じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

ミネルヴァの梟

2009-02-13 23:27:14 | 
★ 茂木健一郎氏の「脳と仮想」を読んでいると、「ミネルヴァのふくろうは、黄昏にしか飛び立たない」(77頁)というフレーズに出会った。

★ 何か意味ありげだが、どういう意味かわからない。ネットであちこち調べてみると、ミネルヴァはギリシャ神話で知性を司る女神アテネの別称で、梟は女神の使いと言うことだった。そして、ヘーゲルが「法哲学」の序章でこの隠喩を使ったという。

★ 哲学は文明が崩壊の寸前に最盛期を迎えるとか、真理は最後にならないとわからない、といった解釈がされている。

★ そう聞いてもなかなか腑に落ちない。なぜ梟は昼間や夜明けには飛び立たないのか。それは梟の習性だからか。では、なぜミネルヴァの使いは梟でなければならないのだろうか。ツバメやスズメでも良いではないか。ワシやタカでも良いではないか。

★ 屁理屈はさておき、茂木氏の博識には感心する。文芸評論には感服する。
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自分の物語が語れるか

2009-02-12 04:46:01 | 
★ 藤原和博氏の「公立校の逆襲」から、今日は『将来のイメージを聞く』を読んだ。高校の面接に関する話題だった。

★ そう言えば京阪神の私立入試は10日、11日で終わった。京都府では次は公立高校の推薦入試、特色選抜である。どちらにも面接がある。既に提出済だが「自己推薦書」もあった。

★ 藤原氏の話を読んで「なるほどなぁ」と思った。面接ではほぼお決まりの質問がされるが、そこで自己アピールするには、まずは「継続」してきたことを訴えること。次に将来像、展望をはっきりと言うこと。

★ つまり自分自身について物語が語れること、シナリオが描けること。それは言いかえれば、しっかりとした自己像を持っているか、自己認識ができているかと言うことだろう。

★ 社会とのかかわりにおいて自分自身の物語が語れれば更にすばらしい。

★ そしてよくよく考えてみれば、これは受験生に限ったことではない。いくつになっても、どのような立場になってもこの問いかけは意味がある。

★ 何か続けてやっているものがあるか。自分自身の物語が語れるか。過去について、そして未来について。そのために今、何をしているのか。
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現代語訳に思う

2009-02-11 22:00:31 | 
★ 本屋で福澤諭吉の「学問のすすめ」の現代語訳が目についた。「天は人の上に人をつくらず・・・」で始まる名著だが、もはや明治時代の文章でも現代語訳が必要となったのだなぁと感じた。

★ やはり、「人の下に人をつくらずといへり」に慣れているせいか、「人の下に人をつくらずと言われている」というのには違和感を感じた。

★ そう言えば、高校の教科書に出てくる森鴎外の「舞姫」などは、現代語訳がないと高校生には歯が立たないようだ。樋口一葉の「たけくらべ」などは音読すれば実に心地よい文章だが、もはや古典文学の仲間入りか。

★ 私も「枕草子」や「徒然草」はともかくとして、「源氏物語」や「大鏡」などは訳本で読んだ方がわかりやすいと思う。助動詞の活用は置いておいても、日本の古典文学は省略の文学と言われるから、文脈や古語、時代背景の説明などがわからないと確かに読みづらい。与謝野晶子さんや瀬戸内寂聴さんなど希代の女流文学者が訳して頂いているのは実にありがたい。

★ 桃尻流の「枕草子」には度肝を抜かれたが、それはそれで面白かった。

★ 言葉は時代とともに移り変わり、文体も文語から口語へと大きく変わった。私は口語で育ったから口語の方がわかりやすいが、文語のリズムも捨てがたい。

★ 立原道造の詩は美しい。同時に、三好達治の「甃のうへ」や島崎藤村の「初恋」は傑作だと思う。

★ 現代語訳もいいけれど、原文に触れることも忘れたくないものだ。
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「アトム」の最終回

2009-02-11 21:08:34 | Weblog
★ 先日、久しぶりに「鉄腕アトム」の最終回を見た。今のアニメからすると紙芝居のようなコマの粗さだが、ストーリーには感動した。「フランダースの犬」の最終回と「鉄腕アトム」の最終回は何度見ても涙が出そうになる。

★ 太陽に向かって突入するアトム。特攻隊を思い起こすが、「地球を救うために」という大義名分があっても、自己を犠牲にするということは言うほどたやすくはなかろう。

★ 涙を誘うのは、「帰れそうにないよ」というアトムのさりげない一言だ。これが変に理屈ばっていたのでは興ざめする。

★ 振り向いたアトムの目には青い(白黒なのでイメージだが)地球が浮かんでいた。
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センター試験をめぐる投稿から

