとお手軽すぎるような命名だが、私は今までそんな木があることはまったく知らなかった。検索してみたら、写真も載っていた。


 金木犀の母種ということで花の色が違うだけでよく似ている。花が咲いてない時の見分け方は、葉の縁の切れ込みがあるほうが「銀木犀」で、ほとんどない方が「金木犀」なのだそうだ。ともに9月から10月にかけて咲くが、銀木犀は1年に何回か咲くらしい。知らなかった・・。
 そういえば、1週間ほど前にも新しい発見をしていた。車で走っていたら、妻が突然「白い彼岸花!」と叫んだ。「何言ってるんだ、彼岸花っていえば赤に決まってるだろう」「そうだけど、あの花の形は彼岸花だったよ」「見間違いなんじゃないの」と私は一蹴したのだが、しばらくして信号待ちしている時に右側の歩道を見て驚いた。「あれか?本当に白い彼岸花だ・・」「そうでしょう、彼岸花だよね、あれは」
 家に帰って調べたら、妻が言うとおりに白い彼岸花は存在した。妻に教えてやると「やっぱりね」と誇らしげに答えた。ちょっと悔しかったが妻の言うとおりだったから仕方ない。そのときは写真を撮り損ねたので、昨日改めてその場所に行ってみたが、もう枯れていた。やむを得ずネット上で写真を探してきた。


すると、この白い彼岸花は、赤い彼岸花と黄色い彼岸花(ショウキズイセン 鍾馗水仙)との間から生まれた雑種だということが分かった。なるほどと思っていたら、うまい具合に赤・黄・白の3種類が一緒に写った写真を見つけた。まるで仲のいい家族みたいだ。


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武勇伝 ふたたび

 昨日の朝、階下から聞こえる妻の悲鳴で目が覚めた。「何事だ?」と思いながら階段を下りていくと、「遅い!」と怒鳴られた。「何だよ?」とたずねると、「ヘビが・・」と事の顛末を話し始めた。
 ゴミを出そうと台所の土間のゴミバケツをに手を伸ばしたら、その横に置いてあるネズミ捕り(ゴキブリホイホイのネズミ捕り版)に30cmほどのヘビが張り付いていた。ヘビが大嫌いな妻はたいそう驚いたらしいが、よく見るとまだ生きている。このまま捨てるのもなんだか忍びない気がしたそうで、ベンジンをかけて粘着部からはがれ易くさせてみようと思い立った。ベンジンをかけるとうまくはがれたようで、その場から逃げようとあたりをごそごそし始めた、そんな時に私が現れたというのだ。
 「捕まえてよ」と言うので、寝起きでボーっとしてる頭を働かせて、父が炭焼きに使っている炭バサミを使おうと思った。取りに行って戻ってきても、土間の辺りでごそごそと動いている。これは面白い、と写真に撮ってみた。


 このねずみ捕りには時々ねずみがかかってその処理を頼まれることがあるのだが、動物の死体が大の苦手である私はギャーギャー言いながら毎回必死の思いで片付ける。だが、どういうわけだが、ヘビは何も怖くないし気持ち悪くもない。炭バサミでひょっと摘み上げて、妻に「どうする?」と聞いた。へっぴり腰の妻は「逃がしてやってよ。でも、糊がまだ体中についてベトベトしてるから、洗ってやらないと死んじゃうんじゃない?せっかくだから洗ってから逃がしてよ」と言った。「ふ~ん」と、こういう場合にしてはいつになく落ち着いている私は、ヘビを持ちながら塾舎の前の水道まで歩いていった。


 「洗う前にもう一回ベンジンに漬けた方がいいんじゃない?」と私が思い付きを言ったら、妻も「そのほうがいいかもしれない」と言ってベンジンを持ってきて、入れ物に注いだ。その中に私がヘビを浸したところ、今までおとなしくしていたのに急にくねくねと身をよじりだした。

 

