じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

夏休みの是非

2008-08-27 23:37:29 | 教育
★ お盆が終わってから急に涼しくなった。ツクツクボウシも鳴きだした。今年の夏も終わりだね。

★ 京都市の小中学校や公立高校では今週から早くも2学期をスタートさせているし、夏休みも少しずつ短くなっているようだ。

★ 生徒たちもさぞ残念に思っているかと思いきや、そうでもないらしい。最近は「早く学校へ行きたい」という生徒が増えてきた。夏休みが退屈で仕方がないようだ。

★ 携帯の普及などで薄っぺらな人間関係やバーチャルな友人関係が気にはなるが、それでもその関係の中に彼らは刺激を感じ、喜びを見つけているようだ。

★ 悪く言えば、スケジュールを与えられると安心するが、自分で自由に使える時間が与えられても、それをどう使えばよいのかわからず、退屈したり、不安になったりするようだ。

★ そう言えば、この傾向は学習する姿勢にも言える。一部には自ら進んで学習できる生徒もいるが、学力が低くとどまっている生徒に一般的なのが受身の姿勢だ。意欲が低い上に、集中力、持続力に欠ける。与えられると遅々としながらも課題をこなすが、「自由に勉強してもよい」といっても「何をすれば良いのかわからない」という。

★ 学習する力の低下は生きる力の低下にもつながる。かつて「生きる力」が目標とされ、新しい学力観や「ゆとり」が導入されたはずだ。しかし、それは結局、怠惰の是認に終わってしまったように思える。

★ 教育学者が考えるような理想と現実との間には大きなギャップがあるようだ。理念は良かったはずなのに、期待した成果が得られていないのは、プロセスに間違いがあったのかもしれない。

★ 教育とは永久に改革が伴う活動だ。だから試行錯誤はやむをえない。しかし、同じ過ちを繰り返すのは愚かだ。過ちを少なくするためにこそ教育の科学的解明、つまり教育という営みの法則性を解明する必要がある。

★ そのためにも「今、どのような教育を目指しているのか」を明確にし、一定期間辛抱強く実験を繰り返すことも必要だろう。

★ 学力テストの結果に一喜一憂しているなどは、愚の骨頂だ。
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