じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

キレる親、荒れる子ども

2009-02-21 23:25:27 | 教育
★ 虐待などが原因で子どもを保護した児童相談所の職員に対し、暴言を吐いたり、暴行を働く親が増えているという。

★ まったく身勝手極まりない。生活に窮していないのに給食費を払わない親と共通するものがあるようだ。

★ 折しも、藤原和博著「公立校の逆襲」で今日読んだところは「荒れる子供たちを救うには」というタイトルだった。荒れる学校の現状を報告する教員の投稿から話が始まり、同じく荒れを体験している教員との意見交換の様子を伝えている。

★ 同著書の中では、いささか歯切れの悪い章になっている。「子どもの荒れ」を目前にしたとき、特効薬をもたない教育関係者の現状なのだろう。

★ 子どもの「荒れ」は今に始まったことではないが、今日の「荒れ」は反抗期などといった生易しい言葉で済まされるものではない。

★ 今日の「荒れ」は、駄々っ子に近いものがあるように思う。何となくイライラする。何となく鬱陶しい。面倒なことはしたくない。今が楽しければそれでよい。自分の欲求が通らないと辛抱できない。とにかく目立ちたい。自分の存在を認めて欲しい。そんなところだろうか。

★ 昔から「親の顔が見てみたい」といったフレーズがあるが、「この親にして」ということもよく経験する。親自身が「子ども」のようだと思えることもある。

★ 好意的に見れば経済的な圧迫や希望のもてない生活の中で、子どもを思いやるゆとりが持てないということだが、すべてを社会の問題に帰しても解決にはならない。踏ん張ってもらわないと「荒れ」が再生産され、いつまでも不利益な社会状況から抜け出すことができない。

★ 今や成熟社会、教育はサービスに変わり、親や生徒はお客様。「お客様は神様」で、クレームはありがたいご意見と言うことか。それを受け入れられないのは教員が時代遅れの頭で対処しているからということか。

★ そう割り切ってしまえばそれで良いのだろうが、何かしっくりこないなぁ。
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霞ヶ関の逆襲

2009-02-21 12:47:16 | Weblog
★ 民間、それも地方で生活していると中央官庁に勤務する官僚と言うものの実態はわかりづらい。

★ 「政治主導」と叫ばれながらも一向に官僚に依存した政治状況は変わらない。明治維新以来、いや官僚機構は江戸幕府の時代からの系譜か。ころころと変わる政治家と違って、生涯官僚として生きる人々はさすがにテクノクラートであるし、したたかでもある。

★ 昔、専門誌記者のまねごとをした時期があって、虎ノ門の文部省や霞ヶ関の総理府などに足を運んだことがある。そこで出会った官僚はそれほど異星人のようには思わなかった。

★ 確かに地位によってふんぞり返り具合は違った。課長ぐらいまでは実に腰が低いのだが、局長になるとかなり偉そうになる。次官になると腰の高さの使い分けが見事だ。上には低頭、下には高慢。そうした使い分けができる人だけが生き残っていけるとも言える。

★ 東大閥と東大閥以外の人との確執もあったな。当時、大学院生だった私にとって、「人事」が大きな話題なのも興味深かった。

★ 「天下り」「渡り」などマスコミが大きく報じている。ピラミッド型の官僚組織の風習だ。これを悪しき風習として排除するか、必要悪として是認するか、国家議員が自らの定数削減に消極的であるように、役人が自らの不利になることに積極的であるはずがない。

★ 背後には先輩後輩の縦の関係がびっしりあるし、役所ごとの既得権益争いがある。「地位」で生きている人々だから、そのプライドを曲げることは簡単ではなさそうだ。

★ 政権の背後でうごめく官僚の姿が見え隠れするようになってきた。公務員改革を進めようとする内閣への面当て、強硬な人は与党からも出て行ってしまった。一方の官僚は政権交代を見越した生き残り策を練っているのか。

★ 官僚の処世術は1冊の本になるだろうね。そうそう、旧大蔵省が復活の気配だね。
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