 体についた糊のベトベト感は取れたような気がするが、やはり体表にベンジンは刺激が強すぎるのかもしれない。で、今度は水をかけてブラシでこすってみた。


 おとなしくしているので気持ちがいいのかなと思った。ここまであれこれ世話してやるとなんだかかわいらしくも思えてきた。だけど、しばらく見ているとどことなく元気がなくなってきた。動きも鈍くなってきて、逃げ出そうともしない。これは救出作戦失敗かな、と思い始めたが、ネズミ捕りにかかった時点でこのヘビの命運は尽きているわけだから、このままで死んでも仕方ないだろう、などと妻と二人で言い訳をしていた。
 でも、このまま放置しておくわけにもいかないから、裏山に放してやることにした。


 一段と元気がなくなってもう本当に死んじゃうかなと思った。後で見に来て、死んでいたら土の中に埋めてやろうとその場を離れた。
 
 1時間ほど経って様子を見に行ったら、離したところに姿は見えなかった。とりあえずは動けるだけの体力が回復したんだな、と安心した。私たちがした処置が正しかったのかどうかよく分からないが、まあ、ヘビ1匹の命は助けたんじゃないかな、と善行を施した気がしている。違うかな・・。
 でも、家の中にヘビが侵入してくるなんていったいどういうこと?
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ヤンキース歌留多 ’07

 井川慶、制球難でファーム落ち
 ロートルと成り果ててしまったクレメンス
 ハラハラドキドキ、スリル満点リベラのセーブ
 人気はいつでもワールドチャンピオン、ヤンキース
 ホームラン、リーグ1位の破壊力
 ぺティットは私と同じ6月15日生まれ
 トーリ監督、ごくろうさん
 チーム一元気な大男、シェリー・ダンカン
 リリーフに今年も泣きました、ボロボロ・・・
 塗り替えよう、ボンズの記録、A・ロッド

 ルールを決めたジョバの投球
 念願をまたも来年に持ち越しだ
 ワンダフルプレーのキャプテン・ジーター
 カイロって途中からいなくなったよね
よ よく考えてから、FA宣言しようね、皆さん
 大変だ、オフの粛清人事・・・
 レッドソックスの後塵を拝したレギュラーシーズン
 外からは何でも言うぜ、NYメディア 
 辛いけど、来年までの辛抱だ
 念願のチャンピオンリングははるか彼方・・
 何でだろう?チャンスで凡打の山の松井くん
 ライトの守備はボビー・アブレイユ 背番号ゴミ(53)
 虫に負けた、地区シリーズ3年連続敗退
 ウソだろう?14.5ゲーム差
 イライラばかりが募った松井の打席かな
 ノックアウト、今年は何度されたやら、ムース・・・
 オーナーはスタインブレナー、文句あるか!?
く  苦しかった松井とファンの2007年
 ヤンキース、松井がいなくなったら、興味なし
 満塁で打てない松井なんて嫌いだ!!
 検査して、来年は万全の体調で臨もう、松井君
 プルヒッター、ジアンビ兄貴もケガに泣く
 これでまた3月までの長いオフ
 エースかな?王ちゃん今年も19勝
 デイモンは後半よくがんばった
 あれ?昨日も一昨日も投げたよね、プロクター
 再来年、新球場が完成だ
 給料の高い選手ばかりのヤンキース
 優勝に後一歩届かず、ワイルドカード
 メルキーがいつの間にやら正センター
 ミンキーの一塁守備はメジャーNo.1
 守備もうまくなったねカノー、今年も3割  
 笑みたたえ、いつも陽気なぺーニャ一塁コーチ
 ピンチの
たびにマウンドへ、ギドリーコーチも大変だ
も もしかして次の監督?ドンマッティングリー
 先発の柱になれよ、フィル・ヒューズ
 スイッチヒッター・ポサダは初の3割、おめでとう!!
 ん~~~、ひざの故障は治るかな、ちょっと心配・・ でも、がんばれ、松井!!