2009-02-10 13:29:13 | 教育
★ 大学入試センター試験は高校の進路指導を変え、また学生の質を変えているようにも思える。

★ 今朝の朝日新聞の投稿欄、予備校のデータ頼みの進路指導の在り方、マークシート型の試験の在り方に対して、私立高校の先生が疑問を投げかけられていた。

★ まったく同感だ。巨大化するセンター試験、今や予備校の膨大なデータベースがなければ、的確な進路指導ができなくなっている。生徒たちは自己採点ののち予備校が提供するソフトで志望校への合否を判定してもらう。合否判定ソフトはもはや「神」のようだ。

★ 大学への進学を目指す高校生は月に数回、多い時には毎週の如く予備校などが提供する模擬テストを受験する。そのほとんどはマークシートであり、まるで生徒たちは受験マシーンへと改造されていくようだ。

★ 少子化の中で苦戦する予備校業界にとって、センター試験は金のなる木だ。高校の序列が大学への進学状況で決まり、大学進学に向けての情報は予備校が握っている。

★ センター試験の弊害はいくつも指摘できるが、かといってそれに代わる選別方法はあるのだろうか。大学が選別を必要としている以上、何らかの方法が必要だ。

★ 昔、入口を広くして(例えば高校の調査書などで入学を認める)、出口を厳しくするといった議論があった。実際、中堅以下の私立大学では指定校推薦で多くの生徒を受け入れている。またAO入試も盛んだ。しかし、それはそれで学生の低学力が問題となっている。新たな高大接続テストが検討されるまでになっている。

★ 本来、センター試験は一次試験で、二次試験は各大学が工夫を凝らして行うものだろうが、生徒がセンター試験の結果で志望校を決めることを思えば、センター試験の比重が非常に大きくなっているように思う。

★ マークシートと言った方法のあり方も論議されるべきだが、短時間に多数の採点をするとなれば今のところこの方法が最適なのだろう。

★ センター試験をめぐっては、予備校などの教育産業頼みの進路指導のあり方、センター試験対策ロボットを育てていくような教育の現状、更には高校教育とは何かなど多くの問題が提起される。
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公教育経営

2009-02-09 03:55:27 | 教育
★ ここ数日学習意欲が高まっている。再び大学で学びたい衝動に駆られている。

★ ずっと学校経営実践史と臨床学校経営学と言うものに興味を持っているが、今さら研究者として身を立てることもないから、もっと広い視点から「公教育経営」というものを勉強したいと思えてきた。

★ 公教育経営研究といっても実に幅の広い内容を含んでいる。公教育そのものの概念の検討、歴史的経緯。制度設計や立法過程、行財政過程や慣習などと言った法社会学的な領域も含まれる。

★ 公教育と言う限りは「公」(主に国家)が意図をもって計画的、組織的に営む教育活動だが、具体的には「学校」を舞台として「授業」と言う形で行われる。

★ だから「すぐれた授業とは何か」というのも大きなテーマだ。

★ いかに箱ものをつくり、教材を整えても授業の質は結局教員の力量によるところが大きい。教員の職能成長の在り方、養成・採用・研修、人事の在り方も大きなテーマだ。

★ 教育行政や学校経営は教育目標を実現するために所与の条件を最適化する条件整備だといえる。経営の在り方、経営者の力量形成や経営過程の在り方が問われる。

★ そもそも教育とは何だろう。何らかの意図をもって人の変容を促す営みであろう。そう考えると、教育とはブラックボックスのようなものだ。では、そのブラックボックスに入る前と出てからを比較し、ブラックボックスの関数(法則性)を解明することが教育学と言うことか。

★ だんだん深みにはまってきた。

★ 臨床教育学という視点も面白い。森を見るか、木を見るかといったことだろうが、一人の人間の変容に焦点を当ててみるのも人間の理解には必要な作業だろう。社会とのかかわりを考えれば教育社会学の領域となるか。脳科学や心理学、社会学も重要な武器となる。

★ 公教育は市民革命や産業革命を経て、国民国家の形成と資本主義が発展するのとにあわせて、国民形成や労働力の供給のために組織化されたと言われる。社会の変遷の中でこれからの公教育の在り方を考えるのも興味深い。

★ まずは大風呂敷を広げて、あれこれ勉強してみたい。
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2009年度京都府の私立高校志願者数から

2009-02-07 12:04:30 | Weblog
★ 京都府の2009年度私立高等学校入試の志願者数が発表された。まだ締め切っていない学校や1・5次募集、2次募集をする学校もあるので最終的な数字ではないがいくつか特徴が読み取れる。

