★ 小林秀雄は「モーツァルト」の題字の横に「母上の霊に捧ぐ」の文字を添えた。論文発表直前に世を去った母を思いやってのことらしい。
★ この当時の小林の心境を物語るエピソードがあるという。鎌倉の家の近くで見た大きな蛍。蛍などありきたりな風物だったが、小林はその時、「おっかさんは、今は蛍になっている」と思ったという。言葉にすればありきたりなものに堕してしまうその「直観」に小林はとらわれた。(東京新聞のコラム「大波小波」に詳しい)
★ このエピソードに触発されて「無常という事」(「無常という事」角川文庫、「モールァルト」集英社文庫所収)を改めて読んだ。一言芳談抄にある「なま女房」の話から筆をおこし、「生と死」や「歴史」そして「美」について論じている。
★ 本居宣長を回顧し、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」と言い、また川端康成との対話を紹介し、「生きている人間とは人間になりつつある一種の動物」と語る。そして、「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」と締めくくっている。
★ 解釈ばかりがまかり通り、日々煩悩に右往左往する私には厳しい警句だ。それでいて味わい深い。
★ ところで、小林は「無常という事」の中で先の「なま女房」の一文を読んだ時の感動が果たして何だったのか、はっきりとは思い出せないと告白する。寝覚めの夢のようなものだろうか。自らのある心の状態が感じた「直観」なのかも知れない。それは蛍に母の霊を見たことと共通しているのかも知れない。
☆ 蛍と言えば、「伊勢物語」の「行く蛍」が忘れがたい。
☆ ある男に恋心を抱きつつ若くしてこの世を去った娘。駆け付けた男が晩夏の夕暮れ、床に横たわっていると蛍を見る。そして、詠んだ歌。
☆ 「行く蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ」
☆ 「飛んでいく蛍よ、雲の上まで飛んでいくことができるならば、(地上は)秋風が吹いている(から早く帰っておいで)と、雁(娘の魂)に告げて欲しい」
★ この当時の小林の心境を物語るエピソードがあるという。鎌倉の家の近くで見た大きな蛍。蛍などありきたりな風物だったが、小林はその時、「おっかさんは、今は蛍になっている」と思ったという。言葉にすればありきたりなものに堕してしまうその「直観」に小林はとらわれた。(東京新聞のコラム「大波小波」に詳しい)
★ このエピソードに触発されて「無常という事」(「無常という事」角川文庫、「モールァルト」集英社文庫所収)を改めて読んだ。一言芳談抄にある「なま女房」の話から筆をおこし、「生と死」や「歴史」そして「美」について論じている。
★ 本居宣長を回顧し、「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」と言い、また川端康成との対話を紹介し、「生きている人間とは人間になりつつある一種の動物」と語る。そして、「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである」と締めくくっている。
★ 解釈ばかりがまかり通り、日々煩悩に右往左往する私には厳しい警句だ。それでいて味わい深い。
★ ところで、小林は「無常という事」の中で先の「なま女房」の一文を読んだ時の感動が果たして何だったのか、はっきりとは思い出せないと告白する。寝覚めの夢のようなものだろうか。自らのある心の状態が感じた「直観」なのかも知れない。それは蛍に母の霊を見たことと共通しているのかも知れない。
☆ 蛍と言えば、「伊勢物語」の「行く蛍」が忘れがたい。
☆ ある男に恋心を抱きつつ若くしてこの世を去った娘。駆け付けた男が晩夏の夕暮れ、床に横たわっていると蛍を見る。そして、詠んだ歌。
☆ 「行く蛍雲の上までいぬべくは秋風吹くと雁に告げこせ」
☆ 「飛んでいく蛍よ、雲の上まで飛んでいくことができるならば、(地上は)秋風が吹いている(から早く帰っておいで)と、雁(娘の魂)に告げて欲しい」