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ごんか

 先週末に市役所の近くを通ったら青い旗がいくつも立っていた。「ごんか祭」と染め抜かれて風にはためいている。


 人通りもいつになく多く、色とりどりのコスチュームをまとった人々もいる。「ああ、ごんか祭か・・」と、何年か前から地元の青年会議所のメンバーを中心にして始まった「お祭り」のことを思い出した。メンバーはそれなりに努力をしているのだろうが、あいにく市民の認知度は広まらず、塾の生徒にたずねても大部分が祭りの存在を知らなかった。市役所前の川原で踊りやミニコンサートなどをやっているだけだから、知らない者が多いのも仕方ないかもしれないが、私が驚いたのは、「ごんか」という我が市独特の言い回しを知らない子供が多いことだった。「ごんかってどういう意味?」と聞かれて、「大人の言うことを聞かないやんちゃな奴ってことだよ」と答えながらも、これは子供たちにとってもう死語なのかなと少々寂しくなった。
 私の住む市は名古屋近郊といっても、名古屋弁とは少しばかり違った表現がかなりある。それがちょっとしたアイデンティティーでもあるのだが、学生のころはかなり恥ずかしかった。中学から名古屋の学校に通った私は、入学してからしばらくは言葉遣いにかなり気を使った。田舎者というレッテル貼られるのがいやで、とにかく気取ったしゃべり方をしていた。そんな気負いも学年があがるにつれて次第に弱まっていったのだが、それでも地元の言葉でしか話さない父母を疎んじていたように思う。今はもう地元弁でしかしゃべれなくなってしまったのでそんな日々を懐かしく思い出すだけに、「ごんか」という言葉を知らない子供ばかりになってしまったのはショックだった。
 確かに変な言葉遣い、聞きづらい言い回しも多いのだが、自分が生まれ育ってきた土地の表現として愛着があるだけに、このまま消え去るのを座して待つのも面白くない。せめてこのブログに書き留めて、命脈を保つよすがにでもしたいと思う。幸いにして私の市独特の表現に関しての番付があるので、ここにそれを載せておく。

       西                  東
 【横綱】ぐろ    (すみ・端)        【横綱】ほや     (肯定のあいづち)
 【大関】けなる   (うらやましい)     【大関】もうやぁこ  (共有すること)
 【大関】・・・がん(・・・でしょう)        【大関】いのっちぎり (思いっきり)
 【関脇】ねこなし  (寝ないで、徹夜)   【関脇】ごがわく   (腹がたつ)
 【小結】あののぉ  (あのねえ)       【小結】しゃしゃもなぁ(みっともない)
 【前頭】まっぴんぴん(まっすぐ)       【前頭】まる     (大・小便をする)
 【前頭】やまいき  (慰安旅行)      【前頭】くろにえる  (青あざができる)
 【前頭】ござらっせる(いらっしゃる)     【前頭】どぉずく   (打ちたたく)
 【前頭】ひどろぉ  (まぶしい)       【前頭】ごんか    (やんちゃ)
 【前頭】ちょうらかす(あやす、機嫌をとる) 【前頭】くそのふたにもならん (何の役にも立たない)
 【前頭】かんす   (蚊)           【前頭】うえん    (すす)
 【前頭】だだくさ  (粗末)          【前頭】・・・げ   (・・・だ)
 【前頭】ぼろ    (しっしん・湿疹)    【前頭】おぉたぁず  (いいかげん)
 【前頭】いややあん (いやだわ)      【前頭】にお     (香、におい)

以下に上の表現を使ったいくつかの用例を書いておく。
・おまあのやることはだだくさやであかんわ。(あなたのやることはいい加減だからよくない)
・ねこなしでがんばったけど、うまくいかんかってごがわくわぁ。(徹夜でがんばっってみたけど、うまくできなくて腹が立つ)
・ごんかばっかいっとると、しゃしゃもなあことしかできんよ。(文句ばっかり言ってるとみっともないことしかできませんよ)
・いのっちぎりやらなあかんがん。(思いっきりやらなくちゃいけませんよ)
・あののぉ、ちょうらかしてでもやらせなあかんよ。--ほやのぉ。(あのねえ、機嫌をとりながらでもやらせなくちゃいけませんよ。--そうですねえ)

 しかし、恥ずかしくなるほど汚い言葉遣い・・。
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レコーディング・ダイエット