★ 全体として私立志望者が減った。京都市以南の学校だけを見ると昨年度と比べ1000人以上減っている。割合で言うと昨年の95%というところだ。昨今の経済状況や公立の復調と言う背景もあるのだろう、2005年度と比べても94%と減っている。

★ 今年志願者を増やしたのは、花園が約600人増と圧倒的で、以下京都成章、洛陽総合、洛南が100人以上増やしている。花園は昨年の志願者が少なかった反動と思えるが、2005年度と比べても約125%と人気を集めている。洛南はここ数年着々と志願者を増やしている。男女共学化が成功したようだ。

★ 人数的には多くないもの、京都西山、ノートルダム女学院も健闘している。地道な学校改革、営業努力の結果であろう。

★ 一方で今年志願者を減らしているのは、東山、龍大付属平安、京都両洋、京都文教、京都女子で、いずれも200人以上減らしている。比率的には、華頂女子、平安女学院の落ち込みも大きい。龍大付属平安は昨年度龍大の付属となり人気を集めた反動とも言える。

★ 他の学校は、長期的にも人気にかげりが見られる。男子校、女子校といった形態が市場から支持されなくなってきているようだ。かつて人気を集めた京都女子は洛南の共学化や立命館の併願化などによって苦戦しているようだ。平安女学院は定員割れが常態化しており、立命館大学への進学をめざすコースの人気もイマイチだ。

★ 2005年度志願者数ベスト5は、大谷、京都橘、花園、京都学園、京都女子の順だが2009年度は、大谷、京都学園、京都橘、花園、龍大付属平安の順となっている。志願者が1000人を超える学校は年々減り、人気校への集中が進んでいるようにも思える。

★ 大阪府の橋下知事が提唱するようなバウチャー制度を期待する声が高まるかもしれないし、またM&Aが進むかも知れない。

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本の森で戯れる

2009-02-06 01:44:30 | 
★ 本屋で企画の「How to」本を2冊買った。本は手軽に手に入る刺激剤だ。コロンブスの卵のように目からウロコが落ちるような体験、ふと本質に触れた時の「アハ体験」を味わうことができる。

★ それはそうと未読、あるいは読書中の本がたまってきた。

★ 今、メインで読んでいるのは城山三郎著「鼠」。鈴木商店焼打ち事件をテーマとしたノンフェクション作品だ。

★ 茂木健一郎著「脳と仮想」。茂木氏の博学、発想の独自性、文章の巧みさには驚かされる。この作品を読んでいるとなぜか三木清の著作に通じるものを感じる。

★ 藤原和博著「公立校の逆襲」。民間校長の奮闘記。民間校長の目から見た公立学校の奇妙さ、そして可能性を感じることができる。何はともあれ、子どもと言うものは大人が考える以上に可能性に満ちあふれた存在だと思う。

★ 沢木耕太郎著「テロルの決算」。ノンフェクションの旗手として活躍する沢木氏の渾身の作品だ。読むのは2回目。浅沼稲次郎社会党委員長を刺殺した青年の内面にグイグイと迫っていく。

★ 五木寛之著「風に吹かれて」「人間の覚悟」。「風に吹かれて」は2回目。なかでも「穂積先生のこと」は何度読んだことだろう。時代を異にする2作の作品を比べて読むのを楽しんでいる。

★ 小林雅之著「進学格差」。東大入学者の親の所得がかなり高いということは聞いたことがある。進学もカネ次第の時代になってきた。階層の固定化が危惧されている。

★ 越智道雄著「ワプス(WASP)」。アメリカで成功するには、白人、アングロサクソン、プロテスタントという条件が必要だという。黒人初のオバマ大統領が誕生する時代だが、あらためてアメリカの支配階級について知りたくなった。

★ 岡本勝著「禁酒法」。巷では大麻問題が騒がれているが、かつてアメリカでは酒が取り締まられる時代があった。酒に甘い日本社会では考えにくい出来事だが、なぜ禁酒法が施行されたのかその背景に興味を持った。

★ 塩川伸明著「民族とネイション」。大学生時代、政治学の授業で「ネイション」という用語に出会ったが、それがどんな意味だったのか改めて知りたくなった。

★ 小林英夫著「BRICsの実力」。新興国と言われるブラジル、ロシア、インド、中国。21世紀の世界はこうした国々のあり方によって大きな影響を受けそうだ。

★ 水野和夫著「金融大崩壊」。水野さんの発言は信用できそうだ。

★ 本山美彦著「金融権力」、浜矩子著「グローバル恐慌」。本山さんの本は初めてなのでまだ未知数。浜さんの本は、長年世界経済を見つめてきた浜さんの作品だから買った。

★ 柳家花緑著「落語家はなぜ噺を忘れないのか」。落語に司会に大活躍の花緑さん。読むのが楽しみだ。

★ マックス・ウェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」。まさにアメリカはこの倫理観を見失い、今般の経済危機を招いたのだろう。資本主義論の古典に触れ、資本主義を考えてみたい。

