読者女性から「数年前の12月、太宰府天満宮でご住職にご挨拶をさせて頂いた者です。ほんとにお会い出来るとは思いませんでした。私もご住職の『ご祈願も大事だが、御礼報謝は尚、大事』の法話を聞いてから毎年、年の暮には天満宮さんの方へ、参詣させて頂いております。また、偶然でもお会い出来れば」と手紙が。
【追伸】
数年前に西日本テレビの午後の番組で、1分間法話(週に1度出演)を半年(寺内収録)ほど。その時に「拙僧は太宰府天満宮や、その他にも何ヶ所かの寺院、神社には、年末の御礼報謝に伺っております。全ての事は『有難うございます』から始まり出します。その最たるものが『今ここに、命があるに、何不足』です。『今ここに存在している自分は、どれほどの支えがあっての事か』を思うと『有難うございます』から、これからの人生が始まるがよくわかります」と、ある日のテレビ法話で話した事が。この読者女性の事は、勿論、覚えておりました。「本当に御礼報謝に来られていたんですね」と話し掛けられ「よく、拙僧とわかりましたね」と返すと「その低いドスの効いた声で」と。
【余談】
師走の『師』は、坊主の事にて。12月に坊主が走り回る、何のこっちゃ。歳徳神(正月様、各家の先祖の集合霊)が帰ってくるから。正月三ヶ日と盂蘭盆三ヶ日は、同義にて。よって、坊主達が「先祖を出迎える準備は整っておるか」「目印の門松はどうじゃ」「野菜を細かく切ってお椀に入れ、仏壇に供えておるか。正月明けたら、それを下ろして、ごった煮にして餅をぶち込み、お雑煮にせにゃならんぞ」「雑煮を食べる為の両方が細くなってる雑煮箸(別名、柳箸、柳の木で作るから)の準備はしとるか。おいおい、勘違いするなよ。片方の細い方は、お前さん達が食する為、もう一方の細い方は、先祖が食する為じゃ」「先祖達から『今年も家には誰もおらんぞ。なんてや、ハワイじゃと。また俺達(先祖達)は玄関先で正月か』と先祖達に、ワイワイ、ガヤガヤ、させんようにせえよ」と坊主が走り回ってる次第にて。以上、面白萬話。
1つの命を何万年も繋いでくれたお陰で、今ここに私が。過去の人達(先祖)に感謝する時期でもあるかな、師走は。