 岡田斗司夫の「いつまでもデブと思うなよ」(新潮新書)を読んだ。
 今年の3月末にNHK・BSで「あしたのジョー」を連続で放送する番組があって、それに出演していた岡田を見たとき、びっくりした。まるで別人のようにやせていたのだ。どこか体でも悪くしたのかな、とちょっと心配したが、そんな雰囲気はまるでなかった。じゃあ、ダイエットしたのかなと思っていたところ、それから半年経ってこの本が発売されたので、早速読んでみた。
 なんと1年間で50キロもやせたのだそうだ。その方法は「レコーディング・ダイエット」。何度かダイエットとリバウンドの繰り返しの果てに著者が見つけ出した究極のダイエット法だ。社会学者の肩書きを持つ岡田だけあって、太っていることが「見た目主義社会」の中ではいかにマイナスであるかを解説してくれていておもしろいが、ここでは彼が50キロもの減量に成功した「レコーディング・ダイエット」のポイントを書き出してみようと思う。

第一段階「助走」・・・太る理由
 ①体重を毎日計る。
 ②口に入れたものすべてをメモする。
 ③ガマンしない。
自分が太っているのは、実は「太り続けるような食事・行動を取っているから」という事実を知るため、また、その「太り続けるような食事・行動」とは具体的になにか?を特定するため、ポテチ一枚からコーラ一口まで、食べた時間とともに省略せずに正確にメモを取る。
2週間から2ヶ月の期間を充てる(作者は「助走」に5ヶ月かけて、メモするだけで10キロやせた)。

第二段階「離陸」・・・カロリーを計算してみる
 ①体重・体脂肪率を毎日計る。
 ②口に入れたものをすべてメモし、カロリーを計算する。
 ③どうやれば総カロリー数を減らせるか想像してみる。でも、ガマンはしない。
自分が食べたものをカロリー計算し、ひたすらレコーディング(記録)する。食べたいものを我慢せず食べたら、果たしてどのくらいのカロリー摂取になるかを自分で「知る」のが目的。
カロリー表示されていない食事はイーストマートのサイト(http://www.eatsmart.jp/do/search/go)などでチェック。この段階は、1~2週間でいい。

第三段階「上昇」・・・カロリーを制御する
 ①体重・体脂肪率を毎日計り、口に入れたものをすべてメモし、カロリーを計算する。
 ②一日の摂取カロリーを年齢・性別にあわせて決め、それを守る。
 ③食べ過ぎても後悔や反省はせず、翌日からのフォローで切り抜ける。
 ④毎日水を2リットル飲む。

摂取カロリーは「自分の基礎代謝量ギリギリ」あたりが、最も効率よくやせられる。基礎代謝とは、呼吸や体温調節など人間が生きていくうえで絶対に消費されるエネルギーのことだが、年齢、性別、身長などにより異なる。その算出には、次のサイトを使うのが便利だ。http://www.e-uruoi.net/about/index3.htm
48歳で、身長171cm作者は、1500kcalに設定した。(私も試したら1717kcalだった)。
開始して75日目当たりまでを充てる。

第四段階「巡航」・・・いろいろやってみる
 ①75日目あたりに体調の変化がある。
 ②体重や体脂肪は、脈動的に変化する。
 ③停滞期はいろんなダイエット法を併用して乗り切ろう。
 ④豆乳野菜はジュースはオススメ。
「75日目変化の前兆」「停滞期かも、という不安」に襲われ、辛くなったりやめたくなったりするかもしれない。そんなときには今までの記録を読み直すと、自分の苦労が実感できて乗り越えられる。(のだそうだ)

第五段階「再加速」・・・体の声を聞く
 ①食べ物の好みの変化に気をつけよう。
 ②「満腹」や「ちょうどいい」の直前、「まだちょっと足りない」で食事をやめよう。
 ③「○○が食べたい!」という欲望ではなく、「○○を欲しがっているな」という体の欲求を自覚しよう。
自分の好物に明らかな変化が現れる。完全な欲望型人間として生きていた自分を、欲求型人間に近づける段階であり、体質の変化も実感できる。

第六段階「軌道到達」・・・ダイエットの終わり
ダイエットするなどと努力なしでも、やせていられる状態、つまり、「必要な分だけ食べたら、努力なしに食べるのをやめられる」状態になっている。
この時点で、ダイエットは終了する。


 終わりに作者は、「なにをするにも、いまの数倍の手間やお金がかかった世界。毎日がストレスで、そのストレスでさらに太ってしまう世界。そんな体重圏の束縛から解き放たれて、いまの私は月世界にいる」と締めくくっている。50kgも脂肪が取れれば当然の感想であろう。
 今のところ、私自身はダイエットの必要を感じないし、これからもそうあってほしい。