★ イザヤ・ベンダサン著「日本教徒」。懐かしい著書だ。アメリカの資本主義が崩壊したのと同様、今回の経済危機は日本社会の変質も浮き彫りにした。経済危機は決して珍しいことではないが、今回の雰囲気は今までとは違う気がする。企業を取り巻く環境や社会の空気が変わってしまったようだ。改めて日本人論を読みたくなった。

★ 笠間賢二著「地方改良運動期における小学校と地域社会」。梶山雅史編著「近代日本教育会史研究」。この2冊はわくわくするような本だ。マニアしか読まないだろうが、お弁当の卵焼きのようで、最後までとっておきたい誘惑と闘っている。

★ 曽良中清司著「権威主義的人間」。ファシズム論の本だ。フロムの「自由からの逃走」「正気の社会」と合わせて読んでみたい。

★ 本の森で戯れているのは楽しいね。
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働く意味

2009-02-04 23:47:39 | Weblog
★ 久米さんの「テレヤツ」を見た。今日のゲストは竹中平蔵氏。平成の井上準之助といったところだろうか。

★ ものごとがうまくいっている時は祭り上げられて、いったんうまくいかなくなったら批判の的。人の世はどの時代も変わらない。私は資本原理主義は好まないが、だからといって竹中氏だけを批判するつもりはない。

★ 非難されるべきは小泉政権を支えた人々だと思う。今さらながらメディアで働く人が当時の様子を振り返って反省しているが、空気と言うものは恐ろしいものだとも思う。

★ ともかく、今日のテーマは「働く意味」。そう正面から聞かれると答えにくいテーマだ。生計を得るため。これが第一だろう。生計を得ることと自己実現とがマッチしている人は幸せだと思う。

★ 社会への貢献や役割を果たす、社会との接点なども間違ってはいない。働くことにはいろいろな側面があると思う。

★ ただ、報酬を得ると言うことは働くことに(あるいは働いたことに)、価値があったということだろう。そう考えれば、働くことは価値創造の営みとも言える。

★ 「テレヤツ」のような番組は好きだ。久米さんは「ニュースステーション」もこのような番組にしたかったのかも知れない。ただ、このような番組を営むには若すぎたのだろう。何でもできすぎるということは、かえって窮屈なのかも知れない。

★ 私も年をとったせいか、こうしたスローフードのような番組が好きになってきた。
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構造改革

2009-02-03 03:53:26 | Weblog
★ NHKスペシャルで不況に揺れる「自動車産業」が取り上げられていた。

★ 世界経済の沈滞を背景に急激に生産調整に入った自動車産業。一台の自動車には数多くの部品が使われ、それを下請けの企業が担っている。自動車産業が不況に陥ると構造不況に陥ってしまう。

★ アメリカビッグ3の崩壊は、「ものづくりを忘れたから」とか「金融に走ったから」だとか言われる。財テクで甘い汁を吸ってしまったら、手間のかかる製造業など面倒でやってられないということか。

★ マネーゲームはポーカーのようなものだ。お互いに腹を探り合いながら、株に原油に穀物にと利益を求めてカネが飛び交う。チキンレースの様相もある。結局みんながババを引きたくないから、何がババなのかもわからなくしてしまった。

★ 資本原理主義の崩壊。これも「神の見えざる手」のなせる技と言ってしまえばそれに尽きる。資本主義は人々の強欲をエネルギーにして回転するエンジンだ。強欲が強欲を呼び、あまり回転しすぎてオーバーヒートしてしまったようだ。

★ 20世紀を象徴する自動車産業の崩壊は、社会が新たな生産関係の構築に向けて動いているということかも知れない。生産の在り方、企業経営の在り方が変革されなければならない時点に来ているのかも知れない。

★ 番組は、この危機が去った後の業界再編を示唆して終わっていた。勝ち残った(生き残った)企業が市場独占に向け新たな動きをするというのだ。

★ 経済危機は絶好の構造改革の時期とも言える。乱世は成り上がるものに千載一遇のチャンスを与える。そう考えると、経済危機は新たな産業構造の萌芽とも言える。

★ 火の鳥は身を焼くことによって新たな生を得る。巨大化した企業のかじ取りは大変だが、何が企業の存亡を決めたのか、数十年のち振り返った時に明らかになるのだろう。言えることは「変革」なしには生き残れないということだろう。

★ 環境の変化に応じて変われるかどうか。このしたたかさをもった経営者、企業が生き残るのではなかろうか。
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