1分で読める小さなお寺の法話集

子育て、人材育成に関する法話を実話と歴史から紐解いて書いております。

拙僧は毎年、大晦日の納めの日の入りに、西の空に両手を合わせ「あなたが1年間、昇ってくれたお陰で、命を長らえる事が出来ました」と御礼報謝を。全ては「有難うございます」から始まりますもんね。

2022-12-30 17:01:48 | 法話
【 今日は、平成4年の大晦日。今年も色々ありましたが『今ここに、命があるに、何不足』ですね。本年も1年間、拙い法話にお付き合い頂きまして、有難うございました。あの手この手と例題を使って、様々な趣旨の分野に適合する様にと、試行錯誤して文章を作り、投稿させて頂きましたが、理解してもらうに至らなかった事も。来年はそこ(力不足)を課題に。それでは皆さま、どうか、良いお年をお迎え下さいませ 】  

読者男性から「住職と同じ様に、今年から大晦日は、納めの日の入りに手を合わせ『あなたが昇ってくれたお陰で、命を保つ事が出来ました』と、頭を下げて、御礼報謝を。明日は初詣に家族と一緒に参詣を。折角ですので、何か、神社にまつわる面白い話はないでしょうか」と。「そうですね。神社入り口に立つ鳥居ですが、鳥居、って『お通り(鳥居)下さい』の意味だと知ってましたか」「へえ、知らなかった」と。「他に鳥居と言えば、やっぱ、山岡鉄舟さんの話が頭に浮かぶかな。鉄舟さんの弟子が『神仏のバチって、本当にあるのですか』と。『どういう事だ』『半年前から、鳥居に小便を掛け続けておりますが、一向にバチが当たる気配がありません』と。すると鉄舟さん、弟子を睨みつけ『もうお前には、バチは当たっとる』『えっ、どんな』『そんな事をしても、恥ずかしいと思わない心が、既にバチが当たっとる証拠だ』と。『バチ』ってね、自分から勝手に当たりに行って、勝手に転げとるだけ。神や仏や先祖が、当てとる訳ではないですよ。人は、自分の行いの恥ずかしさを隠す為に、何かの『せい』にする。その場だけは気持ちが楽になるからね。が、何の解決にもならない。目に見えない物(神、仏、先祖など)は、責任転嫁するには、都合がいいでしょ」「そうですね。1年を振り返ってみると、私も随分、責任転嫁してきた様な気がします。来年は、そこを考え直します」と。

【子供に教わった事】
人間の勝手な基準といえば、常にこの話が脳裏に。数年前の話。保育園の先生が「住職、園内でね、蜘蛛の巣に捕まっていた蝶々を『可哀想』と助けたら、園児から『蜘蛛が可哀想じゃないか。蜘蛛もご飯がいるのに』と怒られました。思わず『はっ』と。私は気づかないうちに『蝶々は、可愛い、愛おしい』と『蜘蛛は、醜い、怖い』と勝手な基準を。『園児達にも同じ基準で対応してたのでは』と少しゾッとしました」と。

今1つ話を。檀家の爺様が「住職よ、曾孫(男子小学生)を連れて、神社へ参詣に。そこに煙草の吸殻が落ちていて、思わずムカっときて『不届者が。常識を知らんのか」と怒りの大声を出すと『カラスが咥えてきて、落としたのかもよ』と曾孫に言われ『はっ』と。『そうだよな。見てもないのに、人がやったと決め付けちゃいかんよな』と。すると、曾孫が拾ってゴミ箱へ。ちっちゃいのに教わるとはな、住職」と。


投稿写真は、何年か前の、大晦日の納めの日の入り。