 

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タイトルマッチ

 先月の終わりだったと思うが、深夜TBS系のチャンネルで、少年隊の東山紀之が司会する「バース・デイ」というドキュメンタリー番組で、内藤大助と亀田大毅のタイトルマッチに至るまでの二人の今までを簡単に紹介していた。私は、亀田次男について外国人ばかりと戦って本当の実力などないだろうと常々思っていた。試合終了後に歌を歌ったり、傍若無人なインタビューを聞かされたりして、とにかく嫌悪感しかもっていなかった。兄の弘毅のチャンピオンベルトも決して実力を証明するものではないと思っているだけに、この番組を見たところで、そのイメージはまるで変わらなかった。ただ、大毅は亀田三兄弟の中でも一番才能に乏しく、その分一生懸命努力することで、何とかプロのレベルにまで達したというナレーションを聞いて、それならそれでそうしたキャラ作りをすればいいのに、父ちゃんや兄ちゃんの真似ばかりしていなくてもいいだろうと、残念に思った。
 それとはまったく反対に、今までほとんど知らなかった内藤大助については色んなことが分かった。学生時代はいじめられっ子で、胃に潰瘍ができるほど辛い日々を送ったこと、そんな自分を変えようとボクシングを始めたこと、地道な努力で日本タイトル、東洋太平洋タイトルを獲得したが、世界タイトルに初挑戦したときには1ラウンド34秒でKOされてしまったこと、それでも諦めず3度目の挑戦でやっと念願のタイトルを手に入れたことなど、苦労人チャンピオンという名がぴったりの内藤の半生を知ったときには思わず応援したくなった。インタビューにも丁寧に答える朴訥な人柄も見て取れて、初防衛戦となる亀田との戦いでは必ず勝てよ、と番組が終了する頃にはすっかりファンになっていた。33歳という松井秀喜と同年であることも、まだまだ進化する可能性があることを示して欲しいという願いを、彼に託したのかもしれない。
 
 11日の試合は録画した。試合の結果は塾の合間に妻から「内藤が勝ったけど亀田が無茶苦茶やったらしいよ」と聞いた。内藤が勝つのは当たり前だろうと思っていたが、できればKOで決着をつけてほしいと思っていた。まあ、それも亀田が汚い手を使えば無理かなと思いながら、塾が終わって深夜になってからゆっくり録画を見た。

 試合は、武蔵坊弁慶を気取ったを衣装を纏っての入場から、12ラウンドの乱暴狼藉まで、ある意味、亀田大毅のワンマンショーだった。ガードを固めてただ前に突き進むだけの亀田に、内藤はひるむことなくパンチを叩き込み、粘り強くペースを崩されることなく戦った。4ラウンド、8ラウンド終了時点で、両者のポイントが発表されるシステムが亀田の焦りを誘ったのか、終盤は見ていて痛々しいほどだった。史上最年少で世界チャンピオンなどという余計なプレッシャーを背負わされて、さぞや辛い戦いだっただろう、そんな同情さえしたくなるほどだった。
 

 それにしてもTBSの実況アナウンサーが余りに亀田贔屓なのには白けてしまった。営業サイドの注文なのかもしれないが、耳障りで仕方なかった。会場は内藤の応援一色に染まっていただけに、アナウンサーや解説者の亀田寄りの発言に違和感を感じずにはいられなかった。まあ、試合前日の会見で、「負けたら切腹する」だとか「オレのパンチは宇宙一」だとか、できもしないことを偉そうにまくし立てれば観客の反感を買うのも当たり前だろう。内藤が、「国民の期待を背負って」などと政治家のようなスローガンを掲げて亀田に向かったのも、観客と一体化できた大きな理由かもしれない。
 しかし、なんだかんだ言っても世界ランク14位の選手が一度もダウンを喫っすることなく、チャンピオンと12回フルに戦ったという事実は認めなければならない。内藤自身も言っていたように、思いのほか力が亀田にはあったのだろう。いくら嫌いなタイプの選手であっても、私も亀田の実力、将来性は大いに認めたいと思う。だが、問題は父親の存在だ。判定で敗れた後、勝者を称えることもせず、仏頂面でリングを下りていったあのオヤジといつまでもつるんでいたら、すばらしい才能も開花できないように思う。果たして親離れができるか、亀田大毅の将来はこの一点にかかっているような気がしてならない。
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ゲバラ

 10月2日の毎日新聞朝刊の2面に、「天国の味」と題する論説室の玉木研二記者のコラムが載っていた。すばらしい文章だったので、全文を以下に載せてみる。

 チェ・ゲバラは1928年アルゼンチンに生まれ、ブエノスアイレスで医学を修めた。キューバのカストロに共鳴し武力革命に参加、成功させるが、政権の地位になじめず、中南米革命の理想に従いボリビアに潜る。山岳ゲリラを指導中の67年10月8日、政府軍の襲撃に負傷して捕まり、翌日処刑された。ちょうど40年になる。
 革命を決意したのは医学生だった51年、モーターサイクルで大陸を旅し、貧困、搾取、差別、虐待を目の当たりにしてからだ。特にインディオの境遇は悲惨だった。
 ボリビアの山中を移動しながら付けた日記がある。死の1週間前の2日付。「コーヒーを作った。水は苦く、湯をわかすのに使ったやかんには油が浮いていたにもかかわらず、天国のような味であった」(「ゲバラ日記」仲晃・丹羽光男訳、みすず書房)
 17人のゲリラ部隊は孤立無援に追い込まれていた。「天国の味」のくつろぎもつかの間、日記は7日付で絶える。苦難をつづりながら最後の行までまったく絶望の色がない。
 それがゲバラの真骨頂であり、不屈の理想主義と直接行動主義は世界中に共鳴者を生み、デモやバリケードには肖像が掲げられた。
 時代は移った。遠くを見やるベレー帽の肖像はアートとして定着し、ポスターや看板、Tシャツ、スタジアムの応援席などあらゆる場所にある。彼のはるかなる革命を思うまなざしはファッション街の空に向いている。
 多くの若者はゲバラの何者たるかを知らない。そんなことは関係なく、時を超えて若い世代を鼓舞する何かを彼は発しているのだろう。

 恥ずかしながら、私もゲバラの何者たるかを知らない一人である。名前や肖像くらいなら知っているし、キューバ革命に尽力した一人であることも知っている。しかし、彼の思想などまるで何も知らない。それが、学生運動というものが時代遅れの過去の遺物になりかけた時代に青春を過ごした私たち世代の多くが持つ、ゲバラに対する共通の認識なのかもしれない。
 それでも中南米では、彼の存在は今でも色褪せていないようで、没後40年を記念する行事が各国で開かれた模様をTVで見た。すると、10月8日の毎日新聞の朝刊に太田昌国という民族問題研究者が書いた、ゲバラ没後40年についての記事が載せられた。
 「ゲリラ兵士という、かつてなら未来への夢や理想主義にも通じる響きを持っていた呼称は消え去った。武装する者の多くは、その思想と行動形態に理想主義のかけらも見出されないことから『テロリスト』と冷たく名づけられる時代がきた」
と述べながらも、「ゲバラの敗北から目を逸らさない現代の社会運動や、時代を超えて生き続けている挿話を通して、『ゲバラとその時代』は、なお豊かさを増していくだろう」と締めくくる分析は、ゲバラの「自らを囲む現実と相渉り、喜び、悩み、苦しみ、傷ついてい」た生き方に共感する者たちが後を絶たないことを示唆している。
 現代の日本とはかなり遠く離れた存在となってしまったゲバラだが、日本との関わりについて記された次の一節は、私たちの記憶に留めておくべき挿話であろう。
 
 キューバ革命勝利の年の59年、ゲバラは経済代表団団長として来日した。受け入れ側の日本外務省は、千鳥ケ淵墓苑への献花を予定に組み入れたが、「日本の兵士はアジアで多くの人びとを殺戮したから、献花はできない」と断り、広島こそが私の行きたい街だと主張して、それを実現した。原爆資料館を見た彼は「米国にこんなことをされてなお、言いなりになるのか」という言葉を案内者に語った。

 今の政権を担う人々がこの言葉を聞いたら何と言うだろう。
 
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